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第一章
9.俺の友達 拳人side
しおりを挟むこの時期は十八時になってもまだ世間は明るく、蝉の声も心なしかまだ元気があるように聞こえる。
小鉄に寄る所があるから先に屋敷に戻るように言うと珍しく食い下がった。拳人は睨みを効かして無理やり車に押し込めると運転手に連れて帰ってもらった。
車一台がやっと通れる道の端にブラックボードが置かれている。数日前来た時には無かったが新しく作ったようだ。
「占いの店、クリスタル……か」
屋号と電話番号のみが書かれているだけで、営業時間も金額も何も書かれていない。この看板を見ると商売っ気の無さが感じられる。
あの日、あの女は確かに俺の事をヤクザと言った。初めから俺を知っていたとも思えない。水晶玉に何かが見えたに違いない。あの女は俺が探していた【本物】だ。
是非とも親しくなりたいがどうすればいいか分からない。拳人が看板を見つめていると仕事帰りの女性会社員達が前から歩いてきた。一人が看板を指差して声を上げた。
「あ! ここじゃない? あの、【メゾンの母】!」
「あー、なんかすごい当たるっていう占いの店?」
「友達が言ったんだけど、すごい的確にアドバイスしてくれるんだって喜んでたよ、なんか建物が古いんだけど、それがまたいい雰囲気なんだって! それでね──」
噂話に花を咲かせる女性達を横目で追う。いつの時代も女性は占いが好きだ。
「メゾンの母、メゾン・クリスタル……なるほど、そっちか」
名前の由来に気付き微笑む。すごいスピードでこの店は巷に知れ渡っているようだ。母と呼ばれるのは優れた占い師の愛称だ。この短期間でここまで噂が広がるとは、まさに占い界の新星扱いだ。
さすがというか、当然というか……。
拳人は胸ポケットから煙草を取り出し火をつけた。すうっと大きく吸うと雲ひとつない夕空へ煙を吐き出した。ぽかっと固まった煙草の煙が少しずつ馴染むように消えていく。
拳人は満足げに目を細めると、煙草を地面で踏み潰し、ゆっくりとアパートの階段を上って行った。
「…………」
「──いらっしゃいませ」
インターホンを鳴らすとすぐにあの女がドアを開ける。部屋の中からは微かにコーヒーの香りが漂っている。もしかしたらもう営業を終えようとしていたのかもしれない。
薄暗い廊下で何と言おうか悩んでいると、どうぞと言われて部屋へ通された。
「……驚かないのか?」
「どうして? あなたみたいな人初めてじゃないわ」
どうやらあの時の男が俺だともうわかっているらしい。この女の千里眼は誤魔化しようもない。
再度、部屋に入るように促されると玄関で靴を脱ぎスリッパに履き替える。女は信じられないものを見るような目で拳人の足元を見る。ヤクザは土足でドカドカと入る奴ばかりだと思っているらしい。何食わぬ顔をしてそのまま先日と同じ椅子に座る。
「えー……それで、今日はどうされましたか?」
晶は拳人から目を逸らし水晶玉を見つめる。少し手が震えている。拳人は自分の服装を見直した。
やはりこの服装のまま来たのはまずかったのかもしれない。怖いのか?
「……今日は人間関係をみてほしい。どうすれば、親しくなれるのか」
「親しく……ですか?」
「あぁ、友達、が欲しくて」
女はちらりと俺を一瞥するととまどったような表情を見せる。ヤクザのくせに何をコミュ障みたいな事言ってんだって思われたのかもしれない。年甲斐のない事を言ってしまい恥ずかしくて顔が赤くなる。友達になりたいとは言い出せなかった。言ったそばから己の失敗に気付いてしまい死にたくなる。
なんとか言ってほしいが目の前の女はじっと何かを考えているようだ。すごい集中とオーラに圧倒される。
「あの……。あなたはいつも沢山の方に囲まれて大切に思われていると思いますが──」
確かに俺には若林組のみんながいる。
家族といってもいい存在だ。だが、今俺が求めている友とは少し違う。そのままの俺を認めてくれる存在の事だ。
こうして【本物】に出会える事も奇跡に近いが、俺の正体を知っても怖がらず接してくれるこの女と……もっと話したいと思った。
「そう……だけど……」
それ以上どう言えばいいかわからず天井を見上げた。薄暗い部屋に木目がうっすらと見える。幼い頃行った田舎の家を思い出す。
夏休みの間俺は一人で過ごすことが多かった。俺は友達が欲しかったが一度もその願いは叶わなかった。
自分の孤独に気付かないふりをして今まで生きてきたからだろう。ただ、あんたと友達になりたいんだって言えばいいだけなのに勇気が出ない。
「……そうね……」
突然女が顔を上げた。色素の薄い琥珀色の瞳がゆらりと動いている。
「あなたの場合は……その、色々と自由がなかったから。でも、きっと大人になったあなたが素直な気持ちを伝えればみんな大好きになっちゃいますから……だから大丈夫です」
なぜだか分からないがぎこちない言葉たちが自分の心にストンと嵌った。
ヤクザの息子という肩書きの人生に文句は無いが、水晶玉に過去の俺のどんな姿が見えたのだろうか……。そこでふとある事に気付く。
俺にこれからもっと友達が出来るという意味なのか? 多くの友が欲しい訳じゃない。ただ一人──アンタになって欲しいだけだ。
俺はどうすべきか悩んでいた。自分の不器用さに腹が立つ。言え、言うんだ……俺と、友達になってくれ──頼む。
心臓が高鳴る。きっと酷い顔をしているだろう。
突然聞き取れないほどの微かな声で何やら目の前の女が呟きだした。何やら呪文のような……。ちらりと見ると気のせいだろうか、今にも泣き出しそうに見える。
「……え? なんで……」
突然泣かれるとどうしていいか分からない。女は戸惑う俺の手をなぜかぎゅっと握りしめた。握力が思ったより強い。
「わかりました。……代わりになれないかもしれませんが、私を友だと思ってください! いえ、友になりましょう!」
先程のしおらしい姿は消え失せ、若干語尾に怒りの影が見えたような気がしたが、目の前の女は俺の友達になったようだ。
頭が付いていかない俺をさて置いて、女は「大丈夫」「いいんです!」と、何やら慰める。
アパートからの帰り道は俺にしては珍しく思い出し笑いを繰り返した。嬉しい。よく分からないが、とにかく嬉しい……。
──友になりましょう!
あの女の言葉を思い出し、友達という存在が自分の中でどんどん膨らんでいるのを感じていた。
「あ、名前──」
互いの名も知らないまま別れてしまったことにしばらくして気付く。
大丈夫だ、また会いに行けばいいんだ。
拳人はゆっくりと月夜を楽しみながら帰路についた。
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