夢幻燈

まみはらまさゆき

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(3)紅葉の山奥の温泉へ

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川のそばの丸太が整然と積み上げられている貯木場らしき敷地の一隅に、細い線路が引き込まれていた。
線路の端には、屋根なしの貨物列車が停まっていた。

列車の先頭では、模型みたいにちっぽけな機関車が、ディーゼルエンジンの律動音を上げていた。
その後ろに、貨物の積まれてない屋根なしの貨車・・・ただ車輪と台枠だけの貨車が十両ほど連なっていた。

そして、一番後ろには、粗末でちっぽけな木造の客車が一両、くっ付いていた。

客車のそばには、教授と千代が待っていた。
チェックのシャツにニッカボッカーの教授は無表情で直立し、山吹色のブラウスにチェックのキュロットスカートの千代はいかにも楽しそうな笑顔を見せていた。

無地のシャツに何故か作業ズボンの由夫が歩いていくと、千代が駆け寄り彼の手を取って客車の方へ走り出した。
先にステップを駆け上がり、客車に乗り込んだ千代に引き上げられるように、天井の低い客車の中に乗り込むと、あとから教授も乗り込んできた。

三人が乗車するのを待っていたかのように、前方の機関車が汽笛を鳴らし、がくんと激しい衝撃とともに貨物列車は走りだした。
粗末なベンチのような客席に、教授は無言で外を眺めたまま、由夫も無言で、ただきょろきょろと視線を動かし、千代だけ一人ではしゃいでいた。

列車は大きな川に沿って走った。
刈り入れがとっくに済んだ田んぼの向こうに山があり、それがだんだんと近付いてきた。

やがて川と線路を挟みこむように、両側から山が迫り、線路は上り坂、川は急流となった。

谷川に沿って上流へと進んで行くうちに、谷が二俣に分かれ、川が出合う個所をいくつか過ぎた。
線路はそこで分岐していたが、由夫たちを乗せた列車は常に大きい流れの方、本流の方へと進んで行った。

別れた細い線路は、別れた細い谷川とともに、さらに上流の山の奥まで続いているようだった。

どれだけ高度を稼いだのかは分からないが、山はいつの間にか紅葉に彩られていた。
谷は深くなり、デッキから流れてくる風は冷たくなり、滝のような音も絶えず窓の下から聞こえてきた。

途中、線路が分岐して複線に並び、そこで列車は止まった。
客車は山の静けさに包まれたが、そのうちに線路の上の方からゴロゴロと低い音が響き、なんだろうと思っていると、太い丸太を積んだ貨車が一両ずつ、下り坂の線路を駆け下ってきた。

丸太の上には作業員がブレーキに繋がるワイヤーを手にしてまたがり、そんな貨車が五両か六両、客車の脇をかすめて下っていった。
丸太を積んだ貨車が下って行ってしまうと、再び由夫たちの乗った列車は動き出し、谷のどん詰まりまでゆるゆるとした速度で上っていった。

線路の終点には、積み出しを待つ丸太が転がっていた。
客車を下りた由夫たちはその脇を通りすぎ、崩れそうな作業小屋と、古びた木造平屋の宿舎のある集落を抜けると、すぐに山道になった。

紅葉のトンネルの中の細道を歩いていった。
道は急な登りもあれば、下りもあった。

道の途中、山の中腹に一軒の民家があった。
誰もいないかのように、ひっそりとしていたが、母屋も狭い庭も手入れが行き届き、誰かしら住んでいるようだった。

どれだけ歩いたか、小滝の下をくぐる木橋を渡ると、湯気が立ち込める場所に出た。
露天の温泉だった。

ちょうど先客が湯から上がるところだった。
若い女性・・・というより少女の、白く滑らかな背中からふくよかにふくらんだ尻にかけて、玉の雫が滴り落ちていた。

真っ先に千代が、あっという間に着ているものを脱ぎ捨てて、細くしなやかな体を湯に踊りこませた。
教授は黙って服を脱ぎ、由夫も促されるように裸になった。

湯から上がった少女は、背を向けたままそそくさと服を着け、由夫を最後に三人が湯に漬かる頃にそこを離れた。
風呂の脇を、その少女が通る時に見せた横顔は、見覚えがあった。

由夫たちは長い時間、温泉やその周辺に遊び、日がかなり傾いて西の山の端に隠れようとするころ、もと来た道を戻り始めた。
山間の狭い秋の空には雲ひとつ無く、赤や黄色のモザイク模様の山は、オレンジがかった夕陽に照らされて、山火事で燃えているようにも見えた。

風が吹くと木の葉が谷の上を火の粉のように舞った。

途中の民家のあたりには、煙が立ち込めていた。
その煙は、民家の台所から突き出た煙突から流れているものだった。

うす紫の煙は風に乗って谷に沿いながら、静かに流れていた。

軒下に積み上げられている薪を、民家の中から木の戸を開けて取りに来た人があった。先ほど温泉で見かけた少女だった。
由夫は、何度も振り返ってその少女を見い見い、山道を歩いていった。

そして、民家も少女も木々の陰に隠れて見えなくなった頃、千代が歌い出した。

「秋の夕日に、照る山紅葉・・・」

その澄んだ透明な声は、静かに山道に流れた。
線路終点の集落に到着する頃には、残照を残して陽は沈み、青い空気がその辺りを流れていた。

来た時に乗ってきた客車が、一両だけぽつんと三人を待っていた。
三人が客車に乗り込むと、運転台みたいな席に座って前方を見つめたままの作業員が、円いハンドルを回し、ブレーキを緩めた。

客車は自然に下り坂の線路を転がり、谷を下っていった。
下るうちに谷は浅くなり、谷川の音も柔らかく穏やかなものへと変わっていった。

途中、行違いのために客車は側線に退避した。
来た時に、丸太を積んだ貨車とすれ違ったところだ。

程なく、谷の下のほうから、ライトを明るく照らして、機関車に牽かれた空の貨物列車が上ってきた。
数両ほどの貨車の後ろに客車が一両だけくっ付いた貨物列車が至極ゆっくりと通り抜ける間に、由夫たちの乗った客車では、天井に吊り下げられた灯油ランプに明かりが灯された。

貨物列車が通り過ぎてから、再び客車は坂道を転がり下りた。
由夫は客車の後ろの窓から、上っていく貨物列車のしんがりの客車の、赤いテールランプが暗い谷の奥にちらちらと消えるのを、見届けていた。

・・・

気がつくと、目が覚めていた。
窓の外はすでに明るくなっていた。

時計を見ると、目覚ましをセットした時間の五分ほど前だった。
時計にたたき起こされずに自分で起きる、爽快な目覚めだった。

それは、夢幻燈の作用によるものかどうかは、まだ半信半疑だった。
けれども、布団から身を起こすと、寝起きとは思われないほどに身体が軽かった。

勢いをつけてカーテンを開くと、よく晴れた秋の空が現れ、白っぽく明るい光が彼を照らした。
ジャブジャブと顔を洗い、歯も磨いてすっきりした気持ちになった。

これから一日を過ごす力がどこからか湧いてくるような気がした。

朝食時、時間通りに起きた由夫は、久しぶりに父とテーブルに着いた。

「どうした、珍しく朝から顔色がいいじゃないか」

父は言葉の通り珍しい物でも見たように言った。

それまでも「元気か」とか「具合は悪くないか」とか聞かれる事はあったが、そのようにポジティブな事を言われたのは久しぶりではないかと思われた。

それまでは、朝食もそこそこに、遅刻寸前に学校に向かうのが日常だったが、その朝は余裕を持って家を出ることができた。
いつもの風景なのに、いつもと違って感じる、不思議な朝だった。昼間の人間の営みにに汚されていない空気を通して降り注ぐ朝の光を受けて、すべてが輝きにあふれていた。
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