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3.小夜子 家に帰る
(3)池のほとりで
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それからふたりは、小夜子が命を落とした池と思われる場所へ。彼女の家から中学校に向かう道の途中に、それらしい水面があるのは地図で分かった。
他にもため池はもうひとつあったが、そこが「その場所」であると判断できたのは、ネット上の情報だった。すなわち、「女子中学生が非業の死を遂げた池」として心霊スポットとして紹介されていたのだ。
興味本位でアップされたそのネット上のコンテンツに、高志は持って行き場のない憤りを感じた。一方で香代は、「小夜子ちゃんの魂はミケになっているのにね」とそれをバカにして見下すように笑った。
歩いて5分ほどで池にたどり着いた。地図で見ると、中学校の方角への近道になっているようだった。池のほとりを通る歩道の入口に、1台の軽乗用車が停まっていた。
ふたりで、歩道へ下りる。事故があったからだろうか、道と池との間には高くて頑丈な新しい柵が立てられている。
水辺を歩き始めてすぐに、カーブした道の向こうから誰かやってきた。中学生か小学高学年くらいの兄弟と、その母親らしい女性だった。
3人は高志たちを認めるとハッと驚いたような表情となり、次の瞬間には揃って顔をうつ向けて隠れるようにコソコソとすれ違った。すれ違いざまに見ると、母親が持つ紙袋からは半分枯れた花が覗いていた。
少し歩いてからふたり揃って後ろを振り返ると、親子の姿が見えなくなった。それを確かめてから、香代は言った。
「ひょっとしたら、小夜子ちゃんが助けた男の子と家族かも」
「僕もそれは思った。でも、命日とか節目の日ではないし」
「定期的に手を合わせに来ているのかも……ほら」
カーブを曲がった先の柵の足元に、真新しい花とお菓子、そしてペットボトルが供えてあった。様子からして、先ほどの親子が手向けたものらしかった。
「もしさっきの子が小夜子さんに助けられた子だとしたら……」香代はそこでいったん言葉を区切り、やるせなさそうに呟いた。「あの子たちと家族は、これから一生、心のなかに重いものを背負って生き続けるのかも」
高志も、重い溜息をついた。ネット上では、どこの誰という特定までは表向きはされていなかったが、見ず知らずの第三者が正義の味方となって一斉に溺れた子供とその親を叩いていた痕跡がネット上に刻みつけられていたのだ。
「あんまりだよな。小夜子さんが命がけで子供の命を救っても、最終的に誰も幸せになっていない」
「それは、結果論。あの子は、ひとりの子供の命を助けたんだから……その尊さは変わらない。結果論だったら何とでも言える」
「そんなものかな……」
高志は釈然としない気持ちのまま、ついつい柵の向こうの水面に向かって手を合わせた。香代も、同じように手を合わせた。
小夜子の魂はそこになく、今頃は家で高志の母親とおもちゃで遊んでいる最中かもしれない。ただ、同じような事故が世界中のどこであっても起こらないようにという祈りに似た気持ちはあった。
それから、夏空を映した水面を、しばらく眺めた。真昼なのに涼しい風が、静かに吹いた。
風は水面にさざ波を立て、そこに映った入道雲はゆらゆら揺れた。そしてそれが収まる頃、どちらからともなくゆっくりと、道の先へと歩きだした。
向こう側の街路にたどり着こうとする頃、ひとりの大学生くらいの女性とすれ違った。その女性は高志たちに視線を投げかけたが、それは一瞬のことでそのまま互いに遠ざかっていった。
・・・
小夜子の家には家族が住んでいることを確認できたから、あとは彼女をそこに連れて行くだけだ。スマホでなにか調べながら、香代は言った。
昼食に立ち寄った駅に隣接するファストフード店は、ちょうど電車が到着した直後で結構な混雑だった。ふたりはようやく見つけたカウンター席に並んで座っていた。
「やるなら今月中旬の内に、やってしまわないと。でないと満月を過ぎて、月の出がどんどん遅くなってしまう」
高志も横で頷いた。家族に会わせるからには、人間としての「小夜子」の姿で会わせなければならないのだ。
しかしそうやって彼女が「やり残したこと」を遂げてしまえば、人間に戻れなくなるのではないかという不安もある。漫画を読んだり、お祭りを見物したりもできなくなってしまう。
ただそれについては、小夜子がどのように思っているかは定かではない。ひょっとしたら彼女の本心としては、一刻も早く家族と会いたい、そして父親に「ごめんなさい」を言いたい、それだけかもしれなかった。
しかし少なくとも「その日」までは、彼女が「この世」で読み残してきた漫画を読ませてやろうとは思った。少しでも小夜子が、この世に思い残すことがないように。
「わぁっはっはっ!」
「やだぁ~、なにそれぇ」
小夜子について真剣に考えていた高志は、すぐ真後ろのテーブル席の笑い声で思考を妨げられた。高志も香代もわざわざ振り向きはしないが、大学生くらいの男女のグループらしかった。
どうやらスマホで何か見ながら、大喜利のようなことをやっているらしい。うるさいなぁとは思ったが、しかし小夜子が生きていたとすると、やはりあんなふうに友達と笑い合っていたんだろうなと思ってしまう。
先ほど見た彼女の弟は高校生くらいになっていたし、彼女が生きていれば高志たちから見れば大学3年生の「お姉さん」だ。彼女が「この世」を留守にしていた7年間の、年月の重みというものを感じてしまう。
彼は彼が生きている「若い時代」が、いつまでも続くような気がしていた。普通に年齢を重ねたり、ひょっとすると小夜子みたいに命を落としたりして、それが終わりを迎える日が来るなどと想像したこともなかった。
ふと、一日一日を大切に生きていかなきゃな、と思ってみたりもした。香代との関係も同じく、大切に守っていかなきゃな、と。
その彼女は、街に戻ったら高校に直行してグランドゴルフ同好会の練習だという。もし香代と付き合うならば、同好会活動もどうしても付いてくる。
それが、彼にとって香代との距離を縮めるうえでの障壁だった。グランドゴルフという競技自体には何の恨みもないが……ただ、部活とか習い事とかとは無縁に生きてきた彼には、普通に面倒くさかった。
・・・
日没後、また香代は高志の家にやってきた。小夜子は詫びるように、言った。
「昨日は、ごめんなさい。あまりにも色んな思いがどっと押し寄せてきて……」
「何言ってるの。全然構わないで。それよりも、私たち、あなたの家に様子を見に行ったのよ」
小夜子は、ハッと目を見開いた。話の続きを待ち切れないふうに、前のめりになってきた。
「あなたの家は、というよりご家族は、ちゃんとそこにいたから。弟さんも、お元気そうだった……ちょっと遠くから見ただけだけど」
「えっ……マサヒロも? あのとき小学5年生だったから、今年は受験生か……私たち、とっても姉弟仲が良かったから……私がいなくなってから、大丈夫かって心配してたから、あの子が元気で、すごく嬉しい!」
ぱっと明るくなった小夜子の顔だったが、しかし泪がひと粒だけこぼれた。そんな彼女に寄り添うように、香代が声をかけた。
「近いうち、本当に数日中に私たちが、家まで連れて行ってあげるから、あなたはお父さんに『ごめんなさい』をひとこと伝えておいで。そして、家族みんなに甘えてらっしゃい」
「はい!」
小夜子はさらに顔を輝かせて、答えた。しかしすぐに、心配そうに言った。
「お父さん、お母さん、それにマサヒロは、私があのときと同じ年齢、同じ姿で目の前に現れたら、ビックリするんじゃないかな……それだけが、心配」
「大丈夫だって! もし心配だったら、そこは私たちに任せてよ! ちゃ~んと段どってあげるから!」
「お願いします!」
本心なのか、わざと大仰にしているのか、小夜子は体を折り曲げるように深く頭を下げた。そしてぴょこりと頭を上げて、お願いするように言った。
「できれば、マキちゃんって子、私の大親友だったんだけど、彼女とも会いたいなぁ……あ、でも、わがままは言わない。まずは家のみんなに会えさえすれば」
小夜子は、笑った。つられて、高志と香代も笑った。
他にもため池はもうひとつあったが、そこが「その場所」であると判断できたのは、ネット上の情報だった。すなわち、「女子中学生が非業の死を遂げた池」として心霊スポットとして紹介されていたのだ。
興味本位でアップされたそのネット上のコンテンツに、高志は持って行き場のない憤りを感じた。一方で香代は、「小夜子ちゃんの魂はミケになっているのにね」とそれをバカにして見下すように笑った。
歩いて5分ほどで池にたどり着いた。地図で見ると、中学校の方角への近道になっているようだった。池のほとりを通る歩道の入口に、1台の軽乗用車が停まっていた。
ふたりで、歩道へ下りる。事故があったからだろうか、道と池との間には高くて頑丈な新しい柵が立てられている。
水辺を歩き始めてすぐに、カーブした道の向こうから誰かやってきた。中学生か小学高学年くらいの兄弟と、その母親らしい女性だった。
3人は高志たちを認めるとハッと驚いたような表情となり、次の瞬間には揃って顔をうつ向けて隠れるようにコソコソとすれ違った。すれ違いざまに見ると、母親が持つ紙袋からは半分枯れた花が覗いていた。
少し歩いてからふたり揃って後ろを振り返ると、親子の姿が見えなくなった。それを確かめてから、香代は言った。
「ひょっとしたら、小夜子ちゃんが助けた男の子と家族かも」
「僕もそれは思った。でも、命日とか節目の日ではないし」
「定期的に手を合わせに来ているのかも……ほら」
カーブを曲がった先の柵の足元に、真新しい花とお菓子、そしてペットボトルが供えてあった。様子からして、先ほどの親子が手向けたものらしかった。
「もしさっきの子が小夜子さんに助けられた子だとしたら……」香代はそこでいったん言葉を区切り、やるせなさそうに呟いた。「あの子たちと家族は、これから一生、心のなかに重いものを背負って生き続けるのかも」
高志も、重い溜息をついた。ネット上では、どこの誰という特定までは表向きはされていなかったが、見ず知らずの第三者が正義の味方となって一斉に溺れた子供とその親を叩いていた痕跡がネット上に刻みつけられていたのだ。
「あんまりだよな。小夜子さんが命がけで子供の命を救っても、最終的に誰も幸せになっていない」
「それは、結果論。あの子は、ひとりの子供の命を助けたんだから……その尊さは変わらない。結果論だったら何とでも言える」
「そんなものかな……」
高志は釈然としない気持ちのまま、ついつい柵の向こうの水面に向かって手を合わせた。香代も、同じように手を合わせた。
小夜子の魂はそこになく、今頃は家で高志の母親とおもちゃで遊んでいる最中かもしれない。ただ、同じような事故が世界中のどこであっても起こらないようにという祈りに似た気持ちはあった。
それから、夏空を映した水面を、しばらく眺めた。真昼なのに涼しい風が、静かに吹いた。
風は水面にさざ波を立て、そこに映った入道雲はゆらゆら揺れた。そしてそれが収まる頃、どちらからともなくゆっくりと、道の先へと歩きだした。
向こう側の街路にたどり着こうとする頃、ひとりの大学生くらいの女性とすれ違った。その女性は高志たちに視線を投げかけたが、それは一瞬のことでそのまま互いに遠ざかっていった。
・・・
小夜子の家には家族が住んでいることを確認できたから、あとは彼女をそこに連れて行くだけだ。スマホでなにか調べながら、香代は言った。
昼食に立ち寄った駅に隣接するファストフード店は、ちょうど電車が到着した直後で結構な混雑だった。ふたりはようやく見つけたカウンター席に並んで座っていた。
「やるなら今月中旬の内に、やってしまわないと。でないと満月を過ぎて、月の出がどんどん遅くなってしまう」
高志も横で頷いた。家族に会わせるからには、人間としての「小夜子」の姿で会わせなければならないのだ。
しかしそうやって彼女が「やり残したこと」を遂げてしまえば、人間に戻れなくなるのではないかという不安もある。漫画を読んだり、お祭りを見物したりもできなくなってしまう。
ただそれについては、小夜子がどのように思っているかは定かではない。ひょっとしたら彼女の本心としては、一刻も早く家族と会いたい、そして父親に「ごめんなさい」を言いたい、それだけかもしれなかった。
しかし少なくとも「その日」までは、彼女が「この世」で読み残してきた漫画を読ませてやろうとは思った。少しでも小夜子が、この世に思い残すことがないように。
「わぁっはっはっ!」
「やだぁ~、なにそれぇ」
小夜子について真剣に考えていた高志は、すぐ真後ろのテーブル席の笑い声で思考を妨げられた。高志も香代もわざわざ振り向きはしないが、大学生くらいの男女のグループらしかった。
どうやらスマホで何か見ながら、大喜利のようなことをやっているらしい。うるさいなぁとは思ったが、しかし小夜子が生きていたとすると、やはりあんなふうに友達と笑い合っていたんだろうなと思ってしまう。
先ほど見た彼女の弟は高校生くらいになっていたし、彼女が生きていれば高志たちから見れば大学3年生の「お姉さん」だ。彼女が「この世」を留守にしていた7年間の、年月の重みというものを感じてしまう。
彼は彼が生きている「若い時代」が、いつまでも続くような気がしていた。普通に年齢を重ねたり、ひょっとすると小夜子みたいに命を落としたりして、それが終わりを迎える日が来るなどと想像したこともなかった。
ふと、一日一日を大切に生きていかなきゃな、と思ってみたりもした。香代との関係も同じく、大切に守っていかなきゃな、と。
その彼女は、街に戻ったら高校に直行してグランドゴルフ同好会の練習だという。もし香代と付き合うならば、同好会活動もどうしても付いてくる。
それが、彼にとって香代との距離を縮めるうえでの障壁だった。グランドゴルフという競技自体には何の恨みもないが……ただ、部活とか習い事とかとは無縁に生きてきた彼には、普通に面倒くさかった。
・・・
日没後、また香代は高志の家にやってきた。小夜子は詫びるように、言った。
「昨日は、ごめんなさい。あまりにも色んな思いがどっと押し寄せてきて……」
「何言ってるの。全然構わないで。それよりも、私たち、あなたの家に様子を見に行ったのよ」
小夜子は、ハッと目を見開いた。話の続きを待ち切れないふうに、前のめりになってきた。
「あなたの家は、というよりご家族は、ちゃんとそこにいたから。弟さんも、お元気そうだった……ちょっと遠くから見ただけだけど」
「えっ……マサヒロも? あのとき小学5年生だったから、今年は受験生か……私たち、とっても姉弟仲が良かったから……私がいなくなってから、大丈夫かって心配してたから、あの子が元気で、すごく嬉しい!」
ぱっと明るくなった小夜子の顔だったが、しかし泪がひと粒だけこぼれた。そんな彼女に寄り添うように、香代が声をかけた。
「近いうち、本当に数日中に私たちが、家まで連れて行ってあげるから、あなたはお父さんに『ごめんなさい』をひとこと伝えておいで。そして、家族みんなに甘えてらっしゃい」
「はい!」
小夜子はさらに顔を輝かせて、答えた。しかしすぐに、心配そうに言った。
「お父さん、お母さん、それにマサヒロは、私があのときと同じ年齢、同じ姿で目の前に現れたら、ビックリするんじゃないかな……それだけが、心配」
「大丈夫だって! もし心配だったら、そこは私たちに任せてよ! ちゃ~んと段どってあげるから!」
「お願いします!」
本心なのか、わざと大仰にしているのか、小夜子は体を折り曲げるように深く頭を下げた。そしてぴょこりと頭を上げて、お願いするように言った。
「できれば、マキちゃんって子、私の大親友だったんだけど、彼女とも会いたいなぁ……あ、でも、わがままは言わない。まずは家のみんなに会えさえすれば」
小夜子は、笑った。つられて、高志と香代も笑った。
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