仔猫は月の夜に少女に戻る

まみはらまさゆき

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3.小夜子 家に帰る

(2)小夜子の実家のある町へ下見に

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 ミケから変わった小夜子は、紙面のコピーを食い入るように見つめた。そして、目もとをそっと拭いながら言った。

「よかった……あの子、無事だったんだ」

 よくないよ、それで小夜子さんは死んだんだ……高志の喉元からそんな言葉が出かかったが、事前に「あなた余計なこと言わないでおいて」と香代から念を押されていたから黙っておく。
 小夜子は純粋に助けた子供の無事を知って喜びホッとしているようだったから、あえて彼女の気持ちを大切にしておくことにした。一方で香代も、図書館からの帰り道に「小夜子ちゃんも自分の生命いのちを引き換えに助けた甲斐があったってことかな」などと言っていたが、やはり黙って一言も発しなかった。
 おそらくそれは、のんきに生きている第三者の感想に違いなかったから。これから生きていればまだまだたくさんの楽しいことが待っていた小夜子自身や、彼女を喪った家族からしてみれば無神経なものでしかないだろう。
 小夜子は、3枚目のコピーを声に出して読み始めた。後半に入ると、朗読するようにはっきりと。
 そして終わりの部分は、一言一言、噛みしめるように。父親の言葉を、何度も繰り返し読んだ。

「自分の命をなげうって小さい子供を助けた娘は私たち一家の誇りです……」

 小夜子の眼から、涙の粒がいくつもこぼれ落ちた。香代はその肩を抱き寄せながら、言い聞かせた。

「お父さん、あなたのしたことをバカだなんて思っていない。認めてくれてる。そして新聞を読んでるみんなに『自慢の娘です』ってはっきりと言ってくれてる」

 小夜子は両手で顔を覆い嗚咽を漏らしながら、はっきりと頷いた。しかししばらくしてから、声を絞り出すように言った。

「ごめんなさい……お父さん」

 そしてそのまま、声を上げて泣き出した。「ごめんなさい」は醜いケンカをしてしまったことに対してなのか、先に逝ってしまったことに対してなのか。
 小夜子は、全身を震わせながら泣いていた。高志も香代も、黙って彼女を見守るしかなかった。

・・・

 帰り際、玄関で香代は言った。小夜子はまだ高志の部屋で、しゃくりあげるように泣き続けていた。

「助けた子供の無事は確認できた。あの子のお父さんは少なくとも表向きにはあの子のしたことを評価して、『一家の誇り』と言っている。残ったミッションはひとつ……タカシくんあんた、覚えてる? 忘れたとは言わせないよ」
「忘れるもんかよ……人をバカにするのもいい加減にしとけよ……小夜子さんが、お父さんに直接『ごめんなさい』を伝えることだろが」
「正解! だから、そのために私たちが段取っていかないとね」
「うん……でも、どうやって」
「それをこれから考えるんでしょうが。いい? 明日までの宿題ね」
「わかった」
「それと、もうひとつ宿題」
「……えっ、何?」
「同好会への参加不参加、そろそろ答えをちょうだい」
「……なんだよ、今は小夜子さんのことが優先だろが。まだ保留、保留!」
「ちゃんとそう思っているなら、よかった」
「えっ……なんなんだよ、いったい」
「それじゃぁ、また明日」

 香代は少し遠慮がちに、手を振って出ていった。ドアは静かに、閉じられた。
 部屋に戻ると、まだ月の入りまで少しあるというのに小夜子はミケになっていた。大好きなネズミのおもちゃに、寝そべりながら興味なさそうにちょっかい出していた。
 高志は椅子に跨り、ミケを見下ろした。仔猫に戻っても、その顔には悲しみと憂いが浮かんでいるように見えた。

「んにゃーん」

 ネズミのおもちゃにも飽きたのか、ミケはタカシの足元にすり寄ってきた。彼はミケの両脇を持って抱え上げながら椅子にちゃんと座り直し、ミケを机の上に座らせてその顔を覗き込んだ。

「んにゅん」

 すぐにミケは横座りするように身体を崩し、高志はその頭を撫でてやる。そうしながら、ミケに話しかける。

「近い内にな、おまえをお父さんに会わせてやるからな……カヨっちと一緒に、その方法を考えてやるよ」

 しかし仔猫のミケは、人間の小夜子の意識をどれくらい持っているのだろう。高志の言うことに興味なさそうに前脚で顔を洗うような仕草をして見せて、今度は完全に机の上に横になった。

「でもさ……ミケはカヨっちのこと、どう思う? 確かにいいだとは思うんだ……それに本音を聞いちゃったからさぁ……でも、なんていうか、結構気が強いんだよな。それが、残念ポイントなんだよな……」

 相手が人間ではなく猫だからこそ、心の内を正直に話せる。机の上でゴロゴロ寝返りを打つミケだったが、高志としてもそれくらいがちょうどよかった。

「でもさ、カヨっちとミケ……じゃなく小夜子さんって、似てるところもあるよね。昔ニャン吉って猫がいてね、捨てられそうになったのをカヨっちが引き取って育てたんだ。今じゃ、あの家のヌシみたいにふんぞり返ってるけどな」

 ふと、池で子供が溺れる現場に香代が居合わせたら、やはり助けようとしたのかもしれないと思った。そう言えば、彼自身がミケを救った時の状況も、じゅうぶんに危険だった。
 しかも彼があのとき車にはねられても、仔猫を救おうとしたのだと気づく人などいなかっただろう。どこかの高校生が何を思ったか道路に飛び出して、はねられて死んじゃった、で終わったものと思われる。

「怖いな……危なかったな……」
「にゃぁ」

 高志のつぶやきに、ミケは答えるように鳴いた。彼はミケの腹を撫でてやり、ミケはうっとりと目を細めた。

・・・

 翌日の午前中、香代にLINEで呼び出されて都心のターミナルへ。行き先は、小夜子が住んでいたという町。
 JRの電車で20分あまりのその町へ、「下見」に行くのだと香代は言った。小夜子が住んでいた家の住所も、メモして取ってある。

「今もそこに小夜子ちゃんのご家族が住んでいるかどうか。そして……あの子の最期の場所を見ておいて、心づもりの足しになれば」

 電車を降りた町は、高志も何度か訪れたことのある、郊外のベッドタウンだった。駅からファストフード店の前を通り過ぎて線路沿いに歩き、最初の踏切から駅の裏手の住宅地へと入っていく。
 歩いて程なくすると、家が疎らになって隙間には分譲地や空き地や耕作地が入りまじるようになった。スマホの地図で現在地を確かめながら、地図中でピンを立てておいた「小夜子の家」へと向かう。

「もう少し……そこの角を曲がった先……」

 スマホの画面に手のひらで影を作りながら、香代は高志に教えるようにつぶやく。高志は胸の動悸を覚え、暑さだけのせいでなく汗が流れるのを感じた。

「ここ……」

 築10年ほどの2階建ての、周囲の家とさほど代わり映えのしないごく普通の庭付きの住宅だった。表札を見ると確かに、「岸本 KISHIMOTO」とある。
 ガレージには紺色のAQUAが停められ、確かに誰か住んでいる気配がする。

「よかった……まだご家族、ここに住んでるんだ」

 香代が安堵のため息まじりに言ったその時、玄関のドアが開く気配がした。慌ててふたりは、家の前を通り過ぎるふりをして離れる。
 しばらく歩いて振り返ると、ふたりと同年代の少年が自転車でどこかに行こうとするのが見えた。
 おそらく、警察からの感謝状の贈呈式に両親と出ていたと新聞にあった、小夜子の弟なのだろう。あの時は、小学生だったはずだ。
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