仔猫は月の夜に少女に戻る

まみはらまさゆき

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3.小夜子 家に帰る

(1)一家の誇り、自慢の娘

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 香代が落ち着いてから改めて言うには、小夜子は父親とケンカしたまま死んでしまってそれが心残りで成仏できていないのだという。その話を聞く頃には、小夜子はすでにミケに戻ってネズミのおもちゃを前足で転がしたり噛みついてブルブル震わせたりして遊んでいた。
 そもそもの発端は、小夜子が猫を飼いたいと強く望んだことだという。学校の部活帰りの道端に「里親募集」ののぼりを立てたNPO団体の軽トラが停まっていて、小夜子はそのケージにいた猫に「一目惚れ」してしまった。
 さらに彼女は、その猫の身の上についてNPO団体の職員から説明を受けてショックを受けた。すなわちその猫はある老人に飼われていたが、飼い主が先に死んでしまってその親族によって動物管理所に持ち込まれたのだという。
 それをNPO団体が保護して管理所から連れ出したが、それでなければ数日中に殺処分される運命にあったのだと。それで小夜子はその趣旨に賛同し、猫を引き取るつもりでNPO団体の職員から連絡先として名刺ももらって家に帰った。
 母親は、彼女の意志を尊重してくれた。これでもう、猫を自分の家に引き取る手はずは整ったも同然だと思った。
 しかし遅くに帰った父親は、反対した。それも、明確な理由も示さずに。
 もとから小夜子は、思春期を迎える頃から父親との関係がギクシャクしていた。その時も、期末テストの成績が振るわなかった理由を部活動に求めた父親と、しばらく口を利かずにいた最中だった。

「でもこれはね、女の子だったらたいていお父さんとの関係が微妙になるから仕方がない部分もあるんだけどね。……程度の差はあるけど、私もそうだったし……ううん、私の場合、現在進行中かもだけどね」

 猫の生命を救う手助けをしたい……その使命感もあって、猫を引き取るつもりになっていた小夜子だった。しかしそれを、単に「ペットを飼いたいという一時的な軽い考え」として退けた父親に、小夜子はキレた。
 すぐに激しい口論となったが、父親は期末試験が終わってからの彼女の生活態度や勉強に対する姿勢まで激しくなじった。売り言葉に買い言葉ではないけれど、小夜子もそれに言い反した……思いつく限りの最大級に汚く下品で、そして父親の人格を否定するような言葉で。
 父親は逆上し、手を上げる素振りを示した。実際にはただの脅しでその手を下ろすことはなかったが、生まれてからそのような経験のなかった小夜子にはじゅうぶんな恐怖だった。
 彼女は部屋に逃げ込み、泣きながら父親を恨み、そして眠った。翌朝は、父親が出勤するのを部屋から伺ってから、家族の共有スペースに出ていった。
 朝食を食べ終えてからも、母親や3つ下の弟にまで父親に対する悪態を吐き続けた。そして昼食後、部活のために家を出た。
 そして……。

「近道をしようとして、沼のそばの道を通っていったんだって。そこで子供が溺れているのに出くわして、とっさに池に飛び込んで……」

 ……彼女もまた溺れて、死んでしまったのだという。

「それで、小夜子ちゃんが心残りのあまりに安らかに成仏できない問題が、みっつ。ひとつは、彼女が助けようとした子供は無事だったのか。そして、彼女が取った行動を家族はバカだと思っていないか。みっつめが、お父さんに『ごめんなさい』と言うこと。だから……」

 香代は、高志に迫った。有無を言わせない強い意志を感じた。

「私たちは、小夜子ちゃんがこの世に残してしまった未練を断つために、行動しないといけないのよ!」

 彼女の迫力に圧されて、高志は思わず頷いた。ミケはネズミのおもちゃに飽きたのか、床の上で芋虫のようにゴロゴロと無限に寝返りを打っていた。

・・・

 翌日夕方、高志は街なかにある県立図書館に呼び出された。部活帰りの香代は、「少し遅れる」とLINEを送ってきてから、さらに大幅に遅れてやってきた。
 香代が言うには、小夜子が命を落としたのは水難事故だからニュースになっているはずだとのことだった。それに直接当たってみるには、図書館にある新聞のバックナンバーを見るのがいちばんなのだろうと。
 そんな面倒なことするよりもと高志もネットで検索して調べてみたが、雑多な情報に埋もれてなかなか肝心のニュースに到達できなかった。だから素直に、彼女に従った。
 資料閲覧室の受付で7年前の7月を含む地元紙の閲覧を申し込む。そこで出されたのは、備え付けのパソコンに接続するための30分限定のIDとパスワード、そして紙面を複写したPDFファイルの場所を記した紙だった。

「えっ、もうこんなのになってるんですか? 私、小学校の時の社会の自由研究で昔の新聞を見た時は、マイクロフィルムだったんだけど……」
「マイクロフィルムが無くなったわけではないんですけど、順次、デジタルデータに切り替えていってる途中なんです」

 驚く香代に、年配の男性の係員は笑いながら答えた。残念ながら高志には、そのやり取りの意味が「なんとなく」程度にしか分からない。
 しかしとりあえずパソコンの画面に向かい、IDとパスワードを打ち込み、指示されたとおりに新聞のデータベースを画面上に呼び出す。

「えっと……7月の27日って言ってたから、その翌日くらいかな」

 香代はマウスを緊張した面持ちで動かし、その日の紙面を画面上に出す。高志も、息を呑み鼻の脇に汗が浮かぶのを感じながら画面を凝視する。

「あった! これだ!」

 社会面の片隅に、写真もない記事があった。【小学生溺れる 救助女性死亡】という見出しだった。

「27日午後、〇〇市△△にあるため池に転落した男児を助けた女性がその後、溺れて死亡した。警察によると、フナ釣りをしていた近くに住む兄弟2人のうち、5才の弟が足を滑らせて転落して溺れ、兄が大声を出して助けを求めたところ通りかかった女性が池に飛び込み、男児を岸にいた兄に手渡したものの、その直後に溺れて沈んだという。警察や消防が捜索したところ、約1時間後に水深2メートルの水中で女性を発見したもののすでに心肺停止状態で、搬送先の病院で死亡が確認された。警察では現在、女性の身元の確認を進めている。なお、男児は無事」

「ああ、なんてこと!」

 香代は、両手で顔を覆った。ちらりとだったが、涙が流れるのが見えた。
 高志もショックだったし、やはり泣きたかった。しかし香代の手からマウスをそっと取り、さらに紙面を調べた。
 さらに翌日の紙面に、続報があった。しかし、はるかに小さい扱いだった。

「男児救助の女性 身元判明 27日午後、〇〇市で池に転落した男児を救助し、その後死亡した女性の身元について警察は28日、近くに住む△△中学2年生の岸本小夜子さん(14)であると発表した」

 それだけだった。小夜子というひとりの勇気のある人間が子供の命を救って死んだのに、小さい扱いだった。
 しかしその記事の周辺には、他にもいろんな事件や事故や社会問題がひしめいている。無理のないことだと言えば、確かにそうだと認めるしかなかった。
 今度は香代が鼻をすすりながら、高志からマウスを奪い取った。さらに調べを進めていく。
 高志としても、さらに続報が欲しかった。このままでは、あまりに小夜子が不憫でならなかった。
 紙面をつぶさに見ていくが、なかなか見当たらない。しかし7月は終わり8月の紙面を見ていくなかで小夜子は画面のスクロールを止め、その中の一箇所をズームした。

「あっ! これ!」

 【溺れる子供を救い亡くなった女子中学生に感謝状】という見出しで、写真付きだった。

「〇〇市の池で子供が転落した事故で、警察は子供を救助した後に溺れて死亡した女子中学生に感謝状を贈呈した。警察によると先月27日、〇〇市△△のかつて農業用に使われていたため池の岸で遊んでいた近所に住む兄弟のうち弟が転落して溺れ、助けを呼ぶ声を聞いて駆けつけた△△中学校2年生の岸本小夜子さん(14)が男児を水中で抱きかかえて救助したが、その後に自らは溺れ死亡した。
 警察は岸本さんの行動に多大な功労が認められるとして、21日、遺族に感謝状を贈呈した。贈呈式には岸本さんの両親と弟が出席。父親の健一さんは『娘は小さい頃から困っている人や動物を助けるような優しい性格で、将来は人助けになるような仕事をしたいと言っていた。その夢が半ばで絶たれることになったが、自分の命をなげうって小さい子供を助けた娘は私たち一家の誇りです』と話した。母親によると、岸本さんは部活動のために学校に向かう途中だった」

「なんだよ、感謝状って紙切れ1枚じゃないかよ」

 どうも釈然としない高志は、鼻白みながらつぶやいた。しかし香代は、彼とはまた別の感想を持ったようだった。

「でも、大切なことはこの3つの記事にちゃんと書いてある。まず、小夜子ちゃんが助けた男の子は無事だった。そして、ケンカ別れしたお父さんに『一家の誇り』とまで多くの人に向かって言わせた……お父さんにとっては、自慢の娘であることは確かだったろうし、それをみんなに知ってもらいたかったんだろうって思う」
「そんなもんかなぁ。だって、人ひとり、それも家族が死んじゃってるんだよ」
「それはそれ、これはこれ」

 有料だったがこの3つの記事は、プリントアウトした。持って帰って、小夜子に見せるつもりだった。
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