仔猫は月の夜に少女に戻る

まみはらまさゆき

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2.小夜子

(3)夏祭り見物

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 長かった梅雨が明けると、すぐに夏休みとなった。それまでの間に月の入りの時刻は遅くなり、小夜子が人間でいられる時間も長くなっていった。
 その間に小夜子は漫画を最新刊まで読んでから、別のバレー漫画を第1巻から読み始めた。夜中になると寝ている高志の邪魔にならないように、電気スタンドに布を掛けてその中に首を突っ込むようにして読んでいた。
 そして朝になるとミケは寝床に丸まり、机の上には読みかけの漫画がぽつんと置かれている。よほど夢中になって明け方まで読んでいたのだろう、朝食の時にもミケは起きてこなくなった。

「ミケ、最近朝が弱くなったんじゃない?」

 母親は、心配した。まさか夜明けまで漫画読んでる、とは言えず高志は適当にごまかす。

「最近、夜中じゅうずっと遊んでいるみたい。僕ぁ寝てて分からんけど」
「あらあらあら……だったらいいけど、確かに昼間は元気でご飯もモリモリ食べるから気にしなくてもいいのかな……」
「まぁ、猫はもともと夜行性だからなぁ。野生の血が騒ぐんだろ」

 父親は箸を止めてニュースを見ているようでいながら、耳では高志と母親の話を聞いていたらしい。最近ますます、家族の話の軸がミケに移りつつある。
 そう言えば、今まででいちばん家族の会話が活発になってはいないか。年月とともにお互い干渉し合わず沈黙が増えてきた家族の中に、ミケを入れたら化学反応を起こしたみたいに。
 そう言えば、高志と香代との会話も、ジリジリと少しずつではあるが増えてきている。もっともこの場合、グランドゴルフ同好会への誘いというまた別種の触媒が作用しているようだが。

・・・

 日曜の夜は、満月となった。その日は、高志の住む地域の神社の縁日にも当たっていた。
 父親は、県外の出張先に前乗りして行ってしまった。母親のシフトは休みのはずだったが、急に休みを取った同僚の代わりに出勤していった。
 これは、またとないチャンスだった。何のチャンスかと言えば、小夜子に祭り見物させるということ。
 人間としての世で楽しいことをいろいろとやり残した小夜子のことだ、きっと喜んでくれるはずという思いがあった。彼女が喜ぶことだったら、何だって引き受けるつもりでいた。

「お祭り……?」

 小夜子は高志の提案を聞いて、少し首を傾げた。しかし次の瞬間には、顔いっぱいの笑みを浮かべて答えた。

「連れてってくれるんですか?」
「もちろん! 何でも欲しいもの買ってあげてもいいよ!」

 高志には、貯めていた小遣いがあった。本当はスマホゲームに課金するつもりのお金で、この頃はミケの餌や猫砂を買うために急速に取り崩していたものだったが。
 しかしとにかく善は急げではないけれど、日没直後の月の出で人間に戻ったばかりの小夜子を急かすように外に出た。セーラー服のままなのはいいとして、靴はどうしようかと迷った。
 結局、母親のジョギングシューズを履かせてみるとピッタリだったのでそれにした。盛夏の夕方特有の水分と植物の匂いをふんだんに含んだ空気のなか、神社に急ぐ。
 途中、近道しようと高志は提案した。まだ宅地開発が及ばない区域の農道を突っ切って、神社裏手の沼のそばを通っていくルート。
 小夜子もそれに賛成し、残照でまだ明るい農道をふたり並んで神社に向かう。神社の鎮守の森に近づくにつれて、境内の明かりや人々の歓声までも聞こえてくるようになった。
 楽しいお祭りまで、あと少し。しかし沼のほとりを通る道に入ろうというとき、小夜子は足を止めた。

「どうしたの?」
「怖い……別の道を行きたいです」
「別の道って……ちょっと遠回りになるよ。でもこの道を行けば、すぐおやしろの裏に出られるよ」
「やっぱり、怖い……」

 高志は、これから進むべきだった道を見やった。そろそろ暗くなってきてはいたが、まだ足元が見える程度には明るい。
 沼の鏡のように滑らかな水面は明るい空を映して輝き、岸との境も明らかだった。道も黒い草むらの中に、白く続いている。
 そもそもその沼の岸辺は、高志が子供の頃に香代とフナ釣りをしていたところ。言ってみれば、勝手知った馴染みのある場所だった。
 どう考えても、危険ではなさそうなのに……。訝る高志に、小夜子は言った。

「私、今はもう、猫だから……水辺が苦手なんです」
「でも今は人間でしょ? こないだだって人間になったらシャワーを浴びてた」
「怖いものは怖いんです! ……ひょっとして高志さん、SFとかの矛盾を探して喜ぶタイプなんですか?」
「そんなんじゃないけどさぁ……」

 仕方なく、大回りして神社の正面から境内に入る道を選ぶ。小夜子もホッと安心したように、彼について歩いていく。
 鳥居の両側の道沿いには、たくさんの屋台が出ていた。人だかりで歩くのもやっとだが、ひとつひとつの屋台を見物して回る。

 焼きとうもろこしや焼き鳥、綿あめ、りんご飴、かき氷、トルネードポテトにクレープなど食べ物飲み物の屋台。そこで真っ先に小夜子は、バナナ飴を買った。
 金魚すくいの屋台もあった。小夜子はそれをやりたそうだったが、果てしない労力を使ってミケを飼うことを許してもらった高志。
 心情的にこれ以上生き物を増やすわけにはいかない。それに、まさかとは思うが、猫に戻ったミケが金魚にいたずらをしないとも限らない。
 代わりと言ってはなんだけれど、スーパーボールすくいをやった。片手に食べかけのバナナ飴を持ったままの小夜子だったが、3個もゲット。
 様々なグッズを売る屋台もあった。暗いところで光るリング、暗いところで光るハンディ扇風機、暗いところで光る猫耳の形をしたカチューシャ。
 小夜子はおどけて、猫耳のカチューシャを頭に当ててみる。彼女の正体を知らない通りすがりの何人かが、ハッと驚いたように口走った。

「あ、似合ってる!」
「か、可愛い!」
「ステキ~」

 小夜子ははにかみながらそれを店番の女性に返したが、その場で立て続けに何人かが買い求めた。
 神社の鳥居をくぐって緩い石段を上ると、境内には特設の舞台が作られていた。どうやらこの時間、素人のど自慢をやっているらしかった。
 ちょうど、小学生くらいの兄と保育園児くらいの弟がアニメソングを熱唱していた。小夜子はそこで足を止めて、二人の歌に聴き入っていた。
 高志にとっては、とりたてて足を止めてまで聴くような歌ではなかった。しかし小夜子は、最後まで聴いていた……食い入るように、そして目には薄っすらと泪さえ浮かべながら。
 つかの間の人間としての姿でいる彼女には、彼女なりに感じるところがあるのだろうか……。高志は、そう解釈した。
 歌が終わり、舞台袖の審査員……町内会の会計さん、地域選出の市会議員、小学校のPTA会長、スーパーの店長、ラーメン屋のオヤジ、どれもこのために動員されたような知った顔ばかりが点数の札を掲げた。司会の男性……顔は知っていても名前を思い出せない、県内ローカルの芸人の誰かが大仰に驚いたように叫ぶ。

「おっとぉ! なんと23点! 暫定トップに躍り出たぁ~! 君たち、よく頑張ったねぇ!」

 小夜子は泪をどこかに引っ込めたような笑顔で、二人の兄弟に精一杯の拍手を送った。しかし兄弟が舞台から降りてすぐに、伏し目がちに沈んだ表情となって舞台の前から離れようとした。
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