仔猫は月の夜に少女に戻る

まみはらまさゆき

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1.助けた仔猫

(3)守りきったいのち

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 香代の家は、子供だった頃よりもだいぶ小さくなった。いや、母屋はそのままだが、曾祖母が暮らしていた離れをはじめ敷地の大部分は最近分割されて貸家がひしめくように建っている。
 彼女の名字の「鈴木」の表札のある門柱のインターホンを鳴らすと、すぐに返事があった。香代の母親の声だった。インターホンのカメラのLEDライトに顔を照らされながら、高志は名乗った。

「あらあら、タカシくん、久しぶりじゃな~い……ちょっと待っててね。香代、今さっき帰ってきたばかりだから……とりあえず玄関までいらっしゃい」

 快く許された彼は、両手の自由が利かないなかなんとか門を開けて玄関まで歩いていった。彼がポーチに着くのとほぼ同時に、明かりが点った。
 彼が仔猫をいったん下ろして傘を畳んでいるうちに、玄関の錠が開く音がした。傘を立てかけて、仔猫を持ち上げて抱き直す。

「どうぞ」

 中から香代の声がした。心なしか、気だるそうに聞こえた。
 高志は仔猫を抱いたまま、扉を開ける。すぐに部屋着に着替えた香代が立っているのが、目に入った。

 心なしか不機嫌そうな彼女はポニーテールを解いていて、その様子や髪型はさながら山姥やまんばのようだ。高志は一瞬躊躇し、彼女にかけるべき言葉を生唾とともに飲み込んだ。

 何も言えない彼の代わりに、仔猫が鳴いた。あたかも香代に挨拶でもするように。

「にゃぁ」
「なに? ……その子、どうしたの? 『ふたり』ともずぶ濡れで……」

 見るからに怪訝な顔の香代に、仔猫を助けた経緯を手短に伝える。ふん、ふん、と相槌を打ちながら話を聞く彼女は仔猫に同情の眼差しを向け、仔猫も何かを訴えかけるようにもう一度鳴いた。

「……で、その子をどうするつもり?」

 香代の関心は、いよいよ核心に迫ってきた。明らかに彼女は仔猫の境遇を不憫に思っていて、彼女の方から「じゃぁうちで引き取らせて」という反応を高志は期待する。

「だから……鈴木さんのところで、引き取ってくれないかなぁって……ニャン吉みたいに」
「無理! 無理! 無理だって!」

 香代は半ば呆れたように首を横に振り、その前で手まで振ってそれを拒絶した。予想外の反応に、高志は思わず半歩後ずさり、仔猫は不安そうに彼を見上げる。

「いや、でも……頼れるのは鈴木さんだけだって思って連れてきたんだから」
「ちょっと待って! 簡単に言うけどね、うちは5匹もいるのよ。これ以上、増やせないって!」
「だから、その5匹に混ぜてもらうとか……」
「ダメだって! 猫だってお互いの関係性ってものがあるから、いきなり何の慣らしもなしに新しい子を入れられないって。おまけに……拾ってきた猫でしょ? どんな病気持ってるか、分かったもんでもないし!」
「そこをなんとか……」
「なんとかって、どうしろって言うの? 誰がこの子をきれいにして乾かしてあげて、誰がご飯あげて、誰がトイレの掃除をして、誰がその他諸々のお世話をするって言うの? そのうちに避妊手術も受けさせなきゃだけど、そのお金も誰が出すの?」

 だんだん香代は、ヒートアップしてきた。しかし言っていることはひとつひとつが正論で、彼は反論する言葉が出てこない。
 ホールの向こうのキッチンから、香代の母親がチラチラとふたりと仔猫を覗くように様子を見る。その顔は苦笑しているように見え、ひょっとしたら非常識な人間として高志のことに呆れているのかもしれなかった。

「だいたいね、ニャン吉の時だってあなた泣きベソかくばかりで守ってあげられなかったじゃない。それを私が引き取って、お父さん、お母さんにお願いして、ちゃんとお世話するって約束もして、それで飼えるようになったのよ! いまさらだけど!」
「じゃぁ、どうすればいいのかな……」
「なんでそんなことまで私に聞くのよ! でも本当にこの子を助けたいと思うなら、あなたがご両親に頭下げて承諾を得て、自分でお世話するしかないでしょう! 小学生の子供でもあるまいし……まったく!」

 高志はどん底に突き落とされたような気分だった。いや、自ら招いたことだから、処刑台から落とされたような、と言ったほうがより正確か。
 ショックで、なんと言って香代の家を出たのかは覚えていない。雨は小降りになっていて、傘などささずにとぼとぼと自宅へと向かった。
 彼は自分を呪った。今までだって、良かれと思ってしたことが彼の自己満足でしかなくて、周囲にとってはただの迷惑でしかなかったことがどれだけあったか。
 けれども今回彼が抱えているのは、ひとつの命に違いはなかった。これをどうやって守ろうか、ひたすらに考えていた。

・・・

 彼は自宅に着いた。父親は珍しく早く帰ってきたのか、ガレージに車があった。
 おまけに、コールセンターの夜勤をしている母親はまだ出勤前だ。厄介なことに、敵は2人ということか。
 玄関を開けて、「ただいま」と家の中に声を掛ける。しかし、炊事の音、テレビの音がするだけで何の反応もない。

「ただいま!」

 彼は大声で呼びかけた。まず、まだ仕事着の父親が「なんだ、どうした」と出てきた。
 明かりを点けながら高志を見る父親に、仔猫が挨拶するように鳴いた。

「にゃぁ」
「高志、なんだ、その猫は……おーい、母さ~ん」

 状況を把握できず、そしてどうしたらよいか分からず、助けを呼ぶように母親を呼んだ。
 奥から母親が「いったいなによ……」とブツブツ言いながら出てきて、仔猫を見て固まった。

「にゃぁ」

 律儀にも、母親にも挨拶をする仔猫。対して両親は、互いに顔を見合わせたり高志の方を見やったりする。
 突然現れた仔猫に、困惑しているのは明らかだった。その証拠と言うべきか、全身ずぶ濡れの高志の様子には一切気を留めない。

「どうしたの? その猫……」

 かなりの時間を置いて、母親が尋ねた。高志は、香代の家で拒絶されたことや、どこにも行き場がなくてこのままでは死んでしまいそうだということも含めて、最初から説明した。
 両親とも、神妙にそれを聞いていた。そして、父親が改めて尋ねた。

「で、どうするんだ? その猫を」
「だから、言っただろ……どこにも行き場がないんだ。この家で守ってやるしかできないんだよ」
「あなたは子供の時から、もう……」

 母親は、呆れ果てながらも「この家に猫を上げることなどできません!」と表情で彼を威圧してきた。ここで引き下がったらせっかく救ったこの小さい生命を再び危険にさらすことになると、圧力を跳ね返すように睨む高志。
 もう、これは彼なりの意地だった。何が何でもこの仔猫を守らねばそれまでの苦労は水の泡だし、香代からも軽蔑されるだろう。

「ちゃんと自分で世話する! 餌代も自分で持つ! 責任持って飼う!」

 彼の思いが、なんとなくではあるが伝わったのか。父親が提案した。

「それでも、いつまでも飼い続けるわけにはいかない。ここはひとつ、保護猫として預かろうか。里親が見つかるまでの期間限定で」

 これは高志に対してと言うより、母親に対してのようだった。母親も、ため息を付きながら「仕方ないわねぇ」と同意した。

・・・

 ずぶ濡れの高志と仔猫は、一緒に洗面所に入った。濡れたものをトランクス1枚を除いて脱ぎ去った彼は、子猫にドライヤーを当てながら乾いたタオルで拭いて乾かした。
 水気が取れると、きれいな毛艶の可愛い仔猫になった。高志は仔猫を抱き上げて、鏡で姿を見せてやった。

「どうだ、きれいになっただろ」

 仔猫は「にゃあ」と鳴いて、彼の指を舐めた。彼も安心して満ち足りた気持ちで、浴室で温かいシャワーを浴びた。
 その最中、仔猫が扉のガラスをカリカリとひっかく音がした。彼は扉を開けて、仔猫に聞いた。

「どうだ、お前もシャワーを浴びるか?」

 それがどれだけ仔猫に伝わったのかは、分からない。しかし仔猫は身震いして後ずさり、洗濯機の影に隠れた。
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