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1.助けた仔猫
(2)ニャン吉と香代の思い出
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やっとの思いで道路を渡り、傘と通学カバンを回収して自宅の方へと向かう。胸には、彼が救った小さな生命を抱いて。
しかしこの生命を、これから先どうやって守っていくべきか。早速壁に突き当たった。
家に連れて帰っても、両親、特に母親が許さないだろう。子供の頃から、そうだった。
母親は、生き物を飼いたがらない人だった。祭りの縁日の金魚やヒヨコも、「ダメよ」の一点張りだった。
神社の裏の沼で釣ったフナやザリガリも、強制的にリリースさせられた。彼が小学生の頃に幼虫から育てていたカブトムシも、ある日彼が学校から帰ったら飼育ケースごと姿を消していたこともあり、それは今でも恨んでいる。
彼が住む郊外の辺りは捨て猫を見かけることがたまにあったが、飼いたいと言って家に連れ帰っても、許されなかった。それはあまりにも当然のことのように。
それでもある時、物置の裏に板を立てかけてそれを屋根として捨て猫を飼おうと試みたことがある。道端に捨てられていたちょうどよい大きさの木箱に、家の中で雑巾用に取ってあった古タオルを重ねて寝床も作った。
猫はボロ家ながらも気に入ったようで、昼間はどこかに出かけることがあっても、そこでくつろぐことが多かった。高志は貯めた小遣いを取り崩しながら、餌を与えた。
ところで高志の幼稚園からの同級生に香代という子がいて、小さい頃から一緒に遊んでいた。彼女は勝ち気で活発で行動的で、高志も含め男の子たちは木登りとかフナ釣りとかに付き合わされたものだった。
一方で彼女は猫好きで、それでしばしば学校帰りにこっそり高志が拾った猫の様子を覗きに来た。1回だけ、餌代をカンパしてもらったこともある。
香代といっしょに秘密を共有したつもりになって、そしてふたりで「ニャン吉」と名付けたその猫と遊ぶ時間は楽しかった。後になってから、彼の初恋はその辺りではなかろうかと振り返ってみたりした。
しかしその甘くて楽しい日々は、突然終わりを告げた。ある日曜日に両親が庭掃除をしていてニャン吉のねぐらを発見してしまったのだ。
高志は使いで香代の家に行っていて、ちょうど彼女と帰ってきたところだった。香代の目の前で高志は厳しく叱責され、父親は「猫を捨ててくる」と木箱の寝床ごと持ち上げた。
ニャン吉は自分の身に危険が迫っているとは思いもしなかったようで、寝床で丸まったまま起き上がりもしない。高志は(どうしよう)と半べそ書きながら、うろたえるしかなかった。
そこで香代が、父親の前に立ちふさがるように入って言った。子供ながらに毅然とした態度で。
「おじちゃん、だったら『ニャン吉』私の家にちょうだい」
「でも、香代ちゃんのお家の人に迷惑かかるでしょ」
「だいじょうぶ。うちには他に猫がいっぱいいるから」
両親とも難色を示したが、香代は引き下がらなかった。香代が言ったのは、確かに半分は本当だった。
昔は農家で今は地主の香代の家は敷地が広く、近所の野良猫が何匹も出入りしていた。あくまでも野良だから、生まれたり死んだりを繰り返してその顔ぶれは変わっていった。
なぜ猫が集まるのかと言えば、当時まだ存命で敷地の隅の離れに隠居していた香代の曾祖母が餌を与えていたからだ。餌と言っても御飯やおかずの残りといった、残飯のようなものだったが。
「それじゃぁ、連れて帰ってもいいけど、お家の人が『やっぱりダメ』って言ったらうちに電話ちょうだい。高志に取りに行かせるから」
最終的に香代は木箱を抱えてニャン吉を連れて帰り、母親はトラブルの事前回避のつもりで香代の家に電話をかけた。高志は、もし彼がニャン吉をこの家に連れて帰るような事態になったら、その運命はどうなるのだろうかとハラハラしながらひどく心が痛んだ。
しかし香代の両親やきょうだいや祖父母は、ニャン吉を温かく迎えてくれたらしい。それも、曾祖母のところに出入りする野良と動線が重ならないよう、家の中で飼うという特別待遇で。
今度は高志が、ニャン吉と会いに香代の家に通うようになった。リビングの隅にはデパートで買ったという立派なキャットタワーが据え付けられ、ニャン吉はその最上段で昼寝ばかりしていた。
高志がしなやかな棒の先にネズミの人形が付いたおもちゃでちょっかいを出しても、ニャン吉はあくびをして無視したり、ぷいと体ごとそっぽを向いたりした。そのくせ、香代の母親が手作りのケーキとお茶を出してくれてふたりでテーブルに付くと、「にゃぁ」と鳴いて香代の膝の上に乗って喉を鳴らしたりした。
香代の家は曾祖母をはじめとして、大の猫好きの家系なのだと改めて知った。それもあってか、後には曾祖母の家の床下で生まれた仔猫3匹も、ニャン吉の仲間として迎え入れられたらしい。
らしいと言うのは、その頃には高志たちも高学年となり、男子だけのグループ、女子だけのグループで固まるようになっていたからだ。香代ともなんとなく疎遠になった彼は、伝聞でそれを知るしかなかった。
・・・
香代とは同じ中学、そして同じ高校に進んだが、もう子供時代のような気安さはなかった。住むところも通う高校も同じでありながら、存在している世界がまるで違うような……近所や学校ですれ違っても、お互い空気と同じような希薄な存在になっていた。
それでも、いま救助したばかりのこの仔猫を託す相手として、真っ先に浮かんだのが香代だった。子供の頃のニャン吉との出来事が、彼にそう思わせた。
傘と通学カバンを同時に持ち、もう片方の腕で仔猫を抱いて、街灯が点り始めた新興住宅地の街路を香代の家を目指して歩く。雨脚は急に弱まってきたが傘は不安定に揺れるから、彼はやはりびしょ濡れになってしまう。
それでも仔猫ができるだけ濡れないように、身を屈めるようにして歩いた。仔猫も、彼のシャツに爪を立てて必死につかまっている。
「もう少しだ……大丈夫だよ。優しいお姉ちゃんと、仲間の猫がいっぱいいるお家に着くからね」
高志は仔猫を安心させるように言った。人間の言葉など分かるはずもないのだが、しかし仔猫は彼を信頼しきったような目で見つめる。香代は芯が強くて勝ち気な性格は子供の頃から変わらず本当に「優しいお姉ちゃん」かどうかは不明だが、しかし年老いたニャン吉を筆頭に何匹もの猫が共同生活しているのは、確からしかった。
最近では香代はインスタグラムで猫たちの日常を投稿していて、フォロワーやいいねが結構付いているらしいことも噂で聞いていた。そんな彼女だから、きっと仔猫も新しい家族の一員として迎え入れてくれるはずだと信じていた。
気がかりはただひとつ、香代が家にいるかどうか。彼女は高校の部活としては珍しい「グランドゴルフ同好会」に所属していて、帰りが遅くなる可能性もある。しかし、幸いなことに雨。
きっと彼女は家にいるはずだと願いにも似た思いをしながら、雨の夕暮れの街路を歩いていった。
しかしこの生命を、これから先どうやって守っていくべきか。早速壁に突き当たった。
家に連れて帰っても、両親、特に母親が許さないだろう。子供の頃から、そうだった。
母親は、生き物を飼いたがらない人だった。祭りの縁日の金魚やヒヨコも、「ダメよ」の一点張りだった。
神社の裏の沼で釣ったフナやザリガリも、強制的にリリースさせられた。彼が小学生の頃に幼虫から育てていたカブトムシも、ある日彼が学校から帰ったら飼育ケースごと姿を消していたこともあり、それは今でも恨んでいる。
彼が住む郊外の辺りは捨て猫を見かけることがたまにあったが、飼いたいと言って家に連れ帰っても、許されなかった。それはあまりにも当然のことのように。
それでもある時、物置の裏に板を立てかけてそれを屋根として捨て猫を飼おうと試みたことがある。道端に捨てられていたちょうどよい大きさの木箱に、家の中で雑巾用に取ってあった古タオルを重ねて寝床も作った。
猫はボロ家ながらも気に入ったようで、昼間はどこかに出かけることがあっても、そこでくつろぐことが多かった。高志は貯めた小遣いを取り崩しながら、餌を与えた。
ところで高志の幼稚園からの同級生に香代という子がいて、小さい頃から一緒に遊んでいた。彼女は勝ち気で活発で行動的で、高志も含め男の子たちは木登りとかフナ釣りとかに付き合わされたものだった。
一方で彼女は猫好きで、それでしばしば学校帰りにこっそり高志が拾った猫の様子を覗きに来た。1回だけ、餌代をカンパしてもらったこともある。
香代といっしょに秘密を共有したつもりになって、そしてふたりで「ニャン吉」と名付けたその猫と遊ぶ時間は楽しかった。後になってから、彼の初恋はその辺りではなかろうかと振り返ってみたりした。
しかしその甘くて楽しい日々は、突然終わりを告げた。ある日曜日に両親が庭掃除をしていてニャン吉のねぐらを発見してしまったのだ。
高志は使いで香代の家に行っていて、ちょうど彼女と帰ってきたところだった。香代の目の前で高志は厳しく叱責され、父親は「猫を捨ててくる」と木箱の寝床ごと持ち上げた。
ニャン吉は自分の身に危険が迫っているとは思いもしなかったようで、寝床で丸まったまま起き上がりもしない。高志は(どうしよう)と半べそ書きながら、うろたえるしかなかった。
そこで香代が、父親の前に立ちふさがるように入って言った。子供ながらに毅然とした態度で。
「おじちゃん、だったら『ニャン吉』私の家にちょうだい」
「でも、香代ちゃんのお家の人に迷惑かかるでしょ」
「だいじょうぶ。うちには他に猫がいっぱいいるから」
両親とも難色を示したが、香代は引き下がらなかった。香代が言ったのは、確かに半分は本当だった。
昔は農家で今は地主の香代の家は敷地が広く、近所の野良猫が何匹も出入りしていた。あくまでも野良だから、生まれたり死んだりを繰り返してその顔ぶれは変わっていった。
なぜ猫が集まるのかと言えば、当時まだ存命で敷地の隅の離れに隠居していた香代の曾祖母が餌を与えていたからだ。餌と言っても御飯やおかずの残りといった、残飯のようなものだったが。
「それじゃぁ、連れて帰ってもいいけど、お家の人が『やっぱりダメ』って言ったらうちに電話ちょうだい。高志に取りに行かせるから」
最終的に香代は木箱を抱えてニャン吉を連れて帰り、母親はトラブルの事前回避のつもりで香代の家に電話をかけた。高志は、もし彼がニャン吉をこの家に連れて帰るような事態になったら、その運命はどうなるのだろうかとハラハラしながらひどく心が痛んだ。
しかし香代の両親やきょうだいや祖父母は、ニャン吉を温かく迎えてくれたらしい。それも、曾祖母のところに出入りする野良と動線が重ならないよう、家の中で飼うという特別待遇で。
今度は高志が、ニャン吉と会いに香代の家に通うようになった。リビングの隅にはデパートで買ったという立派なキャットタワーが据え付けられ、ニャン吉はその最上段で昼寝ばかりしていた。
高志がしなやかな棒の先にネズミの人形が付いたおもちゃでちょっかいを出しても、ニャン吉はあくびをして無視したり、ぷいと体ごとそっぽを向いたりした。そのくせ、香代の母親が手作りのケーキとお茶を出してくれてふたりでテーブルに付くと、「にゃぁ」と鳴いて香代の膝の上に乗って喉を鳴らしたりした。
香代の家は曾祖母をはじめとして、大の猫好きの家系なのだと改めて知った。それもあってか、後には曾祖母の家の床下で生まれた仔猫3匹も、ニャン吉の仲間として迎え入れられたらしい。
らしいと言うのは、その頃には高志たちも高学年となり、男子だけのグループ、女子だけのグループで固まるようになっていたからだ。香代ともなんとなく疎遠になった彼は、伝聞でそれを知るしかなかった。
・・・
香代とは同じ中学、そして同じ高校に進んだが、もう子供時代のような気安さはなかった。住むところも通う高校も同じでありながら、存在している世界がまるで違うような……近所や学校ですれ違っても、お互い空気と同じような希薄な存在になっていた。
それでも、いま救助したばかりのこの仔猫を託す相手として、真っ先に浮かんだのが香代だった。子供の頃のニャン吉との出来事が、彼にそう思わせた。
傘と通学カバンを同時に持ち、もう片方の腕で仔猫を抱いて、街灯が点り始めた新興住宅地の街路を香代の家を目指して歩く。雨脚は急に弱まってきたが傘は不安定に揺れるから、彼はやはりびしょ濡れになってしまう。
それでも仔猫ができるだけ濡れないように、身を屈めるようにして歩いた。仔猫も、彼のシャツに爪を立てて必死につかまっている。
「もう少しだ……大丈夫だよ。優しいお姉ちゃんと、仲間の猫がいっぱいいるお家に着くからね」
高志は仔猫を安心させるように言った。人間の言葉など分かるはずもないのだが、しかし仔猫は彼を信頼しきったような目で見つめる。香代は芯が強くて勝ち気な性格は子供の頃から変わらず本当に「優しいお姉ちゃん」かどうかは不明だが、しかし年老いたニャン吉を筆頭に何匹もの猫が共同生活しているのは、確からしかった。
最近では香代はインスタグラムで猫たちの日常を投稿していて、フォロワーやいいねが結構付いているらしいことも噂で聞いていた。そんな彼女だから、きっと仔猫も新しい家族の一員として迎え入れてくれるはずだと信じていた。
気がかりはただひとつ、香代が家にいるかどうか。彼女は高校の部活としては珍しい「グランドゴルフ同好会」に所属していて、帰りが遅くなる可能性もある。しかし、幸いなことに雨。
きっと彼女は家にいるはずだと願いにも似た思いをしながら、雨の夕暮れの街路を歩いていった。
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