仔猫は月の夜に少女に戻る

まみはらまさゆき

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1.助けた仔猫

(1)中央分離帯の仔猫をレスキュー

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 高校2年生の戸田高志と「小夜子」の出会いは、梅雨のさなかの土砂降りの夕刻だった。

 彼は、郊外のバイパスの途中にある停留所でバスを降りた。都心にある歴史だけはある県立校から、40分ほどのバス通学。
 停留所からしばらく歩いて、ふと仔猫の鳴き声を聞いた。
 それはざんざん降る雨が傘を叩く音、地面に跳ね返る音、そしてバイパスを引きも切らず往来する車が濡れた路面を走る音、その他の音、音、音をかいくぐって彼の耳に届いた。

 孝は、思わず周囲を見回した。しかし、彼が目をやった歩道脇の植栽や、道路脇の分譲地の辺りには仔猫の姿などなかった。
 彼は、嫌な予感を覚えながら、車道の方に目を向けた。……そこに仔猫などいませんように、と願いながら。
 しかし声の主は、車道側にいた。それも、激しく車が行き交うバイパス道の中央分離帯の植栽の陰に。
 何がどうしてあんなところに仔猫がいるんだろう……彼は、それを見つけた自分、さらには初めにその声を聞き留めてしまった自分を恨んだ。

 いつだって、そうだったんだ、小学生の頃かそれより前から……彼は何かにつけて、ハズレくじを引いてしまうような運命にあった。自動販売機でホットコーヒーを買おうと缶コーヒーのボタンを押したら熱々のオレンジジュースが出てきたり、2者択一の問題を10問全部外したり、転がってきたボールを投げ返したら全く無関係の通行人の後頭部を直撃したり。
 しかし、見つけてしまったものは仕方がない。というより、激しい雨の中、交通量の多い中央分離帯で助けを求めて震えている仔猫を見捨てるほどの心は持ち合わせていなかった。

 彼は、とりあえず仔猫を救助しようとした。しかし生憎と車の流れはなかなか途切れず、2車線の車道を横断する踏ん切りがつかない。
 工業地帯と高速道路のインターチェンジを結ぶ大動脈だから、大型トラックやトレーラーが多い。それらが水煙を上げながら途切れず走り抜けるその向こうに、三毛の仔猫が彼に何かを訴えかけるような顔を見せて、鳴いている。
 放って立ち去ろうかと思った。しかし、その決心がつかない。
 彼はそんなことができない性格だった。彼より弱い立場の者が困っていると、助けなければ後悔して後々までいじけた気持ちになってしまうのが、彼だった。
 とは言え、車は途切れない。夜中になればウソみたいに交通量は減るはずだったが、それまで待っていられない。
 放っておくとあの仔猫は車道に出て次の瞬間にはトラックのタイヤに潰されてしまうのが目に見えるようだった。しかしそれを救出しようとする彼もまたそのような目に遭わないとも限らない。

 ……どうすべきか。

 しかし、彼の心のなかで答えは決まっていた。結局、それをいつ実行するかという問題だった。
 そうして逡巡する間にも、大型車はひっきりなしに走っていく。その水煙を浴びながら、彼はタイミングを伺っていた。
 車は常に道路の横断を妨げるように流れているわけではなく、上流側の大きな交差点にある信号機のタイミングでその密度に波があった。車が少なくなる僅かなタイミングを見計らって、すり抜けるように渡って行けそうでもあった。

 そして……。

 何度も渡れそうな瞬間が訪れては躊躇するうちにそのチャンスを逃し、何度目かで意を決してダッシュした。もうすでに全身ずぶ濡れになっていたから、邪魔になるだけの傘と、それから通学カバンは歩道に放り投げて。
 道路の向こうからは大型の海上コンテナを牽いたトレーラーが大幅な速度超過で迫ってきて、その船の汽笛のようにけたたましいクラクションが一帯に響いた。
 彼が中央分離帯に飛び込むと、その背後をトレーラーが速度をたいして緩めることなく通過していった。幾台ものトラックやトレーラーがその後に続き、轟音とともに中央分離帯をかすめていく。
 轟音だけではない。軽めの地震のような地響きや身体を倒されそうな風圧、横殴りの水しぶきが容赦なく襲ってきた。

 そんな中で、この仔猫は孤独に助けを求めていたのか……。

 仔猫は、怯えているのか寒いのか全身でブルブル震えながら、大きい目で彼を見上げてニャァニャァ鳴いている。彼こそが、頼れる救世主であるかのように見えるのだろうか。
 親猫は、どこに行ってしまったのだろう。少なくとも、仔猫を探して道路の周辺を歩き回っている様子はなかった。
 ひょっとしたら、仔猫を探しているうちに車輪の下敷きになってしまったのではなかろうか。それとも、悪い人間によって親猫から引き離されて中央分離帯に投げ棄てられたのかもしれない。
 彼は仔猫が愛おしくなり、心がいっぱいになった。「もう大丈夫だよ」と心のなかで話しかけながら、仔猫を抱いた。
 抵抗されて、引っ掻かれるかもしれないと用心した。しかしそれは不要な心配で、仔猫は大人しく彼の腕に抱かれた。
 彼は本格的に猫を飼ったことはなく、その年齢など分からない。ニャァと鳴いたときに開けた口の中に小さい歯が並び始めているところから、かろうじてある程度成長しているなと分かるくらいだ。
 とにかく小さい身体で、それが彼の腕の中でブルブル震えている。小さいけれども確かな生命が、そこにある。
 必死の思いで助けたその生命を、守ってやらねばならない。彼の心には強い決意が湧いてきた。

「良いことしたな」

 そんな思いが彼の心を温かく、優しくくすぐる。彼はそれまで良いことを多くしてきたが、周囲からは評価されることも少なく自己満足で終わることが多かった。
 しかし、彼によって救われた、小さい生命が確かにある。たとえ自己満足だろうが、それだけは動かせない事実だった。
 後は、また道路を横断して歩道に戻って、そこで救助任務完了だ。しかし……。
 トラックやトレーラーはなおも途切れることなく往来し、なかなか向こうに渡るチャンスがやってこなかった。彼が最初に仔猫を見つけてからの間にもだいぶ周囲は暗くなり、雨脚も強まってきた。
 震える生命を抱えながら、目の前の至近距離を通過するトラックやトレーラーの圧力に堪えながら、チャンスを伺う。少しでも間違えれば大型の車体の下に巻き込まれる恐怖にも向き合いながら。
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