神崎くんは残念なイケメン

松丹子

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2章 神崎くんは残念なイケメン

22 大学、卒業

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 卒論提出後はゆっくり時間があると思っていたが、早紀達と行くヨーロッパ旅行の準備をしたり、せっかくだからと遠方にある母の実家に行く計画を立てたりしていたら、あっという間に日が過ぎてしまった。
 結局、サークルメンバーで行く温泉旅行は都合がつかずお流れになって、2月下旬の追いコンで久々に集まった。
 今年の追いコンは、例年通り改修が終わったサークル棟で行われた。あと2ヶ月後には2年生になる1年生が余興をし、また次の代へと繋がっていくのをしみじみ感じる。
 ただし今年は、ちょっとだけいつもと違った。ーー題して、4年のゲリラ余興である。
 みんながそれぞれ思い思いに席について落ち着いたとき、突然ドア際にいたりんりんが電気を消した。驚きの悲鳴が挙がる中、4年の何人かが持った懐中電灯をスポットライトのように入り口へ向ける。
 相ちゃんの携帯オーディオ端末から、例の、不穏なテーマが流れる。
 入り口には、マントを纏った仮面の男ーー
「えーっ」
 3年の女子から批難の声が上がった。
 この余興、発案者はイオンである。何もしないのもつまらないと言い出したのだが、結局のところ目立ちたかったらしい。つまり、仮面の男はイオン。
 神崎くんを期待した女子からの批難の声は想定済みで、打ち合わせのときに他の男子は感心していた。「女子からの総スカン覚悟でやるとは、もはや勇者」とのことで、まず男子が大乗り気になり、女子もついつい協力せざるを得なくなった。
 とはいえ、みんなで会って打ち合わせる時間はなかったので、ある程度メッセージなどでやり取りして、あとはぶっつけ本番である。
 4年が立ち上がって壁際へ行き、相ちゃんの持つ音源の曲が切り替わって明かりがつく。
 2年前に文化祭で歌ったオペラ座の怪人の「マスカレード」を歌い上げ、相ちゃんが言った。
「1、2年のみんな。過ごした時間は短かったけど、俺達の大事なこの場所と、先輩たちから託された歴史を、これから先に繋げてくれることに感謝しています。3年のみんな。至らない先輩だったけど、今までありがとう。みんなもこれからそれぞれの道を探して行くと思うけど、その先にある新しい出会いと喜びを、心から祈っています」
 相ちゃんは本当に何でも無難にこなす。この口上に、後輩たちも何となくしんみりしていた。私たちの次の部長、副部長だったきらりんと香奈ちゃんは完全に目が潤んでいる。
「さて、副部長だったコッコからも一言」
 笑顔で相ちゃんが振り返る。うわ、いきなり振りやがった。打ち合わせになかったぞ、こんなの。
「えーと、無茶振りで驚いてますが」
 私は苦笑しながら、頭の中で言葉を探す。
「私にーー私たちにとって、このサークルは大学時代の最高に楽しい、大切な場所であり、思い出です。それを作ってくれた先輩、後輩、先生、全ての人に感謝すると共に、みんなにとっても、これからも、そういう場所で在り続けてほしいと、心から思っています。本当にありがとう」
 言いながら、さすがに目が潤んだ。悩んだり笑ったりした、色んな思い出が蘇る。
「さすが、無難にまとめましたな」
 相ちゃんがにやりと笑う。何その上から目線。
 拍手の中、それぞれ席に戻ろうとバラけはじめたとき、香奈ちゃんが抱き着いてきた。
「コッコせんぱーい!」
 ほとんど泣きながら訴えて来る。
「卒業しても会えますか?連絡してもいいですか?宇治十帖萌えについて熱く語れるのはコッコ先輩だけです!」
「ああ、そういえばそんなこともあったね……」
 私は思わず遠い目をした。宇治十帖とはご存知、源氏物語の一部を示す。ただし光源氏の死後の話であり、作者は紫式部ではないという説もある。私と同じく国文学専攻である香奈ちゃんとは、暇なときに源氏物語の登場人物について、あれこれ話していたのだ。学問的というよりは、ミーハーに。
「何それ。どんな話なの」
 神崎くんが笑った。香奈ちゃんが拳を握って答える。
「薫は大君を想いすぎてほとんど変態だとかそういう話です!」
 いや、君それ力強く言うことじゃないよ。ほら神崎くんも反応に困ってるじゃない。
 ちなみに、香奈ちゃんは中世文学、私は近代文学専攻。彼女は源氏物語を読み込むために専攻を選んでいるので、その愛は本物だ。私はあくまで趣味の範囲。
「源氏物語って、そういう話だっけ……」
 神崎くんの呟きに、私は思わず言った。
「いや、主にイケメンなダメ男に女が振り回される話」
 神崎くんがますます頭を抱えた。

 お手荒いに席を立った私は、戻ってくる廊下でさがちゃんと出くわした。さがちゃんはぱっと顔を輝かせて私に言った。
「コッコ先輩。公務員、合格おめでとうございます!」
 私は微笑んで、ありがとう、と応えた。
「さすがです」
 さがちゃんはあまりお酒が得意ではないのだが、結構飲んだらしい。だいぶ目元が赤くなっていた。
「運がよかっただけだよ」
 私が言うと、さがちゃんはそんなことないです、と首を振った。
「たとえ運だとしても、それも実力のうちです」
 いつも、さがちゃんは力強く私を肯定してくれる。
「俺、コッコ先輩のこと尊敬してます。コッコ先輩に会えて、ほんとよかったです」
 私はできるだけ丁寧に、ありがとう、と言った。
 宴会場になった部屋のドアが開き、出てきた神崎くんが私たちに気づいた。
「えーと……。ごめん、邪魔した?」
 気まずそうに神崎くんが言う。私は首を振ったが、さがちゃんは否定も肯定もしなかった。微笑んだまま、神崎くんと入れ代わりに部屋へ戻っていく。あれ?さっき出て来たんじゃないのかな。部屋の外に用事があったんじゃないのかしら。
 神崎くんは、その小柄な背中を見送ってから、苦笑した。
「悪いことしちゃったかな」
 小さく呟いて、私に向き直る。
「いい子だよね」
「さがちゃんのこと?うん、そうだね」
 神崎くんは複雑な表情で続けた。
「優しくて、よく人を見てる。結構、精神的には成熟してるかも」
「そうかもね」
 神崎くんが私の表情を観察しているのを感じた。一体何だろう。
 そう思ったとき、神崎くんは深々と嘆息した。
「どうかした?」
 私が問うと、神崎くんは苦笑して答えた。
「鈴木さんって、割と天然だよね」
 私は思わず眉を寄せた。実は全く言われたことがない訳ではない。よく分からないけど。いや、よく分からないから天然と言われるのか。
 私たちの姿が見えたのか、ゆかりちゃんが廊下に出てきた。私は表情が引き攣らないよう、細心の注意を払う。
「コッコ先輩、さっきの挨拶、素敵でした」
 その後サークルに全く顔を出さないまま、追いコンに来たゆかりちゃんが、一番会いたかった人は誰か。--なんて、考える必要もなかった。
 邪魔者は適当に退散しようと思いながら、ありがとう、と言う。
「先輩でも泣きそうになったりするんですね。ちょっと新鮮でした。就職、市役所だそうですね。公務員って安定もしてるし、結婚してもしなくても、何かと安心ですよね。頑張ってください」
 誉められてるんだか馬鹿にされてるんだかわかんないけど、全く悪気なさそうな笑顔で言っているところを見ると、本人は誉めてるつもりなんだろう。
 さすがに引き攣った笑顔でありがとうと言いかけたとき、神崎くんがぴしりと言った。
「柏原さん。悪気はないのかもしれないけど、君の言葉は時々すごく不躾だよ。横で聞いていても、不愉快だ」
 ゆかりちゃんが大きな目を見開いて驚いている。私も驚いて身動きできなくなった。神崎くんがそんなに厳しい台詞を口にするのを初めて聞いた。
 ゆかりちゃんの見開いた目が、だんだん潤んできた。私はどうしたものかと神崎くんとゆかりちゃんの顔を見比べたが、神崎くんがいつもの穏やかな声音で私に言った。
「鈴木さん、戻ろう。サリーちゃんが探してたんだよ」
 その表情も、いつも通り穏やかだ。私は戸惑いを隠せないまま、神崎くんについて部屋に入って行った。
 その後、ゆかりちゃんは先に帰ったのか、知らない内にいなくなっていた。
 他の子たちも特段話題にしないまま、追いコンは賑やかに閉会の時間に近づく。
「鈴木さん、気にしてるでしょ」
 神崎くんがわざわざ私の近くにやって来て、焼酎の水割りを飲みながら苦笑した。
 私は赤ワインを口に運びながら目線を下げる。
「俺が勝手に言ったんだから、気にしなくていいんだよ。元々思ってたことだし」
 私は何も言わず目の前のチーズを頬張った。
「ーー俺のこと、嫌な奴って思った?」
 神崎くんが静かに言った、その声に怯えのような何かを感じて、私は慌てて顔を上げ、神崎くんを見た。
「まさか。神崎くんは私のこと、庇ってくれたんでしょ。思わないよ、そんなこと」
 私は言って、自分の気持ちを整理しながら続けた。
「そうじゃなくてーー神崎くんに言わせるくらいなら、自分で言えばよかった、って思って」
「何で?」
「だって、そういうキツイ台詞ってーー言う方も、傷つくじゃない」
 神崎くんは柔らかく微笑んだ。優しすぎるその目に、思わず泣きそうになる。神崎くんは笑った。
「そういう顔、あんまり人前でしちゃダメだよ。特に男の前では」
 その言葉に眉を寄せて首を傾げると、神崎くんは続けて言った。
「鈴木さんが、実はものすごく繊細で、心優しい子だってこと、みんなに分かっちゃうから」
 私は思わず赤くなった。そういう風に見られたことがなかったから。
 でも、一つ、気づいたことがある。
「……もしかして、私たちがいつも早紀にしてたことも、同じだったのかな」
 私たちは早紀を守っているつもりだったけど、早紀も、自分の問題を自力で解決できない自分が、嫌になったりしていたかもしれない。
「喜ばせたいと思った人を傷つけたことはーー私も、変わらないのかも」
 神崎くんは苦笑した。
「大切な気づきではあるけど、それは考えすぎじゃないかな」
 少し離れたところにいる早紀を見ながら言う。
「だって、早紀ちゃんは鈴木さんとサリーちゃんを、大切な友達だと思ってるんだから」
 その視線を追ってたどり着いた早紀の目が私と合う。早紀は微笑んで、何?と言いたげに首を傾げた。
 私は微笑み返して、何でもない、と首を振る。早紀がまたにこりとした。
「ありがとう」
 私は言った。神崎くんがきょとんとする。
「あのとき、私を助けてくれて」
 神崎くんは照れたように微笑んだ。
「どういたしまして」

 そして、3月。私たちは大学を卒業した。
 それぞれが進んでいく先に、何があるかはわからない。でも、一緒に過ごした時間がこれからの支えになりますように。
 そう心から祈りながら、キャンパスを去ったのだった。
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