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2章 神崎くんは残念なイケメン
21 大学4年、後期
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公務員試験は、国と市役所両方から内定をもらった。立木くんに連絡すると、立木くんも国と県庁、両方に受かったそうだ。
[どっちに行くの?]
問われて、市役所と答える。あまりに地元すぎてどうかとも思ったのだが、国家公務員になれば勤めるのはビル立ち並ぶ霞ヶ関。そこに毎日通う自分が想像できなかったのだ。
省庁が大きければ、霞ヶ関以外の勤務もあるが、全国転勤、場合によっては海外勤務の可能性があることも、ライフプランを考えると、躊躇われた理由の一つだった。
立木くんはどうするの、と聞くと、県庁、と返ってきた。同時に、鶏口牛後、と。
キャリア組に入れないなら、国を選ぶ気はない、ということのようだ。他の人からも聞いたことがある話たから、そういう考え方もあるのか、と思ったのだが。
[アメリカ帰りの王子も、いくつか内定もらったみたいよ]
アメリカ帰りの王子。また似合うような似合わないような表現だな、と思いながら、そっか、よかったね、と返した。即座に返ってきたのは
[俺伝言板じゃないからね]
というメッセージと、拗ねたような顔文字だった。
クリスマスコンサートの日はちょうど卒論の提出日と重なってしまい、残念ながら顔を出すのは難しそうだった。予約が取れたホールが学校から少し遠かったこともある。
期限が分かった段階でそう伝えたところ、3年になったきらりんや香奈ちゃん、さがちゃんたちは残念そうにしながらも力強く言ってくれた。
「大丈夫です。しっかり2年を支えて、成功させますから」
みんな立派になったものだ、と感慨深く思いながら、応援してるね、と笑った。
そして迎えた卒論の提出日。私は早々に忍耐が切れて、校正もそこそこに、前日のうちに印刷まで終えていた。途中から、内容そのものではなく文章の好みの問題になってきて、これはキリが無いなと思ったのだ。
当日の午前中に製本して、早々に提出を終えると、同じ学科の子たちの製本を手伝うことにした。
早紀はダイヤの乱れで混んだ電車に酔い、休み休みこちらに向かってきたので、なかなか大学に辿り着かなかった。ヒヤヒヤしながら助手さんにもう少し待ってくださいと頼み、白い顔をしてやって来た早紀の製本作業を手伝う。
「香子ちゃん、ごめんね」
ほとんど泣きながら製本する早紀を励ましながら、卒論を出し終わり、ホッと一息したとき、幸弘とサリーからメッセージが届いていることに気づいた。
二人とも、早紀を気にしている。 直接聞いては邪魔になるから、私を経由しようというのだろう。
私は苦笑しながら、今提出済んだから安心して、と送った。
早紀は疲れきった顔でほぅっと椅子に腰掛けていた。途中下車して休んだせいもあって、いつも片道1時間ほどの電車通学が、3時間近くになったのだから、疲れて当然だろう。
「早紀、大丈夫?」
うん……とはかなげな微笑で応えて、早紀はまたごめんねと謝った。
「私は大丈夫だよ。そういうときはありがとう、でしょ」
肩を叩いて言うと、早紀はいつもの柔らかい笑顔になった。
「ありがとう、香子ちゃん」
「どういたしまして」
私は言うと、片手にメッセージの映った画面をちらつかせた。
「心配してる人がたくさんいるよ。安心させてあげて」
早紀は微笑んで頷き、電話してくる、と席を立った。私も腰を浮かす。
「私、購買で飲み物買ってくる。早紀、何かいるものある?」
早紀は考えてから、あったかい緑茶をお願い、と言った。私は頷いて購買へ歩き出す。外はほとんど日が暮れようとしていた。
購買へ行く途中で、見知った顔を見つけた。ゆかりちゃんだ。例のサークルの人なのか、本来はいないはずの男子学生3人に囲まれ、楽しげに歩いている。手にはそれぞれラケットらしい荷物を持っていた。相変わらずフェミニンな格好である。タイツを履いてるとはいえ、ミニスカートは寒くないのかな。と老婆心を抱いたとき、ゆかりちゃんが私に気づいた。
「あ、コッコ先輩」
お久しぶりです、と相変わらずの可愛い笑顔。
「久しぶり。元気そうだね」
親衛隊のように周りを囲む男子が気になりながらも、当たり障りない返事を返す。
「そういえば、ざっきー先輩、もう帰ってきてるんですか?」
いきなり、神崎くんのことか。
思わず、本心を探るように見つめてしまったが、ゆかりちゃんの表情は変わらない。
「そうみたいよ」
「就活、もう終わったんですかね。遅れを取るから、大変だろうと思って」
「さあ。帰って来た頃連絡したきりだからわかんないけど、神崎くんのことだからどうにかなるんじゃない」
私が言うと、ゆかりちゃんは上品に眉を寄せた。
「コッコ先輩って、ドライですね。仲間のこと、気にならないんですか」
さも、自分はそうではないと言いたげだ。
それを言うなら、今日、1年で一番大きな舞台がある、貴女の仲間は気にならないの?と思ったが、心中に留めた。
サリーが何を言っても無駄と割り切っていたことを思い出して、無理のない範囲で、従者の気持ちで接することにする。これも就職前の社会勉強だと思おう。就職先にどんな人がいるか、分からないもの。
私が口を開きかけたとき、サリーから電話が来た。ごめんね、じゃあ……と会話を終わらせて背を向け、着信を取る。
『もしもし?今、大丈夫?』
「うん。どうしたの?」
サリーも今日が卒論提出日、幸弘は明後日が期限だそうだが、早紀が気がかりで今日は手に着かなかったろう。
『今、幸弘とうちの大学の近くにいるの。みんなで夕飯行かない?ざっきーも来れるらしいから』
「神崎くんも?」
私は聞き返した。
「いいけど。どこにする?早紀、バテてるから、ゆっくりできるとこがいいと思うよ」
『5人で入れるとこ探しとく。また連絡するよ』
「うん、ありがとう。よろしく」
電話を切って、改めて飲み物を買いに購買へ向かおうと振り返ったとき、ゆかりちゃんが立っていることに気づいてギクリと足を止めた。
ゆかりちゃんの表情は変わらないままだったが、目つきが変わっている。確固とした意思のある目。
「ざっきー先輩たちと、会うんですか?」
さっきの男の子たちはどうしたの、と私が聞く前に、ゆかりちゃんは言った。
「久々に会う先輩だから、もう少し話したいって言って、先に行っててもらいました」
私の背にじわりと嫌な汗がにじむ。
これは……まずいフラグ。
「私も久々に先輩たちとお会いしたいです」
変わらぬ笑顔。
普通、気のおけない友達同士で会おうとしているところに、後輩一人で割り込もうとなんてしないよね。
この子と話していると、時々、自分の価値観が変わっているかと錯覚してしまう。
どうしよう。サリーならどう対処するだろう。
「えーと……」
私は考えたけど、頭が疲れていて妙案が浮かばない。
「サリーに聞いてみるね」
ゆかりちゃんはニッコリ笑って、連絡待ってます、と言った。
私は無駄にエネルギーを使ったように思えて、自分と早紀の飲み物の他、チョコレートを買って学生控室に戻った。
早紀に飲み物を渡し、チョコレート一切れを口にほうり込みながら、ゆかりちゃんに会った概略を話す。
そのとき、また着信が鳴った。他に人がいなかったので、座ったまま出る。
『断りなさい』
開口一番、サリーが言った。私は苦笑する。サリーには、購買を出る前にメッセージを送っておいたのだ。
「そう思ったんだけど……目力に圧されて」
『なに言ってんの。私はみんなでゆっくりしたいの。あの子がいると臨戦体制になっちゃうもの』
それは私もさして変わらない。粗を見せないように無意識に緊張してしまうのだ。
「どう、断れば……」
『ああ、もう。はっきり言っちゃえば。私は神崎くんとつき合うことになったのって』
「こらこら。私の設定を捏造しないでよ」
『……え?あ、ちょっと待って』
向こう側で、サリーが誰かと話しているのが分かるが、何を言っているか聞こえない。
『……会いたいっていうなら、お店の前まで連れて来れば、って。その先ついて来る様子なら考えよう、って』
人の言葉を伝えるようなサリーの言い方に、首を傾げた。幸弘が言いそうにはない。ということはーー
『お店、郵便局の裏手の創作居酒屋。分かるよね?19時半にお店の前集合。早紀にも伝えて』
私は時計を見た。19時を過ぎている。電話を切ると、早紀に伝えて、私はゆかりちゃんにあてるメッセージを作成する。
[19時半に駅前の郵便局の裏手で待ち合わせます。とりあえず、そこでみんなに会えるよ]
その後については敢えて書かずに送り、嘆息した。
「わぁ、ざっきー先輩、スーツ素敵です」
ひと足早く到着していた、ゆかりちゃんのワントーン高い声が耳に響く。
久々に見た神崎くんは、濃紺のスーツに青いネクタイをして、トレンチコートを着ていた。手元には黒革のビジネスバックを持っている。いかにも就活生らしい格好だが、変な初々しさはない。
「今日も就活だったんですか?大変ですね」
可愛らしく首を傾げて、思いやり深げにゆかりちゃんが言う。神崎くんが無反応なので、横から幸弘が答えていた。
「今日は内定先で健康診断だったんだって。もう就活は終わってるよ」
神崎くんの視線が、その場に合流した私と早紀ををとらえた。無感情だったその目が、一瞬揺らいだように見えた。
「久しぶり。寒いねぇ」
雪が降りそうな冷気だった。私はウールのコートの前をかき合わせ、首元にマフラーをくるくる巻きにしている。白と黒の千鳥格子柄のマフラーは、就活で大変活躍してくれた。
ポニーテールはうなじが寒い。髪を下ろせば少し暖かいのだが、静電気で髪が逆立つのが嫌なのだ。
冷たい風が吹いたので、思わず顔をマフラーにうずめて首をぶるりと振った。
「ーー鈴木さん」
ほうけたような声で、神崎くんが言った。
「綺麗な髪だね」
思わず、私の動きが止まる。口元がマフラーに隠れていてよかった。暗くてよかった。そんなことを思っていると、サリーが笑顔で言った。
「よし、揃った。ゆかりん、わざわざ会いに来てくれてありがとう。私たち行くから、また追いコンでね」
鈍感さには鈍感さを。サリーの振る舞いにそれを見て取って、なるほど、と思った。
そんな中でも、神崎くんの視線を感じる。
「人の毛並みがそんなに気になりますか」
私が口元をマフラーにつっこんだまま言うと、神崎くんはようやく自分が視線を送り続けていたことに気づいたらしい。はっとして目線を反らして言った。
「ご、ごめん。つい」
私はゆかりちゃんにじゃあまた、と言ってから、黙ってお店に入るサリーの後について行った。お店は半地下で、階段を下った先にある。他のメンバーも続いた。
コートやジャケットを壁側にかけて席に着くと、サリーがホッと嘆息した。6人がけのテーブルで、自然、女子と男子で向かい合う形になる。
「よかったー、これでまだ食い下がってきたらどうしようかと思った」
「そうだね。俺もホッとした」
神崎くんが言うと、サリーが眉を寄せた。
「勝算あってのことじゃなかったの?」
「いや、だってあの子、常識的な感覚がイマイチ通じないから」
神崎くんが苦笑しながら、ネクタイを緩める。
「あ、それ反則。イケメンは人前でネクタイ緩めるの禁止です。香子、ぼんやり見てないで注意しなさいよ」
確かについぼんやり見ていたので、私は苦笑する。
「なんで。私神崎くんのお母さんじゃないよ」
「お母さんは言っても意味ないの。言うなら彼女でしょ」
ますます苦笑しながら、私が言った。
「なおのこと、言う権利ないじゃない」
会話を無視して、神崎くんがお店の人に声をかけている。
「あっ、こら!」
「え?駄目だった?もう決まってるでしょ?」
「決まってるけど……ぐぬぬ。ざっきー、スルースキルを上げて帰ってきたな」
サリーがぶつくさ言っていたが、お店の人が注文を取りに来たので、飲み物と簡単なつまみをいくつか頼んだ。幸弘と早紀は揃ってホットウーロン茶。私たち3人は生ビール。
「この寒いのによくビール飲む気になるな」
「就活してたら、はまっちゃった」
サリーがジョッキをあおりながら言う。容姿とのギャップが清々しい。
「乾杯はしゅわっとしたいじゃない」
「そういえば、乾杯はビールって、日本ならではだよね」
私の言葉に、神崎くんが思い出したように言った。
「向こうだと違うの?」
「好きなもの頼むかな。多分、コップに注ぎ合う風習があんまりないんだよね」
神崎くんとサリーが話している横で、私はアルコールメニューを見る。たくさんお酒の種類があると、なんとなくウキウキするのは、のんべえの習性だろうか。
「次はあったかいの行こうかな。梅酒のお湯割とか」
私がメニューをくりながら言うと、正面に座った神崎くんが気づいたように目線を上げた。
「あれ?甘いのダメなんじゃなかったっけ」
「よく覚えてたね。でも梅酒は好きなの。おばあちゃんとかお母さんがよく作ってたから」
「ああ、俺のとこもよく作ってた。美味いよね」
神崎くんも同じメニュー表を見ながら言った。
「ホットワインもある。俺、次これにしようかな」
「へぇ、それも美味しそうだね」
話していると、一つのメニュー表を覗き込む私たちを、サリーが生暖かい目で見ていることに気づき、咄嗟に手を引っ込めた。
「あ、ごめんごめん。気にしないで」
サリーが爽やかに笑って言った。
いや、無理でしょ。気になるでしょ。
私がじろりとサリーを見たとき、神崎くんの方から着信音がした。誰からの着信か確認して苦笑している。幸弘がから揚げを口に運びながら言った。
「出れば?」
「うん、ごめんーーHello?」
神崎くんが電話を取りながら立ち上がり、店の外に出ていく。
「え・い・ご!」
「ヘロウ!」
「カッコイー!」
幸弘とサリーが目を見開いてきゃっきゃと喜んだ。その様子がまるで子どものようで、私と早紀が笑う。
「あのまま行ったら寒いよね。持って行ってあげよう」
神崎くんは、店に入ってスーツのジャケットも脱いでいるからシャツだけだ。神崎くんのトレンチコートと、迷った後で、自分のマフラーを持っていく。
店のドアを開けると、階段下の踊り場で、神崎くんが話していた。
流暢な英語。日本語のときより、少し低めのトーンだ。
そういえば、ハリウッドスターとかって、日本の役者よりも声が低い。言語と多少関係があるんだろうか。
思うともなしにそんなことを思いながら、そっとコートを肩にかけた。
神崎くんは驚いて振り返り、私を確認して微笑む。吐き出す息が白い。
「--ありがとう」
丁寧なお礼。
神崎くん、帰って来たんだなぁ。
なぜかしみじみ思いながら、マフラーを持って、どうしようか考えた。神崎くんは電話を持っていない手で前を掻き合わせ、腕を通そうとする気配がない。
電話の向こうから高めの男性の声が聞こえていた。一瞬日本語になったので追及されたようだ、と何となくわかる。まるでキャッチボールするように、投げかけられる言葉に神崎くんが応えていた。
風邪でも引かれたら困る。密着しなければいいかと思って、私は神崎くんの肩からマフラーをかけ、前でくるりと結んだ。いかにも女性用の柄じゃなくてよかった、と勝手に満足してにこりと手を振り、店に入っていく。神崎くんは少し驚いたような顔をして、一瞬相手への応答を忘れたようだった。
少しすると、神崎くんが鼻の頭と耳を赤くしながら戻って来た。5分ほども話していただろうか、身体が冷え切ってしまったようだ。
「すみません、ホットワイン一つお願いします」
私が近くにいた店員さんに声をかけると、神崎くんが苦笑してお礼を言った。
「これも、ありがとう。助かった」
コートをかけて、マフラーを手に、神崎くんが言ったが、私に渡すか躊躇っているようだった。
「どうしたの?」
「いや、なんか変なにおいとかついてないかな。洗って返した方がいいかも」
私が噴き出す。
「真夏じゃあるまいし、神崎くん喫煙者でもないし、大丈夫だよ。むしろ、ごめんね。私ので」
マフラーは顔の近くにつけるものだから、嫌かなとも思ったのだ。
「いや、そんなことない」
ぶんぶんと音がしそうなくらいの勢いで神崎くんが首を振った。私は笑うと、手を伸ばしてマフラーを受け取る。また隣のサリーの視線が生暖かい気がするが、とりあえず無視する。
「友達から?なんかお話好きそうな人だったね」
神崎くんが苦笑した。
「うん。すごいおしゃべりな奴で。こっち帰ってからも、しょっちゅう電話来るんだよね。英会話忘れずに済んでいいんだけど……」
「男?」
「うん」
間髪入れぬサリーの問いに、神崎くんが苦笑と共に返した。
「ほとんど毎回、違う女の子の話なんだよね。ほどほどにしとけよ、って言うんだけど、俺はいつも本気でぶつかっているんだ、とか勝手なこと言ってて」
そう言いながらも、楽しそうだ。楽しい留学になったんだなぁ、と思う。
「素朴な疑問なんですが」
急に思い出したように、幸弘が手を挙げた。
「国内だとモテモテな神崎くんは、世界基準だとどうなんでしょうか」
「おお!それ気になるー!」
サリーが便乗する。神崎くんはまた苦笑した。
「モテてるんだかどうだか知らないよ。向こうは積極的な子が多いから」
「とりあえず誘われないわけではなかったと」
言葉尻から事実を取り上げて、サリーが手にメモするポーズを取る。
「どっちかっていうと、辟易したのは」
店員さんが持ってきたホットワインに口をつけながら、神崎くんは言った。
「男に声かけられることだよね。街歩いてたら最初の日に投げキスとかくらって、やっていけるのかなと思った」
幸弘が噴き出しながら言った。
「襲われなくてよかったな」
「どうやったって敵わないガタイしたのも多いし、ホントそれ思うよね」
ざっきーの勇士に乾杯、と幸弘が神崎くんのワイングラスにウーロン茶入りの自分のグラスを軽くあてた。神崎くんはありがとうと笑って、グラスを手に取った。
会計を済ませて外に出ると、やっぱり冷え込んでいた。寒くてまたマフラーをぐるぐる巻きにする。意識したからか、ふと神崎くんの匂いがした気がした。
「きゃっ、神崎くんの匂いがするー」
「妙なアテレコやめてください」
私の後ろでサリーが高めの声を出すので、低い声で応じた。お酒が入って上機嫌になったサリーがケラケラ笑う。
「やっぱり洗って返そうか?」
申し訳なさそうな神崎くんに、ほんと大丈夫だから、と答えたとき、また冷たい風が吹いた。思わず首をすくめ、口元までマフラーを引き上げる。
「さっむぅ」
神崎くんが咄嗟に口元を押さえて視線をそらした。サリーがそれを見逃さず茶化す。
「お兄さん、もしかして、放課後の小学生みたいなことしてないですよね」
「放課後の小学生?」
早紀が首を傾げると、幸弘が笑った。
「あれだろ、誰もいない教室で、好きな子の席に座ってみる、みたいな」
「そうそう。マフラーに顔すりすりしてみるとか。匂いかいでみるとか」
サリーの言葉に、神崎くんは半眼になった。
「前から思ったけど、サリーちゃん、俺を変態扱いしてない?」
「してない、してない。すべからず人間は変態である、というのが私の持論」
「それって、してるってことでしょ」
神崎くんとサリーの意味のないやりとりを聞きながら、私はぼやいた。
「あー、これで今年も終わりかぁ。就活と卒論に追われた一年だったなぁ」
「うん。でも、来月の旅行楽しみだね」
早紀が微笑んで言う。
卒論の口頭試問が2月末。それまでは、比較的時間が自由になる。サリーと早紀の3人で一週間、ヨーロッパに行く予定なのだ。
「旅行かぁ。温泉行きたいなぁ」
「お、いいね。男同士で行く?」
「早紀ちゃんとはどっかいかないの?」
神崎くんの言葉に、幸弘が照れた。
「え、いや、まだ未定」
「じゃあみんなで行く?国内旅行」
「みんなって、どこまでよ。相ちゃんたちも誘う?」
「それじゃ合宿じゃん」
わいわいと話しながら、駅までの道を5人で歩いた。
あと何回、この駅を使うんだろう。このメンバーで会えるのだろう。
卒論を提出し終わったからか、ふと、そんなセンチメンタルな気分になったのだった。
[どっちに行くの?]
問われて、市役所と答える。あまりに地元すぎてどうかとも思ったのだが、国家公務員になれば勤めるのはビル立ち並ぶ霞ヶ関。そこに毎日通う自分が想像できなかったのだ。
省庁が大きければ、霞ヶ関以外の勤務もあるが、全国転勤、場合によっては海外勤務の可能性があることも、ライフプランを考えると、躊躇われた理由の一つだった。
立木くんはどうするの、と聞くと、県庁、と返ってきた。同時に、鶏口牛後、と。
キャリア組に入れないなら、国を選ぶ気はない、ということのようだ。他の人からも聞いたことがある話たから、そういう考え方もあるのか、と思ったのだが。
[アメリカ帰りの王子も、いくつか内定もらったみたいよ]
アメリカ帰りの王子。また似合うような似合わないような表現だな、と思いながら、そっか、よかったね、と返した。即座に返ってきたのは
[俺伝言板じゃないからね]
というメッセージと、拗ねたような顔文字だった。
クリスマスコンサートの日はちょうど卒論の提出日と重なってしまい、残念ながら顔を出すのは難しそうだった。予約が取れたホールが学校から少し遠かったこともある。
期限が分かった段階でそう伝えたところ、3年になったきらりんや香奈ちゃん、さがちゃんたちは残念そうにしながらも力強く言ってくれた。
「大丈夫です。しっかり2年を支えて、成功させますから」
みんな立派になったものだ、と感慨深く思いながら、応援してるね、と笑った。
そして迎えた卒論の提出日。私は早々に忍耐が切れて、校正もそこそこに、前日のうちに印刷まで終えていた。途中から、内容そのものではなく文章の好みの問題になってきて、これはキリが無いなと思ったのだ。
当日の午前中に製本して、早々に提出を終えると、同じ学科の子たちの製本を手伝うことにした。
早紀はダイヤの乱れで混んだ電車に酔い、休み休みこちらに向かってきたので、なかなか大学に辿り着かなかった。ヒヤヒヤしながら助手さんにもう少し待ってくださいと頼み、白い顔をしてやって来た早紀の製本作業を手伝う。
「香子ちゃん、ごめんね」
ほとんど泣きながら製本する早紀を励ましながら、卒論を出し終わり、ホッと一息したとき、幸弘とサリーからメッセージが届いていることに気づいた。
二人とも、早紀を気にしている。 直接聞いては邪魔になるから、私を経由しようというのだろう。
私は苦笑しながら、今提出済んだから安心して、と送った。
早紀は疲れきった顔でほぅっと椅子に腰掛けていた。途中下車して休んだせいもあって、いつも片道1時間ほどの電車通学が、3時間近くになったのだから、疲れて当然だろう。
「早紀、大丈夫?」
うん……とはかなげな微笑で応えて、早紀はまたごめんねと謝った。
「私は大丈夫だよ。そういうときはありがとう、でしょ」
肩を叩いて言うと、早紀はいつもの柔らかい笑顔になった。
「ありがとう、香子ちゃん」
「どういたしまして」
私は言うと、片手にメッセージの映った画面をちらつかせた。
「心配してる人がたくさんいるよ。安心させてあげて」
早紀は微笑んで頷き、電話してくる、と席を立った。私も腰を浮かす。
「私、購買で飲み物買ってくる。早紀、何かいるものある?」
早紀は考えてから、あったかい緑茶をお願い、と言った。私は頷いて購買へ歩き出す。外はほとんど日が暮れようとしていた。
購買へ行く途中で、見知った顔を見つけた。ゆかりちゃんだ。例のサークルの人なのか、本来はいないはずの男子学生3人に囲まれ、楽しげに歩いている。手にはそれぞれラケットらしい荷物を持っていた。相変わらずフェミニンな格好である。タイツを履いてるとはいえ、ミニスカートは寒くないのかな。と老婆心を抱いたとき、ゆかりちゃんが私に気づいた。
「あ、コッコ先輩」
お久しぶりです、と相変わらずの可愛い笑顔。
「久しぶり。元気そうだね」
親衛隊のように周りを囲む男子が気になりながらも、当たり障りない返事を返す。
「そういえば、ざっきー先輩、もう帰ってきてるんですか?」
いきなり、神崎くんのことか。
思わず、本心を探るように見つめてしまったが、ゆかりちゃんの表情は変わらない。
「そうみたいよ」
「就活、もう終わったんですかね。遅れを取るから、大変だろうと思って」
「さあ。帰って来た頃連絡したきりだからわかんないけど、神崎くんのことだからどうにかなるんじゃない」
私が言うと、ゆかりちゃんは上品に眉を寄せた。
「コッコ先輩って、ドライですね。仲間のこと、気にならないんですか」
さも、自分はそうではないと言いたげだ。
それを言うなら、今日、1年で一番大きな舞台がある、貴女の仲間は気にならないの?と思ったが、心中に留めた。
サリーが何を言っても無駄と割り切っていたことを思い出して、無理のない範囲で、従者の気持ちで接することにする。これも就職前の社会勉強だと思おう。就職先にどんな人がいるか、分からないもの。
私が口を開きかけたとき、サリーから電話が来た。ごめんね、じゃあ……と会話を終わらせて背を向け、着信を取る。
『もしもし?今、大丈夫?』
「うん。どうしたの?」
サリーも今日が卒論提出日、幸弘は明後日が期限だそうだが、早紀が気がかりで今日は手に着かなかったろう。
『今、幸弘とうちの大学の近くにいるの。みんなで夕飯行かない?ざっきーも来れるらしいから』
「神崎くんも?」
私は聞き返した。
「いいけど。どこにする?早紀、バテてるから、ゆっくりできるとこがいいと思うよ」
『5人で入れるとこ探しとく。また連絡するよ』
「うん、ありがとう。よろしく」
電話を切って、改めて飲み物を買いに購買へ向かおうと振り返ったとき、ゆかりちゃんが立っていることに気づいてギクリと足を止めた。
ゆかりちゃんの表情は変わらないままだったが、目つきが変わっている。確固とした意思のある目。
「ざっきー先輩たちと、会うんですか?」
さっきの男の子たちはどうしたの、と私が聞く前に、ゆかりちゃんは言った。
「久々に会う先輩だから、もう少し話したいって言って、先に行っててもらいました」
私の背にじわりと嫌な汗がにじむ。
これは……まずいフラグ。
「私も久々に先輩たちとお会いしたいです」
変わらぬ笑顔。
普通、気のおけない友達同士で会おうとしているところに、後輩一人で割り込もうとなんてしないよね。
この子と話していると、時々、自分の価値観が変わっているかと錯覚してしまう。
どうしよう。サリーならどう対処するだろう。
「えーと……」
私は考えたけど、頭が疲れていて妙案が浮かばない。
「サリーに聞いてみるね」
ゆかりちゃんはニッコリ笑って、連絡待ってます、と言った。
私は無駄にエネルギーを使ったように思えて、自分と早紀の飲み物の他、チョコレートを買って学生控室に戻った。
早紀に飲み物を渡し、チョコレート一切れを口にほうり込みながら、ゆかりちゃんに会った概略を話す。
そのとき、また着信が鳴った。他に人がいなかったので、座ったまま出る。
『断りなさい』
開口一番、サリーが言った。私は苦笑する。サリーには、購買を出る前にメッセージを送っておいたのだ。
「そう思ったんだけど……目力に圧されて」
『なに言ってんの。私はみんなでゆっくりしたいの。あの子がいると臨戦体制になっちゃうもの』
それは私もさして変わらない。粗を見せないように無意識に緊張してしまうのだ。
「どう、断れば……」
『ああ、もう。はっきり言っちゃえば。私は神崎くんとつき合うことになったのって』
「こらこら。私の設定を捏造しないでよ」
『……え?あ、ちょっと待って』
向こう側で、サリーが誰かと話しているのが分かるが、何を言っているか聞こえない。
『……会いたいっていうなら、お店の前まで連れて来れば、って。その先ついて来る様子なら考えよう、って』
人の言葉を伝えるようなサリーの言い方に、首を傾げた。幸弘が言いそうにはない。ということはーー
『お店、郵便局の裏手の創作居酒屋。分かるよね?19時半にお店の前集合。早紀にも伝えて』
私は時計を見た。19時を過ぎている。電話を切ると、早紀に伝えて、私はゆかりちゃんにあてるメッセージを作成する。
[19時半に駅前の郵便局の裏手で待ち合わせます。とりあえず、そこでみんなに会えるよ]
その後については敢えて書かずに送り、嘆息した。
「わぁ、ざっきー先輩、スーツ素敵です」
ひと足早く到着していた、ゆかりちゃんのワントーン高い声が耳に響く。
久々に見た神崎くんは、濃紺のスーツに青いネクタイをして、トレンチコートを着ていた。手元には黒革のビジネスバックを持っている。いかにも就活生らしい格好だが、変な初々しさはない。
「今日も就活だったんですか?大変ですね」
可愛らしく首を傾げて、思いやり深げにゆかりちゃんが言う。神崎くんが無反応なので、横から幸弘が答えていた。
「今日は内定先で健康診断だったんだって。もう就活は終わってるよ」
神崎くんの視線が、その場に合流した私と早紀ををとらえた。無感情だったその目が、一瞬揺らいだように見えた。
「久しぶり。寒いねぇ」
雪が降りそうな冷気だった。私はウールのコートの前をかき合わせ、首元にマフラーをくるくる巻きにしている。白と黒の千鳥格子柄のマフラーは、就活で大変活躍してくれた。
ポニーテールはうなじが寒い。髪を下ろせば少し暖かいのだが、静電気で髪が逆立つのが嫌なのだ。
冷たい風が吹いたので、思わず顔をマフラーにうずめて首をぶるりと振った。
「ーー鈴木さん」
ほうけたような声で、神崎くんが言った。
「綺麗な髪だね」
思わず、私の動きが止まる。口元がマフラーに隠れていてよかった。暗くてよかった。そんなことを思っていると、サリーが笑顔で言った。
「よし、揃った。ゆかりん、わざわざ会いに来てくれてありがとう。私たち行くから、また追いコンでね」
鈍感さには鈍感さを。サリーの振る舞いにそれを見て取って、なるほど、と思った。
そんな中でも、神崎くんの視線を感じる。
「人の毛並みがそんなに気になりますか」
私が口元をマフラーにつっこんだまま言うと、神崎くんはようやく自分が視線を送り続けていたことに気づいたらしい。はっとして目線を反らして言った。
「ご、ごめん。つい」
私はゆかりちゃんにじゃあまた、と言ってから、黙ってお店に入るサリーの後について行った。お店は半地下で、階段を下った先にある。他のメンバーも続いた。
コートやジャケットを壁側にかけて席に着くと、サリーがホッと嘆息した。6人がけのテーブルで、自然、女子と男子で向かい合う形になる。
「よかったー、これでまだ食い下がってきたらどうしようかと思った」
「そうだね。俺もホッとした」
神崎くんが言うと、サリーが眉を寄せた。
「勝算あってのことじゃなかったの?」
「いや、だってあの子、常識的な感覚がイマイチ通じないから」
神崎くんが苦笑しながら、ネクタイを緩める。
「あ、それ反則。イケメンは人前でネクタイ緩めるの禁止です。香子、ぼんやり見てないで注意しなさいよ」
確かについぼんやり見ていたので、私は苦笑する。
「なんで。私神崎くんのお母さんじゃないよ」
「お母さんは言っても意味ないの。言うなら彼女でしょ」
ますます苦笑しながら、私が言った。
「なおのこと、言う権利ないじゃない」
会話を無視して、神崎くんがお店の人に声をかけている。
「あっ、こら!」
「え?駄目だった?もう決まってるでしょ?」
「決まってるけど……ぐぬぬ。ざっきー、スルースキルを上げて帰ってきたな」
サリーがぶつくさ言っていたが、お店の人が注文を取りに来たので、飲み物と簡単なつまみをいくつか頼んだ。幸弘と早紀は揃ってホットウーロン茶。私たち3人は生ビール。
「この寒いのによくビール飲む気になるな」
「就活してたら、はまっちゃった」
サリーがジョッキをあおりながら言う。容姿とのギャップが清々しい。
「乾杯はしゅわっとしたいじゃない」
「そういえば、乾杯はビールって、日本ならではだよね」
私の言葉に、神崎くんが思い出したように言った。
「向こうだと違うの?」
「好きなもの頼むかな。多分、コップに注ぎ合う風習があんまりないんだよね」
神崎くんとサリーが話している横で、私はアルコールメニューを見る。たくさんお酒の種類があると、なんとなくウキウキするのは、のんべえの習性だろうか。
「次はあったかいの行こうかな。梅酒のお湯割とか」
私がメニューをくりながら言うと、正面に座った神崎くんが気づいたように目線を上げた。
「あれ?甘いのダメなんじゃなかったっけ」
「よく覚えてたね。でも梅酒は好きなの。おばあちゃんとかお母さんがよく作ってたから」
「ああ、俺のとこもよく作ってた。美味いよね」
神崎くんも同じメニュー表を見ながら言った。
「ホットワインもある。俺、次これにしようかな」
「へぇ、それも美味しそうだね」
話していると、一つのメニュー表を覗き込む私たちを、サリーが生暖かい目で見ていることに気づき、咄嗟に手を引っ込めた。
「あ、ごめんごめん。気にしないで」
サリーが爽やかに笑って言った。
いや、無理でしょ。気になるでしょ。
私がじろりとサリーを見たとき、神崎くんの方から着信音がした。誰からの着信か確認して苦笑している。幸弘がから揚げを口に運びながら言った。
「出れば?」
「うん、ごめんーーHello?」
神崎くんが電話を取りながら立ち上がり、店の外に出ていく。
「え・い・ご!」
「ヘロウ!」
「カッコイー!」
幸弘とサリーが目を見開いてきゃっきゃと喜んだ。その様子がまるで子どものようで、私と早紀が笑う。
「あのまま行ったら寒いよね。持って行ってあげよう」
神崎くんは、店に入ってスーツのジャケットも脱いでいるからシャツだけだ。神崎くんのトレンチコートと、迷った後で、自分のマフラーを持っていく。
店のドアを開けると、階段下の踊り場で、神崎くんが話していた。
流暢な英語。日本語のときより、少し低めのトーンだ。
そういえば、ハリウッドスターとかって、日本の役者よりも声が低い。言語と多少関係があるんだろうか。
思うともなしにそんなことを思いながら、そっとコートを肩にかけた。
神崎くんは驚いて振り返り、私を確認して微笑む。吐き出す息が白い。
「--ありがとう」
丁寧なお礼。
神崎くん、帰って来たんだなぁ。
なぜかしみじみ思いながら、マフラーを持って、どうしようか考えた。神崎くんは電話を持っていない手で前を掻き合わせ、腕を通そうとする気配がない。
電話の向こうから高めの男性の声が聞こえていた。一瞬日本語になったので追及されたようだ、と何となくわかる。まるでキャッチボールするように、投げかけられる言葉に神崎くんが応えていた。
風邪でも引かれたら困る。密着しなければいいかと思って、私は神崎くんの肩からマフラーをかけ、前でくるりと結んだ。いかにも女性用の柄じゃなくてよかった、と勝手に満足してにこりと手を振り、店に入っていく。神崎くんは少し驚いたような顔をして、一瞬相手への応答を忘れたようだった。
少しすると、神崎くんが鼻の頭と耳を赤くしながら戻って来た。5分ほども話していただろうか、身体が冷え切ってしまったようだ。
「すみません、ホットワイン一つお願いします」
私が近くにいた店員さんに声をかけると、神崎くんが苦笑してお礼を言った。
「これも、ありがとう。助かった」
コートをかけて、マフラーを手に、神崎くんが言ったが、私に渡すか躊躇っているようだった。
「どうしたの?」
「いや、なんか変なにおいとかついてないかな。洗って返した方がいいかも」
私が噴き出す。
「真夏じゃあるまいし、神崎くん喫煙者でもないし、大丈夫だよ。むしろ、ごめんね。私ので」
マフラーは顔の近くにつけるものだから、嫌かなとも思ったのだ。
「いや、そんなことない」
ぶんぶんと音がしそうなくらいの勢いで神崎くんが首を振った。私は笑うと、手を伸ばしてマフラーを受け取る。また隣のサリーの視線が生暖かい気がするが、とりあえず無視する。
「友達から?なんかお話好きそうな人だったね」
神崎くんが苦笑した。
「うん。すごいおしゃべりな奴で。こっち帰ってからも、しょっちゅう電話来るんだよね。英会話忘れずに済んでいいんだけど……」
「男?」
「うん」
間髪入れぬサリーの問いに、神崎くんが苦笑と共に返した。
「ほとんど毎回、違う女の子の話なんだよね。ほどほどにしとけよ、って言うんだけど、俺はいつも本気でぶつかっているんだ、とか勝手なこと言ってて」
そう言いながらも、楽しそうだ。楽しい留学になったんだなぁ、と思う。
「素朴な疑問なんですが」
急に思い出したように、幸弘が手を挙げた。
「国内だとモテモテな神崎くんは、世界基準だとどうなんでしょうか」
「おお!それ気になるー!」
サリーが便乗する。神崎くんはまた苦笑した。
「モテてるんだかどうだか知らないよ。向こうは積極的な子が多いから」
「とりあえず誘われないわけではなかったと」
言葉尻から事実を取り上げて、サリーが手にメモするポーズを取る。
「どっちかっていうと、辟易したのは」
店員さんが持ってきたホットワインに口をつけながら、神崎くんは言った。
「男に声かけられることだよね。街歩いてたら最初の日に投げキスとかくらって、やっていけるのかなと思った」
幸弘が噴き出しながら言った。
「襲われなくてよかったな」
「どうやったって敵わないガタイしたのも多いし、ホントそれ思うよね」
ざっきーの勇士に乾杯、と幸弘が神崎くんのワイングラスにウーロン茶入りの自分のグラスを軽くあてた。神崎くんはありがとうと笑って、グラスを手に取った。
会計を済ませて外に出ると、やっぱり冷え込んでいた。寒くてまたマフラーをぐるぐる巻きにする。意識したからか、ふと神崎くんの匂いがした気がした。
「きゃっ、神崎くんの匂いがするー」
「妙なアテレコやめてください」
私の後ろでサリーが高めの声を出すので、低い声で応じた。お酒が入って上機嫌になったサリーがケラケラ笑う。
「やっぱり洗って返そうか?」
申し訳なさそうな神崎くんに、ほんと大丈夫だから、と答えたとき、また冷たい風が吹いた。思わず首をすくめ、口元までマフラーを引き上げる。
「さっむぅ」
神崎くんが咄嗟に口元を押さえて視線をそらした。サリーがそれを見逃さず茶化す。
「お兄さん、もしかして、放課後の小学生みたいなことしてないですよね」
「放課後の小学生?」
早紀が首を傾げると、幸弘が笑った。
「あれだろ、誰もいない教室で、好きな子の席に座ってみる、みたいな」
「そうそう。マフラーに顔すりすりしてみるとか。匂いかいでみるとか」
サリーの言葉に、神崎くんは半眼になった。
「前から思ったけど、サリーちゃん、俺を変態扱いしてない?」
「してない、してない。すべからず人間は変態である、というのが私の持論」
「それって、してるってことでしょ」
神崎くんとサリーの意味のないやりとりを聞きながら、私はぼやいた。
「あー、これで今年も終わりかぁ。就活と卒論に追われた一年だったなぁ」
「うん。でも、来月の旅行楽しみだね」
早紀が微笑んで言う。
卒論の口頭試問が2月末。それまでは、比較的時間が自由になる。サリーと早紀の3人で一週間、ヨーロッパに行く予定なのだ。
「旅行かぁ。温泉行きたいなぁ」
「お、いいね。男同士で行く?」
「早紀ちゃんとはどっかいかないの?」
神崎くんの言葉に、幸弘が照れた。
「え、いや、まだ未定」
「じゃあみんなで行く?国内旅行」
「みんなって、どこまでよ。相ちゃんたちも誘う?」
「それじゃ合宿じゃん」
わいわいと話しながら、駅までの道を5人で歩いた。
あと何回、この駅を使うんだろう。このメンバーで会えるのだろう。
卒論を提出し終わったからか、ふと、そんなセンチメンタルな気分になったのだった。
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