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2章 神崎くんは残念なイケメン
19 大学3年、冬
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私はクリスマスコンサートを最後に、サークルから就活ーー公務員試験への受験勉強に集中することに決めていた。
民間も考えるつもりだったのだけど、公務員試験の膨大な科目数を見て、不器用な私には一本に絞る方が悔いがないのではないかと思い直したのだ。落ちたらそのとき考えることにする。
受験のたびにそういうパターンなので、サリーからは、「出た、香子の背水の陣」と笑われたけれど。
クリスマスコンサートの打ち上げには、4年の白井先輩も来てくれていた。卒論は2日前が提出期限だったらしく、昨日は一日寝ていたそうだ。気分転換も兼ねて、写真を撮りに来たと宣言した通り、コンサートの準備から片付けまで、カメラを手放さずにあっちこっち行き来しているのを見かけた。打ち上げでも時々カメラを構えている。
打ち上げが半ばに差し掛かったところで、不意に私の隣にやって来た。
飲み会となると、大体私は中盤以降、端っこの方に寄って静かに飲む。おやじくさいとか色々言われるのだけど、白井先輩も同類なので、何も言わずに杯を注ぎ合うことがあった。
「いいんですか?ゆいゆいから離れて」
私が言いながら未使用のおちょこを渡すと、先輩は照れたように笑って受け取った。
昨年の春、私たちが3年になる頃、ゆいゆいは先輩に告白した。
先輩は、就活が終わるまで返事は待ってくれ、とのことで、無事内定が出た今秋、文化祭の後で返事をしたそうだ。
不思議と、ゆいゆいが綺麗になっていくので、私は恋の力というものを改めて感じた。
「神崎、今、アメリカだってな」
久々に聞く名前に、私は口元に運んだおちょこを一瞬止める。
先輩はバスパートだから、何かと交流があったのかもしれない。神崎くんのあの静かな空気は、白井先輩のそれと近い感じもした。
「今日の写真、見繕って神崎に送ろうかなと思って」
「あ、いいですね。喜ぶんじゃないですか」
私が言うと、先輩は少しの間の後、聞いてきた。
「何か、伝えておくことあるか?」
「え?」
私は考えてから、不意に押し黙る。
伝えたいこと。アメリカにいる神崎くんに。
「元気でがんばってね、くらいしか」
あまりにありきたりな言伝に、我ながら苦笑した。
白井先輩も苦笑した後、一呼吸おいて、躊躇いながら言った。
「コッコ、たまには自分の好きにしろよ」
私はちょっとびっくりした。白井先輩はあんまり人に干渉するタイプじゃないからだ。先輩は考えながらゆっくり言葉を続けた。
「副部長にコッコを、ってなったとき、うちの代何人か心配したんだ」
「心配……」
「ゆっきーとか、八代とか……俺とか」
私によく声をかけてくれていた先輩たちだ。
「副部長が勤まるかどうか?」
「そうじゃなくて」
白井先輩は言葉を探して一瞬黙った。
「コッコが、与えられた役割をきちんとこなせるやつだってことは、みんな疑問も持たなかったよ。だけど……自分のこと、忘れがちになるというか。自分のために、自分のエネルギーを使う練習も必要だと思う。就活で改めてそう思った」
自分のために、自分のエネルギーを……
言葉を反芻して、首を傾げる。
「なんか、難しいですね。その話」
先輩も、そうだな、と苦笑して、鞄から白い封筒を差し出した。
「これ。一部の女子から文句出そうだったから、直接渡そうと思ってたんだけど」
私は差し出された封筒を受け取った。中には写真が入っているようだ。
「タイミング逃して、ずいぶん時間たってた。ごめんな」
白い封筒は持ち歩いていたからか、まっさらとは言えなかった。
「いえ。見てもいいですか?」
「うん。--割とうまく映せたと思ってる」
先輩はそう言って、おちょこを一気にあおると、私を一人残して席を立った。
中に入った写真は3枚。全部神崎くんと私のツーショットだった。
それは、初めて見る、他人の目を通して見た私たちの姿だった。
一瞬躊躇った後、意を決して写真に目をやる。
一枚目は、練習中のもの。神崎くんと私が真剣な面持ちで楽譜を見つめ、話している。オペラ座の怪人のソロで、息を合わせるために打合せしているときだ、と分かった。
二枚目は、去年のクリスマスコンサートの時だろう。私が誰かに指示を出している姿を、神崎くんが横でーー温かい目で、見守っている。
三枚目はーーこれ、何のときだろう?服装から、3月くらいか。レンガ造りの建物と並木に挟まれた道を、私と神崎くんが、笑いながら歩いている。空はよく晴れて、差し込んだ日差しが綺麗だった。周りに他の部員がいる気配はない。ほとんど盗撮じゃないか、と思ったが、きっと思わずシャッターを押したのだろう。自分で言うのも何だが、それも無理ではないと思うくらい、自然ないい写真だった。
不意に、神崎くんが隣にいるような気がした。静かだけど、温かい。
--なんだ。そんなに、悪くないじゃん。
写真の中に並ぶ二人を見て、自然と口元に笑みが浮かんだ。
帰ろうと駅に向かってサリーと歩き出したとき、さがちゃんから声をかけられた。私たちの横に並びながら、さがちゃんはぺこりと頭を下げる。
「コッコ先輩、サリー先輩。うちの代のこと、相談に乗ってくれてありがとうございました。香奈ちゃんから聞きました」
「ううん、何も。話聞いただけだよ。ね、サリー」
「うん。とりあえず丸く収まってよかったよ」
相談を受けた翌々日の話し合いの結果、ゆかりちゃんはかたち上サークルを休むことになった、と香奈ちゃんから聞いた。
辞めてしまって、お世話になった先輩たちと縁が切れるのは寂しい、と言ったそうだ。遠回しに、追いコンには呼べってことみたいです、と香奈ちゃんも苦笑していた。
おかげで、というべきか、ひとまず2年生の仲も崩壊することなく、クリスマスコンサートを無事終えることができた。また年が明ければ、今の1年生が主体になるので、ひとまずは乗り越えたといえる。
「俺も、ホッとしました」
ふわりと笑う。この笑顔が可愛いんだよなぁ。早紀の笑顔によく似てる、人を和ませる笑顔だ。
「さがちゃんもお疲れさま」
「じゃ、私はきらりんを労って来よう」
私が言うと、サリーが急に振り返って部長のきらりんに突撃していく。急に肩を叩かれて、きらりんは驚いていたけど、嬉しそうに笑っていた。
ーーあれ。もしかして、きらりん、サリーのこと……
「コッコ先輩、公務員志望らしいですね」
「あ、うん、そう」
さがちゃんの声に、はっと我に返る。
「科目たくさんあって、大変。もう受験は懲り懲りって思ったのにね」
苦笑しながら言うと、さがちゃんは力強く言った。
「大丈夫です、コッコ先輩なら、きっと受かります。俺、応援してます」
私は肩の力が抜けるのを感じた。本心から、そう言ってくれているとわかったからだ。
「ありがとう。頑張るよ」
自分のためにエネルギーを使う。
そのために、受験という形での就活を選んだのかも知れない。無意識ではあったけど。
ふとそんなことを思った。
「あの、息抜きが必要なら、いつでも付き合いますから、言ってくださいね」
拳を握ったさがちゃんに、私は笑ってありがとう、と応えた。
その言葉は、もしかしたら、ものすごく勇気を出して言ってくれたのかもしれないーーと気づいたのは、だいぶ後になってからだった。
『新年、明けましておめでとうございます。今日は鎌倉からお伝えしております』
ホットコーヒーを口に含んだとき、テレビから聞こえた声に、ふと目をやった。
母がラジオ代わりにつけている朝のニュース。画面には鎌倉の有名な神社が写っている。
『どんなことをお願いしたんですか?』
『今年受験なので、合格祈願してきました』
『お守りなんかも買ったんですか?』
レポーターと女の子がそんなやり取りをしている。ぼんやりとテレビを見ながら、私は母に声をかけた。
「お母さん、昔、流鏑馬見に鎌倉行ったよね」
「そうだったわね」
母は、お茶を淹れながら言った。
「かっこよかったよね」
「人も多かったけどね」
「うん。でもずっと見てられた記憶がある」
鎌倉。流鏑馬。肌寒い風と差し込む春先の日差し。ーー弓を引く真剣な横顔。
「香子。そういえば、年賀状来てるんじゃないかしら。取ってきて」
「はーい」
「ついでにお父さんとお兄ちゃん起こしてきて」
「それはやだー」
「えー」
玄関に向かいながら私は笑った。外に出ると寒さに首をすくめながらポストを開ける。
中には輪ゴムでくくられた年賀状が入っていた。これを宛名ごとに仕分けるのは、毎年私の役目だ。
それを手に取り、ポストを閉めたとき、中でパサリと音がした。
不思議に思ってもう一度ポストを開けると、中に封筒が入っている。
ーーエアメール。
私はドキッとして、思わず家族に見られてないか振り返った。誰もいない。
ゆっくりと封筒に手を伸ばし、宛名を見る。
--Hayato Kanzaki
神崎くんの字は、とても上手いわけでも、下手なわけでもなかった。普通の字だ。そんなことを思っている自分にちょっとだけ笑う。
アメリカの消印は12月中旬になっていた。ポストのどこかにひっかかっていたのか、それとも手配の関係で遅れたのか、普通それくらい日数がかかるものなのか。
家の中に戻り、リビングで年賀状の仕分けをしてから、一度自分の部屋に戻ると、手紙を開いた。
鮮やかな色のクリスマスカードが入っている。裏面にはメッセージも書いてあった。
メリークリスマス&ハッピーニューイヤー
鈴木さん、クリスマスコンサートの練習はどう?みんなは元気かな。
せっかくアメリカにいるので、クリスマスカードを送ってみました。
今年ももう終わりだね。帰国後またみんなと会えるのを楽しみにしています。
--神崎隼人
思わず、もう一度封筒を見た。日本の消印の時点で、既にクリスマスを過ぎている。
きっと急に思い立ったんだろうな、と私は笑い、特段色気のないメッセージを、もう一度読みなおす。
送別会でサリーが言っていたことを思い出した。
ーーお守りも送ってあげる。香子が。
とりあえず、初詣でのとき考えよう。
今年の初詣では、サリーと行くことになっている。昨年の反省を生かして、三が日を避けることにした。
幸弘と早紀が、みんなで一緒に、と言ったのだが、さすがにそこまで野暮じゃないとサリーがはっきり断ってくれたので、私は正直、助かった。
そう思いながら、私は公務員試験のテキストに手を伸ばした。
公務員試験は、高校までに習ったいわゆる5教科に加え、法律、経済などの科目もある。でも、私が一番苦手なのは数的処理などの、知識よりも頭の回転を試される科目だ。
数独などが好きな子にとっては、パズルゲームみたいなものだ、とのことなのだが、思いきり文系の私にはとにかく疲れるばかりだ。とはいえ、点数の配分が高いので、これを落とすと結構痛い。
やらなければならないのなら仕方ない。積み上がった過去問集の上にぽんと手を載せ、迷ってからクリスマスカードを机の上に立てかけた。
民間も考えるつもりだったのだけど、公務員試験の膨大な科目数を見て、不器用な私には一本に絞る方が悔いがないのではないかと思い直したのだ。落ちたらそのとき考えることにする。
受験のたびにそういうパターンなので、サリーからは、「出た、香子の背水の陣」と笑われたけれど。
クリスマスコンサートの打ち上げには、4年の白井先輩も来てくれていた。卒論は2日前が提出期限だったらしく、昨日は一日寝ていたそうだ。気分転換も兼ねて、写真を撮りに来たと宣言した通り、コンサートの準備から片付けまで、カメラを手放さずにあっちこっち行き来しているのを見かけた。打ち上げでも時々カメラを構えている。
打ち上げが半ばに差し掛かったところで、不意に私の隣にやって来た。
飲み会となると、大体私は中盤以降、端っこの方に寄って静かに飲む。おやじくさいとか色々言われるのだけど、白井先輩も同類なので、何も言わずに杯を注ぎ合うことがあった。
「いいんですか?ゆいゆいから離れて」
私が言いながら未使用のおちょこを渡すと、先輩は照れたように笑って受け取った。
昨年の春、私たちが3年になる頃、ゆいゆいは先輩に告白した。
先輩は、就活が終わるまで返事は待ってくれ、とのことで、無事内定が出た今秋、文化祭の後で返事をしたそうだ。
不思議と、ゆいゆいが綺麗になっていくので、私は恋の力というものを改めて感じた。
「神崎、今、アメリカだってな」
久々に聞く名前に、私は口元に運んだおちょこを一瞬止める。
先輩はバスパートだから、何かと交流があったのかもしれない。神崎くんのあの静かな空気は、白井先輩のそれと近い感じもした。
「今日の写真、見繕って神崎に送ろうかなと思って」
「あ、いいですね。喜ぶんじゃないですか」
私が言うと、先輩は少しの間の後、聞いてきた。
「何か、伝えておくことあるか?」
「え?」
私は考えてから、不意に押し黙る。
伝えたいこと。アメリカにいる神崎くんに。
「元気でがんばってね、くらいしか」
あまりにありきたりな言伝に、我ながら苦笑した。
白井先輩も苦笑した後、一呼吸おいて、躊躇いながら言った。
「コッコ、たまには自分の好きにしろよ」
私はちょっとびっくりした。白井先輩はあんまり人に干渉するタイプじゃないからだ。先輩は考えながらゆっくり言葉を続けた。
「副部長にコッコを、ってなったとき、うちの代何人か心配したんだ」
「心配……」
「ゆっきーとか、八代とか……俺とか」
私によく声をかけてくれていた先輩たちだ。
「副部長が勤まるかどうか?」
「そうじゃなくて」
白井先輩は言葉を探して一瞬黙った。
「コッコが、与えられた役割をきちんとこなせるやつだってことは、みんな疑問も持たなかったよ。だけど……自分のこと、忘れがちになるというか。自分のために、自分のエネルギーを使う練習も必要だと思う。就活で改めてそう思った」
自分のために、自分のエネルギーを……
言葉を反芻して、首を傾げる。
「なんか、難しいですね。その話」
先輩も、そうだな、と苦笑して、鞄から白い封筒を差し出した。
「これ。一部の女子から文句出そうだったから、直接渡そうと思ってたんだけど」
私は差し出された封筒を受け取った。中には写真が入っているようだ。
「タイミング逃して、ずいぶん時間たってた。ごめんな」
白い封筒は持ち歩いていたからか、まっさらとは言えなかった。
「いえ。見てもいいですか?」
「うん。--割とうまく映せたと思ってる」
先輩はそう言って、おちょこを一気にあおると、私を一人残して席を立った。
中に入った写真は3枚。全部神崎くんと私のツーショットだった。
それは、初めて見る、他人の目を通して見た私たちの姿だった。
一瞬躊躇った後、意を決して写真に目をやる。
一枚目は、練習中のもの。神崎くんと私が真剣な面持ちで楽譜を見つめ、話している。オペラ座の怪人のソロで、息を合わせるために打合せしているときだ、と分かった。
二枚目は、去年のクリスマスコンサートの時だろう。私が誰かに指示を出している姿を、神崎くんが横でーー温かい目で、見守っている。
三枚目はーーこれ、何のときだろう?服装から、3月くらいか。レンガ造りの建物と並木に挟まれた道を、私と神崎くんが、笑いながら歩いている。空はよく晴れて、差し込んだ日差しが綺麗だった。周りに他の部員がいる気配はない。ほとんど盗撮じゃないか、と思ったが、きっと思わずシャッターを押したのだろう。自分で言うのも何だが、それも無理ではないと思うくらい、自然ないい写真だった。
不意に、神崎くんが隣にいるような気がした。静かだけど、温かい。
--なんだ。そんなに、悪くないじゃん。
写真の中に並ぶ二人を見て、自然と口元に笑みが浮かんだ。
帰ろうと駅に向かってサリーと歩き出したとき、さがちゃんから声をかけられた。私たちの横に並びながら、さがちゃんはぺこりと頭を下げる。
「コッコ先輩、サリー先輩。うちの代のこと、相談に乗ってくれてありがとうございました。香奈ちゃんから聞きました」
「ううん、何も。話聞いただけだよ。ね、サリー」
「うん。とりあえず丸く収まってよかったよ」
相談を受けた翌々日の話し合いの結果、ゆかりちゃんはかたち上サークルを休むことになった、と香奈ちゃんから聞いた。
辞めてしまって、お世話になった先輩たちと縁が切れるのは寂しい、と言ったそうだ。遠回しに、追いコンには呼べってことみたいです、と香奈ちゃんも苦笑していた。
おかげで、というべきか、ひとまず2年生の仲も崩壊することなく、クリスマスコンサートを無事終えることができた。また年が明ければ、今の1年生が主体になるので、ひとまずは乗り越えたといえる。
「俺も、ホッとしました」
ふわりと笑う。この笑顔が可愛いんだよなぁ。早紀の笑顔によく似てる、人を和ませる笑顔だ。
「さがちゃんもお疲れさま」
「じゃ、私はきらりんを労って来よう」
私が言うと、サリーが急に振り返って部長のきらりんに突撃していく。急に肩を叩かれて、きらりんは驚いていたけど、嬉しそうに笑っていた。
ーーあれ。もしかして、きらりん、サリーのこと……
「コッコ先輩、公務員志望らしいですね」
「あ、うん、そう」
さがちゃんの声に、はっと我に返る。
「科目たくさんあって、大変。もう受験は懲り懲りって思ったのにね」
苦笑しながら言うと、さがちゃんは力強く言った。
「大丈夫です、コッコ先輩なら、きっと受かります。俺、応援してます」
私は肩の力が抜けるのを感じた。本心から、そう言ってくれているとわかったからだ。
「ありがとう。頑張るよ」
自分のためにエネルギーを使う。
そのために、受験という形での就活を選んだのかも知れない。無意識ではあったけど。
ふとそんなことを思った。
「あの、息抜きが必要なら、いつでも付き合いますから、言ってくださいね」
拳を握ったさがちゃんに、私は笑ってありがとう、と応えた。
その言葉は、もしかしたら、ものすごく勇気を出して言ってくれたのかもしれないーーと気づいたのは、だいぶ後になってからだった。
『新年、明けましておめでとうございます。今日は鎌倉からお伝えしております』
ホットコーヒーを口に含んだとき、テレビから聞こえた声に、ふと目をやった。
母がラジオ代わりにつけている朝のニュース。画面には鎌倉の有名な神社が写っている。
『どんなことをお願いしたんですか?』
『今年受験なので、合格祈願してきました』
『お守りなんかも買ったんですか?』
レポーターと女の子がそんなやり取りをしている。ぼんやりとテレビを見ながら、私は母に声をかけた。
「お母さん、昔、流鏑馬見に鎌倉行ったよね」
「そうだったわね」
母は、お茶を淹れながら言った。
「かっこよかったよね」
「人も多かったけどね」
「うん。でもずっと見てられた記憶がある」
鎌倉。流鏑馬。肌寒い風と差し込む春先の日差し。ーー弓を引く真剣な横顔。
「香子。そういえば、年賀状来てるんじゃないかしら。取ってきて」
「はーい」
「ついでにお父さんとお兄ちゃん起こしてきて」
「それはやだー」
「えー」
玄関に向かいながら私は笑った。外に出ると寒さに首をすくめながらポストを開ける。
中には輪ゴムでくくられた年賀状が入っていた。これを宛名ごとに仕分けるのは、毎年私の役目だ。
それを手に取り、ポストを閉めたとき、中でパサリと音がした。
不思議に思ってもう一度ポストを開けると、中に封筒が入っている。
ーーエアメール。
私はドキッとして、思わず家族に見られてないか振り返った。誰もいない。
ゆっくりと封筒に手を伸ばし、宛名を見る。
--Hayato Kanzaki
神崎くんの字は、とても上手いわけでも、下手なわけでもなかった。普通の字だ。そんなことを思っている自分にちょっとだけ笑う。
アメリカの消印は12月中旬になっていた。ポストのどこかにひっかかっていたのか、それとも手配の関係で遅れたのか、普通それくらい日数がかかるものなのか。
家の中に戻り、リビングで年賀状の仕分けをしてから、一度自分の部屋に戻ると、手紙を開いた。
鮮やかな色のクリスマスカードが入っている。裏面にはメッセージも書いてあった。
メリークリスマス&ハッピーニューイヤー
鈴木さん、クリスマスコンサートの練習はどう?みんなは元気かな。
せっかくアメリカにいるので、クリスマスカードを送ってみました。
今年ももう終わりだね。帰国後またみんなと会えるのを楽しみにしています。
--神崎隼人
思わず、もう一度封筒を見た。日本の消印の時点で、既にクリスマスを過ぎている。
きっと急に思い立ったんだろうな、と私は笑い、特段色気のないメッセージを、もう一度読みなおす。
送別会でサリーが言っていたことを思い出した。
ーーお守りも送ってあげる。香子が。
とりあえず、初詣でのとき考えよう。
今年の初詣では、サリーと行くことになっている。昨年の反省を生かして、三が日を避けることにした。
幸弘と早紀が、みんなで一緒に、と言ったのだが、さすがにそこまで野暮じゃないとサリーがはっきり断ってくれたので、私は正直、助かった。
そう思いながら、私は公務員試験のテキストに手を伸ばした。
公務員試験は、高校までに習ったいわゆる5教科に加え、法律、経済などの科目もある。でも、私が一番苦手なのは数的処理などの、知識よりも頭の回転を試される科目だ。
数独などが好きな子にとっては、パズルゲームみたいなものだ、とのことなのだが、思いきり文系の私にはとにかく疲れるばかりだ。とはいえ、点数の配分が高いので、これを落とすと結構痛い。
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