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1章 神崎くんは不思議なイケメン
09 大学2年、9月
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そうして始まった合宿は、例年通り都内の合宿所で行われた。合宿所は本来研修施設で、大小の会議室やホールの他、グラウンドなども兼ね備えており、気分転換のできる小路なども会議棟の裏手にある。
お楽しみとして、一泊目の夜に交流会、二泊目夜に2年を除く学年ごとの出し物、三泊目夜に私たちが企画した肝試しを予定し、肝試しはこの小路を利用することになっていた。
日中はそれなりにサークル活動をすることになっており、午前中は朝食後全員で朝のウォームアップ、発声、その後分かれてパート練習、昼食を挟んで午後は2パートでの合同練習と全体での合唱練習。クールダウン代わりに歌の理解を深めるための参考映像などを見て終了し、1時間ほどの間、夜の企画の準備か、それがない場合は自由時間となる。
初日は半日だけなので、全体での合唱はなく、パート練習後は合宿中のスケジュールを確認するに留まる。
「合宿って、結構ガチなんすねー」
「まあ、観光するなら都内でやらないよ」
幸弘にゆたぽんと命名された佐藤豊くんのぼやきに、相ちゃんが苦笑する。
「でも、都内なら就活中の先輩たちも参加できますもんね」
言って、ニカッと笑う。決して悪い子ではない。頭の回転も。
夜になると、男子1年の部屋でもある大きめの和室で、あれこれ持ってきての宴会だ。
「ざっきー、お疲れ」
元副部長、3年バスの安藤先輩、通称アンドゥ先輩が、神崎くんの肩をたたいて隣に腰掛けた。
「なかなかゆっくり話す機会無かったからさ。今日は隣ゲットしよーと思ってたんだよね」
神崎くんはイオンと話しながら座ったところだったので、自然、イオン、神崎くん、アンドゥ先輩という並びになる。
「ここ、空いてますかぁ」
先輩の正面に来たのは1年のゆかりちゃん。女の子らしいふんわりした髪を肩下まで下ろし、シフォン地のスカートを身につけている。男ウケの良さそうな格好だが、女子大のキャンパスで見かけるときも同じような格好なので、本人の嗜好なのか、そうでないならよほど徹底しているのだろう。
もちろん、と先輩は嬉しそうに言った。
「ざっきーイケメンだよなー」
乾杯して二杯目を飲む頃、アンドゥ先輩に言われて、神崎くんは苦笑した。よく言われるのだろう。謙遜も肯定も相手を刺激するのがわかっている様子だった。
「いいよなぁ。イケメンはそれだけで得するよなぁ」
インターンやっててもさ、やっぱイケメンは重宝がられんのよ。とアンドゥ先輩はビールを煽る。
「あ、ごめんな絡み酒みたいになって。いや、でも羨ましくてさ。ね、ゆかりちゃんもざっきーカッコイイと思うでしょ?仲良くなりたいって思うよね」
向かいに座っていた1年のゆかりちゃんに問う。ゆかりちゃんは困ったような笑顔で神崎くんの方を見た。神崎くんは苦笑する。
「それ、誘導質問ですよ」
「えー、そっかなぁ。でもそうじゃない?」
「先輩だって、イケメンの部類じゃないっすか」
唇を尖らせて横から口を出したのはイオン。小柄な胸を無駄に張って言う。
「世の中のほとんどはフツメンかブスメンすよ。先輩、フツメン以下に喧嘩売ってます」
表情はふて腐れているが、目が笑っているので冗談と分かる。アンドゥ先輩にはバスパートで可愛がってもらっていたので、物言いはずけずけしているが、険悪にならない。
アンドゥ先輩は笑った。
「えー、俺イケメンの部類に入るかな。そう言われると嬉しいなー」
満更でもなさそうに言うと、イオンが同意して、酒を注いだ。
「ぼちぼち動き出しそうね」
私を肘でつついて、えみりんが言った。
「何のこと?」
「ゆかりん」
私が首を傾げると、えみりんは声を潜めて言った。
「コッコ、鈍感なのもいいけど、後悔のないようにね。あの子、それなりに手強そうだから」
私はますます首を傾げながら、ふと言った。
「そういえば、えみりんは神崎くん狙いだと思ってたけど、いいの?」
私の問いに、えみりんは髪を手で払いながら答えた。
「負け戦はしない主義なの」
私は分かるような分からないような気持ちのまま、はあ、と曖昧に頷いた。
合唱は特に問題もなく三日目の夜を迎え、肝試しとなった。
私と相ちゃんは前半脅かす方に周り、歩くのは最後から3組目だ。
脅かすのも、たまたま見かけたイオンたちと組み、挟み撃ちする形でほとんど4人体制だった。イオンたちが脅かすと、まさかもう一組いると思わず、みんな背中が留守になるので、浴衣を羽織って髪を顔前に垂らした私が後ろに立つ。みんななかなかいい反応をしてくれた。
「そろそろ俺らの番だな。行こうか」
相ちゃんに言われて、イオンとさがちゃんも一緒にスタート地点に向かった。二人は最後の組なのだ。
2組ほど見送って、相ちゃんと私の番になる。ケイケイが懐中電灯を相ちゃんに渡して、行ってらっしゃいと手を振った。
「そういえば、相ちゃん。どうして私を指名したの?」
守るとか攻めるとか、なんだかよくわからないことを言っていたのが気になっていた私は、歩きながら、ちょうどいいと思って聞いてみた。
「その後の展開が分かりきってたからかな……」
「その後の展開?」
私は首を傾げる。全然答えになっていない。
「もしかして、さがちゃんが私を指名すると思ったとか?」
さがちゃんが、私をお姉ちゃんみたいに思ってくれているのは一応分かっている。私も弟みたいに思っているけど。
「でも、それならそれでいいんじゃない?」
「そんな単純だったら俺も口出さないよー」
相ちゃんはやたら深々と嘆息する。
「え、全然わかんないんだけど。どういうこと?」
「ほんとに分かってないの?」
頭の中がクエスチョンマークだらけの私に、相ちゃんは呆れ返っている。
「じゃあ、ヒント」
不意に、相ちゃんは足を止めた。私も立ち止まる。
暗闇にそよぐ木々。生暖かい風が頬を撫でていく。私の耳元に口を寄せながら、相ちゃんは急に、懐中電灯の明かりを消した。懐中電灯の明かりに慣れていた目は、瞬間、何も映さなくなる。
そのときーー
ガサガサッドサッ
「どわっ!」
「……いってェ」
「うわっ、大丈夫か!?」
パチン、と慌てた相ちゃんが明かりをつけた。
転んだのか、地面に膝と手をついたままの神崎くんと、それを避けたと分かるような引け腰の幸弘。
人の気配は感じていたけど、二人だったのか、と思ったところで、
「わ、神崎くん、大変」
今までの話も忘れて、私は慌てて駆け寄った。
「顔と肘、血出てるよ。足捻ったりしてない?」
立ち上がろうとする神崎くんの腕に手を添えて助け、
「手は?指は?グーパーできる?」
思わず右手を両手で掬い上げ、指に傷がないか確認する。すらりと長い指。手のひらは多少擦りむいていたが、大きな傷はない。
「……だ、大丈夫だよ」
「ほんとに?」
ほとんど睨みつけるように、私は神崎くんの表情をうかがう。
「えーと、ちょっとやりすぎたかな……」
相ちゃんが頬をかきながら呟いた。
「いや、あれはいくらなんでも過剰反応だと思う」
俺巻き込まれなくてよかった、と幸弘が吐息をついている。
「まあよかったんじゃないの。役得で。さがちゃんには悪いけど」
「二人とも、何ごちゃごちゃ言ってるの。怪我人出しちゃまずいでしよ!こんなお遊びで」
二人を叱りつけると、私は神崎くんの方に向き直った。
「手当てしに行こう。擦り傷と打ち身くらいみたいだけど、消毒しといた方がいいよ」
「えっ……でも」
「とりあえず、俺代わるから、ざっきー手当てしてきなよ。もうあと何組かしかないし」
怪我させたお詫びね、と相ちゃんが両手を合わせて詫びる仕種をして見せた。
「そうしよう。神崎くん、行こう」
「え、あ……うん。ありがとう」
私は神崎くんと一緒に救急箱の置いてある部屋へと歩いた。
傷口を洗い、消毒して、絆創膏を張ると、私はよし、と顔を上げた。
「これで全部済んだかな。地面にガラスとか鋭い石とかなくてよかったね」
「うん。ありがとう」
絆創膏が必要そうなのは、左肘下、左頬、右手のひらで、あとは消毒だけで良さそうだった。
「あー、よかった。大した怪我なくて」
「……ごめんね」
神崎くんは申し訳なさそうに俯いた。身長の高い彼が俯くと、普段は見えない幼さを感じる。
「ううん。神崎くんは悪くないよ。相ちゃんが何を思ったのかわからないけど……悪気はないと思うし」
反射的に頭をぽんぽんしたくなるのを抑えて、私は微笑んだ。
「でも、暗闇苦手なら、早めに言ってくれればよかったのに。びっくりしちゃったよ」
「いや、苦手じゃないよ。あれはそのーー相ちゃんが急にライト消したから……あの、トラブルかなと思って。思わず立ち上がって前に出ようとしたら、前にいたこばやんにひっかかって」
それなら、幸弘が避けた風だったのも納得できる。
「じゃ、先に心配かけたのは私たちか。ごめんね。怪我までさせて」
苦笑いしながら言うと、神崎くんはぶんぶんと首を振った。
それから、ふと自分の右手に手を止める。
「……何で、右手の指、気にしてくれたの」
ちらりと目を上げて、神崎くんが問うたので、私は当然のように言う。
「そりゃ、指傷めたら弓道できなくなると思って」
でも考えてみたら肘も大事だね、と笑うと、神崎くんはきょとんとしてから微笑んだ。
「そっか……うん。ありがとう」
神崎くんの言うありがとうは、とっても丁寧な響きで、最後の母音までしっかり発音しているような感じがする。
不意に、ああ、素敵な人だなと思った。顔立ちが整っているから、逆に気づかれにくいのかもしれない彼の顔つきーーにじみ出る人間性が、とても暖かいものに感じて。
「さてと。そろそろ行きましょうか。きっとみんな神崎くんのこと心配してるよ」
私が椅子から腰を上げると、神崎くんは慌てたように言った。
「あの、それ」
「え?」
「そのーー呼び方が、なんかその」
ちょっと壁を感じるっていうか、その。
言われてみれば、ちょっと他人行儀だったかなと思い直す。知らず知らずに壁を作ってしまっていたのは私の方なのかもしれない。
「じゃあ、ざっきー」
「それはこばやんが呼び始めたやつで……」
「え?ダメ?じゃあ……」
不意に神崎くんの名前が浮かぶ。隼人。続いて、7月までとっていた講義を思い出した。日本における先住民族とその統治。薩摩隼人。
「さつまん」
「はっ?」
おお、まさに目が点。さすがにお遊びが過ぎたか、と思いつつ、ひとしきり笑う。我ながら飛躍したなぁ。でもちょっとツボに入ってしまった。
「そういう神崎くんこそ、私の呼び方他人行儀すぎじゃない。鈴木なんてたくさんいるし、1年生にもいるじゃない」
サリーや幸弘が香子と呼ぶのも、クラスに2人、鈴木がいたからだ。1年生には、鈴木香奈子ちゃん、通称香奈ちゃんがいる。鈴木香子と鈴木香奈子。あまりに似た字面に、私と彼女は二人して驚いてしまったのだったが。
「じゃ、じゃあ……」
神崎くんが意を決したように息を吸う。何でそんなに緊張するの。
「こ、こっ、こっ、こっ……」
「ニワトリ?」
私が笑うと、神崎くんは真っ赤になった。
「ごめんごめん。嘘、嘘。無理しなくていいよ、イメージと合わないと呼びにくいもんね」
きっと神崎くんの中では、そういうイメージじゃないんだろう。
「いや、そうじゃなくて!」
「いいからいいから」
私は笑った。
「ぼちぼち、少しずつでいいじゃない。焦らなくても」
神崎くんがホッとしたような顔をする。
「何でも聞いて。私、一応副部長だし。できる範囲で、色々協力するよ」
脳内によぎったのは、早紀のこと。幸弘とライバルになってしまうけど、神崎くんもちゃんと早紀と向き合ってくれる人だろう。幸弘も大切だけど、私にとっては早紀も大切な、幸せになって欲しい友達だ。彼女を幸せにしてくれる人なら、応援する。
「本当っ?」
神崎くんは嬉しそうに声をあげた。子供のような無邪気な声だ。
「じゃあ、えっとえっとーー」
何か探すように、キョロキョロと辺りを見回し、足元に目を落とす。
「鈴木さん、靴のサイズ、いくつ?」
「……は?」
その日を境に、私の中での神崎くん評は、不思議なイケメンから残念なイケメンへと変わったのだった。
お楽しみとして、一泊目の夜に交流会、二泊目夜に2年を除く学年ごとの出し物、三泊目夜に私たちが企画した肝試しを予定し、肝試しはこの小路を利用することになっていた。
日中はそれなりにサークル活動をすることになっており、午前中は朝食後全員で朝のウォームアップ、発声、その後分かれてパート練習、昼食を挟んで午後は2パートでの合同練習と全体での合唱練習。クールダウン代わりに歌の理解を深めるための参考映像などを見て終了し、1時間ほどの間、夜の企画の準備か、それがない場合は自由時間となる。
初日は半日だけなので、全体での合唱はなく、パート練習後は合宿中のスケジュールを確認するに留まる。
「合宿って、結構ガチなんすねー」
「まあ、観光するなら都内でやらないよ」
幸弘にゆたぽんと命名された佐藤豊くんのぼやきに、相ちゃんが苦笑する。
「でも、都内なら就活中の先輩たちも参加できますもんね」
言って、ニカッと笑う。決して悪い子ではない。頭の回転も。
夜になると、男子1年の部屋でもある大きめの和室で、あれこれ持ってきての宴会だ。
「ざっきー、お疲れ」
元副部長、3年バスの安藤先輩、通称アンドゥ先輩が、神崎くんの肩をたたいて隣に腰掛けた。
「なかなかゆっくり話す機会無かったからさ。今日は隣ゲットしよーと思ってたんだよね」
神崎くんはイオンと話しながら座ったところだったので、自然、イオン、神崎くん、アンドゥ先輩という並びになる。
「ここ、空いてますかぁ」
先輩の正面に来たのは1年のゆかりちゃん。女の子らしいふんわりした髪を肩下まで下ろし、シフォン地のスカートを身につけている。男ウケの良さそうな格好だが、女子大のキャンパスで見かけるときも同じような格好なので、本人の嗜好なのか、そうでないならよほど徹底しているのだろう。
もちろん、と先輩は嬉しそうに言った。
「ざっきーイケメンだよなー」
乾杯して二杯目を飲む頃、アンドゥ先輩に言われて、神崎くんは苦笑した。よく言われるのだろう。謙遜も肯定も相手を刺激するのがわかっている様子だった。
「いいよなぁ。イケメンはそれだけで得するよなぁ」
インターンやっててもさ、やっぱイケメンは重宝がられんのよ。とアンドゥ先輩はビールを煽る。
「あ、ごめんな絡み酒みたいになって。いや、でも羨ましくてさ。ね、ゆかりちゃんもざっきーカッコイイと思うでしょ?仲良くなりたいって思うよね」
向かいに座っていた1年のゆかりちゃんに問う。ゆかりちゃんは困ったような笑顔で神崎くんの方を見た。神崎くんは苦笑する。
「それ、誘導質問ですよ」
「えー、そっかなぁ。でもそうじゃない?」
「先輩だって、イケメンの部類じゃないっすか」
唇を尖らせて横から口を出したのはイオン。小柄な胸を無駄に張って言う。
「世の中のほとんどはフツメンかブスメンすよ。先輩、フツメン以下に喧嘩売ってます」
表情はふて腐れているが、目が笑っているので冗談と分かる。アンドゥ先輩にはバスパートで可愛がってもらっていたので、物言いはずけずけしているが、険悪にならない。
アンドゥ先輩は笑った。
「えー、俺イケメンの部類に入るかな。そう言われると嬉しいなー」
満更でもなさそうに言うと、イオンが同意して、酒を注いだ。
「ぼちぼち動き出しそうね」
私を肘でつついて、えみりんが言った。
「何のこと?」
「ゆかりん」
私が首を傾げると、えみりんは声を潜めて言った。
「コッコ、鈍感なのもいいけど、後悔のないようにね。あの子、それなりに手強そうだから」
私はますます首を傾げながら、ふと言った。
「そういえば、えみりんは神崎くん狙いだと思ってたけど、いいの?」
私の問いに、えみりんは髪を手で払いながら答えた。
「負け戦はしない主義なの」
私は分かるような分からないような気持ちのまま、はあ、と曖昧に頷いた。
合唱は特に問題もなく三日目の夜を迎え、肝試しとなった。
私と相ちゃんは前半脅かす方に周り、歩くのは最後から3組目だ。
脅かすのも、たまたま見かけたイオンたちと組み、挟み撃ちする形でほとんど4人体制だった。イオンたちが脅かすと、まさかもう一組いると思わず、みんな背中が留守になるので、浴衣を羽織って髪を顔前に垂らした私が後ろに立つ。みんななかなかいい反応をしてくれた。
「そろそろ俺らの番だな。行こうか」
相ちゃんに言われて、イオンとさがちゃんも一緒にスタート地点に向かった。二人は最後の組なのだ。
2組ほど見送って、相ちゃんと私の番になる。ケイケイが懐中電灯を相ちゃんに渡して、行ってらっしゃいと手を振った。
「そういえば、相ちゃん。どうして私を指名したの?」
守るとか攻めるとか、なんだかよくわからないことを言っていたのが気になっていた私は、歩きながら、ちょうどいいと思って聞いてみた。
「その後の展開が分かりきってたからかな……」
「その後の展開?」
私は首を傾げる。全然答えになっていない。
「もしかして、さがちゃんが私を指名すると思ったとか?」
さがちゃんが、私をお姉ちゃんみたいに思ってくれているのは一応分かっている。私も弟みたいに思っているけど。
「でも、それならそれでいいんじゃない?」
「そんな単純だったら俺も口出さないよー」
相ちゃんはやたら深々と嘆息する。
「え、全然わかんないんだけど。どういうこと?」
「ほんとに分かってないの?」
頭の中がクエスチョンマークだらけの私に、相ちゃんは呆れ返っている。
「じゃあ、ヒント」
不意に、相ちゃんは足を止めた。私も立ち止まる。
暗闇にそよぐ木々。生暖かい風が頬を撫でていく。私の耳元に口を寄せながら、相ちゃんは急に、懐中電灯の明かりを消した。懐中電灯の明かりに慣れていた目は、瞬間、何も映さなくなる。
そのときーー
ガサガサッドサッ
「どわっ!」
「……いってェ」
「うわっ、大丈夫か!?」
パチン、と慌てた相ちゃんが明かりをつけた。
転んだのか、地面に膝と手をついたままの神崎くんと、それを避けたと分かるような引け腰の幸弘。
人の気配は感じていたけど、二人だったのか、と思ったところで、
「わ、神崎くん、大変」
今までの話も忘れて、私は慌てて駆け寄った。
「顔と肘、血出てるよ。足捻ったりしてない?」
立ち上がろうとする神崎くんの腕に手を添えて助け、
「手は?指は?グーパーできる?」
思わず右手を両手で掬い上げ、指に傷がないか確認する。すらりと長い指。手のひらは多少擦りむいていたが、大きな傷はない。
「……だ、大丈夫だよ」
「ほんとに?」
ほとんど睨みつけるように、私は神崎くんの表情をうかがう。
「えーと、ちょっとやりすぎたかな……」
相ちゃんが頬をかきながら呟いた。
「いや、あれはいくらなんでも過剰反応だと思う」
俺巻き込まれなくてよかった、と幸弘が吐息をついている。
「まあよかったんじゃないの。役得で。さがちゃんには悪いけど」
「二人とも、何ごちゃごちゃ言ってるの。怪我人出しちゃまずいでしよ!こんなお遊びで」
二人を叱りつけると、私は神崎くんの方に向き直った。
「手当てしに行こう。擦り傷と打ち身くらいみたいだけど、消毒しといた方がいいよ」
「えっ……でも」
「とりあえず、俺代わるから、ざっきー手当てしてきなよ。もうあと何組かしかないし」
怪我させたお詫びね、と相ちゃんが両手を合わせて詫びる仕種をして見せた。
「そうしよう。神崎くん、行こう」
「え、あ……うん。ありがとう」
私は神崎くんと一緒に救急箱の置いてある部屋へと歩いた。
傷口を洗い、消毒して、絆創膏を張ると、私はよし、と顔を上げた。
「これで全部済んだかな。地面にガラスとか鋭い石とかなくてよかったね」
「うん。ありがとう」
絆創膏が必要そうなのは、左肘下、左頬、右手のひらで、あとは消毒だけで良さそうだった。
「あー、よかった。大した怪我なくて」
「……ごめんね」
神崎くんは申し訳なさそうに俯いた。身長の高い彼が俯くと、普段は見えない幼さを感じる。
「ううん。神崎くんは悪くないよ。相ちゃんが何を思ったのかわからないけど……悪気はないと思うし」
反射的に頭をぽんぽんしたくなるのを抑えて、私は微笑んだ。
「でも、暗闇苦手なら、早めに言ってくれればよかったのに。びっくりしちゃったよ」
「いや、苦手じゃないよ。あれはそのーー相ちゃんが急にライト消したから……あの、トラブルかなと思って。思わず立ち上がって前に出ようとしたら、前にいたこばやんにひっかかって」
それなら、幸弘が避けた風だったのも納得できる。
「じゃ、先に心配かけたのは私たちか。ごめんね。怪我までさせて」
苦笑いしながら言うと、神崎くんはぶんぶんと首を振った。
それから、ふと自分の右手に手を止める。
「……何で、右手の指、気にしてくれたの」
ちらりと目を上げて、神崎くんが問うたので、私は当然のように言う。
「そりゃ、指傷めたら弓道できなくなると思って」
でも考えてみたら肘も大事だね、と笑うと、神崎くんはきょとんとしてから微笑んだ。
「そっか……うん。ありがとう」
神崎くんの言うありがとうは、とっても丁寧な響きで、最後の母音までしっかり発音しているような感じがする。
不意に、ああ、素敵な人だなと思った。顔立ちが整っているから、逆に気づかれにくいのかもしれない彼の顔つきーーにじみ出る人間性が、とても暖かいものに感じて。
「さてと。そろそろ行きましょうか。きっとみんな神崎くんのこと心配してるよ」
私が椅子から腰を上げると、神崎くんは慌てたように言った。
「あの、それ」
「え?」
「そのーー呼び方が、なんかその」
ちょっと壁を感じるっていうか、その。
言われてみれば、ちょっと他人行儀だったかなと思い直す。知らず知らずに壁を作ってしまっていたのは私の方なのかもしれない。
「じゃあ、ざっきー」
「それはこばやんが呼び始めたやつで……」
「え?ダメ?じゃあ……」
不意に神崎くんの名前が浮かぶ。隼人。続いて、7月までとっていた講義を思い出した。日本における先住民族とその統治。薩摩隼人。
「さつまん」
「はっ?」
おお、まさに目が点。さすがにお遊びが過ぎたか、と思いつつ、ひとしきり笑う。我ながら飛躍したなぁ。でもちょっとツボに入ってしまった。
「そういう神崎くんこそ、私の呼び方他人行儀すぎじゃない。鈴木なんてたくさんいるし、1年生にもいるじゃない」
サリーや幸弘が香子と呼ぶのも、クラスに2人、鈴木がいたからだ。1年生には、鈴木香奈子ちゃん、通称香奈ちゃんがいる。鈴木香子と鈴木香奈子。あまりに似た字面に、私と彼女は二人して驚いてしまったのだったが。
「じゃ、じゃあ……」
神崎くんが意を決したように息を吸う。何でそんなに緊張するの。
「こ、こっ、こっ、こっ……」
「ニワトリ?」
私が笑うと、神崎くんは真っ赤になった。
「ごめんごめん。嘘、嘘。無理しなくていいよ、イメージと合わないと呼びにくいもんね」
きっと神崎くんの中では、そういうイメージじゃないんだろう。
「いや、そうじゃなくて!」
「いいからいいから」
私は笑った。
「ぼちぼち、少しずつでいいじゃない。焦らなくても」
神崎くんがホッとしたような顔をする。
「何でも聞いて。私、一応副部長だし。できる範囲で、色々協力するよ」
脳内によぎったのは、早紀のこと。幸弘とライバルになってしまうけど、神崎くんもちゃんと早紀と向き合ってくれる人だろう。幸弘も大切だけど、私にとっては早紀も大切な、幸せになって欲しい友達だ。彼女を幸せにしてくれる人なら、応援する。
「本当っ?」
神崎くんは嬉しそうに声をあげた。子供のような無邪気な声だ。
「じゃあ、えっとえっとーー」
何か探すように、キョロキョロと辺りを見回し、足元に目を落とす。
「鈴木さん、靴のサイズ、いくつ?」
「……は?」
その日を境に、私の中での神崎くん評は、不思議なイケメンから残念なイケメンへと変わったのだった。
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