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1章 神崎くんは不思議なイケメン
08 大学2年、8月
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「レディースアーンドジェントルメーン!」
そして迎えた8月最後の練習日。練習を終えた19時半から、じゃんけん大会は始まった。張り切って司会を務めるのはケイケイ。正直やかましい。
「おっまたせしましたー!それではお楽しみの!じゃーんけーんたーいかーい!始めるよ!!イテッ」
たっちゃんが後ろ頭をはたいて、ケイケイは恨めしそうにそちらを見た。
「端的に頼む」
「なんだよお前、自分は関係ないからって!」
たっちゃんはサークル外に彼女がいる上、今回皆勤ではないので、この出し物に全く旨味を感じていないのだ。
「負け犬は吠えるな。とにかく進めろ」
ケイケイも実は体調不良のため皆勤を逃していた。だからこそ司会で楽しもうということのようだが。
ちなみに、彼は1年女子の柏原ゆかりちゃんを狙っていたらしい。女子大組の大人しい容姿の子だが、女子から言わせてもらえば、なかなかのやり手と見ている。多分彼女は神崎くん狙いだろうーーとこれはえみりん情報だが。
「では準備はよろしいか!じゃんけんぽん!負けた人は座ってねー!」
ワイワイ騒ぎながら、段々と立っている人が減っていく。私は早々に負けてしまったが、サリーが残っているのを見て安心した。ここぞというとき、サリーはツイてるのだ。
「あれ?残り3組?奇数になるとは想定外」
ケイケイは首を傾げて相ちゃんを見た。
「まあ、いいんじゃない。6人でも」
私が横から口を出す。とにかく早く終わらせてほしい。
他に異議がなかったので、6人が権利を得ることになり、3組のうちの勝者がまず3位まで決めた。
1位はサリー、2位は1年の佐々木充ことみっちゃん、3位は相ちゃん。4位から6位は神崎くん、さがちゃん、ゆいゆい。
「宣言通り、私は早紀をいただきます!」
まるでどこかの怪盗のように、朗々とサリーが言う。男子がえぇー!!と悲鳴を上げたが無視し、サリーはにこやかに早紀の手を取った。早紀もホッとした顔で笑っている。
よかったよかった、これで魔の手にかかることもあるまい。と私がホッとしている間に、みっちゃんがえみりんをご指名し、男子が更に悲鳴を上げた。
「で、相ちゃんはどーすんの!?」
ノってきたケイケイが、筆箱をマイク代わりに差し出しながら問う。相ちゃんは残る3人を見やり、なぜか私を見て、嘆息した。
「……恨むなよ」
誰に言ったのかわからない言葉を呟いて、相ちゃんは静かに言った。
「コッコ」
「えっ?」
指名されると思っていなかった私の声は、他にも何人かの声と重なった気がしたけど、誰のものだったかわからない。神崎くんとさがちゃんも、ポカンと相ちゃんを見ている。
「……相ちゃん。逃げた?」
「逃げというか、守りというか……攻撃は最大の防御というか」
司会のケイケイに答える相ちゃん。
「全然意味わかんないんだけど」
攻撃?守り?何のこっちゃ。
まあでもおかげで八代先輩とペアになる危険からは逃れられる訳だ。そう思うと相ちゃんのご指名はありがたい気がする。
「で、残りのメンバーはどうするのー?ざっきーは?」
「……じゃあ、こばやん」
ほとんど舌打ちしそうなくらいの表情で、吐き捨てるように神崎くんが言った。ほとんどの女子が悲壮な表情をする。ちなみに、ごく一部が喜んでいるが気にしないことにする。女子大の国文学専攻だと、喜ぶ理由もうすうす分かってしまうのが悲しいところだが。
「え、俺そんな嫌そうに指名されるのとか想像してなかった。刺さるぅ」
「俺もまさかお前を指名することになると思ってなかったからおあいこだな」
神崎くんは幸弘相手だと容赦ない。私と話しているときと全然キャラが違う。
続くさがちゃんはイオンをご指名。イオンも女の子と歩けずガッカリしている。二人とも何で男子選ぶの?もったいない。
「私は……白井先輩」
ゆいゆいの言葉に、おぉっとどよめきが起こった。
3年の白井晴馬先輩は、バスパート。あまり目立たず、話すより聞くタイプの穏やかな人だ。写真が趣味で、黙々と一眼レフを構えてメンバーの写真を撮っているイメージもある。写真のことを語りだすと驚くほど多弁になる。
「もしかしてマジなやつ?」
ケイケイが茶化す。
「ゆいゆい。今日このまま女子会決定ね」
きりりとえみりんが告げた。ちゃきがその横できゃあきゃあ言っている。
ワイワイと賑わう中、練習会は終了になった。
帰りの電車が一緒になって、幸弘と話しながら帰ることになった。
高校が一緒なのだから当然といえば当然だが、帰る方向は途中まで一緒だ。ただ、使っている路線がやや違うが。
「残念だったね」
「何が?」
「肝試し、早紀と一緒に歩けなくて」
私の言葉に、幸弘はきょとんとする。
私も首を傾げながら続けた。
「え?だって、好きでしょ」
「誰が?誰を?」
「幸弘が……早紀を」
言葉にした瞬間、つきん、と、胸が痛む。
否定してほしい、と思う自分がどこかにいた。
一方で、もうなるようになってほしい、と思う自分も。
二人の間で、宙ぶらりんの気持ちのまま笑っている辛さから、私を解放してほしい。ーー
一瞬の間の後、幸弘の顔が瞬時に真っ赤になった。
「……え?え?えー?」
あ、混乱してる。
なんだ、今まで気づいてなかったのか、自分の気持ちに。
それなら、私の気持ちになど、到底気づいてはいないだろう。
「早く、告白しちゃいなよ」
私は笑った。大丈夫。この胸の痛みは気づかれてない。そう自分に言い聞かせながら。
「変な奴に手を出されるくらいなら、あんたの方がいい」
早紀には、いつでも笑っていてほしい。
ーー幸弘にも。
「いや、ちょ、っと待って。俺なんかすげぇ混乱してる」
「見れば分かるよ」
どれだけ長い間、あんたを見てたと思ってるの。
心中で呟く。
「私、ここで乗り換えるから。じゃあ、また合宿でね」
私は手を振って駅のホームへ降りると、電車が走り去るまでにこやかに手を振った。
電車を吐き出して、すっからかんになったホームのベンチに、ふらりと座り込む。
夏の夜のべたつく空気が、首元に纏わり付く。
分かってたのに。覚悟してたのに。自分でボタンを押したのに。
きっとサリーは言うだろう。呆れて、嘆息しながら、
「そんな馬鹿正直に。自分の好きな人、譲っちゃうの」
でも、その後で言うんだ。
「まあ、そんな香子だから、放っとけないんだけどね」
ボロボロと、関を切ったように涙が溢れてきた。大丈夫、私は大丈夫。ーー私を大切だと言ってくれる友達がいるから。
「……ごめん」
不意に声が上から降ってきて、私はびくりと身をすくませた。
「……これ、どうぞ」
水色のハンカチと、レモンの香料入りの炭酸飲料。
その先に、気まずそうな顔をした神崎くん。
うわぁ、気まずーい。
私は慌てて、大丈夫と言って自分のかばんからハンカチを取りだし、顔に当てた。普段からそんなにバッチリメイクしてるわけじゃないけど、多分ぐちゃぐちゃだ。
神崎くんは、立ち去るべきか、残るべきか、迷っているようだった。
「一本前の電車に乗ってて、何というか……撒くために一度降りたんだ」
言い訳のような台詞に、私は思わず笑った。撒くって。人気者は大変だなぁ。
「どこなの?自宅は」
「鎌倉なんだ」
「鎌倉?あれ、神奈川県民?私たちと一緒じゃん」
だから幸弘と仲が良いのかな、などと考えて、またツキリと胸が痛む。しまった、結構重症だ。
「……痴漢かなんかにあった?」
腫れ物に触るように、神崎くんが聞いた。幸弘と乗っているのは見えていなかったらしいとホッとする。
「ううん、違うよ。ごめんね、気を使わせて。大丈夫だから」
言いながら、神崎くんが手でもてあそんでいるペットボトルを指差す。
「もらっていい?それ。なんか飲んでスッキリしたい」
「あ、うん、どうぞ」
神崎くんが嬉しそうに差し出したそれを受け取って、蓋を捻る。その瞬間ーー
プシューッ
「うわっ」
「わぁっ」
勢いよく吐き出された炭酸が、神崎くんと私のズボンを濡らした。
「ごめん!俺振っちゃってたかな!?」
「いや、こっちこそごめん。想定外だった」
お互い手に持っていたハンカチもしっかり濡れてしまって、拭くものもない。
「ズボンもハンカチも、汚れちゃったね」
言ってから、私は吹き出した。笑いがこみあげて、収まらなくなる。
神崎くんが困ったように見ているのがまた笑いを誘い、絶え絶えな息で大丈夫、と言うけれど、涙はすっかり笑いによるものに変わってしまった。
「はぁーっ、はぁ、あぁ、苦しい。久しぶりにこんな笑った」
惨めさを感じた自分。自分を慰めていた自分。暗くなった駅のホームで一人、悲恋に酔いしれていた自分。
あまりのらしくなさに、こみあげてきた笑い。
「……にしても、相当振らないとあんなにならないよー」
収まった笑いがまたこみあげてきて、神崎くんの肩をばしばし叩いてしまった。幸弘よりもがっしりした肩。それが弓道によるものだと、今は知っている。
「いや、だって、階段降りてきたら鈴木さんがいたから……」
そういえば、驚いて落としかけたかもしれないと神崎くんが申し訳なさそうに言う。
「いいの、責めてる訳じゃないよ。なんか面白くって。弓道やってるときの神崎くん、全然何にも動じない感じだったから」
言ってから、ふと思い出す。
「鎌倉かぁ。中学のとき、母と行ったきりだなぁ。春先だったっけ。鎌倉の神社で、流鏑馬やるでしょ。あれ見に行ったなぁ。かっこよかった」
私が言うと、神崎くんは嬉しそうな顔をした。
「流鏑馬、気に入ってくれたんだ」
「え?」
私は驚いて神崎くんに視線を向けた。もしかして、動くとか動かないとかって……的じゃなくて自分のこと?
「神崎くん……流鏑馬やってるの?」
「うん、そう。こばやんから聞いてない?」
「聞いてないよー!なんだ、そっかー」
私は驚くと同時に、感心と納得と、とにかく色んな思いが込み上げてきて、はーっと息を吐き出した。神崎くんが流鏑馬ーー馬に乗って、弓矢を射るーー。
「……なんか、卒倒する子が出そうだね」
「卒倒?」
神崎くんはよくわからないとでもいうように、首を傾げた。
そして迎えた8月最後の練習日。練習を終えた19時半から、じゃんけん大会は始まった。張り切って司会を務めるのはケイケイ。正直やかましい。
「おっまたせしましたー!それではお楽しみの!じゃーんけーんたーいかーい!始めるよ!!イテッ」
たっちゃんが後ろ頭をはたいて、ケイケイは恨めしそうにそちらを見た。
「端的に頼む」
「なんだよお前、自分は関係ないからって!」
たっちゃんはサークル外に彼女がいる上、今回皆勤ではないので、この出し物に全く旨味を感じていないのだ。
「負け犬は吠えるな。とにかく進めろ」
ケイケイも実は体調不良のため皆勤を逃していた。だからこそ司会で楽しもうということのようだが。
ちなみに、彼は1年女子の柏原ゆかりちゃんを狙っていたらしい。女子大組の大人しい容姿の子だが、女子から言わせてもらえば、なかなかのやり手と見ている。多分彼女は神崎くん狙いだろうーーとこれはえみりん情報だが。
「では準備はよろしいか!じゃんけんぽん!負けた人は座ってねー!」
ワイワイ騒ぎながら、段々と立っている人が減っていく。私は早々に負けてしまったが、サリーが残っているのを見て安心した。ここぞというとき、サリーはツイてるのだ。
「あれ?残り3組?奇数になるとは想定外」
ケイケイは首を傾げて相ちゃんを見た。
「まあ、いいんじゃない。6人でも」
私が横から口を出す。とにかく早く終わらせてほしい。
他に異議がなかったので、6人が権利を得ることになり、3組のうちの勝者がまず3位まで決めた。
1位はサリー、2位は1年の佐々木充ことみっちゃん、3位は相ちゃん。4位から6位は神崎くん、さがちゃん、ゆいゆい。
「宣言通り、私は早紀をいただきます!」
まるでどこかの怪盗のように、朗々とサリーが言う。男子がえぇー!!と悲鳴を上げたが無視し、サリーはにこやかに早紀の手を取った。早紀もホッとした顔で笑っている。
よかったよかった、これで魔の手にかかることもあるまい。と私がホッとしている間に、みっちゃんがえみりんをご指名し、男子が更に悲鳴を上げた。
「で、相ちゃんはどーすんの!?」
ノってきたケイケイが、筆箱をマイク代わりに差し出しながら問う。相ちゃんは残る3人を見やり、なぜか私を見て、嘆息した。
「……恨むなよ」
誰に言ったのかわからない言葉を呟いて、相ちゃんは静かに言った。
「コッコ」
「えっ?」
指名されると思っていなかった私の声は、他にも何人かの声と重なった気がしたけど、誰のものだったかわからない。神崎くんとさがちゃんも、ポカンと相ちゃんを見ている。
「……相ちゃん。逃げた?」
「逃げというか、守りというか……攻撃は最大の防御というか」
司会のケイケイに答える相ちゃん。
「全然意味わかんないんだけど」
攻撃?守り?何のこっちゃ。
まあでもおかげで八代先輩とペアになる危険からは逃れられる訳だ。そう思うと相ちゃんのご指名はありがたい気がする。
「で、残りのメンバーはどうするのー?ざっきーは?」
「……じゃあ、こばやん」
ほとんど舌打ちしそうなくらいの表情で、吐き捨てるように神崎くんが言った。ほとんどの女子が悲壮な表情をする。ちなみに、ごく一部が喜んでいるが気にしないことにする。女子大の国文学専攻だと、喜ぶ理由もうすうす分かってしまうのが悲しいところだが。
「え、俺そんな嫌そうに指名されるのとか想像してなかった。刺さるぅ」
「俺もまさかお前を指名することになると思ってなかったからおあいこだな」
神崎くんは幸弘相手だと容赦ない。私と話しているときと全然キャラが違う。
続くさがちゃんはイオンをご指名。イオンも女の子と歩けずガッカリしている。二人とも何で男子選ぶの?もったいない。
「私は……白井先輩」
ゆいゆいの言葉に、おぉっとどよめきが起こった。
3年の白井晴馬先輩は、バスパート。あまり目立たず、話すより聞くタイプの穏やかな人だ。写真が趣味で、黙々と一眼レフを構えてメンバーの写真を撮っているイメージもある。写真のことを語りだすと驚くほど多弁になる。
「もしかしてマジなやつ?」
ケイケイが茶化す。
「ゆいゆい。今日このまま女子会決定ね」
きりりとえみりんが告げた。ちゃきがその横できゃあきゃあ言っている。
ワイワイと賑わう中、練習会は終了になった。
帰りの電車が一緒になって、幸弘と話しながら帰ることになった。
高校が一緒なのだから当然といえば当然だが、帰る方向は途中まで一緒だ。ただ、使っている路線がやや違うが。
「残念だったね」
「何が?」
「肝試し、早紀と一緒に歩けなくて」
私の言葉に、幸弘はきょとんとする。
私も首を傾げながら続けた。
「え?だって、好きでしょ」
「誰が?誰を?」
「幸弘が……早紀を」
言葉にした瞬間、つきん、と、胸が痛む。
否定してほしい、と思う自分がどこかにいた。
一方で、もうなるようになってほしい、と思う自分も。
二人の間で、宙ぶらりんの気持ちのまま笑っている辛さから、私を解放してほしい。ーー
一瞬の間の後、幸弘の顔が瞬時に真っ赤になった。
「……え?え?えー?」
あ、混乱してる。
なんだ、今まで気づいてなかったのか、自分の気持ちに。
それなら、私の気持ちになど、到底気づいてはいないだろう。
「早く、告白しちゃいなよ」
私は笑った。大丈夫。この胸の痛みは気づかれてない。そう自分に言い聞かせながら。
「変な奴に手を出されるくらいなら、あんたの方がいい」
早紀には、いつでも笑っていてほしい。
ーー幸弘にも。
「いや、ちょ、っと待って。俺なんかすげぇ混乱してる」
「見れば分かるよ」
どれだけ長い間、あんたを見てたと思ってるの。
心中で呟く。
「私、ここで乗り換えるから。じゃあ、また合宿でね」
私は手を振って駅のホームへ降りると、電車が走り去るまでにこやかに手を振った。
電車を吐き出して、すっからかんになったホームのベンチに、ふらりと座り込む。
夏の夜のべたつく空気が、首元に纏わり付く。
分かってたのに。覚悟してたのに。自分でボタンを押したのに。
きっとサリーは言うだろう。呆れて、嘆息しながら、
「そんな馬鹿正直に。自分の好きな人、譲っちゃうの」
でも、その後で言うんだ。
「まあ、そんな香子だから、放っとけないんだけどね」
ボロボロと、関を切ったように涙が溢れてきた。大丈夫、私は大丈夫。ーー私を大切だと言ってくれる友達がいるから。
「……ごめん」
不意に声が上から降ってきて、私はびくりと身をすくませた。
「……これ、どうぞ」
水色のハンカチと、レモンの香料入りの炭酸飲料。
その先に、気まずそうな顔をした神崎くん。
うわぁ、気まずーい。
私は慌てて、大丈夫と言って自分のかばんからハンカチを取りだし、顔に当てた。普段からそんなにバッチリメイクしてるわけじゃないけど、多分ぐちゃぐちゃだ。
神崎くんは、立ち去るべきか、残るべきか、迷っているようだった。
「一本前の電車に乗ってて、何というか……撒くために一度降りたんだ」
言い訳のような台詞に、私は思わず笑った。撒くって。人気者は大変だなぁ。
「どこなの?自宅は」
「鎌倉なんだ」
「鎌倉?あれ、神奈川県民?私たちと一緒じゃん」
だから幸弘と仲が良いのかな、などと考えて、またツキリと胸が痛む。しまった、結構重症だ。
「……痴漢かなんかにあった?」
腫れ物に触るように、神崎くんが聞いた。幸弘と乗っているのは見えていなかったらしいとホッとする。
「ううん、違うよ。ごめんね、気を使わせて。大丈夫だから」
言いながら、神崎くんが手でもてあそんでいるペットボトルを指差す。
「もらっていい?それ。なんか飲んでスッキリしたい」
「あ、うん、どうぞ」
神崎くんが嬉しそうに差し出したそれを受け取って、蓋を捻る。その瞬間ーー
プシューッ
「うわっ」
「わぁっ」
勢いよく吐き出された炭酸が、神崎くんと私のズボンを濡らした。
「ごめん!俺振っちゃってたかな!?」
「いや、こっちこそごめん。想定外だった」
お互い手に持っていたハンカチもしっかり濡れてしまって、拭くものもない。
「ズボンもハンカチも、汚れちゃったね」
言ってから、私は吹き出した。笑いがこみあげて、収まらなくなる。
神崎くんが困ったように見ているのがまた笑いを誘い、絶え絶えな息で大丈夫、と言うけれど、涙はすっかり笑いによるものに変わってしまった。
「はぁーっ、はぁ、あぁ、苦しい。久しぶりにこんな笑った」
惨めさを感じた自分。自分を慰めていた自分。暗くなった駅のホームで一人、悲恋に酔いしれていた自分。
あまりのらしくなさに、こみあげてきた笑い。
「……にしても、相当振らないとあんなにならないよー」
収まった笑いがまたこみあげてきて、神崎くんの肩をばしばし叩いてしまった。幸弘よりもがっしりした肩。それが弓道によるものだと、今は知っている。
「いや、だって、階段降りてきたら鈴木さんがいたから……」
そういえば、驚いて落としかけたかもしれないと神崎くんが申し訳なさそうに言う。
「いいの、責めてる訳じゃないよ。なんか面白くって。弓道やってるときの神崎くん、全然何にも動じない感じだったから」
言ってから、ふと思い出す。
「鎌倉かぁ。中学のとき、母と行ったきりだなぁ。春先だったっけ。鎌倉の神社で、流鏑馬やるでしょ。あれ見に行ったなぁ。かっこよかった」
私が言うと、神崎くんは嬉しそうな顔をした。
「流鏑馬、気に入ってくれたんだ」
「え?」
私は驚いて神崎くんに視線を向けた。もしかして、動くとか動かないとかって……的じゃなくて自分のこと?
「神崎くん……流鏑馬やってるの?」
「うん、そう。こばやんから聞いてない?」
「聞いてないよー!なんだ、そっかー」
私は驚くと同時に、感心と納得と、とにかく色んな思いが込み上げてきて、はーっと息を吐き出した。神崎くんが流鏑馬ーー馬に乗って、弓矢を射るーー。
「……なんか、卒倒する子が出そうだね」
「卒倒?」
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