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1章 神崎くんは不思議なイケメン
02 大学1年、2月
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2月になると、少し早めの追い出しコンパが開かれた。3月になると内定先でアルバイトしたり、地元に帰る人が出てくるからだ。
次期役付の正式なお披露目の日でもあり、1年で何か余興をするのが慣例になっている。
この際だから、1年ぶりに高校の制服を着て、大学の校歌を歌ってはどうか、ということになり、それぞれ制服持参で部室に集まる。
「神崎くん、カッコイイ!」
黄色い声を挙げたのは、もちろんえみりん始め共学女子。でも、私の横にいたサリーも、思わず見とれていた。
神崎くん本人は苦笑いしている。確かに、高校生みたいだと言われているようで、似合うと言われるのも複雑な心境なのかもしれない。
ごくシンプルな濃紺の詰め襟だったが、背筋が伸びて肩に厚みがある神崎くんの魅力を引き立てていた。ごちゃごちゃしている服よりスッキリしたデザインの方が似合いそうだ。
あの体型だと、スーツも似合いそうだな、等と考えていると、後ろから頭を叩かれる。イテッと呟いて振り返ると、やはり詰め襟姿の幸弘が立っていた。
一瞬、高校生に戻ったような錯覚を覚えてどきりとする。
「見とれてやんの」
ニヤニヤしながら言う幸弘に、私は唇を尖らせて違うと答えた。
私の横で、早紀が口元に手を当ててくすりと笑う。この子はこういう動作もかわいい。
「二人って、きっと、高校でもこんな感じだったのね。想像できちゃった」
そう言う早紀は、私立の中高一貫女子校の制服であるセーラー服だ。
まずい、この子可愛すぎて先輩たちにセクハラされたりしないかしら……などと老婆心を抱いたとき、次期部長たる相ちゃんが嘆息して言った。
「男子はともかく、女子は余興終わったら着替えた方がいいかもね。酒が入ったらどさくさ紛れに何されるか分からないし」
もう一人の人気者、えみりんはチェックのスカートにブレザー。デザインが可愛すぎて、制服には見えない。企画が持ち上がったとき、「ダサかったから捨てちゃった」と言っていた気がしたので、制服ショップで買ったのだろうか。
女としての魅力を引き出す努力を怠らないところは、同じ女子として時々感心する。
私やサリーは、味気ない濃紺のブレザーとプリーツスカート。公立高校の定番だ。ただし、サリーは、当時もよくつけていたリボンを首元に下げていて、私は、あーそんな感じだった、と内心懐かしんでいた。
「じゃ、いっちょ行きますか」
相ちゃんがゆるりと声をかけると、メンバーもへーい、とゆるく応えた。私たちの代は、女子が7人、男子が6人だ。
私もみんなに続いて歩き出したとき、ふと視線を感じて振り返ると、その先には神崎くんがいたーーが、私の前を行く早紀の方を向いている。
もしかして、早紀が気になってサークルに入ったのかな。
そう思えば、入るタイミングなども納得できた。ただ、幸弘にとっては強力なライバルにわざわざチャンスを与えたことになるーーそういうことを気にするタイプではないが。
そんなことを考えながら、私は早紀に続いたのだった。
余興と次期役員の発表を終えると、酒が持ち込まれてのコンパ開催になった。本当はサークル棟での飲酒は禁止されているが、この時期だけは大目に見てもらえる。
とはいえ、20時までしか使えないので、たいがい二次会は居酒屋へ、となるようだ。
制服姿は予想以上に先輩たちを喜ばせーー多分に、神崎くんや幸弘、えみりんや早紀の力だがーー着替えに行くタイミングを逸してしまったので、私は早紀の安全を確保しようと、護衛のつもりで側に座った。
サリーは憧れていた4年の先輩の元へ缶ビール片手に向かっている。
「早紀ちゃんヤバいね!すげーかわいい」
早速近づいて来たのは3年の星野先輩、通称ホッシー先輩。割とお堅めな人が多い我がサークルでは最もチャラいと言われていて、女子とみればまずはアピールしてくる。
早紀は何も言わず、困ったように微笑んだ。
「出身、どこなんだっけ。白雪女子? 制服、そんな可愛いんだ」
「先輩は、どこなんですか、出身」
横から私が口を出す。ホッシー先輩はどこか誇らしげに関東圏にある有名公立高校の名前を出した。
「あ、それって、ちゃきと一緒ですね」
ちゃきとは、田中千晶。1年、アルトパート。共学女子の4人の中にあって、笑い上戸と言われている。話せば割と楽しい子だ。
「え、マジで。知らなかった。ちょっと話してみよ」
ホッシー先輩はそう言うと、缶チューハイをぐいと煽って飲み干し、立ち上がった。
とりあえず女子であればいい人だから、対策としてはこれでよし。
自分の護衛の出来に満足していると、次に来たのは4年の明日葉先輩。2年前の副部長らしく、落ち着いていて頼りがいのある先輩だーー素面であったら。
4年生は、就活と卒論で、ほとんど大学に来ないので、発表会に出る人はいない。それでも、時間を割いて様子を見に来てくれていた先輩の一人だった。
うげっ、と、私は内心思った。この人も早紀狙いだったのか。酒癖があんまりよくないから、歓迎会のときにはある程度の時間が経つと先輩たちで囲ってくれ、1年女子を守ってくれたくらいだったのに。
今回は追い出しコンパ。4年の先輩は主役にあたるから、そう邪険にもできない。合宿で私たちを守ってくれた女子の先輩方は、神崎くんと幸弘、2年で人気のある、弟キャラな八代先輩を囲んで楽しそうに話している。
「早紀ちゃん、可愛いね」
まだ開始30分だというのに、先輩はもう頬が赤くなっていた。酔うと陰気な雰囲気になる人だ。
「何飲んでるの? 烏龍茶? お酒飲まないの?」
言いながら、早紀にカクテルの缶を勧めてくる。未成年だから飲まないというよりは、アルコールがあまり好きでなく、気分が悪くなってしまうたちなのだ。
私は慌てて自分の紙カップを開けると、先輩に差し出した。
「そのカクテル、私大好きなんです!明日葉先輩、くださーいっ」
ちなみに、嘘だ。カクテルはカシスオレンジ。そんなベタ甘なカクテル、全然私の趣味じゃない。
「……俺、早紀ちゃんに飲んでもらいたいんだけど」
「えー、私じゃダメですかー」
キャラじゃないのは承知で、首をかしげて女子ぶってみる。黙殺されたのが分かった。
ああ、この恥ずかしさが報われない悲しさよ。
「私、お酒、気持ち悪くなっちゃうんで。すみません」
早紀が小さな声で謝ると、明日葉先輩はつまらなさげにふんと鼻を鳴らした。
タブも開けず目もやらずに缶を渡され、要らないとも言えず、ありがとーございまーすと喜んだふりでタブを起こす。
面倒くさいので缶ごと煽って一口、うん、甘い。
「酔った早紀ちゃん、見たかったのにな。一緒に飲めるのもこれが最後だろうし」
「えー、寂しいですー、先輩、またアドバイスに来てくださいよー」
「俺、早紀ちゃんと話したいんだけど」
私はアナタと早紀を話させたくないんですけど!と口元まで出かかって飲み込む。
酔っ払いに空気読めって言っても無駄だ。そうは思うけど、どうにか先輩と早紀を引き離す方法を考えなきゃ。
また甘ったるい缶カクテルを煽る。
「早紀ちゃんはさ、彼氏、いるの?」
彼氏もなにも、早紀はほとんど男性恐怖症だ。あんたみたいな男のせいで! と心中で突っ込む。
早紀は曖昧に微笑んで見せた。明日葉先輩の据わった目を怖がっているのがありありと分かる。
「いないんだったら、俺、立候補したいなぁ」
明日葉先輩は懐から名刺を一枚取り出して、早紀の手に渡した。大手出版社の名前が書いてある。そういえば、もうアルバイトとして入っているんだと他の先輩が言っていた気がする。
「え。先輩、就職先そこなんですか?」
名刺に並ぶ先輩の名前を見ながら、私は驚いて言った。
「まあね」
うわぁ。私、その出版社ちょっと考えてたのに。この人いる会社なんて行きたくない。
私がガッカリした顔をしているのも気にせずーーというか目に入っていないのだろうがーー先輩は声を潜めて早紀に言った。
自然、顔が近くなる。
「興味あったら、いつでも連絡ちょうだい。実は俺、議員会館にも親戚いるんだ。早紀ちゃんだったら、自信を持って秘書に推薦するよ」
先輩はバスパート、美声でうたっていた。イケメンなら許されるシチュエーションなのかもしれないが、せっかくの美声が台無しだ、とイライラしながら思う。
おいおい男子、誰か助けに来いよ、マドンナ早紀ちゃんのピンチだぞ。
先輩がゆっくりと、膝上に置いた早紀の手に手を伸ばすのが見えた。マズい。そう思ったとき、
「あっしたっばせんぱーい!就職先、出版社ってマジっすかー!」
かっしゃーん。
底抜けに明るい声とともに、幸弘が勢いよく先輩の手をつかみにきた。私の前においてあったカシスオレンジの缶を倒しながら。
「どぇっちょっ!」
「わぁ、香子ちゃん大変!」
咄嗟に缶を立て直したものの、流れ出た赤橙色の液体で、紺色の制服が甘い香りに包まれる。
「わー、ごめんごめん!」
幸弘が謝って、ふと気づいたように目を輝かせた。
「これぞまさに香る子! 柑橘系の香り!」
「殴られたいのか?」
つかみかからんばかりに私が拳を握ると、幸弘はまた平謝りに誤った。
「ごめんって。クリーニング代もちゃんと出すから。着替えて来いよ。早紀、付き合ってやって」
うん、と早紀は泣きそうな顔で頷いた。私はようやく気づく。
そういうことかーー
「まったく。ちゃんと請求するからね」
私が立ち上がると、早紀も付き添って私の後に続いた。
「ごめんね、香子ちゃん。私がちゃんと、やめてくださいって言えないから……」
着替える為に向かった控え室。水道で濡らしたハンカチで、カクテルに濡れた私の手を拭きながら、早紀は言った。今にも泣きそうだ。
「なんで早紀が謝るの。先輩がやりすぎだよ、いくら早紀が可愛いからって」
「そんなことない」
早紀はぶんぶんと首を振った。その拍子に、涙がぽろりと一粒流れる。
「いつも、香子ちゃんが守ってくれてるの、わかってるから……私、香子ちゃんを見習って、もっとしっかりしなくちゃいけないのに」
言われて、ふと想像した。私と同等にビシバシモノを言う早紀。あまりに不釣り合いで、ぶはっと吹き出す。
「え?どうしたの?」
「いや、いや何でもない」
急に笑い始めた私を、早紀はきょとんとした顔で見ていた。驚いたからか、涙も引いたようだ。
「私みたいになんて、ならないで。早紀は早紀でいてよ。こんなうるさいやつ、私一人で十分だから」
ケラケラ笑いながら私は言うと、タオルありがとう、と言って、着替え始める。
「早紀も着替えよう。私みたいに汚れてもいけないし」
早紀は不思議そうに首をかしげながら、うん、と頷くと、一緒に着替え始めた。
戻ってみると、宴会らしくワイワイと賑わっていた。
きっと幸弘だ、と私は思う。先輩を怒らせることもなく、周りを巻き込んで、明るく流してしまったに違いない。
私たちが戻ってきて、近寄ってきたのは、神崎くんを先輩たちにとられた共学女子一同。えみりん、アルトリーダーの葛山結菜ことゆいゆい、そしてソプラノリーダーの川崎凛ことりんりんだった。
「コッコ、大丈夫?」
「うん、大丈夫」
「災難だったねぇ」
「早紀も、怖かったんじゃない?大丈夫?」
「ありがとう、でも平気。香子ちゃんが庇ってくれたから」
早紀がふわりと微笑む。
ああかわいいなぁ、と私は思った。彼女の笑顔は、つられて表情が和らぐ。
「こばやんが、うまくやってくれたよ。後でお礼言っときな」
「うん、知ってる」
私が言うと、
「そうする」
早紀が頷いた。
そろそろ20時になろうという頃、トイレで席を立った私は、廊下で幸弘を見つけて声をかけようとし、なんだか深刻な雰囲気を見てとってやめた。幸弘の前に立っているのは、こちらに背を向けた神崎くんだった。
「あまりに、ひどいんじゃないか?」
「うーん、まあそう見えるかもしれないけど……本人、いいって思ってんだから」
「そういう問題かよ」
神崎くんの低い声がうなるように言う。周りに聞こえないよう声を潜めているけれど、胸ぐらを掴まんという勢いだ。
その真剣な視線を受け止めてなお、幸弘は余裕ありげに苦笑いしている。
「俺は、君の想いはちゃんと分かったから。本人に話してみたら?」
と、私の方を顎でしゃくる。神崎くんははっと振り返った。
おお、なかなか無駄のない動き。
我ながら、変なところで感心してしまう。
「何のこと? あ、幸弘、さっきはサンキュ。助かった」
「お礼を言われるほどでも。制服、悪かったな」
「いや、どうせもう着る予定もないし。捨てるかなぁ、潔く」
神崎くんはやりとりを聞いて困惑したような表情を浮かべていた。
「で?なんの話してたの?」
私が首をかしげると、神崎くんはそっぽを向いて、何でも、と呟くように言い残し、部屋に戻って行った。
幸弘が、やれやれと肩を竦めている。
「何で言い合ってたの?」
幸弘はへらっと力無い笑顔を浮かべた。
「いや、俺が悪い。後で改めて謝っとくよ」
訳が分からず、私が首を傾げていると、幸弘は私の頭にぽんと手を載せた。
「いつもありがとな、香子」
「……何、酔ってるの?」
照れ隠しで眉を寄せた私に、幸弘の笑い声が応えた。
幸弘が去った後でも、手を置かれた頭の上が何となく暖かく感じて、私は振り払うように頭を振った。
次期役付の正式なお披露目の日でもあり、1年で何か余興をするのが慣例になっている。
この際だから、1年ぶりに高校の制服を着て、大学の校歌を歌ってはどうか、ということになり、それぞれ制服持参で部室に集まる。
「神崎くん、カッコイイ!」
黄色い声を挙げたのは、もちろんえみりん始め共学女子。でも、私の横にいたサリーも、思わず見とれていた。
神崎くん本人は苦笑いしている。確かに、高校生みたいだと言われているようで、似合うと言われるのも複雑な心境なのかもしれない。
ごくシンプルな濃紺の詰め襟だったが、背筋が伸びて肩に厚みがある神崎くんの魅力を引き立てていた。ごちゃごちゃしている服よりスッキリしたデザインの方が似合いそうだ。
あの体型だと、スーツも似合いそうだな、等と考えていると、後ろから頭を叩かれる。イテッと呟いて振り返ると、やはり詰め襟姿の幸弘が立っていた。
一瞬、高校生に戻ったような錯覚を覚えてどきりとする。
「見とれてやんの」
ニヤニヤしながら言う幸弘に、私は唇を尖らせて違うと答えた。
私の横で、早紀が口元に手を当ててくすりと笑う。この子はこういう動作もかわいい。
「二人って、きっと、高校でもこんな感じだったのね。想像できちゃった」
そう言う早紀は、私立の中高一貫女子校の制服であるセーラー服だ。
まずい、この子可愛すぎて先輩たちにセクハラされたりしないかしら……などと老婆心を抱いたとき、次期部長たる相ちゃんが嘆息して言った。
「男子はともかく、女子は余興終わったら着替えた方がいいかもね。酒が入ったらどさくさ紛れに何されるか分からないし」
もう一人の人気者、えみりんはチェックのスカートにブレザー。デザインが可愛すぎて、制服には見えない。企画が持ち上がったとき、「ダサかったから捨てちゃった」と言っていた気がしたので、制服ショップで買ったのだろうか。
女としての魅力を引き出す努力を怠らないところは、同じ女子として時々感心する。
私やサリーは、味気ない濃紺のブレザーとプリーツスカート。公立高校の定番だ。ただし、サリーは、当時もよくつけていたリボンを首元に下げていて、私は、あーそんな感じだった、と内心懐かしんでいた。
「じゃ、いっちょ行きますか」
相ちゃんがゆるりと声をかけると、メンバーもへーい、とゆるく応えた。私たちの代は、女子が7人、男子が6人だ。
私もみんなに続いて歩き出したとき、ふと視線を感じて振り返ると、その先には神崎くんがいたーーが、私の前を行く早紀の方を向いている。
もしかして、早紀が気になってサークルに入ったのかな。
そう思えば、入るタイミングなども納得できた。ただ、幸弘にとっては強力なライバルにわざわざチャンスを与えたことになるーーそういうことを気にするタイプではないが。
そんなことを考えながら、私は早紀に続いたのだった。
余興と次期役員の発表を終えると、酒が持ち込まれてのコンパ開催になった。本当はサークル棟での飲酒は禁止されているが、この時期だけは大目に見てもらえる。
とはいえ、20時までしか使えないので、たいがい二次会は居酒屋へ、となるようだ。
制服姿は予想以上に先輩たちを喜ばせーー多分に、神崎くんや幸弘、えみりんや早紀の力だがーー着替えに行くタイミングを逸してしまったので、私は早紀の安全を確保しようと、護衛のつもりで側に座った。
サリーは憧れていた4年の先輩の元へ缶ビール片手に向かっている。
「早紀ちゃんヤバいね!すげーかわいい」
早速近づいて来たのは3年の星野先輩、通称ホッシー先輩。割とお堅めな人が多い我がサークルでは最もチャラいと言われていて、女子とみればまずはアピールしてくる。
早紀は何も言わず、困ったように微笑んだ。
「出身、どこなんだっけ。白雪女子? 制服、そんな可愛いんだ」
「先輩は、どこなんですか、出身」
横から私が口を出す。ホッシー先輩はどこか誇らしげに関東圏にある有名公立高校の名前を出した。
「あ、それって、ちゃきと一緒ですね」
ちゃきとは、田中千晶。1年、アルトパート。共学女子の4人の中にあって、笑い上戸と言われている。話せば割と楽しい子だ。
「え、マジで。知らなかった。ちょっと話してみよ」
ホッシー先輩はそう言うと、缶チューハイをぐいと煽って飲み干し、立ち上がった。
とりあえず女子であればいい人だから、対策としてはこれでよし。
自分の護衛の出来に満足していると、次に来たのは4年の明日葉先輩。2年前の副部長らしく、落ち着いていて頼りがいのある先輩だーー素面であったら。
4年生は、就活と卒論で、ほとんど大学に来ないので、発表会に出る人はいない。それでも、時間を割いて様子を見に来てくれていた先輩の一人だった。
うげっ、と、私は内心思った。この人も早紀狙いだったのか。酒癖があんまりよくないから、歓迎会のときにはある程度の時間が経つと先輩たちで囲ってくれ、1年女子を守ってくれたくらいだったのに。
今回は追い出しコンパ。4年の先輩は主役にあたるから、そう邪険にもできない。合宿で私たちを守ってくれた女子の先輩方は、神崎くんと幸弘、2年で人気のある、弟キャラな八代先輩を囲んで楽しそうに話している。
「早紀ちゃん、可愛いね」
まだ開始30分だというのに、先輩はもう頬が赤くなっていた。酔うと陰気な雰囲気になる人だ。
「何飲んでるの? 烏龍茶? お酒飲まないの?」
言いながら、早紀にカクテルの缶を勧めてくる。未成年だから飲まないというよりは、アルコールがあまり好きでなく、気分が悪くなってしまうたちなのだ。
私は慌てて自分の紙カップを開けると、先輩に差し出した。
「そのカクテル、私大好きなんです!明日葉先輩、くださーいっ」
ちなみに、嘘だ。カクテルはカシスオレンジ。そんなベタ甘なカクテル、全然私の趣味じゃない。
「……俺、早紀ちゃんに飲んでもらいたいんだけど」
「えー、私じゃダメですかー」
キャラじゃないのは承知で、首をかしげて女子ぶってみる。黙殺されたのが分かった。
ああ、この恥ずかしさが報われない悲しさよ。
「私、お酒、気持ち悪くなっちゃうんで。すみません」
早紀が小さな声で謝ると、明日葉先輩はつまらなさげにふんと鼻を鳴らした。
タブも開けず目もやらずに缶を渡され、要らないとも言えず、ありがとーございまーすと喜んだふりでタブを起こす。
面倒くさいので缶ごと煽って一口、うん、甘い。
「酔った早紀ちゃん、見たかったのにな。一緒に飲めるのもこれが最後だろうし」
「えー、寂しいですー、先輩、またアドバイスに来てくださいよー」
「俺、早紀ちゃんと話したいんだけど」
私はアナタと早紀を話させたくないんですけど!と口元まで出かかって飲み込む。
酔っ払いに空気読めって言っても無駄だ。そうは思うけど、どうにか先輩と早紀を引き離す方法を考えなきゃ。
また甘ったるい缶カクテルを煽る。
「早紀ちゃんはさ、彼氏、いるの?」
彼氏もなにも、早紀はほとんど男性恐怖症だ。あんたみたいな男のせいで! と心中で突っ込む。
早紀は曖昧に微笑んで見せた。明日葉先輩の据わった目を怖がっているのがありありと分かる。
「いないんだったら、俺、立候補したいなぁ」
明日葉先輩は懐から名刺を一枚取り出して、早紀の手に渡した。大手出版社の名前が書いてある。そういえば、もうアルバイトとして入っているんだと他の先輩が言っていた気がする。
「え。先輩、就職先そこなんですか?」
名刺に並ぶ先輩の名前を見ながら、私は驚いて言った。
「まあね」
うわぁ。私、その出版社ちょっと考えてたのに。この人いる会社なんて行きたくない。
私がガッカリした顔をしているのも気にせずーーというか目に入っていないのだろうがーー先輩は声を潜めて早紀に言った。
自然、顔が近くなる。
「興味あったら、いつでも連絡ちょうだい。実は俺、議員会館にも親戚いるんだ。早紀ちゃんだったら、自信を持って秘書に推薦するよ」
先輩はバスパート、美声でうたっていた。イケメンなら許されるシチュエーションなのかもしれないが、せっかくの美声が台無しだ、とイライラしながら思う。
おいおい男子、誰か助けに来いよ、マドンナ早紀ちゃんのピンチだぞ。
先輩がゆっくりと、膝上に置いた早紀の手に手を伸ばすのが見えた。マズい。そう思ったとき、
「あっしたっばせんぱーい!就職先、出版社ってマジっすかー!」
かっしゃーん。
底抜けに明るい声とともに、幸弘が勢いよく先輩の手をつかみにきた。私の前においてあったカシスオレンジの缶を倒しながら。
「どぇっちょっ!」
「わぁ、香子ちゃん大変!」
咄嗟に缶を立て直したものの、流れ出た赤橙色の液体で、紺色の制服が甘い香りに包まれる。
「わー、ごめんごめん!」
幸弘が謝って、ふと気づいたように目を輝かせた。
「これぞまさに香る子! 柑橘系の香り!」
「殴られたいのか?」
つかみかからんばかりに私が拳を握ると、幸弘はまた平謝りに誤った。
「ごめんって。クリーニング代もちゃんと出すから。着替えて来いよ。早紀、付き合ってやって」
うん、と早紀は泣きそうな顔で頷いた。私はようやく気づく。
そういうことかーー
「まったく。ちゃんと請求するからね」
私が立ち上がると、早紀も付き添って私の後に続いた。
「ごめんね、香子ちゃん。私がちゃんと、やめてくださいって言えないから……」
着替える為に向かった控え室。水道で濡らしたハンカチで、カクテルに濡れた私の手を拭きながら、早紀は言った。今にも泣きそうだ。
「なんで早紀が謝るの。先輩がやりすぎだよ、いくら早紀が可愛いからって」
「そんなことない」
早紀はぶんぶんと首を振った。その拍子に、涙がぽろりと一粒流れる。
「いつも、香子ちゃんが守ってくれてるの、わかってるから……私、香子ちゃんを見習って、もっとしっかりしなくちゃいけないのに」
言われて、ふと想像した。私と同等にビシバシモノを言う早紀。あまりに不釣り合いで、ぶはっと吹き出す。
「え?どうしたの?」
「いや、いや何でもない」
急に笑い始めた私を、早紀はきょとんとした顔で見ていた。驚いたからか、涙も引いたようだ。
「私みたいになんて、ならないで。早紀は早紀でいてよ。こんなうるさいやつ、私一人で十分だから」
ケラケラ笑いながら私は言うと、タオルありがとう、と言って、着替え始める。
「早紀も着替えよう。私みたいに汚れてもいけないし」
早紀は不思議そうに首をかしげながら、うん、と頷くと、一緒に着替え始めた。
戻ってみると、宴会らしくワイワイと賑わっていた。
きっと幸弘だ、と私は思う。先輩を怒らせることもなく、周りを巻き込んで、明るく流してしまったに違いない。
私たちが戻ってきて、近寄ってきたのは、神崎くんを先輩たちにとられた共学女子一同。えみりん、アルトリーダーの葛山結菜ことゆいゆい、そしてソプラノリーダーの川崎凛ことりんりんだった。
「コッコ、大丈夫?」
「うん、大丈夫」
「災難だったねぇ」
「早紀も、怖かったんじゃない?大丈夫?」
「ありがとう、でも平気。香子ちゃんが庇ってくれたから」
早紀がふわりと微笑む。
ああかわいいなぁ、と私は思った。彼女の笑顔は、つられて表情が和らぐ。
「こばやんが、うまくやってくれたよ。後でお礼言っときな」
「うん、知ってる」
私が言うと、
「そうする」
早紀が頷いた。
そろそろ20時になろうという頃、トイレで席を立った私は、廊下で幸弘を見つけて声をかけようとし、なんだか深刻な雰囲気を見てとってやめた。幸弘の前に立っているのは、こちらに背を向けた神崎くんだった。
「あまりに、ひどいんじゃないか?」
「うーん、まあそう見えるかもしれないけど……本人、いいって思ってんだから」
「そういう問題かよ」
神崎くんの低い声がうなるように言う。周りに聞こえないよう声を潜めているけれど、胸ぐらを掴まんという勢いだ。
その真剣な視線を受け止めてなお、幸弘は余裕ありげに苦笑いしている。
「俺は、君の想いはちゃんと分かったから。本人に話してみたら?」
と、私の方を顎でしゃくる。神崎くんははっと振り返った。
おお、なかなか無駄のない動き。
我ながら、変なところで感心してしまう。
「何のこと? あ、幸弘、さっきはサンキュ。助かった」
「お礼を言われるほどでも。制服、悪かったな」
「いや、どうせもう着る予定もないし。捨てるかなぁ、潔く」
神崎くんはやりとりを聞いて困惑したような表情を浮かべていた。
「で?なんの話してたの?」
私が首をかしげると、神崎くんはそっぽを向いて、何でも、と呟くように言い残し、部屋に戻って行った。
幸弘が、やれやれと肩を竦めている。
「何で言い合ってたの?」
幸弘はへらっと力無い笑顔を浮かべた。
「いや、俺が悪い。後で改めて謝っとくよ」
訳が分からず、私が首を傾げていると、幸弘は私の頭にぽんと手を載せた。
「いつもありがとな、香子」
「……何、酔ってるの?」
照れ隠しで眉を寄せた私に、幸弘の笑い声が応えた。
幸弘が去った後でも、手を置かれた頭の上が何となく暖かく感じて、私は振り払うように頭を振った。
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