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ビールを飲みながら、二人でメニューを眺めた。
「これうまそう」「先輩、食べられないものあります?」と機嫌良く僕に笑いかけてくれる姿は相変わらず如才なくて、少しずつ緊張がほぐれていく。
品名を示しながらあれこれコメントする彼を、微笑ましく見ていたら、「あ」と猫目が僕を見上げた。
「すみません、ひとりで盛り上がって。うるさかったら言ってくださいね。妹にもよく言われるんで」
「妹さんに?」
「そう。健人兄は飲んでも飲まなくてもテンションが変わらない、普通そんなノリついて行けないって。妹は手加減ないっすよね」
困ったように笑いながらも、その表情は家族への愛情を感じさせる。
彼のそつのなさには性分的な面倒見のよさもあるけれど、妹がいるからこそでもあるのかもしれない。
「妹さんもうちの学校だったんだっけ? 俺は会ってないけど」
「そうすね。俺より二つ下なんで」
僕と入れ替わりに入学してきたらしい。とは、卒業後、空手部の後輩と会ったときに聞いたのだった。
「残念だな。知ってたら見に行ったのに」
「あー、やめた方がいいっすよ。あいつそういうのすごい嫌がるんで」
「え、そうなの? 自慢のお兄さんなのかと思ってた」
そうじゃなくて、わざわざ同じ高校を選ぶ理由も思い浮かばなかったのだが、橘くんは苦笑していた。
「うちの学校受けたのも、俺が挑発したからなんですよ。負けず嫌いっていうか。やるとなったら徹底してやるんですけど、結構チキンなとこあって。高校も無難なとこ選びそうだったんで、こりゃ少しはハッパかけてやんないとなーって」
「ああ、なるほど」
肩をすくめる橘くんに、僕は笑った。
「てことは、やっぱり、いいお兄さんなんだ」
「どうですかねぇ」
照れくさそうに笑って、橘くんは店員を呼んだ。数品、料理を注文すると、「先輩はいいんですか?」と僕を見てくる。僕はうなずいて、店員が下がっていった。
「遠慮しないでくださいね。何でもいいっていうから和食にしたけど」
「いや、ほんと大丈夫だから」
僕は笑いながら応じる。
「俺が食べたいもの、全部橘くんが注文してくれたよ。だから大丈夫」
彼のことだ、メニューを眺めながら話している間、僕の反応でだいたい検討をつけたのだろう。真似しようと思っても真似できない芸当だ。
「食べたいものがあったらちゃんと言うよ」
「うん、そうしてください」
「ふふ。橘くんって、営業とか、向いてそうだよね」
「あー、それめちゃくちゃ言われました」
「公務員なんて、それこそ無難な選択だね」
言ってしまってから、僕は慌てた。これでは言い方に語弊がある。
「あ、いや。悪い意味じゃなくて。橘くんが選びそうにないなって思っただけで。なんかこう……商社マンとか、アドバイザーとか、そういうの向いてそうだから」
都内の区役所勤めをしているらしい、と聞いたときには驚いたものだ。彼のアクティブさと役所の鈍重さが結びつかなくて。
「ある意味公務員って、それらぜーんぶ兼ね備えた仕事なんですよね。ちょいちょい異動もあるから、飽き性の俺にはちょうどいいです」
橘くんは言いながら、ビールをあおった。僕は思わず首を傾げる。
「……飽き性だっけ?」
はっと、橘くんの手が止まった。僕は変なことを言ったかなと自省しながら、これまた悪い意味じゃないと示すつもりで微笑む。
「橘くんって、凝り性で、なんていうか……一途なイメージあるけど」
高校時代、運動でも勉強でもトップクラスだった橘くんには、他の部活からもあれこれお誘いがあった。それでもまったくよそ見せず、柔道だけをやっていた。
女子受けがいいから、女遊びをしているはず、と思われていたこともあったが、少なくとも彼女がいるという話も、女子と二人で出かけた話も聞かなかった。あれだけ目立っていた橘くんが、そうした類いの噂もなく過ごしていたということは、おそらく本当に火種になるような事柄がなかったんだろうと思う。
橘くんは僕の言葉に、妙な顔をして口を開きかけ、息を吸って目を泳がせた。
その頬が……少しだけ、赤いような気がする。
「……一途って。初めて言われましたよ」
笑う声は取り繕うように乾いていて、僕は思わず自分の手元に視線を落とした。不愉快ではないのにどこか気まずい沈黙が机に落ちて、互いに黙ってビールをすする。
そのとき、店員がつまみを持ってやって来た。
「お待たせしました、枝豆とイカの塩辛です」
「ああ、ありがとう」
顔を上げた橘くんはいつもの笑顔を店員に向けて、机に並べた料理を僕に指し示した。
「食べましょ。この店、旨いっすよ」
微笑み返しながら、僕はちょっとだけ気になった。
彼はこの店に、誰と一緒に来たのかな。
「これうまそう」「先輩、食べられないものあります?」と機嫌良く僕に笑いかけてくれる姿は相変わらず如才なくて、少しずつ緊張がほぐれていく。
品名を示しながらあれこれコメントする彼を、微笑ましく見ていたら、「あ」と猫目が僕を見上げた。
「すみません、ひとりで盛り上がって。うるさかったら言ってくださいね。妹にもよく言われるんで」
「妹さんに?」
「そう。健人兄は飲んでも飲まなくてもテンションが変わらない、普通そんなノリついて行けないって。妹は手加減ないっすよね」
困ったように笑いながらも、その表情は家族への愛情を感じさせる。
彼のそつのなさには性分的な面倒見のよさもあるけれど、妹がいるからこそでもあるのかもしれない。
「妹さんもうちの学校だったんだっけ? 俺は会ってないけど」
「そうすね。俺より二つ下なんで」
僕と入れ替わりに入学してきたらしい。とは、卒業後、空手部の後輩と会ったときに聞いたのだった。
「残念だな。知ってたら見に行ったのに」
「あー、やめた方がいいっすよ。あいつそういうのすごい嫌がるんで」
「え、そうなの? 自慢のお兄さんなのかと思ってた」
そうじゃなくて、わざわざ同じ高校を選ぶ理由も思い浮かばなかったのだが、橘くんは苦笑していた。
「うちの学校受けたのも、俺が挑発したからなんですよ。負けず嫌いっていうか。やるとなったら徹底してやるんですけど、結構チキンなとこあって。高校も無難なとこ選びそうだったんで、こりゃ少しはハッパかけてやんないとなーって」
「ああ、なるほど」
肩をすくめる橘くんに、僕は笑った。
「てことは、やっぱり、いいお兄さんなんだ」
「どうですかねぇ」
照れくさそうに笑って、橘くんは店員を呼んだ。数品、料理を注文すると、「先輩はいいんですか?」と僕を見てくる。僕はうなずいて、店員が下がっていった。
「遠慮しないでくださいね。何でもいいっていうから和食にしたけど」
「いや、ほんと大丈夫だから」
僕は笑いながら応じる。
「俺が食べたいもの、全部橘くんが注文してくれたよ。だから大丈夫」
彼のことだ、メニューを眺めながら話している間、僕の反応でだいたい検討をつけたのだろう。真似しようと思っても真似できない芸当だ。
「食べたいものがあったらちゃんと言うよ」
「うん、そうしてください」
「ふふ。橘くんって、営業とか、向いてそうだよね」
「あー、それめちゃくちゃ言われました」
「公務員なんて、それこそ無難な選択だね」
言ってしまってから、僕は慌てた。これでは言い方に語弊がある。
「あ、いや。悪い意味じゃなくて。橘くんが選びそうにないなって思っただけで。なんかこう……商社マンとか、アドバイザーとか、そういうの向いてそうだから」
都内の区役所勤めをしているらしい、と聞いたときには驚いたものだ。彼のアクティブさと役所の鈍重さが結びつかなくて。
「ある意味公務員って、それらぜーんぶ兼ね備えた仕事なんですよね。ちょいちょい異動もあるから、飽き性の俺にはちょうどいいです」
橘くんは言いながら、ビールをあおった。僕は思わず首を傾げる。
「……飽き性だっけ?」
はっと、橘くんの手が止まった。僕は変なことを言ったかなと自省しながら、これまた悪い意味じゃないと示すつもりで微笑む。
「橘くんって、凝り性で、なんていうか……一途なイメージあるけど」
高校時代、運動でも勉強でもトップクラスだった橘くんには、他の部活からもあれこれお誘いがあった。それでもまったくよそ見せず、柔道だけをやっていた。
女子受けがいいから、女遊びをしているはず、と思われていたこともあったが、少なくとも彼女がいるという話も、女子と二人で出かけた話も聞かなかった。あれだけ目立っていた橘くんが、そうした類いの噂もなく過ごしていたということは、おそらく本当に火種になるような事柄がなかったんだろうと思う。
橘くんは僕の言葉に、妙な顔をして口を開きかけ、息を吸って目を泳がせた。
その頬が……少しだけ、赤いような気がする。
「……一途って。初めて言われましたよ」
笑う声は取り繕うように乾いていて、僕は思わず自分の手元に視線を落とした。不愉快ではないのにどこか気まずい沈黙が机に落ちて、互いに黙ってビールをすする。
そのとき、店員がつまみを持ってやって来た。
「お待たせしました、枝豆とイカの塩辛です」
「ああ、ありがとう」
顔を上げた橘くんはいつもの笑顔を店員に向けて、机に並べた料理を僕に指し示した。
「食べましょ。この店、旨いっすよ」
微笑み返しながら、僕はちょっとだけ気になった。
彼はこの店に、誰と一緒に来たのかな。
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