1 / 14
.00
しおりを挟む
9月11日19時30分、都内某駅の改札前。
僕は、彼と会う約束をしている。
どうして今さら彼に会うことにしたのか、僕自身にもよく分からない。新しい生活への船出を前にして、悩んでいるつもりはないけれど、どこか心細さを感じているのかもしれない。
それにしたってなぜ、今さら。
本当に今さらだ。
彼と最後に会ったのは、かれこれ十年は前になる。
……その上、さして話したこともないのに。
何かの会話のはずみで、同級生から彼の噂を聞いた。するといてもたってもいられなくなって、適当な嘘を交えながら連絡先を辿り、散々悩んだ挙げ句、思いきってメッセージを送った。
受け取った彼は、どんな顔でそれを見たのだろう。首を傾げたかもしれない。少なくとも、なぜ今さら、とは思っただろう。
そう思うけれど、別段嫌がる風もなく、こうして今日、僕と会おうとしてくれている。
夏の終わりを告げる夕風が、ふわりと僕の髪を撫でていく。
十年。そうか、あれからもう、十年も経つのか。
あらためてそう気づいた。
学年も部活も違う彼と僕に、共有できる思い出の品は何もない。僕の卒業アルバムをいくらめくってみても、彼は登場しない。たぶん彼の卒業アルバムをめくっても、僕は写っていないだろう。
在学時には誰よりも人目を引いた彼が、校内風景に全く含まれないのは、一種の情報操作のようにも思えた。
そういう滑稽さを、この世の中はあらゆるところで孕んでいる――社会に出て、少し世間に揉まれた今や、僕もそう知っている。
改札口の上に吊るされたアナログ時計の針がカチリと触れた。
もうすぐ、彼が着く。
不意に、不安と困惑が膨れ上がった。
うつむくように、着慣れたスーツを見下ろした。就職後、初めて自分のお金で買ったスーツ。二年ほど着ていて身体に馴染んではいるけれど、くたびれたようには見えないだろうか。
それに、と頭がぐるぐる動き出す。
今日は思いの外いい天気だったから、昼に汗をかいてしまった。ワイシャツには汗が染み込んでいるだろう。
臭いかもしれないから、ジャケットは脱がないようにしよう。
うつむいたまま、眉を寄せる。
そもそも……彼には僕が分かるだろうか。互いに、写真だって、一枚も持っていないのだ。
僕は彼を目にしたらすぐ分かる自信があるけれど、それは彼が、どこにいても人目を引く男だと分かっているからだ。実際、彼にばったり会ったと話してくれた同級生は「昔と変わらなかった、むしろ昔よりも目立つ男になってた」と言っていたくらいだし。
一方の僕は、ひたすらに平凡だった。当時も今も変わらず、顔立ち、体格、その他に至るまで平凡だ。他人の印象に残るようなところは何もない。
なにか目印でも持ってくるべきだったか。思わずビジネスバッグの中を探る。以前、妹がウェブ上での知り合いと初めて会うとき、赤いハンカチを鞄に巻いて目印にしたと聞いたのを思い出したけれど、当然この土壇場で、そんな気の効いたものは持ち合わせていない。
電車が着いたらしい。閑散としていた改札に、わらわらと人波が押し寄せる。
――来るだろうか、彼は。
ごくりと、喉が鳴った。
待ち合わせ時間まではまだある。次の電車かもしれない。心臓が高鳴る。そういえば、僕は今日、彼と初めて二人で出かけるのだ。――馬鹿だな、今さら僕は、ほんとうにいったい何を――
やや混乱気味の思考が、改札から出てきたその姿を目にした瞬間、真っ白に消え去った。
彼が一歩一歩近づいてくるたび、僕の奥深くにあった淡い記憶が鮮やかによみがえる――騒がしくなる胸の鼓動と共に。
「――お久しぶりです」
う、わ。
確かに、彼は変わらなかった。いや、友人の言ったように、昔以上にいい男になっていた。
あつらえたように身体に合ったスーツ。昔よりも長くなった髪はこざっぱりと整えられ、顔には爽やかな笑みが浮かんでいる。
耳障りのいい挨拶に、僕は動転しながらも口を開いた。
「ひ、久しぶり」
僕の声のうわずりに気づいたのか、彼は声を出さずに笑った。細められた目がひどく優しくて、それが記憶に残った貴重な笑顔とリンクする。
美化されているだけかもしれないと思ったその顔は、寸分変わらず――いや、記憶以上に華やかで。
「先輩、変わんないっすね」
そう言う口調は少年のようだ。
僕の緊張を察して、あえてざっくばらんにしてくれたらしかった。
僕はあらためて、唾を飲み込む。
「そっちは……一回り小さくなったね」
切り返すと、今度は笑い声が返ってきた。
僕はそこでようやく、彼をまっすぐ見返せた。
彼も僕に会うことを楽しみにしてくれていたのだ――笑い声から、そう分かったからだ。
「でも……スーツ、似合うよ」
ふわりと浮き立った気持ちで、素直な賛辞を口にする。
お世辞じゃなくて本音だ。けれど、彼はまた剽軽めかして肩を上げた。
「まあ俺、何着ても似合うんで」
「確かにね」
否定せずにうなずくと、また耳障りのいい笑い声が返ってくる。さわさわと落ち着かないような感覚と、このままここに留まりたいような居心地のよさ。
ああそうだ、と思い出す。
彼は、確かに人目を引く容姿をしている。――けれど、それだけじゃなくて。
「行きましょうか」
僕が頷くと、彼が歩き出す。一回り筋肉の落ちた、けれどスーツの似合う肩を、斜め後ろから眺める。道を歩きながらときどき彼は振り返って僕を見、微笑んではまた前を向いた。
十年の時を経た今も、僕は彼を、当時と同じように恍惚とした表情で見ている。
そんな自分を、自覚していた。
僕は、彼と会う約束をしている。
どうして今さら彼に会うことにしたのか、僕自身にもよく分からない。新しい生活への船出を前にして、悩んでいるつもりはないけれど、どこか心細さを感じているのかもしれない。
それにしたってなぜ、今さら。
本当に今さらだ。
彼と最後に会ったのは、かれこれ十年は前になる。
……その上、さして話したこともないのに。
何かの会話のはずみで、同級生から彼の噂を聞いた。するといてもたってもいられなくなって、適当な嘘を交えながら連絡先を辿り、散々悩んだ挙げ句、思いきってメッセージを送った。
受け取った彼は、どんな顔でそれを見たのだろう。首を傾げたかもしれない。少なくとも、なぜ今さら、とは思っただろう。
そう思うけれど、別段嫌がる風もなく、こうして今日、僕と会おうとしてくれている。
夏の終わりを告げる夕風が、ふわりと僕の髪を撫でていく。
十年。そうか、あれからもう、十年も経つのか。
あらためてそう気づいた。
学年も部活も違う彼と僕に、共有できる思い出の品は何もない。僕の卒業アルバムをいくらめくってみても、彼は登場しない。たぶん彼の卒業アルバムをめくっても、僕は写っていないだろう。
在学時には誰よりも人目を引いた彼が、校内風景に全く含まれないのは、一種の情報操作のようにも思えた。
そういう滑稽さを、この世の中はあらゆるところで孕んでいる――社会に出て、少し世間に揉まれた今や、僕もそう知っている。
改札口の上に吊るされたアナログ時計の針がカチリと触れた。
もうすぐ、彼が着く。
不意に、不安と困惑が膨れ上がった。
うつむくように、着慣れたスーツを見下ろした。就職後、初めて自分のお金で買ったスーツ。二年ほど着ていて身体に馴染んではいるけれど、くたびれたようには見えないだろうか。
それに、と頭がぐるぐる動き出す。
今日は思いの外いい天気だったから、昼に汗をかいてしまった。ワイシャツには汗が染み込んでいるだろう。
臭いかもしれないから、ジャケットは脱がないようにしよう。
うつむいたまま、眉を寄せる。
そもそも……彼には僕が分かるだろうか。互いに、写真だって、一枚も持っていないのだ。
僕は彼を目にしたらすぐ分かる自信があるけれど、それは彼が、どこにいても人目を引く男だと分かっているからだ。実際、彼にばったり会ったと話してくれた同級生は「昔と変わらなかった、むしろ昔よりも目立つ男になってた」と言っていたくらいだし。
一方の僕は、ひたすらに平凡だった。当時も今も変わらず、顔立ち、体格、その他に至るまで平凡だ。他人の印象に残るようなところは何もない。
なにか目印でも持ってくるべきだったか。思わずビジネスバッグの中を探る。以前、妹がウェブ上での知り合いと初めて会うとき、赤いハンカチを鞄に巻いて目印にしたと聞いたのを思い出したけれど、当然この土壇場で、そんな気の効いたものは持ち合わせていない。
電車が着いたらしい。閑散としていた改札に、わらわらと人波が押し寄せる。
――来るだろうか、彼は。
ごくりと、喉が鳴った。
待ち合わせ時間まではまだある。次の電車かもしれない。心臓が高鳴る。そういえば、僕は今日、彼と初めて二人で出かけるのだ。――馬鹿だな、今さら僕は、ほんとうにいったい何を――
やや混乱気味の思考が、改札から出てきたその姿を目にした瞬間、真っ白に消え去った。
彼が一歩一歩近づいてくるたび、僕の奥深くにあった淡い記憶が鮮やかによみがえる――騒がしくなる胸の鼓動と共に。
「――お久しぶりです」
う、わ。
確かに、彼は変わらなかった。いや、友人の言ったように、昔以上にいい男になっていた。
あつらえたように身体に合ったスーツ。昔よりも長くなった髪はこざっぱりと整えられ、顔には爽やかな笑みが浮かんでいる。
耳障りのいい挨拶に、僕は動転しながらも口を開いた。
「ひ、久しぶり」
僕の声のうわずりに気づいたのか、彼は声を出さずに笑った。細められた目がひどく優しくて、それが記憶に残った貴重な笑顔とリンクする。
美化されているだけかもしれないと思ったその顔は、寸分変わらず――いや、記憶以上に華やかで。
「先輩、変わんないっすね」
そう言う口調は少年のようだ。
僕の緊張を察して、あえてざっくばらんにしてくれたらしかった。
僕はあらためて、唾を飲み込む。
「そっちは……一回り小さくなったね」
切り返すと、今度は笑い声が返ってきた。
僕はそこでようやく、彼をまっすぐ見返せた。
彼も僕に会うことを楽しみにしてくれていたのだ――笑い声から、そう分かったからだ。
「でも……スーツ、似合うよ」
ふわりと浮き立った気持ちで、素直な賛辞を口にする。
お世辞じゃなくて本音だ。けれど、彼はまた剽軽めかして肩を上げた。
「まあ俺、何着ても似合うんで」
「確かにね」
否定せずにうなずくと、また耳障りのいい笑い声が返ってくる。さわさわと落ち着かないような感覚と、このままここに留まりたいような居心地のよさ。
ああそうだ、と思い出す。
彼は、確かに人目を引く容姿をしている。――けれど、それだけじゃなくて。
「行きましょうか」
僕が頷くと、彼が歩き出す。一回り筋肉の落ちた、けれどスーツの似合う肩を、斜め後ろから眺める。道を歩きながらときどき彼は振り返って僕を見、微笑んではまた前を向いた。
十年の時を経た今も、僕は彼を、当時と同じように恍惚とした表情で見ている。
そんな自分を、自覚していた。
0
お気に入りに追加
25
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
明日のために、昨日にサヨナラ(goodbye,hello)
松丹子
恋愛
スパダリな父、優しい長兄、愛想のいい次兄、チャラい従兄に囲まれて、男に抱く理想が高くなってしまった女子高生、橘礼奈。
平凡な自分に見合うフツーな高校生活をエンジョイしようと…思っているはずなのに、幼い頃から抱いていた淡い想いを自覚せざるを得なくなり……
恋愛、家族愛、友情、部活に進路……
緩やかでほんのり甘い青春模様。
*関連作品は下記の通りです。単体でお読みいただけるようにしているつもりです(が、ひたすらキャラクターが多いのであまりオススメできません…)
★展開の都合上、礼奈の誕生日は親世代の作品と齟齬があります。一種のパラレルワールドとしてご了承いただければ幸いです。
*関連作品
『神崎くんは残念なイケメン』(香子視点)
『モテ男とデキ女の奥手な恋』(政人視点)
上記二作を読めばキャラクターは押さえられると思います。
(以降、時系列順『物狂ほしや色と情』、『期待ハズレな吉田さん、自由人な前田くん』、『さくやこの』、『爆走織姫はやさぐれ彦星と結ばれたい』、『色ハくれなゐ 情ハ愛』、『初恋旅行に出かけます』)
実力を隠し「例え長男でも無能に家は継がせん。他家に養子に出す」と親父殿に言われたところまでは計算通りだったが、まさかハーレム生活になるとは
竹井ゴールド
ライト文芸
日本国内トップ5に入る異能力者の名家、東条院。
その宗家本流の嫡子に生まれた東条院青夜は子供の頃に実母に「16歳までに東条院の家を出ないと命を落とす事になる」と予言され、無能を演じ続け、父親や後妻、異母弟や異母妹、親族や許嫁に馬鹿にされながらも、念願適って中学卒業の春休みに東条院家から田中家に養子に出された。
青夜は4月が誕生日なのでギリギリ16歳までに家を出た訳だが。
その後がよろしくない。
青夜を引き取った田中家の義父、一狼は53歳ながら若い妻を持ち、4人の娘の父親でもあったからだ。
妻、21歳、一狼の8人目の妻、愛。
長女、25歳、皇宮警察の異能力部隊所属、弥生。
次女、22歳、田中流空手道場の師範代、葉月。
三女、19歳、離婚したフランス系アメリカ人の3人目の妻が産んだハーフ、アンジェリカ。
四女、17歳、死別した4人目の妻が産んだ中国系ハーフ、シャンリー。
この5人とも青夜は家族となり、
・・・何これ? 少し想定外なんだけど。
【2023/3/23、24hポイント26万4600pt突破】
【2023/7/11、累計ポイント550万pt突破】
【2023/6/5、お気に入り数2130突破】
【アルファポリスのみの投稿です】
【第6回ライト文芸大賞、22万7046pt、2位】
【2023/6/30、メールが来て出版申請、8/1、慰めメール】
【未完】
人違いラブレターに慣れていたので今回の手紙もスルーしたら、片思いしていた男の子に告白されました。この手紙が、間違いじゃないって本当ですか?
石河 翠
恋愛
クラス内に「ワタナベ」がふたりいるため、「可愛いほうのワタナベさん」宛のラブレターをしょっちゅう受け取ってしまう「そうじゃないほうのワタナベさん」こと主人公の「わたし」。
ある日「わたし」は下駄箱で、万年筆で丁寧に宛名を書いたラブレターを見つける。またかとがっかりした「わたし」は、その手紙をもうひとりの「ワタナベ」の下駄箱へ入れる。
ところが、その話を聞いた隣のクラスのサイトウくんは、「わたし」が驚くほど動揺してしまう。 実はその手紙は本当に彼女宛だったことが判明する。そしてその手紙を書いた「地味なほうのサイトウくん」にも大きな秘密があって……。
「真面目」以外にとりえがないと思っている「わたし」と、そんな彼女を見守るサイトウくんの少女マンガのような恋のおはなし。
小説家になろう及びエブリスタにも投稿しています。
扉絵は汐の音さまに描いていただきました。
さくやこの
松丹子
ライト文芸
結婚に夢も希望も抱いていない江原あきらが出会ったのは、年下の青年、大澤咲也。
花見で意気投合した二人は、だんだんと互いを理解し、寄り添っていく。
訳あって仕事に生きるバリキャリ志向のOLと、同性愛者の青年のお話。
性、結婚、親子と夫婦、自立と依存、生と死ーー
語り口はライトですが内容はやや重めです。
*関連作品
『モテ男とデキ女の奥手な恋』(政人視点)
『物狂ほしや色と情』(ヨーコ視点)
読まなくても問題はありませんが、時系列的に本作品が後のため、前著のネタバレを含みます。
先輩は二刀流
蓮水千夜
青春
先輩って、二刀流なんですか──?
運動も勉強も苦手なレンは、高校の寮で同室の高柳に誘われて、野球部のマネージャーをすることに。
そこで出会ったマネージャーの先輩が実は野球部の部長であることを知り、なぜ部長がマネージャーをやっているのか気になりだしていた。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる