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 その夜は、どうにかこうにか、勝くんが帰ってくるまで起きて待っていた。

 お節、食べてもらいたいし。
 少し、話もしたいし。
 あ、でも疲れてるかな。

 思ってから気づく、考えてみれば、彼はこたつの下に敷いたマットの上で、寝袋で眠っているのだ。
 疲れはちゃんと取れているんだろうか。
 やっぱり、私のベッド、使ってもらった方がいいんじゃないかな。
 今日はそっちで眠ってって言おう。シーツとかも、変えとこう。
 あれこれと、思いつく限りのことをしながら待ったけれど、結局手持ちぶさたになる。
 時計を見ると、もう夜11時を回っていた。
 昨日は「年越しだから」と早めに帰ってきたんだとしたら、今日は日付を超えるかも?

 でも、他の社員は終電だってあるだろう。
 まさか、寝袋持参で新年の開店準備なんてことは……

 思ってから、考えるのをやめる。
 ブラックといえば私の会社だって結構なブラック企業なのだけど、今の部署は比較的、まあダークグレーくらいの働き方はしている。
 途中で戦線離脱していった同僚たちを見ていて、痛感したのだ。多少は太く生きていかないと、このご時世生き残れない。会社のために死んだって誰も喜ばない。もし私がいなくなったとしても、開いた穴はあっさりと、代替の人間で埋められてしまうだけだ。

 そっかー。みっちーの言ってたのって、そういう意味もあったのかなぁ。

 仕事に生きるのはいいけど、きっとそれは、「私でなければいけない」場所じゃない。
 みっちーの家族が、みっちーを求めるのと違って。
 まるで家族みたいに、心配してくれている友達なのだ。
 ありがたいなぁ。

 温もりが欲しくてこたつに入ってみたけど、中が冷たい。「今日こそ寝落ちするもんか!」と思って電気を切りっぱなしだったことを思い出し、やれやれと息をついた。

「……勝くーん、まだぁ……?」

 ぐしゃりとこたつの上に突っ伏したとき、玄関の向こうで物音がする。
 はっと顔を上げると、ドアノブがちょっと動いたのが見えた。

 帰ってきた!

 ぱたぱたと玄関へ向かった。
 かちゃりと鍵を開け、ドアを引く。

「勝くーー」

 そこに、知らない男の姿を見つけて、私は硬直した。
 黒いコートを着た男は、驚いたように私を見つめ、私の部屋の中に目をやり、息を吐き出した。
 白い息が、もやもやと漂っていく。
 男の手は、まだ、ドアノブに触れている。
 40半ばほどだろうか。
 剃り残したヒゲの濃さと、ごつごつした肌。
 ぼさぼさの眉毛と髪。
 身動きができないまま、見つめ合う。

 誰。
 なに。
 私の部屋の前で、一体なにをーー

「ーーただいま」

 声がして見やると、廊下に勝くんが立っていた。
 私が見たこともない睨みつけるような眼差しで、男をじろりと見やる。

「こんばんは。……知り合い?」

 私はなにも言えずに首を横に振る。男は我に返ったように走り出した。勝くんが舌打ちして、男を追おうと数歩駆け出す。が、唖然としている私の方を振り向いた。

「なにも?」
「え?」
「なにも、されてない?」

 私はこくこくと頷く。その間にも男は走り去る。勝くんがまた足を踏みだそうとしたので、私はその袖を掴んだ。

「待って、勝くん、待って」
「でも」
「やだ、行かないで」

 勝くんは戸惑ったように男が消えた方と私を見比べ、深々と息を吐き出して、家の中へと入ってきた。

 * * *

 勝くんは、家の中に入ると、ため息をついてコートを脱いだ。
 私ははっとしてハンガーを差し出す。勝くんは一瞬の間の後「ありがとう」とそれにコートをかけた。
 なんとなく、空気が気まずい。
 私はキッチンへ向かって、お湯を沸かした。

「寒かったよね。今、お茶いれるから……」
「梢ちゃん」

 コートとジャケットを脱いだ勝くんが、私の背中を覆うように両腰の横に腕を伸ばし、キッチン台に手をつく。

「どうして、知らない男なのにドア開けたの?」

 咎めるような口調に、私は振り向くこともできずにうろたえた。

「もし、あれで俺帰って来なかったら、どうなったと思ってるの。世の中には悪い奴だっているんだよ。誰が来ても開けるようじゃ……」
「……違うの……」
「違うって、何が」
「勝くんだと、思ったの」

 ずっと待ってたから。
 嬉しくて、思わず。

 そんな本音は、言い訳がましくて口にできない。

「……いつもなら、ちゃんとのぞき穴から見て、確認してから開けるよ」

 うつむきがちに言うと、後ろで勝くんがため息をついた。
 こつんと、私の肩に勝くんの額が乗る。

「……きつい言い方して、ごめん」
「ううん、私が……」

 慌てて振り向くと、勝くんと目が合った。
 ちょっとだけ、乱れた前髪。
 不安そうな目。

「……私が、悪いの。ごめんね、心配かけて」

 たどたどしい自分の言葉遣いが、嫌になる。
 もっとちゃんと、お礼とか謝罪とか、言わなきゃいけないのに。
 なんでこんなに、私は下手くそなんだろう。
 38にもなって。38にもなるのに。
 勝くんの方が、よっぽど、ちゃんと伝えてくれる。

「梢ちゃん」

 呼ばれて見上げる。
 勝くんの顔を判別するより先に、頭の後ろに回された大きな手に引き寄せられ、冷たい唇が私のそれを塞いだ。
 手が私の首筋に触れ、一瞬、肩が震える。

 冷たい。
 外、寒かったんだ。

 思ったのは一瞬だけだった。勝くんは、今まで感じられなかった性急さで、唇の隙間から熱い舌を割り込ませてくる。
 私の舌にそれを絡めて、柔らかく、優しく、吸い上げる。

「ん……ぅ……」

 重なる唇からたつ水音が、部屋に満ちている。
 私の後頭部にあった勝くんの手は、私の髪の中に押し入って、表皮をくすぐるようにくしゃくしゃと撫でる。
 もう一方の手は、私の背中を辿って、腰へ、外腿へ。
 キスと同じリズムで、ゆっくりと、優しく、私を撫でる。

「ふん……」

 ぞくぞくと這い上がって来る欲求に、私は勝くんの舌を噛んでしまいそうになり、慌てて自制する。
 呼吸が浅いからか、キスに酔っているのか分からないけど、くらくらした。

 好き。
 もっと。
 私を、求めて。

 私が恐る恐る勝くんの頬に手を伸ばすと、勝くんはそっと唇を離した。
 どちらのものとも分からない唾液が、二人の唇に糸を引いて光る。

「……勝くん……」

 理性の飛びかけた私の目は、とろんと潤んでいるだろう。
 勝くんの目を見つめると、勝くんは苦笑を浮かべて私の前髪をなで上げた。

「ごめん」

 私は一瞬、拒否されたものかとどきりとする。

「……手とか、冷たかったよね」

 私はまばたきをして、首を横に振った。
 彼の頬に添えた手を、そろそろと下ろしていく。
 本当は抱き着きたかったけど……また、理性を取り戻してしまったーー
 思ったとき、肩を引き寄せられ、抱きしめられる。
 私の手は自然と勝くんの脇の横にあって、ちょっとためらった後、そろりと手を曲げ、背中へ回す。

「……梢ちゃん」
「……なぁに」
「結婚しよう」

 身体が、硬直する。
 思考も、停止する。

 え?
 え?
 勝くん、なにをーー

「……何度も言ってるけど、本気だよ」

 抱きしめた私に、頬を擦り寄せてきた。
 かと思えば、するりと離れる。

「……引いた?」
「え?」
「告白した翌日にプロポーズとか」

 勝くんは困ったように、照れ臭そうに苦笑した。
 そして軽く息を吐き出す。

「……ごめん、先に風呂入ってくるね。ちょっと気持ち切り替えた方がよさそう」

 私は困惑したまま、うん、と答えた。
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