五月病の処方箋

松丹子

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 椿希とのキスは段々濃度を増し、気付けば二人はドアの内側まで移動していた。
 ドアがぱたんと閉まる音を遠くに聞きながら、玲子は時々苦しくなって息継ぎをする。その度にそれを許さないとでも言うように椿希の唇が塞いだ。
「何で、キスなんかしたの」
 合間合間に椿希が口を開く。問いに答えようとしても、降りて来る唇に言葉が紡げない。
「多田野さんから、されたの?」
「ううん」
 かろうじてそれだけは答えた。ここで多田野が悪者にされてはあまりにかわいそうだ。
「じゃ、玲子さんから?」
「うんーー」
 それでいいはずだ、と思いながら頷く。椿希はおもしろくなさそうに吐息をつくと、玲子を抱きしめた。
「どうして?」
 ようやく話せるようになったことにほっとしながら、玲子は椿希の肩に頭をあずける。
「どうしてかなぁ」
 玲子は答えた。
 多田野と飲み、話しているとき、時々克己と飲んでいるような錯覚があった。
(だから、かもしれない)
 忘れてしまった克己とのキスを、思い出してみたくなったのかもしれない。
 夢に見た克己とのキスは、酔いが見せた幻想か、それとも自分の奥底に隠れていた記憶か、玲子には分からない。
 分からないが、分かったことも一つあった。
「克己のことは、何とも思ってないの」
 多田野の話をしていたところで他の男の名前が出てきて、椿希は戸惑ったようだった。
「ただ、なんだか、置いてけぼりになったみたいで、ぽっかりしただけで」
 今まで長い時間を共に過ごした友が、自分との時間以上に長い時間を、他人であった誰かと過ごすーー
 それが不思議だった。取られたような寂しさもあった。
 克己は玲子にとって、兄弟のような存在だったから。
 それにようやく気づいた。
 もしかしたら、異性として好きだったこともあったのかもしれない。が、少なくとも今は、異性として、男として、克己を求めているのではないと、断言できる。
「私、男兄弟がいないから……分かりにくかっただけかも」
 また、椿希の肩に額を擦り付ける。とく、とくと自分の鼓動が大きく聞こえた。椿希の背に手を這わせる。その固さと弾力を確認するように、肩甲骨までたどり着いた。
 玲子は深い吐息と共に、椿希に抱き着く。強く。しがみつくように。顔を胸元に埋めて、匂いを嗅ぐように息を吸い込んだ。爽やかな甘い柑橘系のコロンを嗅ぎ取った瞬間、玲子の内側から何かが溶け出す。
 ーーすき。
 声は出さずに、呟いてみた。
「何か言いました?」
 椿希の声が直に響いてくる。
 玲子は小さく首を振って、もっと強く椿希を抱きしめる。
 椿希は玲子の頭を撫でた。
「ーーどうしたの」
 優しい声が降ってくる。
「玲子さんて、意外と、不安定」
(五月だからよ)
 心の中で口答えしてみた。
(五月だから、不安定なの)
 椿希の胸に頬を寄せて、目を閉じ、唇を強く結んだ。
 今、自分の心に感じることを一言でも声に出してしまえば、感情が溢れ出て止められない気がした。
 椿希は小さく嘆息して、玲子の身体を包み込む。
「玲子さん」
「何?」
「今日はちゃんと持って来たよ」
「ーーは?」
 椿希の言葉の意味が分からず、玲子は顔を上げた。
 椿希は玲子を見下ろして、にやりとする。
「この前は、不完全燃焼だったからね」
 後ろから何かを取り出すと、玲子の上に小さな箱を掲げて見せた。
「いろいろ考えちゃうより、感じた方が早いでしょ」
 玲子のことはお見通しらしい。
 目をさ迷わせたとき、また唇が重なり、間を置かず濃厚なキスに変わった。
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