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翌、日曜日も仕事は休みだった。椿希から数度メッセージや着信が入っていたが、スマホを手に取る気にならない。
気分転換に手のかかるブランチでも作ろうと台所に立った。久々にスコーンでも焼いてみようと粉を出し、練って、成形して……と向き合っていたら、すっかり正午も過ぎていた。
消えてしまうものとはいえ、出来上がったスコーンを前に何かを産み出したという充実感はある。ジャムとバターを少しだけ小皿に取る。ちょっとオシャレにしようとランチョンマットを広げたり、引き出物でもらったペアグラスにアイスティーを入れてみたりする。
ペアグラスは克己の結婚式でもらったものだ。少しだけ装飾のあるワイングラス。可愛らしいものが好きそうな克己の妻だが、ゲストのことを考えて控えめなデザインにしたのだろう。
(そういえば、まだゆっくりお話してないな)
克己からは、妻も会いたがってるから家に来いと数度誘われたが、曖昧にごまかしてみたり、たまたま仕事が入ってしまったり、結局その機は持てずにいる。
(何を話したいんだろう)
学生時代の克己のことを聞きたいのだろうか。それとも玲子自身について知りたいのだろうか。いずれにしても、進んで話したいとは思わない。
(まあ、でも妊婦さんだし)
もう呼ばれることもないだろう。そう思いながら、アイスティーの入ったグラスを手に持つ。
ふと思い立って、グラスをもう一つ出し、同じようにアイスティーを注いだ。誰もいない向かいにそれを置き、自分のグラスを掲げる。
「乾杯」
ちん、と、重なったガラスが小さく音を立てた。玲子は笑ってアイスティーを口にする。開けた窓から風がさらりと流れてきた。今日は快晴。外に出ると汗ばみそうなほどの陽気だ。
今日の予定を頭の中で組み立てながら、出来上がったばかりのスコーンにバターを塗り、口に放り込む。なかなかの美味しさに、一人で満足げな笑みを浮かべる。
一人も悪くない。元々一人は嫌いじゃなかった。
考えてみれば椿希はずかずかと土足で玲子の心に入って来た。強引に来られると蔑ろにできないらしい、と改めて自分の優柔不断さに気づく。
多田野はその点、玲子の様子を伺いながら接してくれた。
でも、それはそれで物足りない。
(結局、わがまま)
思って自嘲の笑みを浮かべる。さくり、とスコーンが口元で音を立てた。バターに次いで塗ったアプリコットジャムの酸味が口中に広がる。
(洗濯もしたいし、買い物も行かなきゃ。夕飯何作ろうかな)
こうなれば家事に逃げるが吉である。身の回りを整えれば、気持ちも落ち着く。
日によって揺れ動く五月の気候。快晴をとらえて活用するに限る。
「よーし」
スコーンを数個残して、玲子は大きく伸びをし、
「今日は家事!」
小さく宣言して、食器を片付けた。
洗濯物を回し、マットを干し、掃除機をかけ、買い物に行って、作り置きのおかずでもと台所に向かっていると、家のチャイムが鳴った。
「はーい」
のぞき窓から覗くと、そこには椿希が立っている。
玲子は一瞬呼吸を止めてから、ゆるゆると吐き出した。
「何の用?」
せっかくご機嫌に一日を過ごしていたところに、水を差されたような気がした。
玲子の固い声を聞くや、椿希は嘆息したようだった。
「……無事を確認しに」
言葉を選びに選んだ結果、椿希はそう言った。玲子は思わず噴き出す。
「無事です。これでオーケー? 今、取り込み中なの」
「取り込み中ってーー」
椿希がうろたえたようだった。
「開けてくださいよ。顔見ないと安心できない」
「何それ。私が無事って言ってるんだからいいじゃない」
「よくない。何で開けてくれないんですか。ーー多田野さんがいるから?」
「は?」
思わぬ言葉に、玲子は間の抜けた声を出した。
「多田野さん? 何で?」
「何でって、だって昨日ーー」
椿希は言いかけて、首を振った。
「とにかく、開けてください。顔、見たいです」
「見たら帰ってよ」
「え……分かりました」
不承不承頷いたのを確認して、玲子は鍵を開けた。
気分転換に手のかかるブランチでも作ろうと台所に立った。久々にスコーンでも焼いてみようと粉を出し、練って、成形して……と向き合っていたら、すっかり正午も過ぎていた。
消えてしまうものとはいえ、出来上がったスコーンを前に何かを産み出したという充実感はある。ジャムとバターを少しだけ小皿に取る。ちょっとオシャレにしようとランチョンマットを広げたり、引き出物でもらったペアグラスにアイスティーを入れてみたりする。
ペアグラスは克己の結婚式でもらったものだ。少しだけ装飾のあるワイングラス。可愛らしいものが好きそうな克己の妻だが、ゲストのことを考えて控えめなデザインにしたのだろう。
(そういえば、まだゆっくりお話してないな)
克己からは、妻も会いたがってるから家に来いと数度誘われたが、曖昧にごまかしてみたり、たまたま仕事が入ってしまったり、結局その機は持てずにいる。
(何を話したいんだろう)
学生時代の克己のことを聞きたいのだろうか。それとも玲子自身について知りたいのだろうか。いずれにしても、進んで話したいとは思わない。
(まあ、でも妊婦さんだし)
もう呼ばれることもないだろう。そう思いながら、アイスティーの入ったグラスを手に持つ。
ふと思い立って、グラスをもう一つ出し、同じようにアイスティーを注いだ。誰もいない向かいにそれを置き、自分のグラスを掲げる。
「乾杯」
ちん、と、重なったガラスが小さく音を立てた。玲子は笑ってアイスティーを口にする。開けた窓から風がさらりと流れてきた。今日は快晴。外に出ると汗ばみそうなほどの陽気だ。
今日の予定を頭の中で組み立てながら、出来上がったばかりのスコーンにバターを塗り、口に放り込む。なかなかの美味しさに、一人で満足げな笑みを浮かべる。
一人も悪くない。元々一人は嫌いじゃなかった。
考えてみれば椿希はずかずかと土足で玲子の心に入って来た。強引に来られると蔑ろにできないらしい、と改めて自分の優柔不断さに気づく。
多田野はその点、玲子の様子を伺いながら接してくれた。
でも、それはそれで物足りない。
(結局、わがまま)
思って自嘲の笑みを浮かべる。さくり、とスコーンが口元で音を立てた。バターに次いで塗ったアプリコットジャムの酸味が口中に広がる。
(洗濯もしたいし、買い物も行かなきゃ。夕飯何作ろうかな)
こうなれば家事に逃げるが吉である。身の回りを整えれば、気持ちも落ち着く。
日によって揺れ動く五月の気候。快晴をとらえて活用するに限る。
「よーし」
スコーンを数個残して、玲子は大きく伸びをし、
「今日は家事!」
小さく宣言して、食器を片付けた。
洗濯物を回し、マットを干し、掃除機をかけ、買い物に行って、作り置きのおかずでもと台所に向かっていると、家のチャイムが鳴った。
「はーい」
のぞき窓から覗くと、そこには椿希が立っている。
玲子は一瞬呼吸を止めてから、ゆるゆると吐き出した。
「何の用?」
せっかくご機嫌に一日を過ごしていたところに、水を差されたような気がした。
玲子の固い声を聞くや、椿希は嘆息したようだった。
「……無事を確認しに」
言葉を選びに選んだ結果、椿希はそう言った。玲子は思わず噴き出す。
「無事です。これでオーケー? 今、取り込み中なの」
「取り込み中ってーー」
椿希がうろたえたようだった。
「開けてくださいよ。顔見ないと安心できない」
「何それ。私が無事って言ってるんだからいいじゃない」
「よくない。何で開けてくれないんですか。ーー多田野さんがいるから?」
「は?」
思わぬ言葉に、玲子は間の抜けた声を出した。
「多田野さん? 何で?」
「何でって、だって昨日ーー」
椿希は言いかけて、首を振った。
「とにかく、開けてください。顔、見たいです」
「見たら帰ってよ」
「え……分かりました」
不承不承頷いたのを確認して、玲子は鍵を開けた。
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