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三杯目の酒を半ばまで飲み干した玲子は、もう既に意識がほわほわとしていた。
玲子よりも飲んでいるはずの多田野の方がしっかりしているのは持って生まれた体質の違いか。
何を話しているのかも曖昧なまま、多田野が笑うと玲子も笑う。気のおけない人。甘えを許してくれる人。彼となら、どうなってもいいか、とも思えた。ーー鳴らないスマホに比べれば、十分信頼に値する。
(何で、スマホが鳴るのを待ってるんだっけ)
それすらも、ときどき曖昧になった。曖昧になって、思い出すたび、浮かぶのは椿希の顔ではなく、花柄のシフォンワンピースだった。
(あの手の子は、女として、勝ち組、な気がする)
玲子は思いながら喉奥でくつくつと笑う。ドリンクに手を伸ばすと、多田野が苦笑して、もうやめておきなよとグラスに大きな手で蓋をした。
その手が自分の手を包んでいたことを思い出し、玲子は親指と小指から、一本ずつ、グラスの上の蓋を引きはがしていく。
「飲むもん」
「相当酔ってるでしょう」
「酔えって言ったの、多田野さんじゃない」
「言ってないよ。考えるのをやめたら、って言っただけだよ」
「同じことだわ」
くつくつと笑いながら、玲子は勝ち誇った顔でグラスに口づけた。その口元に、多田野の視線を感じる。
(したいのかなぁ)
私と。キス。
不意に、一度だけ交わしたと聞いた克己とのキスを思い浮かべた。
(私、そのとき、どんな気持ちで、どんなこと言ったんだろう)
馬鹿にされた、と克己は言っていた。二十歳の私は、克己が好きだと思っていただろうかーーいや、ただの友達だと思っていた気がする。
ただの友達。そう思っていた気持ちが、そうではないと気づいたのは、いつのことだったんだろう。
全部全部、五月のせいにしてきた。克己との思い出は、人によっては、甘酸っぱい青春の思い出と言うだけのことだろう。あの頃は私も若かった、なんて笑えばいいだけのこと。それが、できない。玲子には、できないーー
(不器用、ってそういうことか)
多田野が言った言葉に、少しだけ納得する。
玲子は黒い画面のままのスマホをまた見やった。
(馬鹿)
心の中で、椿希に悪態をつく。
(馬鹿、馬鹿馬鹿馬鹿)
今日の昼、知らない女に見せていた、自然な笑顔。腹黒さなどない、爽やかな、青年らしい笑顔。
玲子と多田野が目の前を通ったことに気づきながら、声をかけて来なかった。その後も、連絡すら寄越さない。
(ーー連絡? 彼女でもないのに?)
何を連絡すると言うのだろう。あれは違うんだ、ただの友達なんだ、君が心配するようなことは何もないから安心してーー今、そんなことを言われても、結局玲子は鼻で笑うだけだろう。
(何を待ってるんだろう。何を期待しているんだろう)
自分で自分を見失って、玲子はくしゃりと卓上にへばりついた。多田野が慌てた声で玲子を呼ぶ。
「多田野さぁん」
「ど、どうしたの?」
「酔ったぁ」
多田野は苦笑した。
「だから言ったでしょ。出ようか?」
「うん。外出るー。風に当たるー」
頷いて、玲子はのろのろと身支度をした。多田野はさっさと支払いをすませ、玲子が出しかけた財布を手で留め、微笑みだけで仕舞わせて呟く。
「外、涼しいかな」
多田野は率先して店を出ていく。玲子もその広い背に従った。椿希よりは克己に似たその背に、寄り掛かってみたくなる。
(今、この背中に抱き着いたら、どうなるんだろう)
酔っているのだ。それを自覚して自分で笑う。
「えーい」
とん、と男の背中に軽く手を突っ張った。多田野が驚いて振り返る。
「何、どうしたの?」
「ふふ、何でもない」
玲子は笑った。笑いながら、手に残る固い感触が、椿希のそれとは違うと気づく。
「月、出てるね」
空を見上げると、薄ぼんやりとした月があった。
多田野もその視線を追って見上げる。
「本当だ」
玲子はその横顔を見た。通った鼻筋。厚くも薄くもない唇の凹凸。
背中の感触が違うように、そこも椿希とは違うのだろうかーー
玲子はほとんど無意識に、手を伸ばしていた。
玲子よりも飲んでいるはずの多田野の方がしっかりしているのは持って生まれた体質の違いか。
何を話しているのかも曖昧なまま、多田野が笑うと玲子も笑う。気のおけない人。甘えを許してくれる人。彼となら、どうなってもいいか、とも思えた。ーー鳴らないスマホに比べれば、十分信頼に値する。
(何で、スマホが鳴るのを待ってるんだっけ)
それすらも、ときどき曖昧になった。曖昧になって、思い出すたび、浮かぶのは椿希の顔ではなく、花柄のシフォンワンピースだった。
(あの手の子は、女として、勝ち組、な気がする)
玲子は思いながら喉奥でくつくつと笑う。ドリンクに手を伸ばすと、多田野が苦笑して、もうやめておきなよとグラスに大きな手で蓋をした。
その手が自分の手を包んでいたことを思い出し、玲子は親指と小指から、一本ずつ、グラスの上の蓋を引きはがしていく。
「飲むもん」
「相当酔ってるでしょう」
「酔えって言ったの、多田野さんじゃない」
「言ってないよ。考えるのをやめたら、って言っただけだよ」
「同じことだわ」
くつくつと笑いながら、玲子は勝ち誇った顔でグラスに口づけた。その口元に、多田野の視線を感じる。
(したいのかなぁ)
私と。キス。
不意に、一度だけ交わしたと聞いた克己とのキスを思い浮かべた。
(私、そのとき、どんな気持ちで、どんなこと言ったんだろう)
馬鹿にされた、と克己は言っていた。二十歳の私は、克己が好きだと思っていただろうかーーいや、ただの友達だと思っていた気がする。
ただの友達。そう思っていた気持ちが、そうではないと気づいたのは、いつのことだったんだろう。
全部全部、五月のせいにしてきた。克己との思い出は、人によっては、甘酸っぱい青春の思い出と言うだけのことだろう。あの頃は私も若かった、なんて笑えばいいだけのこと。それが、できない。玲子には、できないーー
(不器用、ってそういうことか)
多田野が言った言葉に、少しだけ納得する。
玲子は黒い画面のままのスマホをまた見やった。
(馬鹿)
心の中で、椿希に悪態をつく。
(馬鹿、馬鹿馬鹿馬鹿)
今日の昼、知らない女に見せていた、自然な笑顔。腹黒さなどない、爽やかな、青年らしい笑顔。
玲子と多田野が目の前を通ったことに気づきながら、声をかけて来なかった。その後も、連絡すら寄越さない。
(ーー連絡? 彼女でもないのに?)
何を連絡すると言うのだろう。あれは違うんだ、ただの友達なんだ、君が心配するようなことは何もないから安心してーー今、そんなことを言われても、結局玲子は鼻で笑うだけだろう。
(何を待ってるんだろう。何を期待しているんだろう)
自分で自分を見失って、玲子はくしゃりと卓上にへばりついた。多田野が慌てた声で玲子を呼ぶ。
「多田野さぁん」
「ど、どうしたの?」
「酔ったぁ」
多田野は苦笑した。
「だから言ったでしょ。出ようか?」
「うん。外出るー。風に当たるー」
頷いて、玲子はのろのろと身支度をした。多田野はさっさと支払いをすませ、玲子が出しかけた財布を手で留め、微笑みだけで仕舞わせて呟く。
「外、涼しいかな」
多田野は率先して店を出ていく。玲子もその広い背に従った。椿希よりは克己に似たその背に、寄り掛かってみたくなる。
(今、この背中に抱き着いたら、どうなるんだろう)
酔っているのだ。それを自覚して自分で笑う。
「えーい」
とん、と男の背中に軽く手を突っ張った。多田野が驚いて振り返る。
「何、どうしたの?」
「ふふ、何でもない」
玲子は笑った。笑いながら、手に残る固い感触が、椿希のそれとは違うと気づく。
「月、出てるね」
空を見上げると、薄ぼんやりとした月があった。
多田野もその視線を追って見上げる。
「本当だ」
玲子はその横顔を見た。通った鼻筋。厚くも薄くもない唇の凹凸。
背中の感触が違うように、そこも椿希とは違うのだろうかーー
玲子はほとんど無意識に、手を伸ばしていた。
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