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3 マルヤマ百貨店へようこそ

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 麻衣ちゃんへの「お礼」は、蓮田さんを交えての食事会になったらしい。
 私が成海と久々に会えたのは、その会食が済んだ後のことだった。

 仕事終わりに会った成海は、疲れてはいたけれど私の顔を見て微笑んだ。
 麻衣ちゃん、引いては「見守る会」のメンバーとは、今後の不要なトラブルを避けるため、成海への贈り物は私を経由することになったそうだ。
 「結局巻き込んでごめんね」と眉尻を下げる成海はいつも通りの穏やかな表情で、麻衣ちゃんから聞いた激昂した姿は想像もできない。
 夕飯は軽い近況報告に留めて食事を楽しみ、駅へと向かって歩いていく。
 成海の横顔を車のヘッドライトが照らし出した。

「蓮田さんにも、会えてよかったよ。なんだかすごい後悔してたみたいだから」
「そっか。結局、話してくれたの?」
「んー、まあね」

 成海は言いにくそうに頬をかきながら答える。

「彼女、休憩のときは8階を利用してたらしくて。生活用品売り場の近くを通ったとき、お客様が俺に声をかけたいって相談してきたらしいんだ。ウィンドウショッピングでは、よくうちの店にお越しのお客様だったみたいなんだけど、日に日に想いが募っていくようで……俺と優麻がつき合い始めたこともあって、せめて気持ちだけでも届けたいっていう想いに共感してしまって……大学の先輩でもある風間くんとばったり会ったときに相談したらしい」
「……それで、風間くんの要らない後押しで誕生日を教えたのね」

 成海は苦笑して頷いた。
 蓮田さんが8階の休憩室を使っていたのは、おおかた少しでも成海を見たいからなんだろう。そのために、バックヤードの階段ではなく店舗の階段を使っていたのであろうと想像がつく。
 私は首を傾げた。

「でも、坂元様の件は?」
「そのお客様に話しているのを、たまたま聞いていらしたらしいんだ。それで後日、『贈るなら何がいいと思う?』と聞かれてワインを教えたらしいけど、『あなた、渡しておいて』って言われて、つい預かってしまったらしい。そのときにはもう、俺の誕生日をお客様に伝えたのは誰だ、とかって騒ぎになってたから、蓮田さんも怖くなってロッカーに入れたまま、毎日びくびくしていたらしいよ」

 私はため息をついた。

「でも……木庭さんも麻衣ちゃんも、どうしてそんなことしたのって聞いたのに、風間くんのことは一言も言わなかったでしょう。よほど仲がいいの?」
「当人たちが仲がいいというよりも、共通の友人がいるみたい。大学が一緒だっただけじゃなくて、学科も同じらしいから。誕生日の後の騒ぎで、どうしようって風間くんに相談したら、『まさか俺のせいって言わないよね。百貨店員4年もやって、そんなことも判断できないって話、みんなにしてもいいの?』って言われたみたい」

 私は思わず眉を寄せた。

「……ほんと性根の腐った男ね……」
「まあ、そういう奴もいるってことだね」

 成海は苦笑した。その表情はすっかりいつも通りだ。
 隣を歩きながら、横顔を見上げる。

「……大丈夫だったの?」
「何が?」
「風間くんと話したとき」

 風間くんはその後、別店舗への異動の希望を出した。普通の社員の異動はだいたい4月か10月だから、10月の異動に間に合うかどうか。
 さすがに白い目の中働ける精神力はないということか。とはいえ、成海の挑発ゆえか、辞めるとまではいかず踏ん張るつもりらしいところは素直に感心する。

「あー、あのとき……俺、あんまり何言ったか覚えてないんだよね。優麻、白沢さんから聞いてる?」

 首を傾げる成海にごまかしている様子はない。そういえば彼がブチ切れたときは、大概記憶が曖昧になることを思い出した。

「……相当、腹立ててたのね」
「そりゃ、だって」

 成海は言いながら、少年のように唇を尖らせた。

「優麻がディスられてて腹が立たない訳がない」
「……あ、そう……」

 なんとも言えない顔をした私に、成海はどことなく不満そうな表情を返した。
 駅はもうすぐそこまで見えている。赤信号で立ち止まった。

「そうだ、優麻。連休いつになりそう?」
「んー、まだ決まってない。周りの希望聞いてからかな」

 百貨店にはお盆休みがないから、人事異動が落ち着いた10月中旬から順番に連休を割り当てられるのが普通だ。
 成海はそれを聞いて、「そっか」と少し残念そうにした。

「なに、どうしたの?」
「だって……優麻、10月が誕生日でしょ。連休重なったら、旅行でもどうかなぁなんて……思ったんだけど」

 言われてまばたきした。自分の誕生日なんてすっかり忘れていたのだ。

「あー、そっか。そっか」
「忘れてたんだね……」

 がっくり肩を落とす成海に「えへへ」と苦笑を返す。

「あー、でも、そっか。自分の誕生日前後に取れるように調整しようかな」
「ほんと? なら、俺もそうする」

 目を輝かせた成海に笑って、その手を取った。

「どこ行きたい? 私が一緒ならどこでもいいんだっけ」
「そうだね。無人島でも行く?」

 そんな冗談を言いながら、二人で笑い合う。信号が青に変わって、繋いだ手を揺らしながら歩き始めた。
 私は繋いでいない手を上に伸ばし、うーん、と伸びをする。

「じゃ、まあそれを楽しみにもうひとふんばりしますかね」
「お疲れ。お互いがんばろう」

 成海が苦笑した。
 9月は成海が管理職の末席についた一方、私は人事異動前の繁忙期だ。それぞれ日々余裕なく過ごしているから、今日も元々食事だけで別れることにしていた。
 私は短く息を吐き出して、成海を見上げる。成海は気遣うような目で私を見下ろした。

「いいの? 今日。ほんとに送らなくて」
「いいの。成海も明日仕事でしょ」
「そうだけど……」

 信号を渡り切ると、駅に集中する人込みで流れが停滞している。その隙をつき、手を引っ張って顔を寄せ、唇で頬を掠めとった。
 成海が驚いた顔で私を見下ろす。
 次いで、照れ臭そうに頬を染めるのは相変わらずだ。
 私は笑って、手を離す。私と成海の家に行くには路線が違う。一歩離れると手を挙げた。

「休み、決まったら連絡するね」

 成海は幸せそうに微笑んで手を挙げた。

「うん。気をつけて帰ってね」
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