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2 人事課の女王
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翌日の勤務は遅番の時間だ。出勤時に成海と駅で別れると、エンドゥーに連絡をした。
外商担当のエンドゥーだから、その日の予定はお客様次第で流動的に変わる。「今日遅いけどいいの?」という返事に「閉店までいるから大丈夫」と返した。
店舗の閉店は午後9時。各売り場で報告を書き上げて、総務課に報告し、9時半までには完全撤退。今日は私もそれまでオフィスにいる必要がある。
それを知っているエンドゥーは、8時頃に私のデスクにやってきた。
総務部は人事課の他に総務課と庶務課がある。全員出勤すると50人ほどになるが、シフト制なので全員揃うことはない。
今残っているのは私を入れても5人ほどだ。
「メシ、どうする? 一緒に食うなら待っとくけど」
「先食べてていいよ。私適当に食べるから」
私が軽く手を挙げて応じると、エンドゥーも軽く手を挙げ返して廊下へ出て行く。
その1時間半後、私もオフィスを出た。
***
エンドゥーに連絡しようとスマホを取り出した私だったけれど、1階に着くとその必要がないと気づいた。
エントランスに立つエンドゥーは、ガラス戸の向こうをぼんやり眺めている。
外はすでに暗くなり、街灯やネオンライト、車のヘッドライトがその横顔を照らし出している。
「お待たせ」
声をかけると、こちらを見て「おう」と応じた。
示し合わせることもなく歩き出す。
「広瀬には連絡しといたぞ。飯一緒に食うって」
「え、そうなの?」
「お前な。俺と広瀬の友情を粉砕する気か」
あきれたような半眼に見下ろされて、私は噴き出した。
「その程度で粉砕されるような友情なんだ」
「そりゃお前、広瀬の想いを見くびってる発言だな」
エンドゥーは言いながらジャケットを脱ぎ、ネクタイを少し緩めて一つ目のボタンを開けた。彼はそうしてルーズに着崩した方が似合うのだけど、そんな姿をお目にかかる機会は滅多にない。見たら見たで後輩たちが騒ぎ立てることだろう。
「しっかし、蒸し暑いなぁ」
「夏だもん、仕方ないよ」
エンドゥーのうんざりしたような呟きに笑いながら答える。
内勤オフィスから駅に行くには、百貨店店舗の前を通る。近くまで来たとき、どこかで見かけたスーツ姿が前をよぎった。
と見るや、こちらを振り向く。
「お疲れさまです、遠藤さん……あれ?」
狐のような目を細めて、風間くんは私とエンドゥーを見比べた。
「おかしいな。那岐山さんは“王子様“と結ばれたと聞きましたけど。もう倉替えしたんですか? それとも、あの噂はカモフラージュ?」
風間くんはそう言って、唇の端を引き上げた。どことなく厭味な物言いで、なんとなく棘を感じる。
私は戸惑いながら口を開こうとしたが、先に応じたのはエンドゥーだった。
「噂は間違いじゃないけど、今日は広瀬が休みだから俺がボディーガード代わり。どんな男がいるかわかんねぇからな」
淡々と答えるエンドゥーに、風間くんはくすりと笑う。
「なるほど。プリンスだけでなくナイトまでいるわけですか。まあせいぜい、ドロドロした三角関係にならないことを祈ってますよ」
「ご心配なく。俺は他に本命がいるから」
エンドゥーが言うと、風間くんはふんと鼻で笑ってその場を去った。
「いけ好かねー奴。広瀬もよくあんな奴可愛がってやったよな」
ち、と舌打ちすらするエンドゥーに、私は首を傾げる。
「成海の後輩?」
「そうそう。5年くらい前だけどな」
エンドゥーは答えて、人込みに消える風間くんの後ろ姿を見やる。
「意識高い系を自認してんだか知らねーけど、イチイチ偉そうに改善提案とかして来んだよな。横浜店行ったからすっかり忘れてたけど、戻って来るとは思わなかった」
「なんで横浜店に?」
「なんでだろうなぁ」
エンドゥーは首を傾げた。
「3年くらい前、横浜店の改装オープンあったろ。異動したのはちょうどあの前年かなんかだったんだよな。改装の予定は決まってたから、売り場の改善提案とか聞いてもらえるかも知れねぇし、よかったんじゃないかって広瀬は言ってた気がする」
「そうなんだ。で、成海は可愛がってたのね、風間くんを」
「まあ……初めて指導した後輩だったからな」
駅近くまで来たとき、エンドゥーが手近なレストランを指さす。
「ナギ、メシまだなんだろ。俺も軽くしか食ってないから、行くか?」
「うん。でも、あっちでいい」
私が指差したのは餃子屋のチェーン店だ。エンドゥーが途端に呆れたような顔になる。
「お前な……」
「明日早番シフトだからゆっくりできないの。エンドゥーはどうせ休みなんでしょ」
私の予想通りだったのか、エンドゥーは黙って肩をすくめた。
***
エンドゥーと私は、それぞれチャーハンセットとラーメンセットを頼んだ。セットにすると、餃子が一皿5つついて来るのだ。
それを頬張りながら、私はエンドゥーを見た。
「まだ、他の人には言ってないの? 昨日の話」
「してないよ」
エンドゥーはテーブルに注いでいた視線を上げ、ちらりと私を見る。
「俺が見たものを知ってるのは、ナギとさっちゃんだけ」
「……さっちゃん、わざと聞かせたの?」
「ちょうどいたし、隠す必要はないと思った。だって売り場は彼女の聖域だろ。それを侮辱するような接客、彼女に黙っておくのは失礼だと思ったんだ」
「確かに、そうね」
エンドゥーも、やっぱり何だかんだ言って木庭さんの弟子だ。同意しながら、そのさりげない気遣いに思わず笑う。
私は一息ついて、静かに問うた。
「……で、その聖域でタブーを犯したのは誰なの」
エンドゥーは麺を掬い上げた箸を止め、また私を見る。
掬い上げたそれをズズズと口に吸い込み、咀嚼した後、私を見た。
「広瀬が知りたがってた?」
「まさか」
私は笑う。その笑顔が変に強張っていると分かったけれど、伺うようなエンドゥーの視線に負けないよう、挑むような気持ちで彼を見返す。
「私が知りたいと思ったの。知っておくべきだと思った。……教えてくれるでしょ、エンドゥー」
エンドゥーは私の顔を見てため息をつくと、餃子を一つ口に運んだ。
それを飲み込んだ後、茶目っぽく私の皿を示す。
「餃子。一個、くれたらいいよ」
私は笑って、餃子の皿をエンドゥーに差し出した。エンドゥーも笑ってそれに箸を伸ばす。
「5年目、7階ベビー用品売り場の蓮田さん」
その社員の名前を口にした後、エンドゥーは慎重な顔で私を見つめた。
「無理はすんなよ、ナギ。お人よしはお人よしらしくしとけ。汚れ役はそれが似合う人間が引き受けるもんだ」
どこかで聞いた台詞に似ているが、エンドゥーに似合うとも思えない。私は思わず笑ってしまう。
「私たち以上のお人よしに言われてもね」
エンドゥーは苦笑を浮かべて肩をすくめた。
外商担当のエンドゥーだから、その日の予定はお客様次第で流動的に変わる。「今日遅いけどいいの?」という返事に「閉店までいるから大丈夫」と返した。
店舗の閉店は午後9時。各売り場で報告を書き上げて、総務課に報告し、9時半までには完全撤退。今日は私もそれまでオフィスにいる必要がある。
それを知っているエンドゥーは、8時頃に私のデスクにやってきた。
総務部は人事課の他に総務課と庶務課がある。全員出勤すると50人ほどになるが、シフト制なので全員揃うことはない。
今残っているのは私を入れても5人ほどだ。
「メシ、どうする? 一緒に食うなら待っとくけど」
「先食べてていいよ。私適当に食べるから」
私が軽く手を挙げて応じると、エンドゥーも軽く手を挙げ返して廊下へ出て行く。
その1時間半後、私もオフィスを出た。
***
エンドゥーに連絡しようとスマホを取り出した私だったけれど、1階に着くとその必要がないと気づいた。
エントランスに立つエンドゥーは、ガラス戸の向こうをぼんやり眺めている。
外はすでに暗くなり、街灯やネオンライト、車のヘッドライトがその横顔を照らし出している。
「お待たせ」
声をかけると、こちらを見て「おう」と応じた。
示し合わせることもなく歩き出す。
「広瀬には連絡しといたぞ。飯一緒に食うって」
「え、そうなの?」
「お前な。俺と広瀬の友情を粉砕する気か」
あきれたような半眼に見下ろされて、私は噴き出した。
「その程度で粉砕されるような友情なんだ」
「そりゃお前、広瀬の想いを見くびってる発言だな」
エンドゥーは言いながらジャケットを脱ぎ、ネクタイを少し緩めて一つ目のボタンを開けた。彼はそうしてルーズに着崩した方が似合うのだけど、そんな姿をお目にかかる機会は滅多にない。見たら見たで後輩たちが騒ぎ立てることだろう。
「しっかし、蒸し暑いなぁ」
「夏だもん、仕方ないよ」
エンドゥーのうんざりしたような呟きに笑いながら答える。
内勤オフィスから駅に行くには、百貨店店舗の前を通る。近くまで来たとき、どこかで見かけたスーツ姿が前をよぎった。
と見るや、こちらを振り向く。
「お疲れさまです、遠藤さん……あれ?」
狐のような目を細めて、風間くんは私とエンドゥーを見比べた。
「おかしいな。那岐山さんは“王子様“と結ばれたと聞きましたけど。もう倉替えしたんですか? それとも、あの噂はカモフラージュ?」
風間くんはそう言って、唇の端を引き上げた。どことなく厭味な物言いで、なんとなく棘を感じる。
私は戸惑いながら口を開こうとしたが、先に応じたのはエンドゥーだった。
「噂は間違いじゃないけど、今日は広瀬が休みだから俺がボディーガード代わり。どんな男がいるかわかんねぇからな」
淡々と答えるエンドゥーに、風間くんはくすりと笑う。
「なるほど。プリンスだけでなくナイトまでいるわけですか。まあせいぜい、ドロドロした三角関係にならないことを祈ってますよ」
「ご心配なく。俺は他に本命がいるから」
エンドゥーが言うと、風間くんはふんと鼻で笑ってその場を去った。
「いけ好かねー奴。広瀬もよくあんな奴可愛がってやったよな」
ち、と舌打ちすらするエンドゥーに、私は首を傾げる。
「成海の後輩?」
「そうそう。5年くらい前だけどな」
エンドゥーは答えて、人込みに消える風間くんの後ろ姿を見やる。
「意識高い系を自認してんだか知らねーけど、イチイチ偉そうに改善提案とかして来んだよな。横浜店行ったからすっかり忘れてたけど、戻って来るとは思わなかった」
「なんで横浜店に?」
「なんでだろうなぁ」
エンドゥーは首を傾げた。
「3年くらい前、横浜店の改装オープンあったろ。異動したのはちょうどあの前年かなんかだったんだよな。改装の予定は決まってたから、売り場の改善提案とか聞いてもらえるかも知れねぇし、よかったんじゃないかって広瀬は言ってた気がする」
「そうなんだ。で、成海は可愛がってたのね、風間くんを」
「まあ……初めて指導した後輩だったからな」
駅近くまで来たとき、エンドゥーが手近なレストランを指さす。
「ナギ、メシまだなんだろ。俺も軽くしか食ってないから、行くか?」
「うん。でも、あっちでいい」
私が指差したのは餃子屋のチェーン店だ。エンドゥーが途端に呆れたような顔になる。
「お前な……」
「明日早番シフトだからゆっくりできないの。エンドゥーはどうせ休みなんでしょ」
私の予想通りだったのか、エンドゥーは黙って肩をすくめた。
***
エンドゥーと私は、それぞれチャーハンセットとラーメンセットを頼んだ。セットにすると、餃子が一皿5つついて来るのだ。
それを頬張りながら、私はエンドゥーを見た。
「まだ、他の人には言ってないの? 昨日の話」
「してないよ」
エンドゥーはテーブルに注いでいた視線を上げ、ちらりと私を見る。
「俺が見たものを知ってるのは、ナギとさっちゃんだけ」
「……さっちゃん、わざと聞かせたの?」
「ちょうどいたし、隠す必要はないと思った。だって売り場は彼女の聖域だろ。それを侮辱するような接客、彼女に黙っておくのは失礼だと思ったんだ」
「確かに、そうね」
エンドゥーも、やっぱり何だかんだ言って木庭さんの弟子だ。同意しながら、そのさりげない気遣いに思わず笑う。
私は一息ついて、静かに問うた。
「……で、その聖域でタブーを犯したのは誰なの」
エンドゥーは麺を掬い上げた箸を止め、また私を見る。
掬い上げたそれをズズズと口に吸い込み、咀嚼した後、私を見た。
「広瀬が知りたがってた?」
「まさか」
私は笑う。その笑顔が変に強張っていると分かったけれど、伺うようなエンドゥーの視線に負けないよう、挑むような気持ちで彼を見返す。
「私が知りたいと思ったの。知っておくべきだと思った。……教えてくれるでしょ、エンドゥー」
エンドゥーは私の顔を見てため息をつくと、餃子を一つ口に運んだ。
それを飲み込んだ後、茶目っぽく私の皿を示す。
「餃子。一個、くれたらいいよ」
私は笑って、餃子の皿をエンドゥーに差し出した。エンドゥーも笑ってそれに箸を伸ばす。
「5年目、7階ベビー用品売り場の蓮田さん」
その社員の名前を口にした後、エンドゥーは慎重な顔で私を見つめた。
「無理はすんなよ、ナギ。お人よしはお人よしらしくしとけ。汚れ役はそれが似合う人間が引き受けるもんだ」
どこかで聞いた台詞に似ているが、エンドゥーに似合うとも思えない。私は思わず笑ってしまう。
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