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.4章 かめは本音をさらけ出す
..39 愛の花
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賑やかに過ごして二時間。おおかた食事を終えたところで、香子が立ち上がった。
「コーヒーでいいかな?」
「うん、ありがとう」
早紀がサリーのうなずきに便乗したから、驚いて思わず振り向いた。
「え、今日は大丈夫なの?」
俺の問いにサリーが首を傾げた。
「大丈夫って何が? 早紀、コーヒー嫌いだったっけ?」
「いや、そうじゃないんだけど。最近コーヒーが酸っぱく感じるって……」
早紀が俺の言葉を補足するようにうなずいて、「胃のとこ、きゅってする感じがあって」と手でお腹をさする。
「でも、少しなら大丈夫だから」
早紀は笑って手を振ったけど、香子とサリーは同時に顔を見合わせた。
「ちょっと待って」とサリーが呟き、香子が神妙にうなずく。
サリーは珍しく真剣に早紀を見据えた。
「あのさ早紀、それって……」
「サリー待った。隼人くん、ちょっと外して」
サリーの言葉を遮り、鋭い声で香子が言った。もとから姿勢のいい背をピンと伸ばしたザッキーが「あ、はい」と立ち上がり、「こばやん」と声をかけてきた。
「行こ」
「えっ? え?」
俺? なんで? ザッキーじゃなくて?
頭の中が疑問符でいっぱいだ。早紀を見れば、同じように訳が分からないという顔をしている。
なんなの? 早紀がなんなの??
戸惑う俺の腕を引き、ザッキーが有無を言わせずにリビングの外へ連行した。
そのまま玄関まで連れて行かれ、おもむろに靴を履き始める。
「え? あの?」
説明を求めて声をかけた。
まさか外に出るの? 今?
そう聞こうとしたところで、靴を履き終えたザッキーが立ち上がる。
「こばやんも、靴履いて。散歩行こ」
「さ、散歩?」
なんでこのタイミングで?
ってか、今日の主役って俺じゃないの?
ザッキーってかなりマイペースなときがあるから、意図があるのか分かんない。
困惑しきりの俺に、ザッキーはただ笑顔でうなずいた。
「いいから、ほら」
***
家を出て、ザッキーと並んで歩き出した。空は晴れていて、気弱そうな雲が浮いている。
まだ日によって寒暖はあるけれど、もう冬ほど身を切るような寒さはない。
数ヶ月前、一人でここに来たときのことを思い出していた。早紀との関係がよどんでいたあの頃。どこに行っても薄暗い気分に囚われていたあの頃。ザッキーと並んで見たイチョウの葉が、やたらと輝いて見えたあの夕方のこと。
あのときはありがとう。
そう言おうと顔を上げて、前を向いているザッキーの横顔に口をつぐんだ。
きっとこいつは、「俺は何もしてないよ」と笑うだけだろう。そう思ったら泣きそうなくらいありがたくなって、実際に言われたら泣いてしまいそうな気がした。
さすがに、もう目の前で泣くなんて失態は犯したくない。ぐっと唾を飲み込んだとき、不意にザッキーが口を開いた。
「そういえばさ、こばやん」
「なに?」
「こばやんの誕生日、三月二十六日だよね?」
「うん、そうだけど」
俺がうなずくと、ザッキーは「あはは」と笑った。
なんだよと言いかけて察する。
もしかして、
「……さっきの、調べたの? 誕生花、てやつ」
「うん、まあ」
「……何だったの?」
聞いてから、これ、聞いていいやつだったかな、なんて不安になった。
どうしよう、不幸、とか、自分勝手、とか、そういうヤな言葉を持ってる花だったら。
いや、でも、ザッキーは笑ってるから大丈夫だろう――ざわつく心に言い聞かせていたら、ザッキーはあっさりと「バラだって」と答えた。
「花言葉はねぇ……」
「いや、いい。もう。なんとなく分かるから」
その花言葉が愛を示すとは、さすがに知っている。ザッキーはそれ以上無理強いすることなく、「そう?」と前を向いた。
その口元には、楽しげな笑みが浮かんだままだ。
また数秒、無言で道を歩いて行く。
どこに行くのか知らないけれど、この友人の隣を歩くときは、いつも穏やかで落ち着いていられる。
この静けさを、香子は愛しているんだろうな。
なんとなくそんな気がした。
ザッキーが手を挙げたので目をやると、その指は道の先を示していた。
「向こうに、桜が咲き始めてる公園があるんだ。案内するから、帰りに早紀ちゃんにも見せてあげて」
桜。
そうか。もう、そんな季節か――
そう思って見れば、あちこちで花の蕾が膨らみ始めていた。
植物に詳しくないから、種類は分からないけれど。
「今年は早紀ちゃんと、四季を満喫するといいよ」
ザッキーはしみじみと、ひとりごちるようにそう言った。
「もしかしたら……来年はそれどころじゃないかもしれないからさ」
どういう意味だろうと思ったけれど、合った目はなんとなくいたずらっぽい。
意味を問えばまた茶化されそうな気がして、あいまいにうなずいた。
青空の下、太陽の日差しを浴びながら歩いていく。
あちこちで春を待つ花の蕾に、いいことを思いついた。
あと半月後、俺は三十六歳になる。
その日、早紀にバラを買って帰ろう。
自分がこの世に産まれた日に、一番大切な人に、愛を伝える。
それって、すごく、すごく、贅沢で幸せなことじゃないか?
「どうかした? なんか、嬉しそう」
まばたきするザッキーに、俺は笑って手を振った。
「別に、なんでもない。……でも」
俺って幸せだな、と思って。
そう言うと、ザッキーは
「俺たち、ね」
と笑って、どちらからともなく、相手を肘で突いた。
少年みたいな二人の笑い声が、落ち着いた住宅街に広がっていく。
俺たちの軽やかな声はどこまでも、雲の上まで、登っていくように思えた。
fin.
***
最後までご覧くださり、ありがとうございました。
また違う作品でもお会いできると嬉しいです。
松丹子 拝
「コーヒーでいいかな?」
「うん、ありがとう」
早紀がサリーのうなずきに便乗したから、驚いて思わず振り向いた。
「え、今日は大丈夫なの?」
俺の問いにサリーが首を傾げた。
「大丈夫って何が? 早紀、コーヒー嫌いだったっけ?」
「いや、そうじゃないんだけど。最近コーヒーが酸っぱく感じるって……」
早紀が俺の言葉を補足するようにうなずいて、「胃のとこ、きゅってする感じがあって」と手でお腹をさする。
「でも、少しなら大丈夫だから」
早紀は笑って手を振ったけど、香子とサリーは同時に顔を見合わせた。
「ちょっと待って」とサリーが呟き、香子が神妙にうなずく。
サリーは珍しく真剣に早紀を見据えた。
「あのさ早紀、それって……」
「サリー待った。隼人くん、ちょっと外して」
サリーの言葉を遮り、鋭い声で香子が言った。もとから姿勢のいい背をピンと伸ばしたザッキーが「あ、はい」と立ち上がり、「こばやん」と声をかけてきた。
「行こ」
「えっ? え?」
俺? なんで? ザッキーじゃなくて?
頭の中が疑問符でいっぱいだ。早紀を見れば、同じように訳が分からないという顔をしている。
なんなの? 早紀がなんなの??
戸惑う俺の腕を引き、ザッキーが有無を言わせずにリビングの外へ連行した。
そのまま玄関まで連れて行かれ、おもむろに靴を履き始める。
「え? あの?」
説明を求めて声をかけた。
まさか外に出るの? 今?
そう聞こうとしたところで、靴を履き終えたザッキーが立ち上がる。
「こばやんも、靴履いて。散歩行こ」
「さ、散歩?」
なんでこのタイミングで?
ってか、今日の主役って俺じゃないの?
ザッキーってかなりマイペースなときがあるから、意図があるのか分かんない。
困惑しきりの俺に、ザッキーはただ笑顔でうなずいた。
「いいから、ほら」
***
家を出て、ザッキーと並んで歩き出した。空は晴れていて、気弱そうな雲が浮いている。
まだ日によって寒暖はあるけれど、もう冬ほど身を切るような寒さはない。
数ヶ月前、一人でここに来たときのことを思い出していた。早紀との関係がよどんでいたあの頃。どこに行っても薄暗い気分に囚われていたあの頃。ザッキーと並んで見たイチョウの葉が、やたらと輝いて見えたあの夕方のこと。
あのときはありがとう。
そう言おうと顔を上げて、前を向いているザッキーの横顔に口をつぐんだ。
きっとこいつは、「俺は何もしてないよ」と笑うだけだろう。そう思ったら泣きそうなくらいありがたくなって、実際に言われたら泣いてしまいそうな気がした。
さすがに、もう目の前で泣くなんて失態は犯したくない。ぐっと唾を飲み込んだとき、不意にザッキーが口を開いた。
「そういえばさ、こばやん」
「なに?」
「こばやんの誕生日、三月二十六日だよね?」
「うん、そうだけど」
俺がうなずくと、ザッキーは「あはは」と笑った。
なんだよと言いかけて察する。
もしかして、
「……さっきの、調べたの? 誕生花、てやつ」
「うん、まあ」
「……何だったの?」
聞いてから、これ、聞いていいやつだったかな、なんて不安になった。
どうしよう、不幸、とか、自分勝手、とか、そういうヤな言葉を持ってる花だったら。
いや、でも、ザッキーは笑ってるから大丈夫だろう――ざわつく心に言い聞かせていたら、ザッキーはあっさりと「バラだって」と答えた。
「花言葉はねぇ……」
「いや、いい。もう。なんとなく分かるから」
その花言葉が愛を示すとは、さすがに知っている。ザッキーはそれ以上無理強いすることなく、「そう?」と前を向いた。
その口元には、楽しげな笑みが浮かんだままだ。
また数秒、無言で道を歩いて行く。
どこに行くのか知らないけれど、この友人の隣を歩くときは、いつも穏やかで落ち着いていられる。
この静けさを、香子は愛しているんだろうな。
なんとなくそんな気がした。
ザッキーが手を挙げたので目をやると、その指は道の先を示していた。
「向こうに、桜が咲き始めてる公園があるんだ。案内するから、帰りに早紀ちゃんにも見せてあげて」
桜。
そうか。もう、そんな季節か――
そう思って見れば、あちこちで花の蕾が膨らみ始めていた。
植物に詳しくないから、種類は分からないけれど。
「今年は早紀ちゃんと、四季を満喫するといいよ」
ザッキーはしみじみと、ひとりごちるようにそう言った。
「もしかしたら……来年はそれどころじゃないかもしれないからさ」
どういう意味だろうと思ったけれど、合った目はなんとなくいたずらっぽい。
意味を問えばまた茶化されそうな気がして、あいまいにうなずいた。
青空の下、太陽の日差しを浴びながら歩いていく。
あちこちで春を待つ花の蕾に、いいことを思いついた。
あと半月後、俺は三十六歳になる。
その日、早紀にバラを買って帰ろう。
自分がこの世に産まれた日に、一番大切な人に、愛を伝える。
それって、すごく、すごく、贅沢で幸せなことじゃないか?
「どうかした? なんか、嬉しそう」
まばたきするザッキーに、俺は笑って手を振った。
「別に、なんでもない。……でも」
俺って幸せだな、と思って。
そう言うと、ザッキーは
「俺たち、ね」
と笑って、どちらからともなく、相手を肘で突いた。
少年みたいな二人の笑い声が、落ち着いた住宅街に広がっていく。
俺たちの軽やかな声はどこまでも、雲の上まで、登っていくように思えた。
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松丹子 拝
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