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.3章 うさぎはかめに手を伸ばす
..21 想定外の配慮
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「いらっしゃい」
開いたドアからザッキーの顔が覗いた。返事をしようとして、自分の呼吸がうわずっていることに気づく。
「どうぞ、入って」
「うん……お邪魔します」
促されるまま中に入ると、奥から甲高い声が聞こえた。
「誰が来たのー?」
「お父さんのお友達」
「え? 今日は、お母さんのお友達が来るって聞いたよ」
「じゃあ、お父さんとお母さんのお友達なんだよ」
「あー、そうか」
いかにも賢そうな兄妹の会話だ。感じていた緊張が緩み、思わず笑いがこみ上げる。
「すっかり大人びてるな」
「うーん。特に下がね。最近、ミニ香子ちゃんを見てるみたいだよ」
俺に答えたザッキーの表情は、苦笑したつもりかもしれないけれど嬉しそうだ。
惚れた妻に似た娘なら、可愛くて仕方ないだろう。こいつも娘が嫁に行くとき泣くクチだろうか。想像して笑いそうになっていたら、リビングに繋がるドアが開いた。三つの顔が団子みたいに並んで覗く。一番上にある、眼鏡をかけた顔が笑った。
「いらっしゃい、幸弘。天気よくてよかったね」
「あ、ああ……」
天気。そうか、今日は天気がよかったのか。
黄金色のイチョウのまぶしさだけがやたらと記憶に残っていて、日差しには意識が向かなかった。黄金の先に広がる青空にも。
「うわ! こばやんだ!」
「こばやん?」
「勝負しよう、勝負!」
俺の顔を見るや目を輝かせたのは兄の翔太だ。以前ゲームに負けたリベンジをしようというのか、自分の部屋へ向かいかけたところを「こらこら」と香子が止めた。
「今日はお話に来たの。あんたたちと遊びに来たんじゃないの」
「えぇー」
不満げに眉を寄せて唇を尖らせる姿はいかにも小学生だ。ザッキーよりもやや垂れがちな目には愛嬌がある。
息子の不服を意にも止めず、香子はぴしりと外を指さした。
「せっかくいい天気なんだから、外で遊んで来なさい」
「えー」
「二人で?」
「父さんも行くよ」
ザッキーが言うと、下の朝子が「やったー」と両手を挙げた。
「あたし、大縄したい、大縄」
「はいはい」
「コート持ってくる! お兄ちゃん、行くよ!」
「はーい」
嬉しそうに駆け出す子どもたちを見送って、「ごめんねー賑やかで」と香子が笑った。
昔のピリッとした鋭さはどこへやら。鷹揚ないいお母さん、て感じだ。
――としみじみ思っていたら、じっと顔を覗き込まれた。
「それにしてもあんた、なんかやつれた? 寝不足?」
やっぱり香子は香子だ。相変わらず遠慮ないもの言いに「ズバズバ来るなぁ」と苦笑すると、「ああごめんごめん。どうぞ」と椅子を勧められる。
後ろから、ザッキーが香子を呼んだ。
「じゃあ、俺、子どもたちと行ってくるね」
「えっ? あっ?」
そういえばさっき、香子がそんなようなことを言ってた。言ってたけど、いきなり香子と二人きりになるとは思ってなかったからうろたえる。
「ざ、ザッキー、もういなくなっちゃうの?」
「だって今日は、香子ちゃんと話に来たんだから」
ザッキーは当然のようにうなずいて、当然のようにコートを着た。仕事帰りに会うときにはしゃれたトレンチとか着てるけど、オフだからかカーキのブルゾン。そんでもって何着ても似合うもんだから、うらやましい。
「いや、話すって言っても……何の話すりゃいいの」
「それは、まあ、そのときの流れで」
わたわたする俺を差し置き、ゆっくり昔語りでもしなよ、と目を細める。一瞬だけ俺を捉えたその目は、すぐさま愛妻へと向いた。
交わされた視線に、夫婦をつなぐ信頼と愛情が見えた。瞬間、切なさが胸を突く――俺と早紀は、こんな視線のやりとりができているだろうか。
「水筒にお茶淹れるね。隼人くん、あったかいお茶持ってく?」
「いや、冷たくていいよ。動いてたら暑くなるし」
「それもそっか」
香子は子どもたちとザッキーの分のボトルに麦茶を注いで渡し、俺と自分用に緑茶を淹れて卓上に並べた。
「ありがと。もらってくね」
ザッキーは手早く水筒を回収すると、俺にそう微笑んだ。顔を上げて、香子にも声をかける。
「香子ちゃん。帰るとき連絡するけど、もしもっと時間必要だったら言ってね。適当におやつでも食べてるから」
「うん、了解」
いやいや、どんだけ長話させるつもりよ。
ツッコミは心に留めて、夫婦の顔を順に見やった。
「お父さん、はやくー!」
準備ができたらしい子どもたちが、玄関先でザッキーをせかしている。「今行くよ」と答えたザッキーは改めて俺を見て、
「じゃ、こばやん。……ごゆっくり」
ふわっと微笑んだイケメンに、ああ、ともうん、ともつかない曖昧なうなずきを返す。俺の前に座った香子が「気をつけて行ってらっしゃい」と平然と手を振った。
俺たち二人をリビングに残し、ザッキーと子どもたちの気配は消えた。
開いたドアからザッキーの顔が覗いた。返事をしようとして、自分の呼吸がうわずっていることに気づく。
「どうぞ、入って」
「うん……お邪魔します」
促されるまま中に入ると、奥から甲高い声が聞こえた。
「誰が来たのー?」
「お父さんのお友達」
「え? 今日は、お母さんのお友達が来るって聞いたよ」
「じゃあ、お父さんとお母さんのお友達なんだよ」
「あー、そうか」
いかにも賢そうな兄妹の会話だ。感じていた緊張が緩み、思わず笑いがこみ上げる。
「すっかり大人びてるな」
「うーん。特に下がね。最近、ミニ香子ちゃんを見てるみたいだよ」
俺に答えたザッキーの表情は、苦笑したつもりかもしれないけれど嬉しそうだ。
惚れた妻に似た娘なら、可愛くて仕方ないだろう。こいつも娘が嫁に行くとき泣くクチだろうか。想像して笑いそうになっていたら、リビングに繋がるドアが開いた。三つの顔が団子みたいに並んで覗く。一番上にある、眼鏡をかけた顔が笑った。
「いらっしゃい、幸弘。天気よくてよかったね」
「あ、ああ……」
天気。そうか、今日は天気がよかったのか。
黄金色のイチョウのまぶしさだけがやたらと記憶に残っていて、日差しには意識が向かなかった。黄金の先に広がる青空にも。
「うわ! こばやんだ!」
「こばやん?」
「勝負しよう、勝負!」
俺の顔を見るや目を輝かせたのは兄の翔太だ。以前ゲームに負けたリベンジをしようというのか、自分の部屋へ向かいかけたところを「こらこら」と香子が止めた。
「今日はお話に来たの。あんたたちと遊びに来たんじゃないの」
「えぇー」
不満げに眉を寄せて唇を尖らせる姿はいかにも小学生だ。ザッキーよりもやや垂れがちな目には愛嬌がある。
息子の不服を意にも止めず、香子はぴしりと外を指さした。
「せっかくいい天気なんだから、外で遊んで来なさい」
「えー」
「二人で?」
「父さんも行くよ」
ザッキーが言うと、下の朝子が「やったー」と両手を挙げた。
「あたし、大縄したい、大縄」
「はいはい」
「コート持ってくる! お兄ちゃん、行くよ!」
「はーい」
嬉しそうに駆け出す子どもたちを見送って、「ごめんねー賑やかで」と香子が笑った。
昔のピリッとした鋭さはどこへやら。鷹揚ないいお母さん、て感じだ。
――としみじみ思っていたら、じっと顔を覗き込まれた。
「それにしてもあんた、なんかやつれた? 寝不足?」
やっぱり香子は香子だ。相変わらず遠慮ないもの言いに「ズバズバ来るなぁ」と苦笑すると、「ああごめんごめん。どうぞ」と椅子を勧められる。
後ろから、ザッキーが香子を呼んだ。
「じゃあ、俺、子どもたちと行ってくるね」
「えっ? あっ?」
そういえばさっき、香子がそんなようなことを言ってた。言ってたけど、いきなり香子と二人きりになるとは思ってなかったからうろたえる。
「ざ、ザッキー、もういなくなっちゃうの?」
「だって今日は、香子ちゃんと話に来たんだから」
ザッキーは当然のようにうなずいて、当然のようにコートを着た。仕事帰りに会うときにはしゃれたトレンチとか着てるけど、オフだからかカーキのブルゾン。そんでもって何着ても似合うもんだから、うらやましい。
「いや、話すって言っても……何の話すりゃいいの」
「それは、まあ、そのときの流れで」
わたわたする俺を差し置き、ゆっくり昔語りでもしなよ、と目を細める。一瞬だけ俺を捉えたその目は、すぐさま愛妻へと向いた。
交わされた視線に、夫婦をつなぐ信頼と愛情が見えた。瞬間、切なさが胸を突く――俺と早紀は、こんな視線のやりとりができているだろうか。
「水筒にお茶淹れるね。隼人くん、あったかいお茶持ってく?」
「いや、冷たくていいよ。動いてたら暑くなるし」
「それもそっか」
香子は子どもたちとザッキーの分のボトルに麦茶を注いで渡し、俺と自分用に緑茶を淹れて卓上に並べた。
「ありがと。もらってくね」
ザッキーは手早く水筒を回収すると、俺にそう微笑んだ。顔を上げて、香子にも声をかける。
「香子ちゃん。帰るとき連絡するけど、もしもっと時間必要だったら言ってね。適当におやつでも食べてるから」
「うん、了解」
いやいや、どんだけ長話させるつもりよ。
ツッコミは心に留めて、夫婦の顔を順に見やった。
「お父さん、はやくー!」
準備ができたらしい子どもたちが、玄関先でザッキーをせかしている。「今行くよ」と答えたザッキーは改めて俺を見て、
「じゃ、こばやん。……ごゆっくり」
ふわっと微笑んだイケメンに、ああ、ともうん、ともつかない曖昧なうなずきを返す。俺の前に座った香子が「気をつけて行ってらっしゃい」と平然と手を振った。
俺たち二人をリビングに残し、ザッキーと子どもたちの気配は消えた。
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