うさぎはかめの夢を見る

松丹子

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.1章 うさぎはかめを振り返る

..05 閉塞感

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 入ったのは、今までも何度か二人で足を運んだことのある居酒屋だった。
 そこそこの賑わいの中、小さなテーブル席に差し向かいで座って、生ビールを一杯ずつ頼む。
 それを飲み干したところで、「忘れないうちに」と土産を差し出すと、ザッキーは微笑んで受け取った。

「わざわざありがとう」

 謝礼の言葉を述べてから、俺の反応をうかがうように目を上げる。

「徳島には、早紀ちゃんも?」
「いや、今回は俺だけ」
「そっか」

 交わしたのは短い応答だけだけど、こっちの事情を察してくれているのが分かる。それがありがたいようにも気まずいようにも思えて、うん、とジョッキに手を伸ばしかけ、空になっていたことを思い出した。
 さっきザッキーが二杯目を頼んでくれたばかりだ。沈黙を埋める方法がなくなって、気休めにジョッキの表面を撫でる。

「……田舎って、何かとうるさいからさ」
「そうかもね」

 言い訳がましい俺の呟きに答えて、今度はザッキーが紙袋を差し出した。

「俺も忘れないうちに。これ、香子ちゃんから」
「香子から?」
「うん。早紀ちゃんと食べてって。市内で評判のお菓子屋さんらしいよ」
「へぇ。サンキュ。香子のオススメなら間違いないな。早紀が喜ぶ」

 笑って受け取ると、ザッキーもちらっと白い歯を見せた。
 店員がジョッキを二つ持ってきた。ザッキーが空いた二つをさっと手にして、手の空いた店員に差し出す。

「あ、ごめん。サンキュ」

 気が利くなぁ、こんな奴だったっけ。と思ったところで、それが香子の影響だと気づいた。
 典型的な学級委員タイプの香子は、学生の頃、飲み会のたびに店員かってくらい細やかに立ち働いていた。そんな姿を思い出して、思わず笑いそうになる。

「なに?」
「え? あー、いや」

 流して終わりにするつもりだったけど、せっかく話の分かる旧友と飲んでいるのだ。思い出話を共有するのも悪くない。思い直してうなずいた。

「ほら、香子がさ、そういうの、よく気がついて、ささーっとやってたよな、って思って」
「ああ……」

 目を細めたザッキーの顔が、ちょっと困ったように見える。

「そうかもね」
「今は違うの?」
「違くはないけど……」

 少しは俺もやるようになったから、ゆっくりできてるといいなって思って。
 ザッキーが控えめに言うもんだから、なんだよノロケかよ、と俺が肩をつついて、ザッキーもくすぐったそうに笑った。
 じゃれ合うようなやりとりは、まるで大学生の頃に戻ったようだ。おかしくて二人で笑うと、少しだけ気分が晴れた。
 久々に会えた喜びとは裏腹に、なんとなくぎこちなさを感じていたのは、俺だけじゃなかったのかもしれない。その笑い声を聞きながらそう思う。
 ザッキーは心持ち軽くなった口調で、そういえば、とまた懐かしい名前を口にした。

「こないだ、サリーちゃんに会ったよ。うちに来た」
「マジ? 少しは落ち着いたの、あいつ」
「うーん。むしろ、パワーアップしてたかも。毎日バタバタだって。うちにある遊具とか服とか、あげたんだけど」
「そっかー。子ども、何歳だっけ」
「三歳だったかな。まだ小ちゃかった」

 「小ちゃい」と言うときのザッキーが、また父親の顔をした。
 一瞬、会話に間が空いて、それを埋めるように互いにジョッキに手を伸ばした。
 賑やかな居酒屋の喧噪が、俺とザッキーに隔たる空間を埋めてくれる。げらげら響く品のない笑い声にも、客の来店に応じる大将の声にも、したたかな「生」を感じる。
 俺は、どうなんだろう。したたかに生きて、いるんだろうか。
 ふっ、と聞こえた呼吸に意識を引き戻されて、ザッキーを見やった。黒いまつげに縁取られた黒い目が、探るように俺を見つめる。

「……通院は、今も?」
「うん。続けてるよ」

 不自然にならないように、できるだけあっさり答えた。
 ザッキーは「そう」と言ったきり、黙ってジョッキを傾ける。
 俺はゆっくり酒を味わうその姿を見ながら、息を吸った。

「……いつまで、続けるべきなんだろうな」

 吐息と同時に、言葉が口を突いて出た。
 返事の変わりか、ザッキーは何も言わず、眉尻を下げて口の端を引き上げる。
 そのとき、店のどこかから、数人の女性の笑い声が聞こえた。

「女子会でもしてるのかな」
「そうかもね。華やかだな」

 女子会か――
 早紀と香子、そしてもう一人の友人、サリーも、よく三人で集まっていた。
 結婚してからも、年に一度旅行に行って――誰かの妊娠が重なったときには、それがランチになったりもして。
 そんなつき合いも、三人中二人が子育て中の今は、年に一度あるかないかの食事会に変わっている。
 かすかに、けれど確かに遠ざかりつつある旧友との距離感に、早紀が救われているのか苦しんでいるのか、男の俺には正直、想像もできない。
 店内のざわめきが、俺の思考に雑に絡まってくる。
 暖色のライトを眺めるふりをして、少し視線を逸らしたまま、苦いアルコールを喉に流し込んだ。
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