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.第4章 可愛い彼女の愛し方

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 菜摘は週が明けると、翠からランチに誘われた。
 集合場所は、前回ばったり会った会社近くのレストランだ。
 ちょっと早めに抜けられたという翠は、菜摘が着いたときにはもう席に座っていた。

「こないだはお疲れ。あの後、少しはゆっくりできた?」
「えっと……まあ……」

 会社からの連絡で中断されはしたものの、まあ、それなりに恋人らしい時間を過ごすことはできたと思う。
 あいまいにうなずくと、翠は満足げに「それはよかった」とうなずいた。

「ね、ね。それで、嵐志くんから受け取った?」
「受け取るって……何を?」

 「わくわく」という擬音が背中に見えそうな翠に、菜摘は首を傾げ返す。
 翠は「ああ、まだなの? それなら、いいのいいの」と笑って手を振った。
 菜摘は不思議に思ったものの、今までの翠とのやりとりでも謎が多いのは感じている。
 あえてそれ以上つっこまず、軽く頭を下げた。

「あの。あの日は、ありがとうございました」
「え?」

 翠が驚いたような顔をする。菜摘は顔を上げて微笑んだ。

「あの日……私が、会いたいって思ってたの察して、神南さんを呼んでくれたんですよね?」

 翠は何も言わず、菜摘の言葉を待っている。
 菜摘は気恥ずかしさをごまかすように、耳の上の髪を指先で撫で上げた。

「あの後、ちょっと反省しました。私……今まですごくワガママだったなって、今さら気づいて」
「ワガママ?」
「はい」

 翠の問いに、菜摘はうなずく。
 あの日――嵐志とわずかながら、濃密な時間を過ごしたあと。
 ひとり、部屋に残された菜摘は、冷静に自分を振り返って気づいたのだ。
 会えない時間が積み重なるたび、不安ばかりが大きくなって、嵐志に愛想を尽かされたくないと、嵐志のことばかりを考えていた。
 ――けれど、そんな関係は、自分も嵐志も望んでいないんじゃないか、と。
 行ってらっしゃい――あのとき、励ましを込めて声をかけた菜摘に、嵐志は心底嬉しそうな笑顔を返してくれた。
 それが、菜摘にとっても嬉しかった。今までの、どこか他人行儀な距離感ではなく、ちゃんと対等に、人として向き合えた気がしたのだ。
 嵐志の仕事が忙しいのは知っている。
 だからこそ、それを支えられるパートナーでありたい。
 そのためには――ただ待っているばかりではいけないのだと、改めて気づいた。

「神南さんのこと、待っていよう、とばかり思ってたんですけど……そうじゃないですね。なんていうか……ただ待ってるだけじゃなくて、もっと、私は私にできることを、一つ一つやっていこうって思います。――やっていきたいなって、思います」

 嵐志に会えない日が続いて、翠との噂を耳にしたとき。
 入社以後何度も聞いた、ただのミーハーな噂と分かっていながら、菜摘は何も言えなかった。
 嵐志の彼女は自分だ、と、言う勇気がなかった。
 自分に自信がなかったから――ということもある。
 けれど……あの噂が気になったのは、それだけが理由ではないのかもしれない。
 菜摘の人生は、菜摘のもの。
 それは嵐志がいてもいなくても、関係ないのだ。
 菜摘は菜摘で、自分の理想の姿を目指して、努力をしたい。
 入社前、翠に憧れたとおり、芯のある女性に少しでも近づきたい。
 ――嵐志と会えないとか、自分に自信がないとか、嘆いている場合じゃないのだ。
 菜摘は軽く顎を引いて、小さく拳を握った。

「私……いつか、胸を張って神南さんの彼女だって言えるようになりたいです」

 きちんと、自分の足で立って。
 その上で、嵐志の横に並んでいたい。
 翠の方が似合っている、だなんて、自分でも思わなくていいくらいに。
 ひとりのパートナーとして、嵐志と向き合いたい。
 菜摘の言葉に、翠はきょとんとした後、「そっか」と頬を緩めた。

「うん、いいね。私も応援するよ」
「ありがとうございます」

 翠のウインクに頭を下げて答える。
 ふたりは笑い合って、和やかな時間を過ごした。

 ***

 翠とのランチは、週一ペースで半ば定番化された。
 菜摘は宣言通り、前向きに仕事に向かっている。
 面倒臭がられる仕事を率先してやったり、他部署への連絡やお使いを引き受けたり。
 だからだろうか、ここ最近、色んな社員から挨拶されるようになった。挨拶を交わせる人が増えるたび、菜摘の自信も少しずつ増えていく――そんな感覚がある。
 翠もそんな菜摘の様子を気にかけてくれているらしい。いい噂を聞けば「がんばってるみたいだね」と姉のように喜んでくれていた。

「でもさー、あれから一ヶ月になるよね。いい加減、嵐志くんとのデートの日取りは決まった?」

 翠からランチのたびにそう確認されるのもいつもの流れだ。
 菜摘があいまいな苦笑を返すと、翠は眉を寄せた。

「えー? おっかしーなぁ。そろそろ落ち着くはずなんだけど」

 何やってんだか、と頬杖をつく翠に、菜摘の方が申し訳なくなって肩をすくめる。
 嵐志からは、相変わらず、二、三日に一度メッセージをやりとりする程度だ。他部署への「お使い」の行き来があるときには、こっそり部屋の前を歩いて様子を見てみたりもするが、嵐志はだいたい出張でいないか、いても生き生きと働いていて声をかけられずにいる。
 恐縮した菜摘に気づいて、翠は慌てて手を振った。

「あ、違うの、別に責めてるわけじゃなくて。だってほら――嵐志くんの許可が下りたら、一緒に行こうって言ってたじゃない?」
「一緒に……?」
「あら。忘れちゃった? バーのこと」

 ああ、と菜摘はうなずいた。
 そういえば、そんな約束もしていた。
 翠がふふっと笑う。

「私、楽しみにしてるんだから。早く行きたいのになぁ。肝心の嵐志くんに聞く機会がないんじゃねぇ……」

 後半、少し考えるような顔をした翠は、不意ににやりと唇の端を引き上げた。

「――ね。それじゃあさ」

 翠は楽しげに菜摘に顔を近づけた。
 どこか悪巧みしているような笑顔だが、この表情が一番、彼女を魅力的に見せるらしい――と、最近つき合いの増えた菜摘は発見した。

「この際、もう行っちゃう? 会社近くのバー」

 一瞬、菜摘は答えに迷った。嵐志が反対するだろう、と翠が言ったのが気になったのだ。
 嵐志が駄目だと言うのなら、あまり気乗りはしない――けれど。

「別に嵐志くんが保護者ってわけでもないんだし、菜摘ちゃんだってオトナだし~」

 ね、行こうよ。
 そう肩をつつかれれば、気持ちが揺らがないはずもない。
 だいたい、嵐志が反対するかもしれない、というのも、翠の推測でしかないのだ。
 行っていいかと聞いたら、むしろ「なんでそんなこと、いちいち俺に聞くんだ。自分で考えろ」と呆れられてしまう可能性だってある。
 ここ最近、仕事で頼られることが増えてきているのも、菜摘の背中を後押していた。
 そう、菜摘だって立派なオトナなのだ。自分で判断したことは、自分で責任を取れる。
 ――それが自立した女性というものなのだから。
 翠は「どう?」とウインクを投げてきた。
 こくこくと小刻みにうなずいたのは、ほとんど無意識だった。

「よし、決まり!」

 翠は手を打つと、晴れやかな笑顔で菜摘の肩をたたく。

「それじゃ、今週の金曜にね。――たっのしみぃ!」

 心底楽しげな翠の口調に、菜摘の口元も思わず弛む。
 嵐志の顔が浮かんだが、浮き立つ気持ちがそれを打ち消した。
 別に、何の問題もないはずだ。
 だって、ただバーに行くだけなのだし。
 翠と一緒に飲みに行くだけだ――
 思えば思うほど、だんだんわくわくしてきた。
 翠とバー。エステに続き、また新しい世界が広がりそうだ。
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