マイ・リトル・プリンセス

松丹子

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.13 ふたりでひとつ

89 それぞれとの関係

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 花を買ってバスに乗ると、ばあちゃんの施設へ向かった。
 小丘の上にある施設は、住宅街に囲まれ、ゆったりした中庭がある。
 ばあちゃんは、ちょうどその庭で本を読んでいた。木漏れ日の差し込むベンチで詩集を広げ、半ばうつらうつらしている。

「……寝てる?」
「いや、起きてると思うけど」

 朝子と小さな声で言い合って、ゆっくり近づく。
 ばあちゃん、と声をかけると、ばあちゃんははっと顔を上げた。

「あら……栄太郎、朝子。いらっしゃい」

 ゆっくり振り向いた顔がほころぶのを見ながら、胸に複雑な気持ちがわいた。
 表情は今までとそう変わらないものの、前よりも動きが緩慢になっとる気がする。
 たぶん、施設での時間の流れ方が、ちまたよりゆっくりしとるからやろう。けど、その姿は以前よりもずいぶん老けて見えて――
 そりゃそうか。もう八十も後半なんやし……。
 年相応、いうたら、そうなのかもしれん。

「今日、天気よくてよかったね。一緒に外、少し散歩する?」
「あら、いいわねぇ。そうしようかしら」

 しんみりしとる俺を差し置き、朝子はばあちゃんに手を差し伸べる。
 俺も立ち上がるばあちゃんを助けようと手を伸ばしかけて、あっと思い出した。

「ばあちゃん、これ」

 差し出した花束に、ばあちゃんが目を丸くする。

「あら、かわいい。……ミニバラ?」
「うん。若い男の人から花束もらうと、若返るでしょ」

 ばあちゃんを支えながら笑う朝子の言葉が気恥ずかしい。ばあちゃんは笑って「ありがとう」と受け取った。

「それじゃあ、これを活けてから行きましょうか。……今日、礼奈はお仕事?」
「ああ。配属先に挨拶せなあかんらしくて。会えへんで残念がってたで」
「ふふ、そう。またおいでって言っておいて。私も会いたい」

 うん、とうなずきながら、ゆっくり歩くばあちゃんの手を取る。しわしわの手は華奢で、ぬくくて、そのぬくもりに少しだけほっとした。

「さっき……なんだかちょっと、混乱しちゃった。あら、栄太郎と結婚したのは朝子だったかしらって……一瞬分からなくなっちゃった」
「あははは、そんなこと、あるわけないよ。栄太郎お兄ちゃんと礼奈ちゃんはラブラブなんだから。……ね?」

 ばあちゃんの言葉を、朝子が取り繕うように拾い上げた。
 俺が答える間もなく、ばあちゃんが「それもそうね」と笑う。

「駄目ねぇ、歳を取ると。ものがよくわからなくなるわ」
「ふふふ、半分寝てたからじゃないかな。今日はひなたぼっこにちょうどいい気候だもんね」

 朝子の受け答えを聞きながら、ようやくなんとなく、朝子が今日、絶え間なく話している理由を察した。
 ――気、使ってくれてんのやろな。俺と礼奈のことで。
 他のイトコはみんな男やから、俺と出かけたところで関係ないんやろうけど、朝子は違う。
 礼奈と同じく女やから、気も遣うやろう。
 ふと、礼奈の複雑そうな表情を思い出した。

 やっぱり、礼奈が来られないて分かったところで、俺も来ないて言えばよかったやろか。

 自分の配慮の足りなさを反省する。
 そんな俺に気づいているのかいないのか、女ふたりはゆっくりと、部屋へと入って行った。

 ***

「よかったね、おばあちゃん元気そうで」
「ああ、そうやな」

 部屋に花を飾った後、ばあちゃんと朝子と三人で、少し施設の周りを歩いた。
 お茶の時間だからと寄ったカフェでは、朝子と二人でケーキをつつき合う姿は楽しげで、まるで女友達みたいに華やいで見えて。
 礼奈ともまた、連れて来たいな、て思うたりした。

「俺も、月イチくらいで、会いに来るかな」
「うん、そうしなよ。おばあちゃんも喜ぶ」

 朝子はうなずいて、スマホを手にした。

「礼奈ちゃんから、連絡来ないね。まだ仕事、終わらないのかな?」

 そっちには連絡来た? と聞かれて、スマホを見てみる。そこには着信もなにもない。

「もう五時やし、挨拶だけなら終わってるはずやけど……」

 つぶやいたとき、着信があった。礼奈、という表示に迷わず通話をオンにする。

「礼奈? どうした?」
『ごめんね、連絡できなくて……』
「いや、それはええけど」

 礼奈は声を潜めるようにして話してる。てことは、まだ仕事中やろうか。

「やっぱりそのまま仕事やったん?」
『仕事っていうか、建物の中、案内してもらって。それで終わるのかと思ったんだけど……』

 言いにくそうにする言葉の先を察して苦笑した。

「歓迎会でもあるのか?」
『……そうみたい』
「そりゃ仕方ないな。朝子には言うとくから、ゆっくりしてこい」
『……うん』

 どこか重い返事に、ふと思いつく。

「朝子に代わるか? 少し話したらどうや」
『えっ? あ――』

 はい、とスマホを差し出すと、朝子はきょとんとした後で受け取った。

「……もしもし? 礼奈ちゃん? うん、だいたい聞いた。大変だね」

 礼奈が答える声は聞こえない。朝子は今までとは違う穏やかな表情でうなずく。

「無理しないで。お店もキャンセルするし、これで解散で……。え? 栄太郎お兄ちゃんと? でも……」

 困ったような顔で、ちらっと俺を見上げた。

「二人で食事になっちゃうし……気になるでしょ? ……ほんとに? 無理してない? ……うん……まあ、それはそうなんだけど……」

 俺に背を向けるようにして、ひそひそ話してた朝子は、しばらくやりとりした後でうなずいた。

「分かった……それじゃあ、そうするね。うん。あの、なんかのときは、気にせず連絡してね。食べたらすぐ別れるようにするから……え? ……うん、分かった。礼奈ちゃんも、気をつけて」

 振り向いた朝子が、「もう一度代わる?」と俺と礼奈に聞く。俺がどっちでもいいと首を振るのと、礼奈がいいと言うのと同時やったんやろう。朝子は「そう」とうなずいて、「じゃあ」と通話を切った。

「……ご飯、一緒に食べて来てって。栄太郎お兄ちゃんはさみしがり屋だから、ひとりじゃかわいそうって」

 スマホを返しながら、朝子が笑った。

「愛されてるねぇ、栄太郎お兄ちゃん」
「……そりゃ、おおきに」

 ふてくされながらスマホを受け取ると、ポケットに突っ込む。
 歩き出しながら、夕日に照らされる朝子の横顔を見やった。

「……朝子、礼奈と話しとるとき、ちょっと顔変わるんやな」
「えっ、そう? そうだった?」
「ああ。なんか……お姉さん顔しとった」
「ほんと?」

 朝子は頬に手を添えて笑う。「無自覚だな」とつぶやくと前を向いた。

「でも、そうかも。なんか、礼奈ちゃんの前では、キリッとしてたいっていうか……頼ってほしいっていうか。私にとっても妹みたいなもんだし」

 はにかんだ微笑みを見ながらうなずく。その気持ちはよう分かる。
 俺も昔はそう思うてたんやったな、て懐かしくもあって……改めて、朝子の頭を見下ろす。

 そうやなぁ。
 妹みたい、って言えば、朝子も同じなんやけど。
 やっぱり、朝子はそれだけで、それ以上にはならへん。
 それは礼奈がいるから――っちゅうわけやなくて……。

 礼奈の想いを知る前から、そういえばそうやった。もし、礼奈に彼氏ができたら――て想像すると嫌な気分になって、変なことしたら俺が張っ倒す、くらいのこと本気で思うてて……朝子やったら、どうやろ。いや、変なことしたら張っ倒す、と思うのは変わらへんねんけど、なんか違うねんな。ヤキモチみたいなのはないっちゅうか……大事にしたってや、て思うくらいで……。

 思考を遮ったのは、ふふっと小さな笑い声やった。
 見やると朝子が笑っとる。

「不思議だね。同じイトコでも、それぞれ関係が違うのは――当然か。それぞれ、別の人間なんだから」
「せやな」

 ふたりで顔を見合わせて笑う。気分は穏やかであたたかい――けど、やっぱり礼奈に感じるもんとは全然違う。
 それぞれとの関係、それぞれへの気持ち……どれも、俺にとっては大切なもんや。
 前を向くと、夕焼けが空を鮮やかに染めとる。

 ――今度は礼奈と一緒に、この夕焼けを見たいな。
 思うと、自然と笑みが浮かんだ。
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