マイ・リトル・プリンセス

松丹子

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.12 呪いの解き方

77 二日目の夜

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 その後、日が落ちきらないうちに宿に戻った。
 せっかくいい旅館に連泊なんやし、早めに戻ってゆっくりしよう、言うたのは礼奈や。宿の手配した俺としても、気に言ってもらえたなら嬉しい。

「礼奈、また部屋風呂入るか? せやったら俺ここおるから、先入っといで」

 お茶を淹れようと机に向かいつつ声をかける。
 時間的に早めに戻ったのは確かやけど、結構歩き回ったからスマホの歩数計はゆうに一万歩を超えとる。俺でそうなんやから、俺より歩幅の狭い礼奈は二万歩近く歩いとるはずや。たっぷり運動した後の露天風呂は、さぞ気持ちよかろう――
 そう思うて言うたんやけど、礼奈は「栄太兄こそ」と笑った。

「広い方のお風呂、入ってないでしょ。気持ちよかったよ。入ってきたら?」

 言われてみれば、それもそうやな。
 ふむとうなずいて微笑み返す。

「それじゃ、一緒に大浴場の方行くか」
「そうだね。そうしよう」

 礼奈は目を細めて、タオルを取りに向かった。
 タオルと浴衣を手に部屋を出ると、大浴場の前で合流の時間を決めた。

「でも、急がんでええで。女性の方がなにかと時間かかるやろ」
「そうかなぁ。でも、お母さんみたいに寝ちゃったりしないよ」

 ……お母さんみたいにって……彩乃さん……

「……寝てまうん?」
「うん、結構寝ちゃう。それで、お父さんが声かけに行く」

 ……それ、素っ裸なわけやろ。そんで、びしょ濡れなわけやな。そういう場合……政人、どうすんねやろ。
 俺が考えているのを察したのか、礼奈は聞きもしないのに続けた。

「声かけて、起きるときもあるし起きないときもあるし……仕事がひと段落ついて、ほっとしてお酒飲んじゃったときなんかは起きないことも多いみたい。お父さんが引き上げて、バスローブで包んで、運んでく」

 運送屋のあんちゃんみたいやな。
 人運ぶいうたら、消防士っちゅうその道のプロでもある息子がおんねんから、頼めばええのに……

「お父さんだって元気だけど、やっぱり年齢も年齢だし、悠人兄に頼めばって言ったこともあるんだけどね。これは俺の仕事だからって」

 思考がシンクロしたみたいに礼奈は言うて、くすりと艶めいた笑いを漏らした。

「でも、確かに、お母さんが甘えるのってお父さんだけだもんね。……最近、ちょっとだけ二人の気持ち、分かる気がする」

 最近? 最近か……ふぅん。なんかあったんやろか。

 あいまいに相槌を打ったら、礼奈がずずいと顔を近づけてきた。

「な、なんや?」
「栄太兄、分かってないでしょ」
「わ、分か……?」

 分かってないって、何が?
 まばたきする俺に、礼奈は呆れたようなため息をついて一歩退がった。

「もー。これだから栄太兄ってば……放っておけないんだよなぁ」

 それは……悲しむべきか喜ぶべきか、分からんな。

「そんなだから、乙女心が分からないって言われちゃうんだよ」

 冗談めかして指を立てる礼奈に肩をすくめて返す。
 礼奈は軽やかに笑って身を翻した。

「じゃあ、また一時間後にね」
「ああ。……また後で」

 笑顔を交わし合って後ろ姿を見送った後、俺も男湯ののれんをくぐった。
 乙女心が分からんでもなんでも、俺は俺のおひいさまが楽しそうならそれでええわ。

 ***

 浴衣姿になった俺たちは、合流して離れの部屋に戻った。
 湯気が立ちそうな礼奈が、ほくほく顔で俺を見上げる。

「ね、広い方もよかったでしょ」

 「ああ」てうなずきながら、軽くまとめられた濡れ髪を見下ろし、急に実感が沸いた。

「……ほんま、新婚旅行に来とるんやなぁ」
「なにそれ、今さら。もう明日が最終日だよ?」

 礼奈が笑って、俺の腕を叩く。叩くついでに、するりと腕を絡めてきた。
 近づいた温もりは、温泉のせいかいつもよりあたたかい。

「……礼奈」
「ん?」

 顔を上げた礼奈に顔を近づけたのは無意識で、礼奈が「ちょちょちょっ」と俺の顔に手を突っ張った。

「……痛いやん」
「だ、だって、栄太兄ってば」

 いや、だって人おらんしええやん……て思わんでもなかったけど、まあ、そやな。部屋の中でも何でもないしな。自重せなあかんな。
 思い直して、大股で歩き出す。

「そんなら、はよ行くで」
「えっあ、ちょっと……?」

 戸惑うような声をあげながら、礼奈が小走りについてくる。浴衣やから余計、ちょこちょこしとって、ほんまかわいい。
 あー、かわいい。俺の嫁かわいすぎる。

「ど、どうしたの、栄太兄」
「分からんけど。なんか」

 なんか、はよキスしたいし、抱きしめたい。二人だけの空間で、この世に俺と礼奈だけ、みたいな濃度の高い空気に浸りたい。ここにはお互いの知り合いなんておらんし、俺らがイトコ同士やって知っとる人もおらんし、一回りも年齢差があるって知ってる人もおらん。
 ――そか、そういうことか、二人での旅行、が特別に思えるのって。
 部屋に戻って中に入るなり、何も言わず礼奈を抱きしめた。腕の中で戸惑う礼奈が「栄太兄」と囁くように俺を呼ぶ。うん、と答えたきりぎゅうと抱きしめて、礼奈の熱を感じる。鼓動を感じる。
 ああ、好きやなぁ。
 口には出してへんつもりやったけど、漏れてたらしい。礼奈はふふっと笑って、「私もだよ」て答えた。
 笑うその唇に、吸い寄せられるように唇を重ねる。ふっくらした柔らかさを堪能するように、何度も唇でついばんで、角度を変えて、繋がりを深くしていく。ちゅ、ちゅぅ……ちゅ……部屋にはそんな水音と、二人の吐息が響く。

「……栄太兄」
「礼奈……」

 潤んだ礼奈の目が俺を見上げる。丸い頬に手を寄せて、そっと撫でる。礼奈の目が揺れて、何かを期待するように泳ぐ。かわいい。愛したい。――愛し合いたい――
 もう一度唇を重ねながら、浴衣の襟元から手を差し込――
 もうとした俺の動きを遮ったのは、コンコンというノックの音だった。
 ひぇっ、と礼奈ともども肩をふるわせる。「夕飯のご準備よろしいでしょうか」という声に顔を見合わせ、照れをごまかすように笑い合って「はい、お願いします」と答えた。
 開けたドアから、仲居さんが入って来る。俺と礼奈は、漂っていた甘い空気をごまかすように、それぞれてきぱきと濡れたタオルをかけたり服を片付けた。
 仲居さんは座卓に膳を並べ始め、「お飲み物がお決まりでしたら承ります」とメニューを置いていく。

「どうする、飲むか?」
「うーん。どうしよっかな。……地酒とか、せっかくだから飲んどく?」
「せやな。そうするか」

 飲み比べを一つ頼んで、服をしまおうと自分のカバンを開けたところで、はっと思い出した。
 中に入った二つの包み。礼奈へのプレゼント。

 ……喜んで、くれるやろか。

 タオルを干す礼奈と、カバンの中を見比べる。
 ほんとなら、昨夜渡すつもりやった。アノコトがうまくいったら……なんていうか……ちょっとかっこよく渡せるんやないかななんて……思うてて。
 でも結局、うまくいかへんかって、タイミングを逃してもうた。

 ……夕飯の後、渡すか。

 小さく決意して、出しやすいところにこっそりしまいなおした。
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