マイ・リトル・プリンセス

松丹子

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.12 呪いの解き方

78 プレゼント

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 会席料理を食べ終えると、昨日と同じく締めのデザートが出て来た。
 昨日と違うところは、ちゃんとデコレートしてあるところや。
 ケーキに乗った【卒業おめでとう】のプレートを見るや、礼奈は嬉しそうに喜んで、スマホを取り出した。それを見た仲居さんが「お撮りしましょう」て言うんでお願いして、二人で並んで写真を撮った。
 何度も「おいしい」と言いながら頬張り、俺を見て「ありがと」と笑った礼奈は、すべて食べ終えると舌鼓を打った。

「ふはぁー、満腹。美味しかったぁ」
「満足したか?」
「うん、もちろん」

 世話をしてくれた仲居さんが去って、二人きりになった部屋で、礼奈は「おなかいっぱい」と腹を叩いた。
 次いで、身を乗り出して俺の袖を引く。

「デコレートケーキまで準備してくれてたんだね。嬉しかった。栄太兄、ほんとにいろいろ考えてくれて、ありがと」

 素直なお礼の言葉に、思わず苦笑が浮かぶ。

「まあ……あんまりスマートには行かへんかったけどな」
「そうかな?」
「せやろ。だって政人やったら……」
「お父さんを基準にしたら駄目だよ」

 礼奈は笑って、「って、健人兄が言ってた」と補足した。
 いやまあ、そうなんやろうけどな。
 相槌を打ってから、そうや、今なら、と思い出す。
 「ほなら、スマートでないついでに……」と紙袋を差し出すと、礼奈がきょとんとした。

「えっ? なに?」
「さっきのケーキは卒業祝いで……これは、就職祝い」
「そんなにたくさんお祝いしてくれるの?」

 礼奈は笑うと、袋を受け取った。

「開けてみていい?」
「ああ」

 平静を装ってうなずいたものの、内心ドキドキや。礼奈の趣味に合わへんかったらあかんし、できるだけシンプルなものを選んだつもりやったけど……そう、選ぶのに写メ撮って母さんに聞いたりもして……でももし、気に入らへんかったら……
 紙袋から包みを出して、紙の包装を開いて、紙箱を開いて――
 礼奈の動きが止まった。

 ……え? な、なに?

 不意に、いつかのときのことを思い出す。あれはまだ、礼奈が俺に告白してくる前やった。喜ぶ顔を楽しみに、渡したプレゼント。受け取ったときにはにかんだような笑顔を浮かべた礼奈は、中を見たとたん、一度表情を失って――取りつくろうような笑顔を残して、部屋に行ってもうた。
 嫌なことを思い出して、血の気が引いていく。

 ――あかんかった?

 せっかくの旅行、それも新婚旅行を、俺は何度ぶち壊してまうんやろ?
 嫌な汗がじわりと背中に浮かんだ、そのとき――口元に手をやった礼奈が、ふふっと笑った。

「……ネックレス」

 あ、ああ……そやけど……。
 変化した反応の、解釈に戸惑う。
 礼奈はどことなく泣きそうな顔で、細い銀のチェーンを数度撫でた。
 細い指が、輝きの筋を数度、往復する。
 つ、と上げた礼奈の目に、その光が反射して見えた。

「……つけてくれる?」
「ああ、ええで」

 礼奈はそれを箱からつまみ出して差し出した。
 受け取ると、後ろに回る。
 細いチェーンの真ん中には、小さな輝きが揺れている。あれこれあって、すっかり贈りそびれた、俺からのダイヤモンド。小さな一粒を、銀色の爪が星のような形に飾っている。
 礼奈の胸にずっと――星のような輝きがあるように。
 礼奈が髪を持ち上げて、首筋をさらけ出した。前から後ろへそろりと手を回して、首後ろで金具を留める――
 ネックレスの輝きと、礼奈の首筋の白さと、ほんのり桃色に色づいたうなじが順に目に入って、鼓動が早まった。互いの手に結婚指輪をはめたときと同じような、妙な緊張感。同時に、愛する人に首輪をはめるような背徳感。足元にわずかに感じた悪寒のような感覚は、なんとなく知ってはいけないもののような気がして踏み潰すように意識から追い出す。
 金具を留め終えて息をついてようやく、自分が息を止めてたことに気づいた。
 ほぅっという俺の息に気づいて、礼奈がわずかに振り向く。

「……できた?」
「あ、ああ」
「ありがとう」

 礼奈が手を下ろすと、髪がさらりと肩に降りた。柔らかなシャンプーの香りがして、俺のムスコがぴくりと反応する。
 ――あかん、抱きしめたい。
 じわじわとこみ上げる欲望を、拳を握って自制する。
 礼奈は鎖骨のくぼみに収まったダイヤを撫でながら呟いた。

「……嬉しい」

 満足げな言葉に、ようやく胸を撫で下ろす。

「そか……よかった」

 一瞬、喜んでくれへんかったかと思た――素直にそう言うと、礼奈はきょとんとした後で首を振った。

「違うの。ただ、びっくりしたの。……栄太兄、健人兄に何か聞いてた?」
「え? 何を?」

 まばたきを返すと、礼奈が笑う。「ううん、なんでもないの」とかぶりを振って、ことん、と俺の首筋に額を寄せてきた。
 それを受け止めて……さりげなく、肩を撫でる。
 ……もっと、触れたいなぁ。
 また欲望が膨らむ。
 けど、昨日の今日で……俺から求める勇気もなく。

「覚えてるかな……栄太兄が、クリスマスにこのブランドのペンケースくれたときのこと」

 ……あ。
 あー、そうや。それや。礼奈がみるみる、表情を失ったときのあれ。何あげたんやったっけ、て考えてたんやけど、そうや。ペンケースやった。
 まだ高校生やった礼奈には、ちょっと、手が出ぇへんやろうな、てブランドもの。これから受験勉強も始まるし、そのペンケースが少しでも励みになれば――と思たんやった。

「あのとき……こういうの、期待しちゃってた。本命にあげるみたいな、ネックレス。ただのイトコにそんなの、贈るわけないのにね」

 礼奈は俺の肩に頬をすり寄せて、囁いた。
 ――あのとき、自分の気持ちに気づいたんだよ。……栄太兄が好きなんだって。
 吐息のような声に、ぞわりと鳥肌が立つ。うわ、嬉しくても鳥肌って立つんやな、初めて知った。
 腕の中の礼奈はもう、あの頃の少女みたいな表情やなくて、一人前の女の顔をしてはる。表情で、愛の言葉を伝えてるみたいな。俺を誘うような求めるような、とろけるような目で見上げて、微笑みを浮かべる。

「びっくりだね。あの頃には考えもしなかった……こんなふうになるなんて」
「……せやな」

 確かに、びっくりや。あの頃の俺にとって、確かに礼奈はかわいいイトコで、それ以上でもそれ以下でもなかった。それでも、俺の中には礼奈の特等席みたいのがしっかりあって、他の誰とも違う大事なもんやったけど。でも、恋人、とか……生涯の伴侶、とか……そんなことは、考えたこともなかった。近すぎたからこそ、考えへんかったのかもしれん。
 それから、この七年の間に――俺たちの関係も気持ちも、えらい変化したんやな。
 思い返せば、つくづくそう気づく。

「でも……そんなら、あのプレゼントも、贈った価値はあった、ちゅうことかな」
「うん?」

 喜んでくれへんかったって凹んでたけど、あれがあったからこそ、礼奈は俺への気持ちに――
 言いかけた言葉が恥ずかしくなって、代わりに礼奈の顔を抱き寄せた。顔を胸に押しつけられた礼奈が「うぷ、何ぃ?」と笑って、俺の背中に手を回す。
 俺より小さいのに、大きな温もり。大好きな温もりが、腕の中で笑う。

「なに言おうとしたの? 勝手に照れないでよ」
「や、やかましい」

 笑う礼奈の振動が、ひとかたまりになった二人の身体を満たしていく。
 こうしてるとほんと、俺と礼奈は二人でひとつ、みたいや。
 ――ああ、幸せやなぁ。

「……なあ、礼奈」
「うん」
「実は……プレゼント、もう一つあんねん」

 礼奈は顔を上げて、首を傾げた。俺は手を伸ばして、もう一つの袋を渡す。

「……? なぁに?」
「こっちは、誕生日プレゼント」

 俺が言うと、「あれ? こないだ祝ってもらわなかったっけ?」と礼奈はまばたきした。
 うん、まあ、食事は一緒にしたけど、プレゼントは渡さへんかったろ。
 その説明に納得したのかどうか、礼奈は軽くうなずいて、包装を解いていく。中に入ってるのは、手のひらに収まるくらいの小瓶。薄い桃色のガラスは、女性が好きそうな精巧な模様を刻まれている。
 礼奈が「かわいい」と小さく声を漏らした。

「香水?」
「うん」
「どんな香り?」

 聞くと同時に蓋を開けた礼奈が、くんくんと嗅いだ。

「いい匂いだね」

 微笑んでこっちを向いた拍子に、俺の方にも少しだけ漂ってきた。その香り共々、礼奈を抱き締める。
 俺の腕の中で、礼奈はふふっとまた笑った。

「ちょっと、柑橘系も混ざってるのかな。……春っぽい、爽やかな匂いだね。桜のイメージ?」
「撫子やて言ってたで」

 あと……初恋のイメージ、言うてたけど、それは恥ずかしいから内緒や。
 ふぅんと答えた礼奈は、自分の手首の内側に控えめにそれをつけて、改めて匂いを嗅いだ。

「うん……いい匂い」

 ――うわ、これ……あかんな。
 無防備さと妖艶さのバランスにくらっとする。
 自分の贈った香りを、自分の愛する人が身につける――それが、こんな官能的なもんやなんて、想像もしてへんかった。

 香水、なんて気障な案を出したのは、当然俺やないで、義兄の健人や。「かさばらないもの」「自分じゃ滅多に買わないもの」「今まで持ったことのないもの」そんなキーワードをぽつぽつ並べた俺に健人は「じゃ香水は? オーデコロンとかじゃなくて、ほんとの香水。学生には買えないっしょ」とさらっと言うた。
 アドバイスのお礼がてら連絡をしたとき、健人はからから笑った。「なーるほど? 自分好みに染めちゃう感じ? えっろいなー栄太兄」なんて茶化してきて、またいつもの面倒臭い絡みやなーて思うてたんやけど。

 ――確かにこれは、あかんわ。

 ぞわぞわする腰を引きかけた俺に、気づいているのかいないのか、礼奈はいたずらっぽい目で俺を見上げた。

「栄太兄の中で、私ってこんなイメージ?」
「……そやな」
「結構、甘いね」

 ああ、甘いで。
 礼奈は――俺にとって、えらい甘くて、切なくて、苦しいくらいかわいくて、愛おしくて……誰よりも大事で、誰よりも幸せになって欲しい人で、一生、隣で笑っていてほしい子で――
 言葉が紡げずにいる俺の唇に、柔らかな温もりが触れた。
 礼奈からのキス。

「ありがと……栄太兄」

 吐息のような言葉に、贈った香りが淡く漂う。
 うなずく余裕もなくその身体を引き寄せた。
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