マイ・リトル・プリンセス

松丹子

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.8 両親と恋人

40 暴露

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 実家に着くと、ちょうど父さんも帰宅したところやった。最初は緊張してた礼奈も、父さんと母さんの軽口につられて、ほぐれていくのを見てほっとする。
 他人の家にひとりだけ、なんてよほど気心知れてても気疲れするやろう。数日泊まることにもなるし、礼奈がリラックスしてくれるならそれに超したことはない。
 あらかた食事を終えて、食器を流しに下げながら、礼奈は母さんに聞かれるままに、今日してきた街歩きの感動を話している。母さんも母さんで、俺にするよりもよほど嬉しそうにあいづちを打ってはる。
 ばあちゃんは俺が生まれる前に死んだから、実家の台所に女ふたりが並んどるところなんか見た記憶がない。なんや新鮮やなぁとその背中を眺めていて、ふと思うた。
 うちに女の子がいたらこんな感じやったのかなぁ。
 それと似たようなことを思うたのか、父さんが口を開く気配がして、

「和歌子、嬉しそうやな」

 ああ、と答えて、横顔を見やる。もとから無口な人やし、何を考えてるのかは相変わらず分からへん。
 次いでふらっと席を立ったなと思ったら、台所で母さんを手伝う礼奈に声をかけた。

「礼奈ちゃん、お風呂沸いたから入ってきたらどうや」
「えっ、でも……」
「いいから、いいから。疲れたでしょ。入っておいで。栄太郎、シャンプーとかあれこれ、教えてあげて」
「へーい」

 残ってた酒を飲みほして立ち上がると、行くで、と礼奈に声をかける。礼奈ははにかんだように微笑んで、父さんと母さんに頭を下げつつ「お先にいただきます」と出てきた。
 廊下に出ると、ちらと礼奈を見下ろす。

「……疲れたやろ」
「え?」

 丸い目がまばたきして俺を見上げた。

「母さんたち、喜びすぎてうるさいやん」
「そうかな。全然、気にならないけど」

 言って、礼奈はふわりと笑った。

「歓迎してもらえてるのが分かるから……嬉しい」

 ――あ、今、きゅーんてした。
 頬が緩むのを抑えて、ほほえみにとどめる。「そか、ならよかった」とうなずきつつ、一瞬母さんたちがいる方をかえりみて、これくらいならええやろ、と頭に手をやった。
 頭を撫でられた礼奈が、喉を鳴らすようなくすぐったそうな声で笑う。
 あー、ほんま天使やなぁ。礼奈が微笑んでくれるだけで、俺のHPは一瞬にして回復するわ。
 風呂場の引き出しからタオルを出して、一通りモノの場所を確認すると、「ゆっくりどうぞ」と声をかける。

「うん、ありがと。じゃあ……入ってくるね」

 礼奈は笑って、ばいばい、と小さく手を振って戸を閉じた。
 ……はぁー、かわええ。ほんまかわええ。
 無邪気な「ばいばい」を味わいながら廊下を戻る。
 ああいうちょっと幼い仕草、たぶん無意識なんやろうな。やっぱり小さいときから一緒におるからつい出るんやろか。
 あまりに和やかな時間に、ふわふわと心が浮ついてやわやわになっていた。リビングへ繋がるドアを開け、無造作に食卓へ向かう。
 そこでは、母さんと父さんがまだ飲んでいて――俺が戻って来たことを見て取るなり、キラッと……ちゅうより、ギラっと、目を輝かせた。

「あっ、来た来た」

 母さんの弾んだ声に、はっ――と身構える。
 そうやった――ここは魔の巣窟や。気ぃ抜いたらあかんかった。
 なんや? いったいなにするつもりや?
 イヤーな予感に、腰が引ける。それを察していたかのように、背後に回った母さんが俺を机の方へと押した。いやバック取るなや。怖い怖い怖い。

「まあまあまあまあ、座りなさい」

 嫌や。絶対嫌や!
 ――と思うけど、抵抗はできへん。この人に抵抗なんてしたら何されるか分かったもんやない。実際、「栄太郎。礼奈ちゃんが来るっていうから掃除してたら、あんたが高校生のときの『お宝』が見つかって」と耳元でささやかれた。
 お、お宝ってなんや……くそ、ガキの頃の俺、いくら大事かてそういうもんは捨てとかなあかんやろ!
 自分のツメの甘さに歯ぎしりする。
 不敵に笑う母さんを横目に、渋々椅子に腰掛けた。
 この人絶対、悪魔に心売っとるわ――いや、母さん自身が悪魔か魔王か。そうやそうに決まっとる!

「まあまあまあ」

 一方、間延びした声で言いながら、父さんが空いてた湯飲みに酒を注いだ。
 いや、え? どぽどぽいうてるやん。それ日本酒やろ。どんだけ飲ませるつもりやの。
 動揺のあまり心の中でツッコミを入れるが、「乾杯」と湯飲みを掲げられて、仕方なくコツンと合わせた。

「――で、さっき和香子から聞いたんやけど」

 酒に口をつけた俺に、父さんはおっとりと、

「お前、童貞なんやて?」

 ごふっ――

「なに机消毒してんねん」
「やだ、お酒がもったいない」

 ぶしゃぁ、と俺が噴き出した酒が机に広がり、母さんが台ふきで机を拭く。俺はむせながらその顔をにらみつけた。

 そ、それ――それ――わざわざ、父さんに言う!?

 真っ白になった頭で、俺はほんの二時間ほど前のことを思い出してた。
 家に着いて礼奈を部屋に案内するとき、会話の流れで、母さんに俺が未経験やっちゅうことがバレた。そのとき嫌な予感はしてたけど、その後何も言わんからもう忘れたんか、珍しく人間らしい思いやりを持ってくれたんかと期待したのに――

 ――やっぱ魔王や!!

「ははぁ。ほんまなんやな」
「どっ、どぅえっ……!」
「落ち着きなさいよ、栄太郎ってば」

 ふむと腕組みする父さんと、微苦笑を浮かべて俺の肩をたたく母さん。
 なんやのこれ! なんの地獄やの!

「――だ、だってそんなん――母さんが言うたんやん!」
「……なにを?」

 父さんが、首をかしげて母さんを見る。その手にはのままの焼酎が、よりによってマグカップに入っとる。いや、いくらなんでも飲み過ぎちゃうん? 肝臓壊すで?

「だぁって。大学で東京行くっていうからさー。政人みたいに遊び回ったら大変じゃない。 婚前は禁止って言っといたのよ」

 まさか馬鹿正直に守ってるなんて思わなかったけど――と付け足された言葉に歯がみする。あんだけ圧かけといてどの口が言うねん!
 父さんはまたまばたきした。

「そんなん、俺たちのときかて……」
「あーあーあー、孝次郎くんてば。それはふたりのヒミツでしょ」

 母さんは、ちっちっち、と人差し指を立てた。
 ――なんやて?
 俺は思わず息をのむ。

「ちょっ――なんやねんソレ! ひとには言うといて、自分はちゃっかり、ヤルだけヤってはったんか!?」
「やーねぇ、そんな下品な表現。礼奈ちゃんに聞こえるわよ」
「ぐっ……!」

 息を詰めて耳を澄ませたが、礼奈が風呂場から出てくる音はしない。
 ほっとしたところで、父さんが「ふむ」とまたマグカップを傾けた。
 ほんま茶ぁ飲んではるみたいな飲み方やな!
 でも父さんかて男や――俺の気持ちを分かってくれるかもしれん。

「い、言いつけなんて生ぬるいわ。ほとんど呪いやで、呪い! それのせいで俺が何度、辛い思いをしたか――」

 呪い、という言葉を数度口の中で転がしたあと、父さんが目を上げた。

「つまり、そのときになると和歌子の顔が浮かびはるわけか?」

 おっとりした口調ながら、結構えげつないこと言わはる。
 俺は半ば開き直って拳を握った。ええい、もうこうなったら言うだけ言うわ。

「そうや! ひどい話やろ!」
「それは……御愁傷様やなぁ……」

 言葉に反して、その表情は楽しげや。
 くっそー、他人事やと思うて……!
 それに。

「母さん笑い過ぎやで!」
「だっ、だって、ふっ、ふふふふふっ……!」

 顔を背けて震える背中にツッコむと、母さんは耐えかねたように噴き出した。
 あーあーあー、ほんっま腹立つわ!

「だ、誰のせいでこんなんなったと……!」
「あら、いいじゃない。いつでも私の顔が浮かぶんでしょ」
「いいわけあるか!!」
「お守りと思えば」
「要らんがな!!」

 ついつい口調が大きくなるのを、しぃと指で諭された。はっと息を飲み込んで、とっさに廊下の方を見やった。
 ……礼奈が上がってくる気配はない。
 父さんがまた、マグカップにとぽとぽと焼酎を注ぎ始めた。

「いうても、あれや。かわええなーとは思うてるやんな?」
「そ、そりゃ思てるわ……」
「抱きしめたいとか、脱がせたいとかも思うんやろ?」
「そっ……」

 あまりに、明け透け過ぎる。俺は目を泳がせた。母さんがまた、笑いを堪えて震えてはる。
 答えないままの俺を見て、父さんはうなずいた。

「せやったらまあ、そのときになればどうにかなるやろ」

 これで話は終わりや、とでも言うように、ぐび。と、喉が鳴るほどの量の焼酎を、また一口。

「――お、俺、トイレ!」

 げらげら笑いだした母さんをにらみつけて、席を立った。
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