マイ・リトル・プリンセス

松丹子

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.11 新婚旅行

70 翻弄

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 仙台市周辺を少し散策した後、旅館に向かった。
 仙台から車で一時間とかからない、山あいの温泉地。旅館では送迎もしてくれるけど、その時間で動くよりも俺が運転した方が気楽やし、好きに動けるからレンタカーを選んだ。

「うぅーんんっ」

 車を降りるなり、礼奈が伸びをした。緑の香りを存分に吸って、満足げに吐息をつく。

「はぁー。気持ちいいねぇ」
「せやな」
「あっ、持つ!」

 後部座席から荷物を出した俺に、礼奈が手を伸ばしてくる。「ええから」と荷物の代わりに手をとると、礼奈がくすぐったそうに笑う。

「手、繋ぐ方が大事?」
「せや。当たり前やろ」

 言い合って、笑い合って、旅館の本棟へ向かった。
 本棟はコンクリ作りの建物やけど、味気なくならないようにか、瓦屋根みたいなもので日本家屋風にデザインされとる。フロントでチェックインを済ませると、女将然とした着物の女性が出て来た。

「金田さまですね。お待ちしておりました、こちらへどうぞ」

 俺たちが泊まるのは2つある離れのうちのひとつで、本館とは渡り廊下で繋がっとるらしい。

「お部屋にも温泉がありますけれど、大浴場はこちらになっておりますので」
「……え、温泉付きのお部屋なの?」

 礼奈に無邪気に問われて、一瞬答えが喉に詰まった。

「あ、ああ、まあ……」
「すごーい! そんなお部屋初めて!」

 下心はない――と、言い切れない分、輝く目で見上げられると、なんとなく気まずい。そんな俺たちを見て、女将がくすりと笑った。
 ……礼奈のかわいさに笑ったんやろうな? さすがに俺の下心にニヤリとしたわけやないよな? 相手はプロなわけやし……。
 顔が赤くなってへんか、気が気でないまま通された離れは、日本家屋風の小ぶりな一軒家様をしていた。さすがにコンロは置いてへんけど。

「お部屋はこちらでございます。何かございましたら、カウンターまでお電話ください。六時頃、お食事をお持ちいたしますね。それまでごゆっくりお過ごしください」
「ありがとうございます!」
「ふふ。かわいらしい奥様ですね」

 ええ、まあ……そうなんですけど。かわいすぎてしんどいくらいなんですけど。
 女将が頭を下げて下がっていくと、どぎまぎしながら部屋に足を踏み入れた。「お邪魔しまぁす」なんて言いながら一歩先に入った礼奈が、めっちゃ弾んだ歓声を上げはる。

「うわぁ、広ぉい! 川も見えて、良い景色! あ、寝室奥にある……へぇ、和室だけどローベッドなんだ、しゃれてるねぇ」

 きゃっきゃと喜びながら、左奥の引戸の先に入った礼奈は、入口にいる俺からだと壁に隠れている方を見てわぁっとまた歓声をあげた。

「ほんとだぁ! 露天風呂がある!」

 手で口を押さえて俺の方を見る。

「ね、来て! 見て! 栄太兄、ほら!」

 ぶんぶん手を振る礼奈の、きらきらした目がいたたまれへん。「まあ、そりゃ、俺がとったんやし」とかゴニョゴニョ言いながら近づいた。
 礼奈の隣に立つと、写真で見るよりもインパクトのある風景が、目の前に広がった。一応カーテンがついてるとはいえ、一面ガラス張りの向こうには石作りの露天風呂と木々と空の広がり。眼下には川の流れも見える。
 一瞬、煩悩も忘れて「はぁ……こりゃすごいな」と呟いた。礼奈のハイテンションにも納得や。礼奈も「でしょでしょ!」と跳び跳ねんばかりに言うて、ぎゅ、と抱きついてきた。

「な、なんや? どうした?」

 困惑した俺に、礼奈がまっすぐ笑顔を向けて来る。

「ありがと、栄太兄。こんな素敵なとこ取ってくれて」

 心から嬉しそうに言われて、心臓がぎゅっと苦しくなる。
 あああ、ほんま好きやなぁ。一瞬ためらってからその身体を抱きしめると、礼奈もぎゅうと抱きしめ返してきた。

「たくさん、調べてくれたんでしょ。忙しいのに……ありがと。ほんとに、嬉しい」
「うん……でも、礼奈が喜んでくれるなら、安いもんや」
「ふふふ。栄太兄ってばそればっかり」

 礼奈が笑って、俺を見上げてくる。
 ――と、その目に一瞬、緊張が走った。

「栄太兄」
「うん?」

 あの……その……としばらく迷った後で、礼奈は上目遣いで俺を見上げて、

「いっしょに……入る? ……お風呂」

 ――ハイ喜んで!

 本能的に首を縦に振りかけて、ギリギリで堪えた。
 そんなん、礼奈のことや、当然下品なこと想像してはるわけない。きっと立派な部屋風呂に感動して、その感動を俺と共有したいっちゅうだけのことのはずや。
 礼奈の裸が見られるとか、ともすれば温泉でイチャイチャとか、そんなん思うてたらあかん。礼奈と風呂を楽しむことや。礼奈と風呂を……風呂の礼奈を……いや、違うて、風呂に入る礼奈やなくて、風呂を楽しむんや!
 けどそんなん、ほんまにできるか? 礼奈が目の前で風呂に入っとって、凝視せん自信あるか? 豆腐屋で百面相してはる横顔も息止めて見るくらいに堪能した俺やで。ほんのり赤く染まる肌、湯気に揺らぐ四肢の輪郭……ただでさえあられもない格好した礼奈が、目の前でそんなんなってじっくり見られへんなんて拷問ちゃうか?
 ……いや、礼奈かてもう大人やで。この状況で男がどうしたいかなんて分かってはるやろ。卒業したらハジメテを……なんちゅう話もしてたわけやし、期待しとんのは礼奈の方――ちゅうことも、万に一つあるやん。
 そうか、となるとむしろ、礼奈の方から誘ってるて考えてもええんやないか!?
 あああ、あかん! 考えれば考えるほど分からんようなってきた! ここで俺の取るべき選択肢はどれや! 俺はいつオオカミになるべきなんやー!

「あの……栄太兄、疲れてるみたいだからテレビでも見て休む? 私、先にお湯、いただくね」

 頭を抱え始めた俺に、礼奈は気の毒そうな目を向けてきて言うた。なんや俺の思考回路があらかた読まれてるような気がするけど……とりあえず頭がこんがらがっとるんは確かなんで、「うん、そうするわ……」言うて、隣の和室へ戻った。
 礼奈はうんとうなずいて、奥の部屋で浴衣やら何やら、準備してはるらしい。
 がさごそと衣擦れの音がし始めて、心臓がガツガツ胸を叩き始める。煩悩まみれの妄想が、脳内にダダ漏れ始めた。あかん、音だけって逆に妄想が膨らみすぎる。少しでも落ち着かせるべく、慌ててテレビの電源をつけて音量を上げる。それでも礼奈の息づかいが聞こえる気がして――あかん、どうすればいいんや! どうすれば――
 そうや!

 心頭滅却……!

 そこからひたすら、脳内で四字熟語を呟き始めた。
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