マイ・リトル・プリンセス

松丹子

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 年が明けるとすぐ、俺は鎌倉に向かった。
 ばあちゃんがひとりで年越しをすることになるから、寂しいやろうと、礼奈が一緒におるからや。
 そわそわしながら家を出る俺を、父さんたちは笑った。

「ちょっと、落ち着きなさいよ。忘れ物ない?」
「ははは。はやく礼奈ちゃんに会いたいんやろ」
「当たり前やろ」

 即答したらしたで、けらけら笑われる。

「溺愛するのもいいけどさ、うっとうしがられて、礼奈ちゃんに愛想尽かされないようにね」

 うっ……。それは、どうか分からん。
 とにかく俺は、こと、礼奈に関しては歯止めが効かんねん。結婚式んときも礼奈自身よりドレス選びに熱心やったし(せやかて、あんな豪華なドレス、よりどりみどりで着放題やねんで? ただでさえお姫様みたいな礼奈が、ふりふりふわふわからすらっとしたきれいなやつまで、アクセサリーもティアラやらなんやら、あれこれ身につけては照れくさそうに「栄太兄……どうかな」なんて俺の顔見上げてくんねやもん、ほんま鼻血噴きそうになるやんか。もちろん試着したやつも全部写真に撮っておいたしこっそりフォトブック作っておいた。あっもちろん内緒やで、たぶん礼奈に見つかったら捨てられるからな)、とにかく一挙一動一分一秒動画に撮っておきたいくらいやし(けど動画やと平面になるのが悔しいねんな、立体で記録できる媒体があったら間違いなく使っとるわ、ホログラムでできへんもんかな、触れんのが残念やけど)。

 あー、ちょっとでも礼奈のこと思い出すともう、いてもたってもいられん。
 挙動不審になりながらも、「おう」と短く答えて、「今度は礼奈ちゃんとおいで」「向こうのみんなによろしく」と言われて手を振り返した。

 実家に帰ってる間、礼奈とはあえてメッセージだけのやりとりにしとった。なんでて、少しでも声聞いたらきっともっと聞きたくなるし、なんなら眠ってる間も横に置いといて息づかい聞いてたいくらいやし、そうすると抱きしめたくなってうずうずするやろし――一応、俺なりに冷静さを保てるラインを考えた結果や。それで冷静言うなや、てつっこまんどいてな。

 ともあれかくあれ、電車に揺られ、京都で新幹線に乗り換えて、また在来線に乗り換えて、鎌倉まで向かう。途上もすでに、俺の心は礼奈の元や――礼奈、もう少しで会えるで。寂しかったやろ!
 なーんてな。どうせ、礼奈はあっけらかんとしてんのやろな。
 特に結婚してから、会うのを待ちわびてるのは俺ばっかりや。
 それがちょっと寂しくも、物足りなくも思える気はするけど……まあ、可愛い礼奈に会えるんやし細かいことはどうでもええな。
 自然と緩む口元をそのままに、俺はばあちゃんちへと向かった。

 ***

「ばーちゃん、着いたでー」

 鎌倉の家の前に立ったのは、それから四時間ほどした後。時間はそう遅くもないんやけど、まだ日が短いから、青かった空にはそろそろ夕方の気配をにじんどる。

「ああ、栄太郎。ご苦労さま」

 リビングから出てきたばあちゃんが、ほてほてとスリッパの音を立てながら出てきた。俺は微笑み返してうなずきつつ、その奥にもう一人を探す。

 礼奈。……礼奈は?
 出てこんけど、買い物にでも行っとるんやろか?
 確かめようと足下を見ると、靴箱の下に寄せた見慣れた靴があった。俺よりも拳ひとつ分小さな、二十二センチのスニーカー。
 ばあちゃんちに来るときには、動きやすい靴を選んどるらしい。じいちゃんが徘徊するようになってからの習慣や。

「礼奈ー、栄太郎が来たよ」
「うん、分かってるー」

 俺がそわそわしてるのを察したばあちゃんが声をかけてくれた。けど、奥からは声がするだけや。ばあちゃんは苦笑して、「とにかく上がりなさい」と言い残してリビングへ向かう。
 ばあちゃんに気遣われたのが分かり、いたたまれなさでうつむいた。

 俺……そんなに、礼奈に会いたい! て顔しとったかな。しとったかもな。恥ずかしいなぁ……。

 そんでも、礼奈が駆け寄って来てくれへんかなーなんて期待を捨てられんで、あえてゆっくり鞄を置いて、靴を脱いで……さりげなーく、なにげなーく、待ってみるけど、礼奈が出てくる気配はない。
 ……やっぱ、俺の一方通行やねんなー。
 浮き足立ってた心が、ずーんと沈んで冷静さを取り戻す。まあ、そうやんな。今までも、会えるのなんて一ヶ月に一度とかやったし、クリスマスの翌日会ったばっかやし、そっから一週間くらいしか経ってへんし、早よ会いたいて思う方がどうかしてんねんな。
 駄目やなぁ。仕事のある日はともかく、休みが続くとどうも、礼奈のことばっかり考えてもうて――
 ばあちゃんに続いて、リビングのドアをくぐった俺に、

「栄太兄、おかえり」

 ぱっと咲いた、礼奈の笑顔に目を奪われる。雑多にものが置かれたリビングも、それに続くダイニングもキッチンも、ぜーんぶ視界から消えて、礼奈の笑顔だけが目に飛び込んできた。
 抱きしめたい。
 本能的に手を差しのばしかけて、かろうじて思いとどまった。
 ばあちゃんが、なんとも生暖かい笑顔で俺たちを見てはる。

「……うん、ただいま……」
「今、お茶入れるね。外、寒かったでしょ。お腹、空いてるかな。明日の下準備で煮物作ったんだけど、夜にも少し食べようかっておばあちゃんと話してて。すぐ夕飯もできるけど、さすがにまだ早いかな?」

 俺が挨拶をかみしめつつ答える一方、礼奈はてきぱきと動く。
 なんや切ない気分がまた、胸に広がった。

 おかえり、ただいま、なんてやりとり、まだ一緒に住んでない俺らはほとんどしたことないねんで。それなのにそんな、するーっと流れていくようなもんなんやろか。
 もちろんこれから慣れてはいくんやろうけど、でもな。でも……
 どうにかため息をこらえたものの、嬉しさと切なさで悶々とする。そんな俺に気づいたように、ばあちゃんが「礼奈、礼奈」と礼奈を追ってキッチンへ入った。
 しばらくすると、「でも」「いいから」とやりとりしながら、礼奈が出てくる。一人分の距離を開けて俺の前に立ち止まった礼奈が、上目遣いに見上げてきた。
 きゅうん。て胸が鳴る。

 ――あかん、かわいすぎる。

 目前にしてようやく気づく。父さん母さんと過ごした数日の間に、俺の頭の中の礼奈は、知らず知らず小さいときの姿に戻りかけとったらしい。
 でも今目の前に立ってはるのは間違いなく大人の礼奈で――俺の愛を一身に受ける礼奈で、そのなんというか、今までになかった色気っちゅうか、女の子から女になった、そんな雰囲気を身にまとっていて――

「栄太兄、上に行こ。シーツとか、ベッドに張ってないから、準備しなきゃ」
「あ……ああ。おおきに……」

 礼奈につられるように、鞄を手にしたままリビングを出た。ぱたんとドアが閉まり、冷えた廊下の空気が足下から身体にまとわりつく。
 そういやコートも着っぱなしやったわ。
 思って手を上げかけたところに、ぽん、と軽いものが飛び込んできた。

「……おかえり」

 腹のところで、礼奈がつぶやく。
 一瞬、息が止まる。

 礼奈のやつ……俺をもだえ殺すつもりか!
 ――本望や!!
 あああああ、くっそー、荷物持ってて抱きしめられへんやんかー!!

 みっともなく崩れそうになる相貌を、奥歯をかみしめてギリギリこらえた。
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