マイ・リトル・プリンセス

松丹子

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.6 重なる道

29 困惑

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 まずは一番近いコンビニに向かったが、礼奈はおらんかった。
 近くにはにぎやかにたむろう観光客がいて、俺の予想通り、アルコールの匂いも漂う。
 その様子に、不安がつのった。
 あかん。ほんま、酔っぱらいに絡まれて泣いてへんやろか。礼奈――
 鎌倉の花火大会。酔っぱらいに絡まれても、気丈ににらみ返していた姿を思い出す。
 小柄ながら負けん気の強い礼奈。本当は甘えたなくせに、誰かの前だと意地になる礼奈。
 想像の中の礼奈は、知らず知らず、小さな少女の面影に刷り変わる。
 ――どこにおんねん、礼奈。
 近くをあっちこっちに歩き回るが、大きい通りはどこもものすごい人や。
 辟易して小道に入ったところで、ふと思い出した。
 そういえば、礼奈も人が多いとこは苦手やったな。人混みを見て避けたかもしれん。
 小道を選んで早足で進む。
 どこや、礼奈。――どこや?
 つい、小さな女の子の姿を目で探した。
 うずくまっている小さな姿。目に涙をいっぱいためて、じっと俺を待つ女の子。
 ――アホやなぁ。礼奈はもう、小さい女の子やないのに。
 それでも、俺の中にある症状の幻影は消えへん。
 礼奈。――礼奈。
 祈るように、願うように、心の中で何度も何度も名前を呼ぶ。
 気持ちが通じたのか、神様もさすがに憐れんだか――住宅街に入ったところで、ようやく礼奈の姿を見つけた。
 ――よかった、誰にも絡まれてへんらしい。
 ほっと胸を撫で下ろすと同時に、呼びかけた。

「礼奈」

 俺の声を聞くなり、礼奈ははっとした顔で振り向いた。
 周囲には誰もおらんけど、血の気の引いたような頬が寒そうや。

「よかった。近くにおらんから、探したんやで」

 頬をほころばせて近づけば、じっと俺を見つめていた礼奈の目が急に潤みだす。
 ……と思えば、ほろっと涙が溢れてぎょっとした。

 ――えっ!? 何!? なんや!? やっぱり何か怖いことでもあったんか!?

「れ、礼奈? どないしたんや?」

 何も考えずに近づいて、うろたえる。
 手を伸ばして、いいものか。
 今までやったら気にせず頭でも背中でも撫でてたやろうけど、でも、今は、礼奈にもカレシがおるはずで。
 俺は、礼奈のイトコで。
 イトコって、どうしたらええんやろ?
 分からん。そういう距離感、掴むの下手くそやねん!
 混乱する俺を差し置いて、礼奈はその場にうずくまり、泣きじゃくってはる。
 こんな泣くのなんて、初めて見た。突然のことに俺もどうしたらええんか分からへん。

「れ……礼奈……? 何かあったんか?」

 顔を両手で覆って泣いている小さな姿が、どうにもいとおしいのに、手が伸ばせないのが切ない。
 ああ、もう。どうしたらええんやろ。どうしたら、泣き止んでくれはるんやろ。
 俺が泣かせたんか? どうして?
 分からん、分からんけど、泣きやんでほしい。礼奈には、笑うていてほしい。
 礼奈。俺はどうしたらいい? 礼奈。礼奈――

「礼奈」

 手を伸ばしかけては引っ込め、手を伸ばし、を何度となく繰り返して、心を決めてその髪に触れた。
 ぴくりと、礼奈の肩が震える。

「……礼奈」

 とにかく落ち着かせたくて、名前を呼ぶ。
 癖のないさらりとした髪が、冷えて半ば感覚を失った俺の指の腹をくすぐる。
 すっかり伸びて、女らしくなった髪。
 ――礼奈。
 もっと触れたくなって、そろりと耳の上を撫でるようにした。
 礼奈。泣かんでくれ。
 礼奈。――誰よりも、大事な、大事な、女の子。
 そうや。……誰よりも。
 俺の方が泣きそうになったとき、礼奈は涙でぐちゃぐちゃの目を上げた。

「栄太兄の、馬鹿ぁ」

 ……なんやねん、それ。
 唖然として、思わず口をつきそうになった言葉を飲み込んだ。
 ――なんやねん、ほんま。
 がっかりしたはずやのに、なんとなく、落ち着かない。
 礼奈の声音に、甘えるような気配を感じたからかもしれん。
 これが俺だけに見せる顔やって、分かったからかもしれん。
 ――なんやねん、こんなん言うてもかわええなんて。
 ただ俺が重症なだけやないか、心の中で自分にツッコむ。
 泣きじゃくる礼奈に寄り添って、しばらく黙って待ってみた。
 それでも、礼奈は泣き止みそうにない。
 あかん、何で泣いてんのかほんま分からへん。
 それに、いい加減――俺が寒い。
 コートを着て来うへんかったことを後悔する。そういや、健人が何か言うてたな。たまには言うこと聞くべきやった。
 手に息を吹きかけて耐えようとして、無駄なあがきやなと思い直す。
 これで風邪引いてもあかん。
 ――諦めて、健人に電話をした。
 こういうときは健人頼みな辺り、また情けないな……俺。

 健人は思ったよりもすぐに来た。もしかして近くまで来てたのかもしれへん。
 俺たちを見つけるやずかずか大股でやってくると、さも面白そうに笑った。
 「なーにしてんの。犬が動かなくなっちゃった散歩みたいだね」なんて軽口から、礼奈が苛立つようなことを平気で口にする。まったくこいつ、ほんましょーもないやっちゃな。

「何。彼と何かあった?」

 健人の言葉に、礼奈がはっと顔を上げた。こわばった表情で、健人を睨みつける。

「健人兄は、どうしていっつもそう――」

 兄を詰りながら立ち上がろうとした礼奈の、足元がふらついた。とっさに身体を支えてやる。
 立ちくらみやろか。

「大丈夫か? あんまり急に立たん方が……」

 心配で顔をのぞきこんだが、「大丈夫だから!」と手を振り払われた。思わず身を引いた俺に、礼奈は言う。

「とにかく、いいから! 私のことは、放っておいて!!」

 な……なんや、なんなんや?
 今の流れからすると、彼氏と何かあったんやろうけど、さすがにちょっと、傷つくっちゅうか……いや、俺は関係ないかもしれへんけど、でも、気になるっちゅうか……
 やれやれと、健人のわざとらしいため息が聞こえた。

「別にお前がどうしようと勝手だけどさー。振り回される方の身にもなれよな。――俺には関係ないけど」

 こ、こいつ。ほんま冷たいやっちゃな。小さく睨み付けたが、健人はひょい、と肩をすくめて歩きだし、「栄太兄、行くよ」と呼んだ。
 俺も応えて足を進めかけたが、礼奈がついて来うへん。俺は立ち止まって振り向いた。

「礼奈。とりあえず、帰らへんか? みんな心配するで」
「いーじゃん、礼奈だってもうガキじゃないんだから、一人で帰れるよ」

 駅への行き方は教えてやると、健人は淡々と道を示した。
 なんて冷たいやつや。何があったかは分からへんけど、泣くほど傷心の人間やで。いくら妹や言うても、いや、妹やのに、そんな突き放す必要あるか?

「おい、健人。お前茶化すのもほどほどに――」
「……分かった」

 いらだつ俺の言葉を遮ったのは、礼奈の声やった。

「みんなによろしく伝えて。今日は、もう、帰る」

 うつむきながらも、礼奈ははっきりそう言った。
 慌てたのは俺の方や。

「れ、礼奈。そんな意地張らんでも」
「ごめん、栄太兄。意地張るとかじゃないから。ちょっと、一人で考えたいの」

 礼奈の声は淡々としてはったけど、顔はうつむいたままや。無理してはるのがありありと分かる。
 なんでや。なんで。かわいそうやん。こんな、こんな――

「探しに来てくれて、ありがと。もう、一人で大丈夫だから。バイバイ」

 礼奈は歩き出す。その背中は止まる気配がない。
 少しずつ、小さく遠ざかっていく後ろ姿。
 たまらん気持ちになって足を踏み出しかけた俺の手首を、健人が掴んだ。

「栄太兄、行くよ」

 有無を言わせない目つき。
 なんやねん、ほんま。
 ――礼奈、ひとりにするなんてかわいそうやのに。

「栄太兄はほんと、礼奈に甘いなぁ」

 歯がみする俺に、健人が苦笑する。俺はその横顔を無言で睨み付けて、もう一度振り向いた。
 角を曲がった礼奈の姿は、もう見えない。
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