マイ・リトル・プリンセス

松丹子

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.6 重なる道

32 叔父の挑発

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 政人を夕飯に誘ったのは、二月の頭やった。
 礼奈とは、関係が関係だけに、いろいろ思うところがあったのもそうやけど、茶化さずに相談を聞いてくれそうな人として、思い浮かぶのは叔父しかおらん。
 春が近づいて、太陽の照るうちはあたたかくても、日が暮れるとさすがにまだ冷える。互いの会社の中間地点として選んだ恵比寿駅に着くと、ビールの宣伝でおなじみのひょうきんなメロディがホームで出迎えてくれた。
 駅近くのオフィス兼商業ビルにいるという政人を探して向かう。
 オフィスと言うにはしゃれ過ぎているレンガ様の建物の中、中央に作られたカフェバーのカウンターに政人を見つけた。

「ああ、栄太郎。お疲れ」

 俺に気づいた叔父は、背の高い椅子に浅く腰掛けたまま手を挙げてきた。
 しゃれた空間に、あまりに馴染みすぎとる。俺は思わず半眼になった。

「なんやここで働いてはる人みたいやな」
「確かに、取引先はあるけどな」

 政人は笑って、残りわずかだったらしいコーヒーを飲み終えた。
 カウンターに声をかけて店を出て来る。俺は自然と、その斜め後ろを歩き始めた。
 五十になってもなお容姿の衰えない横顔を見ながら、俺は懐かしさに似た感覚を抱く。
 小さい頃からずっと、憧れてる男やった。母さんからは「政人みたいにはなるな」と言われ続けていて、それに張り合うように「俺は政人を超えるねん」と言い続けていた。思春期を過ぎると、今さら「政人みたいになりたかってん」などとも言えず、そして就職後、早々に「俺は政人にはなれへん」と白旗を挙げて、それももちろん、心の中に留めた。
 何にも逃げ道を用意して、全部中途半端に生きてきてしもうた。――ほんま情けないこっちゃ。

「そういえば、栄太郎。仕事、決まったんだって?」
「え? ああ……」

 不意に話を振られて、一瞬反応が遅れた。それでも、叔父は穏やかな目で俺の言葉を待っている。

「まあ、そうやな。一応、五月から」
「五月から? 新社会人みたいだな」

 政人はそう笑った。若さをまぶしく見るように細められた目が、むしろ俺にこそまぶしく見える。
 こういう余裕を、俺はたぶん、一生持つことがないんやろうな、と思う。
 まあ――それも個性や。諦め混じりにそう受け入れれば、逆に少し余裕もできる。

「今の会社は三月までやねん。少し時間あるから、ある程度キレイにして出ようと思うて」
「なるほど。丸投げで出て行かないあたり、お前らしいな」

 その評に、思わずどきりとした。俺らしいなんて、政人に肯定的に使われたんは初めてな気がする。

「……俺らしいか?」
「お前らしいよ」

 政人はにやりと笑った。意地悪な笑顔になると、途端に健人の面影が重なる。やっぱり親子やな。

「よく言えば責任感がある。悪く言えば優柔不断」

 政人は俺の背中を強めに叩いた。痛て、と文句を言えば、政人は軽やかに笑う。

「ま、俺も人のこと言えないけどな。――さて、どこで飲もうか」

 俺は苦笑を返して、周囲の店を示した。

 ***

 入った店はスパニッシュバーやった。中は薄暗く、通路は狭い。料理よりも酒がメインだからやろう、机は一人用かと思うほど小さかった。
 適当に料理と飲み物を頼むと、軽く雑談をした。
 新年会のこと。祖父母のこと。俺の転職のこと。
 けれど、その中に礼奈の話題はない。
 それが、意図してのことなのかどうかは分かりかねた。
 一瞬の沈黙の後、俺は腹を決めて息を吸った。

「礼奈は、どうしてはる?」
「礼奈?」

 ビールを傾けていた政人は、アーモンド型の目をまたたいて俺を見た。意外そうな反応に、思わずうろたえる。

「あ、いや。こないだ、ほら。先に帰ってもうたから、あんまり話せんかったし」

 取りつくろうと、政人は「ああ」とあいまいにうなずいた。そして数口、ビールを流し込み、机に置く。なんや考えてるような沈黙が落ち着かない。

「――まあ、普通に学校に通ってるよ。三年からはキャンパスが変わるから、なんとなく寂しがってるけどな」
「さ、さよか……」

 寂しいのは、彼氏と別れたからやないんか。
 喉元まで出かけた言葉はさすがに飲み込んだ。
 いくら話しやすいとはいえ、政人は礼奈の父親や。礼奈もどこまで話してはるんか分からんし、変なことを言うちゃまずいやろう。
 ……変なこと。
 変なこと?
 そういえば、政人は礼奈が俺に告白したこと、知ってはるんやろか。健人は「気づいてるでしょ」なんて言ってはったけど、憶測に過ぎへん。これで今、俺が妙な質問したら、それこそ叔父甥の関係がおかしなことになるかも――

「何、考えてんだ? 似合わねぇな」

 ぐるぐると考えていた俺は、政人の言葉に引き戻された。わざとざっくばらんな口調にしたのは明らかで、叔父はまた、健人に似た意地の悪い笑みを浮かべる。

「で、礼奈がどうした? 急に女らしくなってびっくりしたか?」
「そ、そんなこと……」

 ……あるけど。ありますけど。でも、そういうことやなくて。

「そうだよなぁ。我が娘ながら、美人になったよなぁ。小さい頃はずぅっとお前の足元にしがみついてたのになぁ」

 はー、そうやった。そうやった。一緒におるときはずっと、膝回りに礼奈が抱きついてはって、そりゃもうかわいくてかわいくてたまらんかったもんな。

「さぞかしいい子を連れてくるんだろうなと思ってたら、別れた、なんて言うしなぁ」

 ……。

「ずいぶん大切にしてくれてたようだけど、いったい何があったんだろうなぁ。まあそのおかげで、ここ最近、ちょっと影めいた雰囲気があって、一段と大人びてきたけどな。変な男にでも気に入られないか、親としては心配――」
「ま、政人」

 もうこれは、あれこれ分かって言うてるとしか思えへん。俺は膝上で拳を握り、身を乗り出した。

「なんだ?」

 見透かしたような笑い。俺は息を、吸って、吐く。

「お、俺っ――」

 うわずった声に、一度唾を飲み込んだ。

「礼奈にっ、告白しよう、思て!」
「……はっ?」

 力強く言い切ったら、政人が珍しく、言葉を失くした。

「その、つき合うとった子とは別れた、いうのは健人から聞いた! それで、その――二年前に、約束してて――二十歳の誕生日、俺と一緒に過ごそう、て――でもそれはキャンセルやて言われて――でも、俺――その、礼奈と――」

 一緒にいたい。
 笑ってほしい。
 できれば、俺の隣で、笑うててほしい。
 一緒に、幸せになりたい。ふたりで年老いて行きたい。

 自分の気持ちをどう言葉にすればいいか分からなくなり、俺は言葉を切る。そのままぐっと黙り込んだ俺を見て、政人が深々とため息をついた。

「……告白ねぇ。先に俺に言うのは何で?」
「えっ……いや、その……」

 この気持ちは遊びやない、本気や。将来も考えて、ずっとずっと先の未来を見据えた上で、俺は礼奈のパートナーに申し込むつもりや。
 それをきちんと、政人に告げるべきやと思たことと、自分自身にはっきりさせたかったことと――
 けど、一番気になったのは――

「……礼奈、俺が呼び出して、出てきてくれるやろか……」

 吐き出した声は、予想以上に気弱になった。

「俺と、一緒に過ごす気はないて……言うてことは、俺と会いたくないんやないかて……せやから……」

 下手な言葉で、ぽつりぽつりと不安を口にする。
 政人は呆れた顔で、はぁーあと腹の底から息を吐き出した。
 そ、そんな呆れんでもええやん!
 ちょっと泣きそうになって、膝の上で拳を握る。

「――いつなんだ」
「え?」
「決行予定日」

 政人は店員に手を挙げ、ジェスチャーでビールのおかわりを頼んだ。俺は唾で喉を潤し、おずおずと口を開く。

「……来週末……あたりにしようかと」
「バレンタインデーか」

 政人は鼻で笑った。

「バレンタインデーは、バレンタインデーだぞ」
「……だから何や?」

 何言うてんねん、政人もおかしくなったか?
 訝しんで眉を寄せれば、妖艶にも見える笑みが目の前にあった。

「男から告白するなら、スーツにバラの花束でも持って家に迎えに来いよ」

 スーツに。
 バラの花束。

 俺はぽかんとして、それこそいかにもバラの花束の似合いそうな叔父を見つめた。
 政人はさも可笑しそうに、挑発するような不適な笑みを浮かべている。
 ……こう見ると、政人もあれやな。RPGのラスボス、まで行かなくても、四天王くらいにはなりそうやな。

「本気だってんなら、それくらいできんだろ? そうだなぁ。朝イチ……九時、十時までなら、どこにも行かずに家にいると思うぞ」

 スーツに、バラの花束。
 朝一で、政人の――礼奈の家に。

「……本気か?」
「それは俺のセリフだ」

 政人は新しいジョッキを持ってきた店員に空のジョッキを渡すと、一気に煽った。飲み干して、ドン、とジョッキを机に置く。

「いくら甥とはいえ、生半可な気持ちの奴に娘の隣をやる気はないぞ」

 顔は笑っているものの、その目は全く笑っていない。
 俺は思わず生唾を飲んだ。
 ――ああ、そうやな。
 礼奈は、政人にとっても、大事な大事なおひいさまなんやから。
 表情を引き締めて、こくりとうなずいた。

「……分かった」

 俺もジョッキに残ったビールを一気に飲み干すと、同じようにジェスチャーでおかわりを頼む。気づいた店員が新しいものを持ってきてくれはる前に、俺は背筋を正して政人を見つめた。

「俺かて男や。やるときはやったるで」
「はは、ま、無理すんな。礼奈が一生独り身でも、俺がちゃんと幸せにしてやる」
「なんやと。そんなん俺かて――」

 言いかけて、ためらった。政人がまたおちょくるような目で俺を見る。

「なんだよ。勢いで迫る若さもなくしたか?」

 馬鹿にするような挑発には応じず、

「……礼奈が選ぶことや」

 店員が持ってきたビールを受け取ると、一気に飲み干した。

「せやから、礼奈に選んでもらえるよう、俺は俺なりにがんばるだけや」

 政人は拍子抜けしたような顔をしたけど、それ以上何も言わへんかった。
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