マイ・リトル・プリンセス

松丹子

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.2 イトコたち

09 母の背中

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 そんなわけで、年末になった。高々と宣言して休んだ年末休暇の初日、まず京都の北野天満宮に向かった。
 受験と言えばまずはここやろ。俺自身も、合格祈願はここでした記憶がある。
 近くには他にもあれこれ神社があるけど、とりあえず、近いところでもう一社寄ってみた。二つもあれば十分やろ、と満足して電車に乗ったら、電車に「合格祈願なら」と広告がある。
 知らない寺社の名前にスマホで検索してみると、なかなか由縁ありげだ。なるほど、それならと途中下車して三つめのお守りを買い、実家に帰った。

「あらぁ、何それ。お守り?」

 荷物を広げていたら、母が不思議そうに訊ねてきた。ああ、と答えて顔を上げると、腕組みをして見下ろす姿がある。
 年齢の割には、小綺麗な方やと思う。いまだにナンパされるらしく、ときどき誇らしげに話してくるが、「昔はめんどくさいなと思ってたのに、私もオバサンになったわよねー」と言う辺り、そういう自覚はあるらしい。

「一、二、三……三つも?」
「……ええやろ、別に。いくつ買っても」

 確かに、ちょっと多いやろうかとは思わなくもない。けど、これでも絞った方や。
 それに、こういうときは気になったら買うとけ、後悔先に立たず、てやつや。
 一か所ごとに手を合わせるたび、心が落ち着いていく気もするしな。とにかく礼奈に何かしてやりたいねん。俺かて受験のときはもうへとへとやったし、毎日半泣き状態やったし、「もうあかん」言うて母さんに喝(物理的に)入れられてたし――あんな大変な思いを礼奈がしてると思うと、いてもたってもいられへん。俺ができること言うたら、ほんと神頼みくらいなもんや。

「ふぅん」

 母は腕組みをして俺を見下ろしていたが、不意ににやりとした。

「それなら、この近くでも買っていけば?」

 その提案に、俺はまばたきしてからうなずいた。
 確かに、歴史ある寺社も多い奈良だ。翌日、徒歩圏内にある大きな寺を、母と参拝することにした。

 ***

「久々ね。あんたとこうやって歩くの」

 首元をマフラーでぐるぐる巻きにした母はそう言うて、ポケットに手を突っ込んだまま隣を歩く俺の肘に手を添えた。
 珍しい触れ合いにぎくりとしたものの、俺とて思春期は過ぎて久しい。機嫌良さげな母の気分に水を差す気にもならず、好きにさせることにした。

「すっかり大人になったわねぇ」

 呟く母を見下ろして、俺も不思議な気分になる。
 ――なんかこう、想像してもうた。母さんが、父さんの恋人だった頃、ちゅうのを。

「……母さん、この辺、父さんと歩いたりしたん?」

 素朴に訊いたつもりやったけど、母は目をぱちぱちして、ふふ、と笑った。
 あ、なんかあれやな。そうやって笑う時、ちょっと礼奈に似とるな。
 そんなことに気づいてちょっと気まずくなる。

「そうねぇ。まあ、歩いたかなぁ。私たち、あんまりごちゃごちゃしたとこ好きじゃないし」
「……そやね」

 前を見る母の目が、いつも俺を茶化すものと違うて見えた。
 そうやなぁ。父さんにしてみたら、母さんはおひいさんやねんもんなぁ。
 あまり家にいることの多くない父やけど、母を愛してはるのはよう知っとる。小さいとき、母と喧嘩して投げつけたおもちゃが、母の額に傷をつくった。そのときの父の剣幕たるや、ほとんど殺されるかと思うたくらいで、さすがの母も血相変えて父を止めにかかったくらいや。
 警察官の父さんやから、本気になれば俺をオトすくらい造作もないやろう。――そんなん見たのはそのときだけやけど。

「母さんは、どうして父さんと一緒になったん?」

 今さらといえば今さらな疑問を、初めて言葉にしてみた。

「どうしたの、急に。あ、もしかして、いい人でもできた?」

 目を輝かせる母に肩をすくめる。

「そうやないけど……今聞いとかんと、次いつ聞けるか分からんなー思うて」

 縁起でもないやろうか、と気まずくなって前を向く。
 ――一年前の祖父の死が、俺の頭に残っている。
 最後まで、かくしゃくとした祖父やった。体調が悪くなる前にも、帰省して会っとったけど、そんなにも早く失われる存在になるやなんて思うてへんかった。
 ――和歌子に心配かけるなよ。やることはちゃんとやれ。ええな、栄太郎。
 別れ際にそう言われたとき、俺はいつも同じことを言うてるなぁと思っただけやった。笑って、「じいちゃんも元気でな。また来るで」と手を振ると、ろくに振り返りもせずに家を出た。訃報があったのは、それから数日後のことやった。
 それから――もう一年。
 まだ、一年。

「……家、出てから、じいちゃんと話したのって、合計すると何時間くらいやったんやろなーとか、考えとって」

 母がちらりと俺を見て、微笑む。

「あんたも気づくようになったのね、そういうこと」

 ぽつりと口にした言葉は、珍しいほどの重みを持って聞こえた。はっとして、俺は思わず母を見る。母は穏やかに微笑んだまま、前を見つめている。
 広い境内には、国宝、重要文化財、その手の建物ばかりが並んでいる。俺たちの人生なんて、この境内の歴史に比べればあっと言う間で、それでも、ずぅっと続いていく。俺、父さん、じいちゃん――そうやってずぅっと遡っていけば、俺たちはきっとこの寺の歴史と繋がる。果てしない時間の流れと、儚い一生――
 それをどう過ごすかは、その人にしか決められへん。

「……母さんは、こっち来てから何度鎌倉に帰った?」
「さぁねぇ。あんたが小さいときには、毎年帰るようにしてたけど。鎌倉から両親が来たこともあったし」

 話す母の横顔には、今まで知らなかった寂しさを感じる。
 母が、父といることを選んだということは、同時に、祖父母との生活を犠牲にしたということなのかもしれへん。
 俺は今まで、そんなことなーんも考えずに、だらだらと過ごしてしまった。
 なんや、不肖の息子やなぁ。
 自分の浅はかさが情けなくなる。

「親孝行せなあかんなー」
「そうねぇ。はやく孫の顔が見たいわー」
「……いきなり難易度高いところから言うて来たな」
「ふふふふふ」

 母は笑って、俺の腕に腕を巻き付ける。
 まるで恋人同士のような距離感に、さすがに身体を引いた。

「何するねん」
「いいじゃない、たまには」
「俺を父さんの代わりにすな」
「そう言うなら、代わりにされないように誰か連れておいでよ」

 年末だからか、境内はいつもより人が多い。お守りを買う前に参拝を済ませようと賽銭箱へ向かいながら、母はいたずらっぽく笑っていた。

「そうできたら、苦労せんわ」

 俺が唇を尖らせると、母は笑った。

「栄太郎。どうでもいいけどさ、幸せになってね」

 そう言うと、母は俺の腕を離して、数歩前へ進み出る。
 どうでもいいってなんやねん。
 ツッコもうと息を吸った俺は、後ろからその姿を見て――思わず、目を逸らした。

 いつでも、強くて、怖い母さん。
 その背が今は、こんなに小さく感じるなんて。
 見たくない――と思うたのは、逃げか、それとも、思いやりか。
 自分でも、よう分からへん。
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