この初恋は犬も食わない

松丹子

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本編

01

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 11月のとある夜。
 帰宅した狛江紗也加に、3つ年下の弟、健次がいきなり手を合わせた。

「姉ちゃん、頼むっ。合コン設定して!」

 紗也加は玄関先で頭を下げる弟を見つめる。仕事中、笑顔をつくり続けた反動で、完全に表情を喪失した顔のまま、

(そういえばこの子はつむじが二つあったんだった)

 と関係のないことを思い出していた。

 紗也加は百貨店勤務。年末に向け、贈答品を中心に商戦が激しくなってきている時期だ。
 普段は気晴らしをしてから帰宅するところなのだが、今日は遅番、明日は早番なので、さすがに寄り道せずに帰宅した。
 一日中接客対応に追われ、疲れすぎていたこともあるが。

「……姉ちゃん?」
「あ、ごめん」

 疲れで頭が活動停止していたらしい。まばたきをして気を改めると、苦笑した。

「……なんだって?」
「だから……」

 健次はため息混じりに話し始める。

 大学卒業後、父の勧めで一度は企業に就職した健次だったが、夢を諦め切れずに入社二年目で東京消防庁の試験を受けて合格。翌年からは晴れて都内の消防署で消防士として勤務している。
 消防士になって二年目に入り、リズムが掴めてきた健次は、若いこともあり先輩に誘われ、度々合コンに参加しているーーとは、本人ではなく一緒に住む家族たちから聞いていたところだ。
 健次によると、そんな中で、先輩から「女友達はいないのか」と問われた。「女友達はいないけど姉がいる」と答えると、写真を見せろと詰め寄られたようだ。しぶしぶスマホの中から写真を発掘し、先輩に見せたところ、及第点をもらえたらしい。
 ありがたいことに、と言うべきか、どうか。

「……あんた、あたしの写真なんか持ってんの?」
「ねぇよ! えっらい前のやつだよ! ほら、いつだっけ? 友達来たじゃん、姉ちゃんの。花火んとき。で、とりあえず写真撮れって言われて撮ってたやつ」

 ほらと見せられた画面には、浴衣姿で笑う女子四人組の姿。花火大会に行きたいと誰かが言い出し、賛同の声が挙がって盛り上がった。そのとき、地元でやるから来ないかと誘ったのを思い出す。
 就職した頃の話で、かれこれ6、7年前のことだ。

「……みんなわっかーい」
「姉ちゃんもまだ若いね」
「っるさい」

 弟の後ろ頭を容赦なくはたくと、「痛てっ」と頭を押さえて恨めしげに目を向けてきた。紗也加はその視線に一瞥もくれず、ため息をつく。

「昔の写真だって言った? 会ったらオバサン扱いなんてゴメンなんだけど」
「ちゃんと言ったよ。むしろ先輩たちアラサーだからちょうどいいって」
「あんたはいちいち一言多い」

 弟の両眉間に拳を当て、ぐりぐりと刺激すると悲鳴が挙がった。
 元々身体を鍛えるのが好きな弟であり、思春期を過ぎたら縦も横もがっちりして、到底力では敵わないと見える容姿になった。
 消防士になった今は更に筋肉質になったが、ふざけるときの表情や仕種は昔から変わらない。兄と姉の後ろにつきまとっていた末っ子のままだ。

「で、この写真のメンバー誘って欲しいって言われたんだけど、どうかな」

 紗也加が眉間から手を離すと、健次はそこを指でさすりながら首を傾げた。
 ときどき「犬っぽい」と言われる紗也加だが、健次のそういう目を見ると、まるで自分を見ているような気になる。許しを請うような丸い目。兄の優一よりも、弟の健次の方が、紗耶香と顔立ちが似ている。

「……うたちゃんは彼氏いるからダメだよ」
「うたちゃんてどの人」

 問われて、眼鏡をかけたこざっぱりした一人を指差す。白い浴衣を着た彼女は、若鶏宇多。大学時代からつき合っている彼氏がいる。
 彼氏がいても平気で合コンに参加する人間もこの写真の中に写っているのだが、それはあえて指摘しないことにする。
 健次はほっとした顔をした。

「あ、大丈夫大丈夫。人気あったのこの人とこの人」
「……だから、あんた、一言多い」

 平気な顔で写真を指差す健次を、紗也加は横目で睨みつける。
 聞かずとも、そんなことは分かっていた。この四人の中で、男の人気が集まるのはいつもその二人だ。
 一人は長身に濃紺の浴衣をまとい、艶やかな黒髪をシンプルな夜会巻きにしている。
 もう一人はピンク色の浴衣で、ふんわりした髪にキラキラした髪飾りをつけていた。その身体つきが豊満なのは、浴衣の上からでも見て取れる。
 しかし、紗也加にとっては三人ともが大事な友人なのであって、差をつけて扱われるのは不愉快だ。
 悪気がないから一層たちが悪い。

「ごめん」

 弟が肩を竦めた。紗也加はため息をつく。

「……別にいいけど」

(……うたちゃんのためだけに怒ったわけじゃないかもだし)

 紗也加自身、決して男受けが悪いわけではない。ついでに女受けも悪くない。男女共に比較的すぐ馴染む方で、すぐに遊び仲間に入れてもらえるタイプだ。
 だが、「女扱いされるかどうか」については、やや話が違ってくる。

『お前といると楽だわ』

 何度も繰り返し思い出しては紗也加を苦しめた声が、また脳裏をかすめる。

「ちょっと、聞いてみるよ。……でも、年末年始は私も繁忙期だから年明けになるよ。いい?」
「うん、いい。いいです。俺もそれは言っといたから」
「そう」
「ありがとう、姉ちゃん」

 紗也加は「はいはい」と返しつつ、靴を揃えて部屋へと向かった。

 * * *

「ってことなんだけどさー。しのりん、どう?」

 夕飯と入浴を終え、部屋に戻った紗也加は、ベッドに腰掛けて電話をかけた。
 弟から聞いた概要を話し終えるや否や、向こうからため息が聞こえる。
 あまりに想像通りの反応に、紗也加は笑いそうになった。

『合コンて……大学生じゃあるまいし』

 電波を経由して聞こえる声は、クールビューティーと称される見た目にそぐわしい。紗也加は彼女ーー猫間詩乃と電話する度にそんな馬鹿なことを思う。

(こういう女子と、夜寝る前に電話できたら、男子は幸せだろうなぁ)

 ついつい、彼女の歴代の彼氏を思い浮かべてしまう。
 あまりその手のことに興味がないと言う彼女は、それでも男の影が絶えない。男性にとっては狩人の本能を煽る魅力があるのだろう。どういうところがそう思わせるのかは、具体的にはわからないものの、女の紗也加でも納得はできる。

「合コンじゃダメ? ……じゃあ、婚活」
『何それ。言い換えればいいって?』

 ふっ、と詩乃が笑った。

『まあでも、確かにね。ものは言いようね』
「そんなもんでしょ、こういうのって」
『そうねぇ……異業種交流会とかね』
「ああ、なるほど。そういう手もあった」

 笑っている詩乃の声は優しい響きを持つ。喉を鳴らす猫のようだとときどき思うが、口にしたことはない。

『それにしても、相変わらず好きねぇ。その手のお遊び』

 紗也加はぐっと唸った。

「……まるで人を遊び人みたいに言わないでください」
『違うの? 大学時代からほとんど毎日飲み歩いてたじゃない』
「ば、バイトしてたよ」
『飲み歩くために?』

 くすくす笑う詩乃の声は、紗也加を落ち着かない気分にさせた。大人びた色気というか、女らしさというか。羨ましくも憧れでもある。

『まあ、二十代も最後だし、今回はつき合ってあげましょう』

 詩乃の言葉を聞いて、紗也加はほっと息をついた。

『他には誰を誘ってるの?』
「うーちん」
『……あ、ごめん、リツ以外には誰誘ってるの?』

 いずれも、花火大会の写真でピンク色の浴衣をまとっていた兎本理都子のことを示している。ほわほわした容姿に似つかわしくなくーーいや、むしろ似つかわしいのか、ともかく彼女は、その手の話は基本的に断らない。

「ううん、それだけ」
『3対3てこと?』
「うん、まあ」

 詩乃は「ふぅん」と意外そうな、興味なさそうなあいづちを打った。

「でもまあ、私もしばらくは忙しいし。やるとしても1月末とかになると思うんだ。仕事の方、どう?」
『私も年始は少し忙しいけど、1月末なら大丈夫かな。また候補日決まったら教えて』
「分かった」

 簡単に挨拶を交わして電話を切る。その後、ふと思い出した。

(……そういえば、しのりん、彼氏いたんじゃなかったっけ)

 とはいえ、それを聞いたのも夏だったか。
 比較的、恋人と付き合うスパンが短い詩乃の性質を思うと、もう別れている可能性も高かった。
 紗也加は傾げた首を横に振る。いずれにせよ、紗也加が考えるべきことではない。
 彼氏がいてもいなくても、当人が参加すると言うなら関係ない話だ。

(消防士かー)

 手にしたスマホをタップし、詩乃に電話する前にやりとりしていたメッセージを見やる。
 もう一人の友人、理都子とのものだ。

【消防士!】
【行く行くー! 筋肉ヤバ(*´艸`)  】
【お触りオッケー? 脱いでくれるって言うよね((o(^-^)o))ワクワク】

 詩乃とは全く違う反応だが、これはこれで想像通りなので笑えてしまう。
 電話している間に、新しい通知があることに気づいた。

【そういえば、うたちゃんのとこ、まだ結婚しないのかなー】
【はやくくっついちゃえばいいのにね。もう8年とかでしょ。ひぇー!長スギ Σ( ̄x ̄;) 】

「8年……」

 長い、といえば確かに長い。
 のだが、そう言われると、ついつい指折り考えてしまう。

「会ってから……17年」

 自分の声を耳で聞いた瞬間、絶望に近い切なさがこみ上げてがっくりとうなだれた。

(産まれた子が大学生になってしまう……)

 じわりとうかんだ涙をごまかすために、紗也加はお気に入りのアイピローをまぶたの上に乗せる。

(いや、でも出会ってからじゃなくて、好きになってからなら…)

 思って数え直しかけたが、それこそがそもそも虚しいと気づいてやめたのだった。
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