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.第12章 親と子

329 甘い薬(2)

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 着替えを済ませるとき、初めて自分が上半身にまとっていたのがパジャマ一枚だったことに気づいた。
 二つの膨らみはささやかとはいえ、抱きしめた栄太兄はそれに気づいただろう。
 今更ながら大胆すぎたと気づいて、思わずベッドに座り込む。自分の行動が恥ずかしくて顔を覆うと、引いていた頭痛がまた強くなってくるように感じた。
 膝の上に額を乗せてため息をつく。
 ――馬鹿、ほんと、私ってば。
 余裕がない自分に呆れて、自分の身体を抱きしめるように腕を回した。包み込んでくれた栄太兄の体温がまだそこに残っているような気がして、息苦しいほどの愛おしさに唇を引き結ぶ。
 はやく、元気にならなきゃ。
 ひとりで頷いて、顔を上げた。
 気分が滅入っているのも、きっと体調がよくないせいだ。自分に言い聞かせるようにして、窓にかかった遮光カーテンを開く。
 レースのカーテンの向こうには、きらりと春の日差しが光っている。ほ、と息をつくと同時に、栄太兄が来る前抱いた、世界から孤立したような感覚を思い出して身震いした。
 嫌な記憶を振り払おうと、手を伸ばして窓を開ける。入り込んで来た風は昨日のものよりも温かかった。
 部屋の中にこもっていた陰鬱な空気が、春の風にかきまぜられて外へ出て行く。窓を開けたまま済ませた着替えは、近くの量販店で買ってきたらしいものだった。
 ブラ付きのキャミソールにワンピース。長い丈のスパッツは、身体を冷やさないようにだろうか。母の気遣いが感じられてありがたい。
 身支度を整えると、一階へ向かった。足元がふらついていた記憶がハッキリと残っているから、何となく怖くて、しっかり手すりを握って降りる。

「あら、礼奈。もう大丈夫?」

 声は奥からして、脱衣所から顔を覗かせる祖母と目が合った。洗濯物をしていたらしい祖母は、手にカゴを持っている。私は微笑みを返して頷いた。

「うん。ごめんね、心配かけて」
「ううん、いいのよ。礼奈はがんばりやさんだからねぇ」

 祖母はそう言って、私に手を伸ばした。私が近づいてその手を握ると、ぽんぽんと腕を叩かれる。

「がんばるのもいいけど、あんまり根を詰めるのはよくないよ。栄太郎もずっと心配してて、一時間ごとに様子見に行ってたんだから」
「一時間ごと……?」

 それ、栄太兄、もしかして夜も?
 ちゃんと休めたんだろうか。栄太兄にとっても貴重な週末だろうに。申し訳なさを感じながら、栄太兄がいるであろう台所の方と祖母の顔を見比べると、祖母は笑った。

「まあ、礼奈の心配は栄太郎の趣味みたいなものだからね。多少は心配させときなさい。でも、あんまり心配させると、ハゲちゃうかもしれないから、ほどほどにね」

 祖母が笑ってそう言うので、私はほっとした。
 こんなに晴れやかな祖母の笑顔を見たのは久々な気がする。うん、と頷いて、その身体に抱き着いた。
 祖母は「あらあら」と笑うと、私の背中に手を回して撫でさする。

「大きくなったねぇ、礼奈。すっかりお姉さんね」
「ふふふ、そうだよ。もう、21歳だもん」

 言いながら、そうだ、と思う。
 もう、21になった。成人してから、1年経った。過ぎて行く時間をどれだけ大切にできるかは、私の心がけひとつなんだろう。
 誰と、どう、過ごすか。そうやって重ねていく1年1年が、気づいたら、一生になっているはずだ。

「洗濯物、手伝うよ。重いでしょ」
「あら、いいのよ。いつもやってることなんだから。こういうのも、年寄りにはいい運動なの」

 祖母はそう言いながら、洗濯物を取り出してはカゴに入れていく。乾燥器がついている洗濯機だから、大体乾いているみたいだけれど、生乾きのものもあるから干すようにしているのだ。

「それより、はやく台所に行ってあげなさい。栄太郎がそわそわしながら待ってるわ」

 祖母が茶目っ気のある目で言うので、私は笑って頷いた。優しく私を見送る祖母の視線を感じながら、居間へつながるドアを開いた。

 居間に入ると、台所から音がした。栄太兄が朝食を準備してくれているんだろう。くんくんと匂いを嗅ぎながら、台所へ向かう。

「ああ、礼奈。もう少しでできるから。――卵は落としてええか?」
「うん、ありがとう」

 エプロン姿の栄太兄が微笑んで頷く。小鍋にはふつふつと白いおかゆが湯気を立てていた。
 卵を取り出して器にとく栄太兄は手慣れている。その姿は、ずっと見ていても飽きそうになかった。
 またこみ上げる愛おしさに耐えられず、ほてほてと近づいて背中に抱き着く。
 栄太兄が笑って「こら」と私の腕を軽くたたいたけれど、ふふ、と笑って返した。互いが笑う振動が、身体越しに伝わる心地よさに目を閉じる。

「どんだけ甘えたやねん」
「……だって、ずっと甘えられてなかったから」
「予定詰め込みすぎやねん。どんだけ俺が――」

 栄太兄の言葉は、そこで途切れた。私が首を傾げて顔を見上げると、「何でもない」と目を逸らされる。
 何でよー。そういうの、大事なとこじゃない?
 ぶぅと唇を尖らせてみたけれど、栄太兄は鍋に目を向けていて気付かない。

「……栄太兄も、会いたかった?」

 小さく聞くと、ちらっと目を向けられる。苦笑を浮かべた栄太兄は、ぺしん、と冗談めかして私の額を叩いた。

「当たり前やろ。インターン中、電話もできへんし。心配で心配で、食事も喉通らへんかったわ。――てのは嘘やけど」
「嘘なんだ」
「そんなんやったら、お前も困るやろ」

 まあ、それもそうだ。私のせいでやつれていく栄太兄なんて心配すぎる。
 栄太兄は「さて」と火を止めた。

「できた。おひいさんのお口に合うとええけど」

 細められた目が私を見つめる。私はふふっと笑った。 

「栄太兄が作ってくれたものなら、何でも食べられる気がする」

 栄太兄は私の言葉にちょっと照れたようだったけれど、「愛情たっぷりやからな」と白い歯を見せた。
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