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.第11章 祖父母と孫
274 10月の逢瀬(1)
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翌月も、栄太兄とは鎌倉で会った。
栄太兄は、相変わらず月に1、2度のペースで祖父母宅に足を運んでいるようだ。今はもう2階に上がらなくなった祖父母の代わりに、掃除機をかけたり、換気をしたりしているらしい。
2人の様子を見るためにも、月に1度は泊まってもいて、祖母はとてもありがたがっていた。
「礼奈も、今度は泊まりに来なさいよ」
「うん……」
「そうも行かんやろ。バイトやら就活やら、忙しいやろうし」
祖母の言葉に栄太兄がそう苦笑して、私もあいまいに微笑んだ。
私が着いたのはお昼前だったから、栄太兄が肉うどんを準備してくれていた。みんなでそれぞれ一杯ずつ食べて、祖母と一緒に食器を片付けようとしていたら、栄太兄がひょっこりと台所に顔を出した。
「ばあちゃん、今日天気ええで、みんなで散歩せえへん?」
「いいわねぇ、そうしましょう」
「片付けは帰ってから俺がやるから。――行こう」
そんな栄太兄の発案で、祖父母と栄太兄と私、4人で周辺の散歩に出かけた。
私は祖母、栄太兄は祖父の手を取って、ゆっくりゆっくり、たぶん子どもと歩くよりも遅いペースで、近所を歩く。
まだ青みの残った木を見上げて、祖母は少し残念そうな顔をした。
「まだ紅葉が始まるには早いわね」
「来月にはきっと色づいてるよ」
「そうねぇ。でも、礼奈が来れるか分からないし」
「来るよ。ちゃんと来るから」
「あら、そう?」
ほわりと笑う祖母の前では、祖父がどこかぼんやりしながら歩いている。横で手を握る栄太兄が、「じぃちゃん、あれ、柿やで。あそこで肩車してもらったな」とか、「あの花何て言うんやろ。じいちゃん、知っとる?」とか、何か目にしては話しかけている。
祖母が弾んだ声で栄太兄に声をかけた。
「いつもは2人きりだから、あんまり遠くまで行けないけど、今日は少し足を伸ばそうかしら」
「うん、ええよ。少し違う風景も見ると、気分転換になるやろ。歩けなくなったらおぶってやるわ、安心し」
「ふふふ、ありがたいわねぇ」
私たちは祖父母の行きたい方向へと、ゆっくり、ゆっくり歩いて行く。段々と、祖母が祖父に並び、横一列に4人が並んだ。祖母が祖父に声をかける。
「おじいちゃん。あそこ、和歌子が自転車でぶつかった電柱」
「ああ、自転車壊したときか」
「リスか何か見て、よそ見してたのよね、確か」
祖母のその言葉が祖父の頭を動かし始めたのか、祖父も何かを思い出しては口にするようになった。
「ここは政人がよくバスケの練習してたな」
「隼人の弓道の先生のお住まい、この辺りだったね」
「一時期、毎月のように向こうのレストランに食べに行った」
「そこのお寺の境内、和歌子のお気に入りだったわね」
二人は互いに言葉を交わしながら、嬉しそうに目を細める。
街の中には、私も知らない、祖父母の思い出がたくさん転がっていた。
「ああ、このお寺には、礼奈とも来たねぇ」
「入らないって泣いたのは、悠人だったか」
「そうだったかも。あの子は敏感だったみたいね」
「栄太郎はここの鯉が気に入って、うちに来るたび見に来てたね」
「そうやったっけ? 覚えてへんわ」
栄太兄が穏やかに答える。3人のやりとりはあたたかくて優しくて、それなのに、すごく切なかった。
出てくるのはもうすべて、遥か昔に過ぎ去った話だ。ぽつりぽつりと浮かんでは流れていく、何気ないエピソード。その取り留めのない話が、私には、祖父母が自分たちの人生を振り返り、終焉の準備をしているように感じて苦しくなる。
幸せそうに話す祖父母の声を聞きながら、泣きそうになるのを、必死でこらえていた。縁起でもない、泣いてはいけない、と自分に言い聞かせる。
それでも、やっぱり目は潤んでいる。けど、祖父母はそれに気づかない。あれだけ察しのよかった祖母も、今はもう、そういうことに気づかないのだ。
たぶん、自分のことでいっぱいいっぱいなんだろう。
空は秋晴れで、とても気持ちのいい天気だった。柔らかそうな白雲が、ふわふわと青い空に漂っていた。夏を終え、冬になる前の風は、散歩で汗ばんだ肌をほどよく撫でてくれた。
あと何度、私はこうして歩けるだろう。祖父母と、外を。一緒に、手を繋ぎながら。
小さなとき、祖母が私の安全のための繋いでくれた手は、今は立場が逆になっている。
「おじいちゃんも私も、幸せ者ねぇ。みんなよく集まってくれて、こうして孫と散歩もできて」
祖母が笑う。その笑顔は心の底から幸せそうで、どこにも陰りが見えない。私はただ笑顔を返した。何か言えば、涙が溢れてしまいそうだった。
祖母の手の温もりを感じ、ゆっくり足を前に、前にと進めながら思う。
きっと、この時間を、私は忘れないだろう。平和で、のどかで、あたたかくて、大切で――でも、もうあといくばくもしないうちに、失われてしまう時間だ。
祖母と祖父の横顔を眺めていたら、その先に栄太兄の姿が見えた。頭一つ背の高い栄太兄は、私に気づいて目を細める。その優しい目が、ぐっと胸を締め付ける。慌てて目を逸らして、唇を噛み締めた。
今、その目は見られない。
なんの変哲もないこの時間が、幸せすぎて、涙が我慢できなくなるから。
栄太兄は、相変わらず月に1、2度のペースで祖父母宅に足を運んでいるようだ。今はもう2階に上がらなくなった祖父母の代わりに、掃除機をかけたり、換気をしたりしているらしい。
2人の様子を見るためにも、月に1度は泊まってもいて、祖母はとてもありがたがっていた。
「礼奈も、今度は泊まりに来なさいよ」
「うん……」
「そうも行かんやろ。バイトやら就活やら、忙しいやろうし」
祖母の言葉に栄太兄がそう苦笑して、私もあいまいに微笑んだ。
私が着いたのはお昼前だったから、栄太兄が肉うどんを準備してくれていた。みんなでそれぞれ一杯ずつ食べて、祖母と一緒に食器を片付けようとしていたら、栄太兄がひょっこりと台所に顔を出した。
「ばあちゃん、今日天気ええで、みんなで散歩せえへん?」
「いいわねぇ、そうしましょう」
「片付けは帰ってから俺がやるから。――行こう」
そんな栄太兄の発案で、祖父母と栄太兄と私、4人で周辺の散歩に出かけた。
私は祖母、栄太兄は祖父の手を取って、ゆっくりゆっくり、たぶん子どもと歩くよりも遅いペースで、近所を歩く。
まだ青みの残った木を見上げて、祖母は少し残念そうな顔をした。
「まだ紅葉が始まるには早いわね」
「来月にはきっと色づいてるよ」
「そうねぇ。でも、礼奈が来れるか分からないし」
「来るよ。ちゃんと来るから」
「あら、そう?」
ほわりと笑う祖母の前では、祖父がどこかぼんやりしながら歩いている。横で手を握る栄太兄が、「じぃちゃん、あれ、柿やで。あそこで肩車してもらったな」とか、「あの花何て言うんやろ。じいちゃん、知っとる?」とか、何か目にしては話しかけている。
祖母が弾んだ声で栄太兄に声をかけた。
「いつもは2人きりだから、あんまり遠くまで行けないけど、今日は少し足を伸ばそうかしら」
「うん、ええよ。少し違う風景も見ると、気分転換になるやろ。歩けなくなったらおぶってやるわ、安心し」
「ふふふ、ありがたいわねぇ」
私たちは祖父母の行きたい方向へと、ゆっくり、ゆっくり歩いて行く。段々と、祖母が祖父に並び、横一列に4人が並んだ。祖母が祖父に声をかける。
「おじいちゃん。あそこ、和歌子が自転車でぶつかった電柱」
「ああ、自転車壊したときか」
「リスか何か見て、よそ見してたのよね、確か」
祖母のその言葉が祖父の頭を動かし始めたのか、祖父も何かを思い出しては口にするようになった。
「ここは政人がよくバスケの練習してたな」
「隼人の弓道の先生のお住まい、この辺りだったね」
「一時期、毎月のように向こうのレストランに食べに行った」
「そこのお寺の境内、和歌子のお気に入りだったわね」
二人は互いに言葉を交わしながら、嬉しそうに目を細める。
街の中には、私も知らない、祖父母の思い出がたくさん転がっていた。
「ああ、このお寺には、礼奈とも来たねぇ」
「入らないって泣いたのは、悠人だったか」
「そうだったかも。あの子は敏感だったみたいね」
「栄太郎はここの鯉が気に入って、うちに来るたび見に来てたね」
「そうやったっけ? 覚えてへんわ」
栄太兄が穏やかに答える。3人のやりとりはあたたかくて優しくて、それなのに、すごく切なかった。
出てくるのはもうすべて、遥か昔に過ぎ去った話だ。ぽつりぽつりと浮かんでは流れていく、何気ないエピソード。その取り留めのない話が、私には、祖父母が自分たちの人生を振り返り、終焉の準備をしているように感じて苦しくなる。
幸せそうに話す祖父母の声を聞きながら、泣きそうになるのを、必死でこらえていた。縁起でもない、泣いてはいけない、と自分に言い聞かせる。
それでも、やっぱり目は潤んでいる。けど、祖父母はそれに気づかない。あれだけ察しのよかった祖母も、今はもう、そういうことに気づかないのだ。
たぶん、自分のことでいっぱいいっぱいなんだろう。
空は秋晴れで、とても気持ちのいい天気だった。柔らかそうな白雲が、ふわふわと青い空に漂っていた。夏を終え、冬になる前の風は、散歩で汗ばんだ肌をほどよく撫でてくれた。
あと何度、私はこうして歩けるだろう。祖父母と、外を。一緒に、手を繋ぎながら。
小さなとき、祖母が私の安全のための繋いでくれた手は、今は立場が逆になっている。
「おじいちゃんも私も、幸せ者ねぇ。みんなよく集まってくれて、こうして孫と散歩もできて」
祖母が笑う。その笑顔は心の底から幸せそうで、どこにも陰りが見えない。私はただ笑顔を返した。何か言えば、涙が溢れてしまいそうだった。
祖母の手の温もりを感じ、ゆっくり足を前に、前にと進めながら思う。
きっと、この時間を、私は忘れないだろう。平和で、のどかで、あたたかくて、大切で――でも、もうあといくばくもしないうちに、失われてしまう時間だ。
祖母と祖父の横顔を眺めていたら、その先に栄太兄の姿が見えた。頭一つ背の高い栄太兄は、私に気づいて目を細める。その優しい目が、ぐっと胸を締め付ける。慌てて目を逸らして、唇を噛み締めた。
今、その目は見られない。
なんの変哲もないこの時間が、幸せすぎて、涙が我慢できなくなるから。
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