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.第10章 インターン
258 社内恋愛(3)
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入ったのは、小道を入ったところにある小さなレストランだった。隠れ家的なお店なのだけど、近くのオフィスの人は御用達なんだろう。カウンターが5席、2人席が4卓ほどの小さなお店で、私たちが入ると2卓を寄せて4人席にしてくれて、満席になった。
千草さんと矢司部さんが向かい合わせの席に座ったので、私は千草さんの隣に腰かける。
矢司部さんが机上のランチメニューをすっと私たちに寄せてくれた。
「さて、何食べよっか。俺、日替わりにしよっかな。千草ちゃんは?」
「私もそれで」
「橘さんは?」
「私も同じにします」
矢司部さんは頷いて、手を挙げて店員を呼んだ。日替わり3つ、と言うと、店員が注文表に書き込む。
「お飲み物は何になさいますか?」
「俺、アイスコーヒー」
「私も」
矢司部さんと千草さんが順に答える。「私はホットをお願いします」と言うと、矢司部さんはちょっと意外そうな顔をしてから、ニコッと笑った。
千草さんがお手拭きで手を拭きながら矢司部さんに微笑む。
「時差ボケとか、大丈夫ですか?」
「うん、まあ。昨日は1日寝てたし」
「5泊6日?」
「うん」
2人の話に、私は極力口を挟まずにいたけれど、矢司部さんは気を遣ってくれたのか、「新婚旅行でハワイ行ったんだ」と私に説明してくれた。千草さんはそれを聞いて、「そこに決まるまでにひと騒動あったんだけどね」と笑う。矢司部さんは肩をすくめた。
「俺はヨーロッパがよかったんだよね。フランスのルーブル美術館とか行ってみたくてさ」
「あっ、わかります」
思わず目を輝かせたら、「でしょ?」といたずらっぽい目で笑いが返ってくる。
「でも奥さんは、ハワイにショッピングに行きたいって言ってて。お互い譲らずにいたんだけど、千草ちゃんが『一生言われるから、譲ってあげた方がいいですよ』って言うから、仕方なくそうしたんだよね。そしたら、旅行中も結構気ぃ遣ってくれてさ。結果的には楽しめた」
千草さんがふふっと得意げに笑う。
矢司部さんは、ちょっと冗談めかした仕草で軽く頭を下げた。
「その折は、的確なアドバイスをありがとう」
「いえいえ、どういたしまして」
矢司部さんと千草さんはまるでいたずらの共犯者のように視線を交わした。私は適当な相づちを打ちながら、2人の様子を伺っていた。
「ハワイのどこ行ったんですか? オアフ島?」
「うん」
「ダイビングの資格取ってましたよね。2人でしたんですか?」
「いや、ダイビングは俺だけ」
千草さんは「へぇ」と言いながら苦笑する。
「奥さんは興味なかったんですか?」
「なくはなかったみたいだけど、資格取るのが面倒臭かったんだと思うよ。本人はそんな時間ないって言ってたけど……結局、時間を取るほどやりたかった訳じゃないってことでしょ」
「まあ……それはそうかも」
でももったいないですね、と千草さんが肩をすくめる。矢司部さんは笑った。
「千草ちゃんだったらダイビング一緒に行ってくれた?」
「もちろんです。せっかくだったら、一緒に楽しみたいし。時間を言い訳にするのもどうかな……だって彼女、仕事辞めてるのに」
「だよねぇ。俺もそう思う」
直接的ではないにしろ、奥さんを小馬鹿にするような言い方が気になる。私は思わず眉を寄せそうになった。
こんなの、信じられない。他人の前だからと多少謙遜することはあっても、こんな言い方ってない。――しかも、気のありそうな女性の前で。
嫌悪感を露にしないよう、そして悪口にも加担しないよう、私は最小限の反応に努める。
父だったら、こんな会話をするだろうか。――いや、絶対しないだろう。もし、母のことを蔑むようなことを言ったとしても、もっと愛のある言い方になるに違いない。
矢司部さんと千草さんの口調は、完全に奥さんの存在を蚊帳のそとにしてしまっている。自分たちの価値観を理解できないおろかな女性として扱っている。そして、価値観を共有できる自分たちを誇っている。
結婚したばかりで、どうしてそんなことが言えるんだろう。矢司部さんの話し方に、奥さんへの愛情は全く感じない訳ではないけれど、強く感じる訳でもなかった。
よく、友達に言われたのを思い出す。私の両親は仲がいいと。
――世の中の夫婦って、こんなもんなんだろうか。
自分が選んだパートナーを、誇りに思うことはあっても、人前で貶める人がいることなど考えたこともなかった。だって私の周りの夫婦は、互いに信頼し合っているしーーちょっと口の悪い阿久津さんですら、口先ではヒメさんのことを馬鹿にしていても、妻を見つめる目は確かに愛情を持っているんだから、「素直じゃないけど、あれはあれでノロケだよね」とアキちゃんが言っていたくらいだ。
「橘さん、食欲ない? ご飯進まないね」
矢司部さんに声をかけられて、はっと止まっていた手を動かす。
「あっ、いえ……ちょっと考えごとを」
「そうなの? 口に合わなかったかと思った」
「そんなことないです、美味しいです」
矢司部さんに笑い返しながら、私は動揺を悟られないよう、取り繕って食事を続けた。
千草さんと矢司部さんが向かい合わせの席に座ったので、私は千草さんの隣に腰かける。
矢司部さんが机上のランチメニューをすっと私たちに寄せてくれた。
「さて、何食べよっか。俺、日替わりにしよっかな。千草ちゃんは?」
「私もそれで」
「橘さんは?」
「私も同じにします」
矢司部さんは頷いて、手を挙げて店員を呼んだ。日替わり3つ、と言うと、店員が注文表に書き込む。
「お飲み物は何になさいますか?」
「俺、アイスコーヒー」
「私も」
矢司部さんと千草さんが順に答える。「私はホットをお願いします」と言うと、矢司部さんはちょっと意外そうな顔をしてから、ニコッと笑った。
千草さんがお手拭きで手を拭きながら矢司部さんに微笑む。
「時差ボケとか、大丈夫ですか?」
「うん、まあ。昨日は1日寝てたし」
「5泊6日?」
「うん」
2人の話に、私は極力口を挟まずにいたけれど、矢司部さんは気を遣ってくれたのか、「新婚旅行でハワイ行ったんだ」と私に説明してくれた。千草さんはそれを聞いて、「そこに決まるまでにひと騒動あったんだけどね」と笑う。矢司部さんは肩をすくめた。
「俺はヨーロッパがよかったんだよね。フランスのルーブル美術館とか行ってみたくてさ」
「あっ、わかります」
思わず目を輝かせたら、「でしょ?」といたずらっぽい目で笑いが返ってくる。
「でも奥さんは、ハワイにショッピングに行きたいって言ってて。お互い譲らずにいたんだけど、千草ちゃんが『一生言われるから、譲ってあげた方がいいですよ』って言うから、仕方なくそうしたんだよね。そしたら、旅行中も結構気ぃ遣ってくれてさ。結果的には楽しめた」
千草さんがふふっと得意げに笑う。
矢司部さんは、ちょっと冗談めかした仕草で軽く頭を下げた。
「その折は、的確なアドバイスをありがとう」
「いえいえ、どういたしまして」
矢司部さんと千草さんはまるでいたずらの共犯者のように視線を交わした。私は適当な相づちを打ちながら、2人の様子を伺っていた。
「ハワイのどこ行ったんですか? オアフ島?」
「うん」
「ダイビングの資格取ってましたよね。2人でしたんですか?」
「いや、ダイビングは俺だけ」
千草さんは「へぇ」と言いながら苦笑する。
「奥さんは興味なかったんですか?」
「なくはなかったみたいだけど、資格取るのが面倒臭かったんだと思うよ。本人はそんな時間ないって言ってたけど……結局、時間を取るほどやりたかった訳じゃないってことでしょ」
「まあ……それはそうかも」
でももったいないですね、と千草さんが肩をすくめる。矢司部さんは笑った。
「千草ちゃんだったらダイビング一緒に行ってくれた?」
「もちろんです。せっかくだったら、一緒に楽しみたいし。時間を言い訳にするのもどうかな……だって彼女、仕事辞めてるのに」
「だよねぇ。俺もそう思う」
直接的ではないにしろ、奥さんを小馬鹿にするような言い方が気になる。私は思わず眉を寄せそうになった。
こんなの、信じられない。他人の前だからと多少謙遜することはあっても、こんな言い方ってない。――しかも、気のありそうな女性の前で。
嫌悪感を露にしないよう、そして悪口にも加担しないよう、私は最小限の反応に努める。
父だったら、こんな会話をするだろうか。――いや、絶対しないだろう。もし、母のことを蔑むようなことを言ったとしても、もっと愛のある言い方になるに違いない。
矢司部さんと千草さんの口調は、完全に奥さんの存在を蚊帳のそとにしてしまっている。自分たちの価値観を理解できないおろかな女性として扱っている。そして、価値観を共有できる自分たちを誇っている。
結婚したばかりで、どうしてそんなことが言えるんだろう。矢司部さんの話し方に、奥さんへの愛情は全く感じない訳ではないけれど、強く感じる訳でもなかった。
よく、友達に言われたのを思い出す。私の両親は仲がいいと。
――世の中の夫婦って、こんなもんなんだろうか。
自分が選んだパートナーを、誇りに思うことはあっても、人前で貶める人がいることなど考えたこともなかった。だって私の周りの夫婦は、互いに信頼し合っているしーーちょっと口の悪い阿久津さんですら、口先ではヒメさんのことを馬鹿にしていても、妻を見つめる目は確かに愛情を持っているんだから、「素直じゃないけど、あれはあれでノロケだよね」とアキちゃんが言っていたくらいだ。
「橘さん、食欲ない? ご飯進まないね」
矢司部さんに声をかけられて、はっと止まっていた手を動かす。
「あっ、いえ……ちょっと考えごとを」
「そうなの? 口に合わなかったかと思った」
「そんなことないです、美味しいです」
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