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.第9章 穏やかな日々

223 1か月遅れの誕生日祝い(2)

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 その後、部屋へ上がった私は、とにかく栄太兄に言葉をねだって、誕生日のときに言った回数分の「好き」をもらうことにした。
 新しく買ったというベッドは別の部屋にあるみたいで、相変わらずモノが少ない。部屋にあるのは座卓と本棚くらいだから、座卓の横に二人で座った。
 栄太兄は適当にごまかそうと「すきやき」とか何とか冗談も言ったけど、「それはカウント外」とか「気持ちがこもってないからやり直し」とか言ってたら諦めたらしい。深々とため息をつくと、私を見つめた。

「……好きや」

 真剣な目でそう言って、顔を赤らめて逸らす。
 うわぁ。
 思わずにへらーっとにやける私を、栄太兄が恨めしそうに見やる。

「……あかん、勘弁してぇや。何の罰ゲームやねん」
「何で罰ゲームなの。誕生日プレゼントの一環だと思って。それに、言ってるうちに慣れるよ、きっと」

 私が「ほらほら」とシャツの裾を引くと、栄太兄はまたため息をついた。

「慣れたら慣れたで違うこと言えて言われそうやな」
「ふふ、『愛してる』とか?」

 口にしてから、戸惑った。
 冗談でも、その言葉が持つ響きが、胸に重く甘く広がったから。
 そう気づいて、にやりとする。

「そうだ。じゃあ、『愛してる』は『好き』5回分でいいよ」
「何やのそれ。回数券みたいやな」

 栄太兄は苦笑して、困ったような顔で「ちなみに、あと何回言えばええの」と確認した。
 私は首を傾げる。

「えっとね……1、2、3……」
「いや、待て。待て。お前、あの電話のときの会話、全部覚えてるんか?」
「全部じゃないけどだいたい……だって栄太兄と話したの久々だったし、電話なんて数年ぶりだったし……」
「でも結構飲んだ後やったやろ? 嘘やんそんな記憶力」

 指折り数え始めた私に、若干栄太兄の表情が引きつっている。私は首を傾げた。

「何で? そりゃ、他の人の会話だったら覚えてないだろうけど……」

 栄太兄は呆れたような顔で、「分かった、もう分かったわ。適当でいいから」と私に言った。

「じゃ、適当に、十回」

 ちょっと盛ってみたけど、いいよね、このくらい。
 はいどうぞ、と前に座りなおすと、栄太兄は息を吸いかけ、そのまま吐き出した。
 えー、と唇を尖らせようとしたとき、栄太兄の腕が伸びてきて、抱きすくめられる。
 大きな温もりに、またどきんと心臓が跳ねた。

「――愛してる」

 小さな声。
 呼吸を忘れた私の頭上で、栄太兄が「ぐっ」と喉を鳴らす。

「……これ、ほとんど拷問やで」
「何で?」

 私は栄太兄の背中に手を回す。じ、と、上にある赤い顔を見上げる。
 ――きっと、私の顔も、それと変わらず赤くなっているだろう。

「もう一度言って。……目、見て言って?」

 栄太兄は心底困ったように目を泳がせた。

「何のために抱きしめたと思てんねん」
「あはは。知ってる。顔、見られたくないんでしょ」

 私が笑うと、栄太兄は「何でもお見通しやな」と肩をすくめた。
 そして、観念したように私を見下ろす。
 短くなった私の髪を、耳の上から首後ろまで、梳くように撫でて。

「――愛してる、礼奈」

 また、玄関先で感じたのと同じような悪寒みたいな感覚が、身体を駆け抜けて行った。

「――栄太兄ぃ!」

 思い切り、首元に抱き着く。うろたえた栄太兄が「うわ!」と叫び、私を受け止めながら体勢を崩した。
 ごん、と床に頭が当たった音がする。

「痛っ……て……」
「わ、ご、ごめん!」

 私は慌てて、栄太兄が押さえた後頭部に手を回す。

「だ、大丈夫? たんこぶとか、できてない? 冷やす?」
「大丈夫や、多少は腹筋で支えたから……」

 苦笑した栄太兄の髪を撫でるようにして、ぶつかったところに手を添える。確かに膨らんだりはしてないみたいだ。

「……痛いの痛いの」
「こら、俺は子どもやないで」
「だって、昔よくやってくれたから」
「それはまだ、礼奈が子どもやった頃やろ」

 頭を撫でるようにしながら、二人で笑い合う。栄太兄はそっと、私の頬に手を伸ばした。

「――すっかり、大人になりはったな」

 細めた目で言われて、私はようやく、自分が栄太兄にのしかかったような恰好だということに気づく。

「ごめん、重かった?」
「まさか」

 栄太兄はくつくつ笑った。

「いくらでも乗っててええで。このくらいの重みなら」
「な、何それ」

 私は慌てて、身を引こうとする。
 それなのに、栄太兄に腕を引かれて、また膝の上に抱き込まれた。

「……あかんなぁ」

 私の髪を撫でながら、栄太兄が呟く。
 私は自分の心臓のドキドキを聞きながら、「何が」と小さく尋ねる。

「こんなん……したら、帰したくなくなるやん……」

 どきん、と一つ、大きく心臓が跳ねた。感情が高ぶって、泣きそうになる。
 また首に抱き着いて、栄太兄の肩に顔を埋めた。

「……うちに住む?」
「ははは、それ、こないだも言っとったな」

 栄太兄が笑って、私の背中をぽんぽん叩く。私はぎゅうとまた、首に抱き着く。

「……私も、帰りたくない」

 呟くと、栄太兄はうろたえた様子で、「そういうのは、男の前では」とまた言うものだから、私は唇を尖らせた。

「だから、栄太兄以外の前では言わないってば」
「いや、そうやけど。――いや、そうやから――」

 栄太兄が顔を赤らめているのがちょっと嬉しい。私はふふっと笑って、もう一度その腕の中に収まった。
 少しでも、栄太兄を充電しておきたくて。
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