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.第9章 穏やかな日々

216 二十歳の誕生日(3)

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 父とは午前中に映画を観て、昼食を摂り、そのままショッピングモールを見て回った。
 駅前には私のバイト先の入っているモールの他にも、いくつかテナントビルが建っている。久々にぶらぶらして、「あれ可愛い」「これ可愛い」と指さした。
 慣れない人なら、いちいち「欲しいの?」と聞いてきそうなものだけど、父は母とも私とも出かけ慣れているから、いちいち反応したりしない。けど、ここぞって時には「気に入ったのか?」とか「こっちの方が似合うんじゃないか」と言ってくれる。

「俺もちょっと連れて行きたいところがあるんだけど。行ってみてもいいか?」
「うん、もちろん」

 私は頷いて、「じゃあ行こう」と微笑んだ父の横を歩いて行く。目的のないウィンドウショッピングにも嫌な顔ひとつしない父を見上げた。

「お父さんって、こういうの苦じゃないの?」

 前々から不思議には思ってたけど、慶次郎とつき合ってからますますそう思った。慶次郎も嫌がるわけじゃないけど、そんなに乗り気な訳でもなさそうだったし、私も気が引けたから、こんなに長々とつき合わせたりはしなかったのだ。
 父は適当なところで「これ面白い形だな」とか、本人も面白がってるみたいな合いの手が入るから、こちらもあんまり気遣わなくてもいいかな、という気になってありがたい。

「あー、まあ。こういうのは年季入ってるからな」
「年季?」
「しょっちゅう、姉さんにつき合わされてたんだよ」
「和歌子さんに?」
「そう。一人でいるとしょっちゅう男に声かけられるし、そうじゃなくてもじろじろ見られるから、鬱陶しいって。荷物持ち兼ねてつき合わせられてた」
「……ああ」

 確かに、あれだけ綺麗なんだもん、男女関係なく人目を引くよね。

「でも、お父さんと一緒でも、目だったんじゃないの?」
「まー、人目は感じたけど、そこがあの人の歪んだところっつーか」

 父は苦笑している。

「俺を連れてれば、下僕を連れた女王様の気分だから見られても気分いいって言ってたな」

 私は思わず唖然とした。

「……お父さん、和歌子さんにいったいどんな風に思われてたの……?」
「それは俺が聞きたいくらいだ」

 父が心底本気の声で言うので、私は苦笑を浮かべるしかない。「でも」と父は遠い目をした。

「今、考えてみれば、お互い無いものねだりだったのかもしれないな」
「ないものねだり?」
「ああ」

 父は頷き、また続ける。

「俺から見た姉さんは、これ、って決めたことに懸命で――ほんとに命懸けって勢いで突き進んで、結果を得てた。ここまでやったから大丈夫、そう自分を信じて突き進める人なんだよな。一方、俺はいろいろ、あたり障りなくできる割に、そういう……これ、ってものがなくて。バスケは好きだったけど、それも、姉さんの空手と比べりゃそんなに本気で打ち込んでたとは言えないし」

 父の言葉に、私はあいづちを打つ。

「すごいんだよ、これぞってときの姉さんの集中力は。本当に他のものが見えなくなるんだ。話しかけても全然気づかない。目が据わっててな、別の世界にいるみたいになる。だけど、その熱中してるものの話になると、ぱっと目が輝いて」
「……なんか、それ、お母さんみたい」
「はは。そうだろ?」

 そうだろ、って。

「似てるなって思うの? 和歌子さんとお母さん」
「うーん、結婚したときは感じなかったけどな。しばらくして既視感ていうか……まあ、腕力に訴えて来ない分、彩乃の方が扱いやすいけど」

 いや、そこで腕力に訴えられても困るよ。
 私は思わず苦笑した。

「とにかく、俺はそういうとこ、敵わないなと思ってたんだけど、姉さんからしたらまた違ったみたいだな。俺がいろいろ器用にこなして、隼人にもまあ、慕われて……姉さんも俺も目立ってはいたけど、姉さんのことは、みんな遠巻きに見てたというか。なのに、俺にはちょいちょい絡んできてたから、気づいたら姉さんのクラスメイトとも仲良くなってたりして」
「……そんなこともあったの?」
「あった、ような気がする。俺はいまいち覚えてないけど、姉さんに言われた」

 はぁ、と曖昧な相槌を打つと、父が苦笑した。

「何だよ。呆れてるのか?」
「いや、お父さん、昔っから人たらしだったんだなって――」
「褒めてるのか、けなしてるのか?」
「褒めてるんだよ、たぶん」

 語尾に付け足した言葉に、父が私の額を小突く。

「――ったく。好き勝手言って。――さて、着いたぞ」
「え?」

 着いたのは、アクセサリー売り場だった。ずらりと並んだきらめきに、戸惑って父を見上げる。
 父は微笑みながら、私を見下ろした。

「彩乃が、真珠のネックレスを買ってやりたい、って。お前が大学に入った頃から、ずっと言ってたんだ。どういうときでも身に着けられるものだから……お前が欲しければ、イヤリングも一緒にって」

 ほら、と示されたショーケースには、確かにずらりと真珠のアクセサリーが並んでいる。
 今まで見たこともないほどの値札に怯むと、父が笑った。

「無理にすぐ決めなくてもいい。彩乃も一緒に選ぶのを楽しみにしてたしな。どういうものがあるか、少し見てみないか?」

 私はこくりと頷いて、父も手慣れた様子でお店の人に声をかける。

「すみません――ちょっと、いいですか」

 私はどきどきしながら、初めて、ショーケースから出してもらったアクセサリーを試着した。
 首元を飾る白い輝きに感動している私を、店員が微笑ましそうに見ている。

「これでしたら、品質も間違いないですし、ウェディングドレスにも合いますよ」
「う、うぇ……」

 顔を赤らめて動揺すると、店員が「まだ早いかしら」と笑う。父も何も言わずに微笑んだ。
 初めて身につける本物のパールは本当にきれいだったけれど、やっぱりその日のうちには決めることはできなかった。
 接客してくれた店員にお礼を言って、父と二人で店を後にする。
 胸にどきどきを抱えて帰路へついた。

「――なんか、すごい。急に大人になった気がする」
「この程度で? そりゃ困るな」

 店員の名刺を当然のように胸ポケットにしまいこんだ父は、興奮気味の私にそう言って笑った。

「今日のことなんて忘れるくらい、これから色んな経験をするさ。――栄太郎とも」

 私はちらっと父を見上げて、照れてひとり、うつむいた。
 ガラスケースに入ったアクセサリーの中に、ひと際輝いていた宝石――ダイヤモンドのリングを思い出したからだ。
 もし、そのときが来たら。
 栄太兄は、私を、ああいう場所に連れて行ってくれるんだろうか。
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