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.第9章 穏やかな日々

215 二十歳の誕生日(2)

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 朝食を食べ終えると、身支度を整えて父と出かけることにした。
 父は母と出かけるときと同じように、カジュアルだけどオシャレな恰好をして一緒に歩いてくれる。
 ジャケットにTシャツ、ストレートラインのジーパン。首元には薄手のショールをかけて、靴元は十年近く履いているというワークブーツ。
 私もせっかくだから、ちょっとオシャレした。黒地に花柄のシフォンワンピースにカーディガン。首には華奢なネックレスをつけて、黒のタイツにショートブーツを履いた。
 そのブーツは、慶次郎がプレゼントしてくれたんだったな、なんて、履きながら思い出す。
 よく、元カレにもらったものは別れると同時に全部捨てる、という話を聞くけど、確かにこうやっていちいち思い出すのはつらい人もいるだろう。
 でも、私にとっては大切な思い出だった。むしろ、私を守ってくれているような気持ちになる。
 準備を終えた私に手を差し出し、父が微笑む。

「車で行くか?」
「ううん、歩きでいい」

 私が首を横に振ると、父は「そうか」と歩き出した。私はその腕に手を添える。見上げて呼びかけようとしたところで、ふと気づく。
 ――バージンロードも、こうやって二人で歩くんだろうか。
 一瞬にしてそう考えが飛んでいく自分が気恥ずかしくて、顔が赤くなるのが分かった。うつむいた私を見下ろして、父が笑う。

「息子も娘も、両方持つといい、っていう話、分かる気がするな」
「え? 何?」

 父の呟きに顔を上げると、父は目を細めて私を見下ろした。

「いや。娘を手放す気持ちが分かると、義理の娘にも優しくなれるって話だよ。――気が早いと笑われそうだけど、栄太郎のあの本気を見ちゃうとな」

 その言葉に、気づく。父も私と同じようなことを思っていたんだろう、ということ。
 似たもの親子だな、と思うとおかしくて、くすくす笑った。父が気恥ずかしそうに眉を寄せる。

「そんなに笑うな。――自分でも呆れてるよ、まだ先の話なのにって」
「ううん、違うの。――私も考えてたから」
「礼奈も?」
「うん」

 父が不思議そうに私を見下ろす。私は笑いながら父を見上げた。

「お父さんと、こうやって腕組んで、バージンロード歩くのかなって……そしたら、お父さんが同じようなこと言うからおかしくて」

 父はそれを聞いて眉尻を落とした。

「……ほんとにな。まあ、でも、あんまり今の考えに縛られるなよ。本当に二人がそうなるのかどうか、将来のことなんて誰も分からないんだから――」
「ううん、そうなるよ」

 私は平気な顔で答える。

「だって、栄太兄しか考えられないもん」

 父は私を見下ろして、やれやれとため息をついた。

「――ちなみに、彩乃も初めての彼氏と結婚するんだと思ったらしいぞ」
「知ってる。でも私はお母さんと違うもん」
「違うけど――ま、いいか」

 父は苦笑した。

「あえて今日話すことでもないな。言っとくけど、俺は別に、反対するつもりはないぞ。礼奈はちゃんと自分で考えられると思うし、二人の様子は見ていて分かってるから、礼奈自身に迷いがないなら、いつでも決断すればいい。――けど」

 不意に父が口ごもる。私はまばたきした。

「……でも?」
「ああ……いや」

 父は苦笑した。

「俺はそう思う。けど、彩乃がどう思ってるかは、また別の話だ」
「お母さん?」

 私は首を傾げる。

「でも、お母さん、自分の結婚のとき、くだらないことでおじいちゃんに反対されたって怒ってたじゃない」

 あれは高校を選んだときだったか、母は言ったのだ。
 いい学校に行くのはいい。けど、知っておけと。
 自分より学歴のいい女に拒否感を抱く男は多い。自分もそれで苦労した。そのリスクを頭に入れておけ――
 それから、関連して思い出したのだろう、もう亡くなった祖父とのやりとりを口にしたのだった。
 国内最難関と言われる国立大学を卒業した母は、少なくとも同じ大学を卒業した男と結婚すべきだ――祖父はそう言って、有名とはいえ私立大学を卒業した父を白い目で見たらしい。

「くだらない――まあ、くだらないかもしれないけど、親心ってのは分からなくもない」

 そのときも大して動揺しなかったらしい父は、たぶんそのときと同じような苦笑を浮かべて私を見下ろした。

「若いうちは、目の前のことしか見えなくなりがちだ。経験も少ないから、判断を誤ることもある。――俺は、そもそも取り返しのつかないことなんて世の中に早々ないと思うから、まあ後悔してもやってみろ、と思うたちだけど――彩乃は挫折を味わう、ってのが怖いんだろうな。自分にも、子どもにも、それを経験させたくないんらしい」
「……お父さんとお母さんは、挫折を味わったの?」
「うーん。どうかなぁ」

 父は肩をすくめる。

「挫折って言うなら、俺はもう幼少期にしてたかもなぁ。姉も弟も俺より優秀だったし、万能感みたいなものは持ったことがないんだ。彩乃はその点、一人っ子だったから、すべて自分の思い通りに行くような感覚で育って来たんだろう。挫折っていうより諦めはあったみたいだけどな、俺とつき合う前に」
「諦め?」
「結婚することをさ」

 苦笑する父に、私は「へぇ」と答える。

「でも、お父さんと結婚したよ」
「まあ、結果的にはな。――執着を捨てた分、肩の力が抜けたんだろ」

 そういうこともある、と父が言う。
 それは、分かるような気がした。

「……私ね、一度は栄太兄のこと、諦めたんだ」

 私がぽつりと言うと、父は穏やかな目で私を見下ろした。
 分かってたよ、とでも言うように。
 実際、父は分かっていたんだろう。しばらく、栄太兄を避け続けていた私のことを、ただ黙って見守っていてくれたのだから。

「だけど、栄太兄に再会したとき、思ったの――思ったっていうのは変かな。感じたっていう方が近いかもしれない」

 手を添えた父の肘をそっと指で撫でて、顔を見上げた。

「もう、逃れられないなって。一生一緒にいるなら栄太兄だろうし、栄太兄と一緒にいられないなら、きっと私はずっと一人なんだろうって」

 父は私を見下ろして、「分かるよ」と言った。

「二人がそう思ってるのは、先月よく分かった。俺も、彩乃と結婚する前、それと似たようなことを思ったのを覚えてる。けど、それが正しい選択なのかどうかは、結局のところ誰にも分からない」

 父は前を見た。私はその横顔を見上げる。

「分かるわけがないよな。相性なんていうもんが実際結局どの程度存在するもんなのかは、誰にも分からないんだろうと思う。結局のところ、何もしなくてもちょうどいい相性なんて存在しないんだから。相手のために、どこまで自分を犠牲にできるか、一方で、ちゃんと自分を大切にできるか――譲れるところも譲れないところも、人によってまちまちだから、それを調整するために、ときにはちゃんと自分の気持ちを主張したり、ときには相手の気持ちを尊重したりしなきゃいけない」
「……めんどくさいね」
「だろ。でも、そういう、面倒くさいことを続けていけるだけの熱意を、互いに持ち続けていられるか、ってのが、必要なんだと思うよ。そこにエネルギーを注ぐのが馬鹿馬鹿しくなって、一人の方が楽に生きられると思ってしまったら、きっともう駄目なんだろうな」

 私は「ふぅん」と言いながら、頭のどこかで納得していた。
 父の言葉は思った以上に理論的で、運命、という言葉よりも、私の中にしっくり来た。

「――お父さん、誰とでも家族になれそうだね」
「はぁ? 何だ急に」

 私の言葉に、父は目を丸くする。私は笑った。

「ううん。もしかしたら、お母さんより先にヒカルさんと会ってたら、ヒカルさんと結婚してたりしたかもなって。あ、何ならヨーコさんと結婚してた可能性だって」

 父は私の言葉に、微妙な表情で顔を背けた。

「……その、無邪気に人のHPを削ってくるところ、彩乃にそっくりだな」
「え? 何が?」

 私が首を傾げると、父は深々とため息をついた。
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