上 下
176 / 368
.第7章 大学1年、後期

172 二日遅れのクリスマス

しおりを挟む
 冬と言えばカップルイベントが目白押しの時期だ。とはいえ、クリスマス前後は私のバイトが繁忙期なので、慶次郎とは、年末が近づいた27日に出かることにした。
 それでも、私が昼過ぎまでバイトだったこともあって、遠出はできない。
 出かけたのはいつも通り、駅前の映画館だった。
 クリスマス前後に合わせて公開される映画はカップルで楽しめるものが多いからと、その一つを観た。

「冬ってなんでカップルイベント多いんだろ」
「さー。ただの商業戦略としか思えない」
「夢がないなぁ」
「常識だろ」

 経済学部の慶次郎と話していると、万事が万事この調子だ。思わず呆れて、「そうと分かっててこうやって出かけるのはどうなの?」と意地の悪いことを言ってみるけれど、「それはそれ、一つの機会として楽しめばいいんじゃない」とドライな回答。
 まあ、慶次郎らしいといえば慶次郎らしいけど。
 一緒に映画を観てご飯を食べたら、もう外は暗くなっていた。駅前にはあちこちにクリスマスの名残のイルミネーションが点いている。
 一昔前はクリスマスが終わるとすぐさま取り払われていたその電飾も、最近は正月が過ぎるまで点けっぱなしだ。賑やかしにちょうどいいということなのだろうか。

「少し歩くか」
「うん、いいよ」

 イルミネーションがきらめく夜道を、二人でぶらぶらと歩いて行く。駅前のベンチに座っているのはカップルばかりで、どことなく気まずい。
 でも、向こうから見たら私たちだって一組のカップルなんだろう。そう思うと何だか不思議な気がして――同時に、私はまだ慶次郎と恋人だっていうことを自覚しきれてないんだな、なんて思う。
 夏休みが過ぎてから3か月。慶次郎と過ごした時間はそんなに長くないけれど、でも、ちょこちょこ会っていたのは確かだ。軽いボディタッチも手に触れることも、ぎこちなさはなくなった。と、思うのに、何が足りないんだろう。
 電飾は赤、白、青、黄――と色鮮やかにまたたいている。葉が落ちて枝だけになった木は、日中はひっそりとして見えるのに、日が落ちた途端こうして主役に変わる。
 暗い中でちかちかと点滅を繰り返す電飾を眺めながら歩いていたら、慶次郎が不意に呟いた。

「さっき言ってたやつさ」
「さっき?」

 私が顔を上げると、慶次郎はうんと頷いて前を向いている。その目の中に小さく小さく電飾が映りこんで輝いている。

「カップルイベントがどうのってやつ」
「ああ」

 そういえば、そんなこと話してたっけ。
 そう思っていたら、慶次郎がにやりと笑った。

「冬、ってのはポイントかもな」
「うん?」

 私が首を傾げると同時に、ぱっと手を掴まれる。
 かと思えば、恋人繋ぎにされた。

「――寒いから、ぬくもりが欲しくなるだろ」

 冷え始めた指先に、じわりと慶次郎の体温が伝わって来る。
 ――ぬくもり。
 その言葉が不意に生々しく感じて、私は眉を寄せた。

「……なんか、やらしく聞こえる」
「はぁ? やらしいことなんか言ってねぇぞ」
「そうかなぁ」

 気恥ずかしくてうつむくと、慶次郎は笑った。

「でも、そういうこと言うってことは、ちょっとは進歩したかな」
「え?」

 戸惑う私に、慶次郎は笑って手を引く。電飾の合間に、駅前の時計塔が見えた。時刻は八時前を示している。
 「こっち」と言われて大人しく従えば、煌々とした街明かりからは通りを一本隔てたところに、街灯が一本ぽつりと立っている。それが映し出しているのは、この近辺に住んでいる人しか知らないだろう、小さな児童公園だ。
 私はふっと微笑む。

「あ、懐かしい。ここ、何度か一緒に遊んだね――」

 言いかけた私を、暖かいものが包み込んだ。
 それが何か、考えずとも分かった。動揺に目が泳ぐ。

「ちょ、ちょっ……と、慶次郎」
「嫌なら離れる」

 静かな声が、耳元で言う。
 反射的に腕を振りほどこうとしていた私は、その声を聞いて動きを止めた。
 ――そんなこと言われたら、暴れることもできなくなる。
 大人しくなった私の様子に、慶次郎は喉の奥で笑った。
 くつくつと、猫が喉を鳴らすような笑い声。
 その腕も、笑い声に合わせて小さく震える。

「――あったけぇな」
「……うん」

 私はこくりと頷いた。
 心臓はどきどきと脈打っている。
 目を閉じる。
 一本向こうの道を走る車のエンジン音が、かすかに鼓膜を震わせた。
 静かに呼吸を繰り返す。
 あったかい。……確かに。
 でも、あんまり、落ち着かない。
 ――栄太兄の腕の中ほどは、落ち着けない。

 はっとして目を開き、私は小さく唇をかみしめた。黙ったまま、慶次郎の肩に額を預ける。
 モッズコートから、慶次郎の家の匂いがした。うちとは違う匂い。それは――柔軟剤の匂いだろうか。それとも、他のものだろうか。
 その匂いで、忘れようとする。上書きしようとする。
 あの日、抱き着いた栄太兄の腕の中の感触。匂い。胸の高鳴り――
 忘れようとしているのに、だいぶ上手に忘れられるようになってきたはずなのに、それでもやっぱり、栄太兄は不意に私の頭の中に現れる。
 一緒にいるのは慶次郎なのに。今の私が望んだ時、傍にいてくれるのは、慶次郎なのに――
 私は慶次郎のコートを指先でつまむ。慶次郎は何も言わずに、私の頭をぽんぽんと叩く。
 けど、それ以上のことはしない。嫌がるようなことはしない――つき合い始めるときに宣言した通り、慶次郎はちゃんと、私の気持ちを待っていてくれる。
 黙って、急かすこともなく、待ってくれている。
 私はまた、ぎゅっと目を閉じた。
 慶次郎の手が、私の頭をぽんと叩く。

「……帰るか。送るよ」
「うん」

 私は頷く。一歩、後ろに離れる。
 慶次郎の顔が、頭一つ分離れた。
 微笑みを浮かべたその表情からは、慶次郎が今、どんな気持ちなのか分からない。
 どれくらい無理しているのか、無理させているのか、分からない。
 こんなに、傍にいるのに。慶次郎は私の気持ちを分かってくれるのに。私は、慶次郎の気持ちが分からない。
 あまりの息苦しさにうつむいて、その先に見つけた手に、そっと手を伸ばした。

「……慶次郎」

 私はぽつりと声をかけた。
 うん? と慶次郎が返す。

「つらく、ない?」

 言いながら、慶次郎の手指をつまむ。
 なんてずるい女だろう。自分へのいら立ちに、泣きそうになった。

 慶次郎がつらいなら、もうこんな関係は――
 そう思う一方で、誰かに、傍にいて欲しいと願っているのも確かで。

 慶次郎から、戸惑った気配を察して、私は顔を上げる。

「何が? ――楽しくなかった? 映画」

 少し心配したように、慶次郎はそう言った。
 私はその言葉に慌てて首を振り、「ううん、楽しかったよ」と笑う。慶次郎は不思議そうに私を見下ろしながら「そっか、よかった」とほっとしたようだった。
 慶次郎は、一番に、私のことを考えていてくれる。
 また、胸がぎゅうと締め付けられた。
しおりを挟む
感想 13

あなたにおすすめの小説

私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない

文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。 使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。 優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。 婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。 「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。 優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。 父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。 嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの? 優月は父親をも信頼できなくなる。 婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

本日、私の大好きな幼馴染が大切な姉と結婚式を挙げます

結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
本日、私は大切な人達を2人同時に失います <子供の頃から大好きだった幼馴染が恋する女性は私の5歳年上の姉でした。> 両親を亡くし、私を養ってくれた大切な姉に幸せになって貰いたい・・・そう願っていたのに姉は結婚を約束していた彼を事故で失ってしまった。悲しみに打ちひしがれる姉に寄り添う私の大好きな幼馴染。彼は決して私に振り向いてくれる事は無い。だから私は彼と姉が結ばれる事を願い、ついに2人は恋人同士になり、本日姉と幼馴染は結婚する。そしてそれは私が大切な2人を同時に失う日でもあった―。 ※ 本編完結済。他視点での話、継続中。 ※ 「カクヨム」「小説家になろう」にも掲載しています ※ 河口直人偏から少し大人向けの内容になります

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

人違いラブレターに慣れていたので今回の手紙もスルーしたら、片思いしていた男の子に告白されました。この手紙が、間違いじゃないって本当ですか?

石河 翠
恋愛
クラス内に「ワタナベ」がふたりいるため、「可愛いほうのワタナベさん」宛のラブレターをしょっちゅう受け取ってしまう「そうじゃないほうのワタナベさん」こと主人公の「わたし」。 ある日「わたし」は下駄箱で、万年筆で丁寧に宛名を書いたラブレターを見つける。またかとがっかりした「わたし」は、その手紙をもうひとりの「ワタナベ」の下駄箱へ入れる。 ところが、その話を聞いた隣のクラスのサイトウくんは、「わたし」が驚くほど動揺してしまう。 実はその手紙は本当に彼女宛だったことが判明する。そしてその手紙を書いた「地味なほうのサイトウくん」にも大きな秘密があって……。 「真面目」以外にとりえがないと思っている「わたし」と、そんな彼女を見守るサイトウくんの少女マンガのような恋のおはなし。 小説家になろう及びエブリスタにも投稿しています。 扉絵は汐の音さまに描いていただきました。

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

処理中です...