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.第7章 大学1年、後期

165 慶次郎の誕生日(3)

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 玄関のドアの前で目を丸くして立っていたのは、よりによって母だった。

「か、彼氏? 彼氏って?」
「お、お母さん……どうしているの……」

 思わず腕時計を見る。まだ五時だ。いつも八時九時に帰ってくるのに、どうして今日に限って家にいるのだろう。

「出張から直帰したのよ。で、何? 今の話、何??」

 目を輝かせる母から顔を逸らす。
 ほんっと、もー。間が悪い。悪すぎる。
 悠人兄がちょっと申し訳なさそうに眉尻を下げていた。
 そうだよ! せめて悠人兄がもうちょっと早く言ってくれれば、聞かれずに済んだのに……!
 八つ当たりなのは自覚しつつ、ついついそんなことを思う。

「何でもない。ただいま! ご飯作ろ」
「えーっ、礼奈、ひどい。何で? どうせ、健人とかお父さんには相談してるんでしょ」
「お父さんにはしてない!」
「えー」

 なおも唇を尖らせる母の横を通って、一度部屋に鞄を置きに行く。悠人兄が母をなだめて「まぁまぁ」と言うのが後ろに聞こえた。
 はぁー。ほんと、もう。心臓止まるかと思った。
 私が部屋でため息をついていたら、コンコンとドアをノックする音。

「はぁい」

 開けると、立っていたのはやっぱり困ったような悠人兄。

「ごめん、さっき。変なタイミングで言っちゃって」
「うん……まあ、仕方ないよ」

 言ってしまったもの、聞かれてしまったものを、引っ込めることはできない。私がため息をつくと、兄はなおも困った顔をしている。

「……今日は、楽しかった?」

 訊かれて、私はまばたきした。
 そして頷く。

「うん。楽しかったよ」
「そっか。……それならよかった」

 ほっとしたように、悠人兄が言った。
 ……もしかして、健人兄との約束を果たそうとしているんだろうか。
 礼奈は俺が守る、と言った兄の言葉を思い出して、くすりと笑う。

「大丈夫だよ。自分のことくらい、自分でできる」
「うーん……そう思うのは分かるけど、礼奈は女の子だから」

 おんなのこ、って、悠人兄が言うとなんかかわいく聞こえるな。健人兄が言うとチャラく聞こえるんだけど、不思議。

「俺じゃ頼りにはならないと思うけど、何かのときには相談してね。健人みたいなアドバイスはできないと思うけど」

 短い中にも二度自分を卑下する言葉が入っている辺り、悠人兄はよほどその方面に自信がないのだろう。
 女子は寄って来ると思うんだけど、距離を置いて接してるんだろうな。
 私は苦笑しながら、「ありがと」とその腕を叩いた。

 ***

 母と一緒に準備したご飯が出来上がる頃、父が帰って来た。
 エプロン姿の私と母に出迎えられて、何となく気恥ずかしそうに笑う。

「不思議な感じだな。二人がそういう恰好してると」
「そうかな?」
「そうかもね」

 母と私が顔を見合わせていると、父は笑った。

「スーツ脱いでくる。ついでに悠人も呼んで来ようか?」
「お願い」

 母が言って、食卓に料理を並べ始める。
 父も頷いて二階へと上がって行った。
 準備が終わる前に、悠人兄が降りて来て、飲み物や食具を揃えるのを手伝ってくれる。
 平日には珍しく、四人で食卓を囲んだ。

「ねぇ政人、聞いて。礼奈に彼氏ができたんだって」

 いきなり目を輝かせて言う母に、思わず私は箸の上のモノを取り落としそうになった。
 恨めし気な目で見つめても、母はまったく気づかない。
 父はといえば、ちょっと驚いた顔をして、私と母を見比べた。

「……そうなのか?」
「……まあ」

 あいまいに頷いて、食事を続ける。
 あまり触れて欲しくないらしいと察したのだろう、父は苦笑して母の肩を叩いた。

「採用関係の仕事、もう落ち着いたのか?」
「まあね。健康診断も終わったし……はー、もう10月になっちゃうわねぇ。今年もあっという間に終わるわ……」

 仕事の話になると、簡単に話題を切り替える母だ。父もよく分かっている。二人の顔を見比べて、私は笑った。

「何言ってんの、まだ二か月あるじゃん」
「そう言えるのが若さよねぇ」

 ため息混じりに言う母を、父が「確かに」と笑う。
 そして、母がはっとした顔で私を見た。
 
「あ、そうだ! また言うの忘れてた! 礼奈。そういえば、今年の敬老の日、今週末なの」
「あれ? 言ってなかったっけ?」
「またそれぇ?」

 相変わらずにも程がある。今週末なんて、もう予定が入ってしまっている。

「私、バイトだから行かない」

 淡々と答えると、母がうなだれた。

「もっと早く言わなくてごめんね。次はちゃんとーー」
「いいよ」
「え?」

 遮るように言った私に、母が驚いたような顔をする。
 いつも文句を言うのにと意外だったのだろう。

「私は参加できるときだけ参加するから。ギリギリでもいい」

 そもそも、参加するつもりはないのだ。――栄太兄がいるときには。
 微笑んで言うと、両親は驚いた顔で顔を見合わせた。
 取り繕うように、私は続ける。

「バイトもがんばりたいし。大学生の間に、車の免許取っておきたくて。仕事しながらだと、大変でしょ」
「まあな」
「だから、お金貯めなきゃ」

 私が微笑むと、父と母はまた顔を見合わせた。
 そして、「そうか」と頷いて悠人兄を見る。

「悠人は? どうする?」
「俺は行きたいな。隼人さんと栄太兄にも、仕事決まったこと報告したいし」
「そうだな。そうしてやれ、喜ぶぞ」

 父が言うと、悠人兄も微笑む。
 ご飯を食べ終えると、食器を片付け始めた私に、父が声をかけた。

「作ってもらったから、片付けは俺がやるよ」
「うん、いいよ。食洗器入れるだけだし」
「そうか」

 父も隣で、食器を食洗器に入れて行く。
 その手には、母の分の食器もあるらしかった。

「礼奈」

 不意に声をかけられて、私はちら、と父を見る。
 父は手元を見たまま続けた。

「栄太郎は、知ってるのか?」

 何のことかと、息を潜めて続きを待つ。
 「お前に恋人ができたこと」と言われて、「たぶん」と答えた。

「健人兄に伝えてもらった。5月に集まったとき」
「そうか」

 私の言葉に、父も短く答える。
 食器を入れ終えて、私は一歩下がった。

「じゃ、私部屋に戻るね。お父さん、おばあちゃんたちに言っといて。私は別の日に顔見せるって」
「分かった、そう言っとくよ」

 父はそう微笑んだ。私もにこりと笑って台所を後にする。
 そういえば、健人兄に聞くの、忘れたな。
 私に恋人ができたって聞いたとき、栄太兄がどういう反応したのか。
 階段を上がりながらそう気づいて、自嘲気味に笑った。

 そんなこと、今さら考えたってどうしようもない。
 今、私が一緒にいるべきなのは、私が考えるべきなのは、慶次郎のことなんだから。

 部屋に戻ると、スマホがぴかぴか光っていた。タップすると、そこには慶次郎からのメッセージがある。

【今日はありがとう。楽しかった】

 私は微笑む。

【私も楽しかった。次は学校で会おうね。また連絡する。おやすみ】

 そう返事をすると、そっとスマホを机に置く。
 机上のカレンダーには、今日――慶次郎の誕生日に〇がしてあった。
 よかった。楽しい一日になって。
 カノジョの役目をひとつ果たせた満足感に浸っていた。
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