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.第6章 大学1年、前期

139 2年間の過ごし方(1)

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 とにかく風呂に入れ、という父の言葉に甘え、一番風呂をいただいて、自分の部屋に戻った。
 飲み会だけでなく、その後の出来事が追い打ちをかけて、精神的にものすごく疲れている。
 ベッドの上に横になると、思わず深いため息が出た。

 少しだけ飲まされたアルコールはもうとっくに飛んでいるみたいだったけど、頭の中がぐちゃぐちゃだ。

 飲み会で自分に向けられた好奇の目。
 自然で不自然なボディタッチ。
 懸命に私を守ろうとしてくれた慶次郎の表情。
 頬へのキスと、唇へのーー

「あああああああああ」
「どうしたー。とうとう故障したかー?」

 顔を押さえてのたうち回ると、コンコン、とドアをノックする音と共に、健人兄の声がする。
 私はドアを睨みつけた。
 どうしよう。入れるべきか、入れざるべきか……。
 でも、今、事情を知っているのは健人兄だけだ。愚痴るにも相談するにも、不本意ながら健人兄しか浮かばない。
 慶次郎との対峙で、誕生日にしたデートの様子も、栄太兄から聞いたんだろうと察しがついたし。
 迷った挙句、渋々ドアを開けることにした。
 
 ドアを開けると、ちょっと意外そうな顔の健人兄が私を見下ろした。

「開けてくれると思わなかった」

 そう言われて、私も唇を尖らせた。

「他に話せる人、いないし……」
「父さんとか」
「は、話せるわけないでしょ!」

 面倒見のいい父親だからといっても、さすがに娘として恋愛相談をする気にはならない。
 登場人物が近しい関係の人なのだからなおさらだ。
 健人兄は笑いながら私の部屋に入ってきて、学習机から引き出した椅子にまたいで座った。

「で、どうすんの?」
「どう、って……?」
「あの子。なんつったっけ。ケージローくん?」
「う……うん……」

 うつむいた私に視線をやって、健人兄は椅子の背に頬杖をつく。

「いいんじゃないの。どーせ、栄太兄もいろいろ経験してみろって言ったんでしょ。あの子も事情、分かってるみたいだしさ。甘えてみたら」
「そ、そんなの……」

 健人兄は目を細めて、私を見つめる。

「だってさ、考えてもみろよ。もし、今栄太兄とつき合ったとしてもよ。あんだけ仕事仕事で、休日もろくに休めてないんだよ。いつ会うわけ? その点、あの子の方が生活リズム一緒だし、大学生らしい遊びも一緒にできんじゃん。海行ったりとか、スケボー行ったりとか、普通に映画観たりショッピングモールうろついたり……」

 私は思わず目を逸らす。健人兄は構わず続けた。

「そもそも、会う時間ができたって、栄太兄じゃはしゃいで遊ぶ体力もないだろうしねー。友達と一緒にダブルデート、とかも気まずいだろうし。ーーそれに」

 健人兄は私をまっすぐに見据えて、静かに言った。

「2年、待ったとして、栄太兄が本当に礼奈の気持ちに応えてくれるかどうかは分からないよ?」

 ぐさ、と言葉が胸に刺さる。ぎゅ、と手で胸を押さえると、健人兄は薄く微笑んだ。

「礼奈に新しい出会いがあるように、栄太兄にだってもしかしたら新しい出会いがあるかもしれない。いや、もしかしたらもう会ってる人と、距離が近づくこともあるかもしれない。そんなの、誰にも分かんないだろ。2年ーー今までの栄太兄とのつき合いからしたら短いと思うかもしれないけど、関係が変わるには充分な時間だよ。お前が誰か別の人を好きになるにも、栄太兄を忘れるのにも、充分な時間だと思う。ーー特に、生活環境が変わった今は」

 どきどきと心臓が高鳴る。
 それは考えたくなかったことーー無意識に考えるのを避けていたことだ。

「……健人兄は……」

 私の声はかすれて、泣き声みたいになった。健人兄はあくまで静かに私を見つめている。

「どういう、つもりなの? だって……あんなに、さんざん……私、を、栄太兄と、くっつけようとしてたくせに……」

 健人兄はため息をついて顔を逸らした。

「次に進むにしても、自分の気持ちに気づかないままじゃ進めないだろ。だから、気づくように仕向けただけだよ。お前も、栄太兄も」

 --栄太兄?
 私は思わず問いたくなる。
 栄太兄は、私のことを、どう考えてるんだろう。健人兄は何か知ってるの?

 健人兄を見る目が、すがるような気配を持ったことを自覚する。けれど、健人兄はきっとそれが分かっているのに、教えてくれない。

「正直、俺もちょっと期待外れだったなー。栄太兄、もう少し腹くくって、ちゃんと答えてくれるかなーと思ってたんだけど。先延ばしみたいなこと言っちゃってさ。ーーまあ気持ちは分かるけど。でも、そんな優柔不断な男なら、さっきの子の方がよっぽど頼りになるかもよ。長い付き合いで、何だかんだで傍にいる奴なんでしょ」
「そ、そうだけど……」
「いいじゃん、そういうの」

 健人兄はにこっと笑って、私を見つめる。

「どうして、って言ったな。俺がどうして、お前にハッパかけたのかって。ーー俺はただ、幸せになって欲しいだけだよ。お前も、栄太兄も」

 健人兄らしからぬ視線の優しさに戸惑う。目を泳がせ、うつむいた。

「幸せになるとき、お前らの隣にいるのが誰なのかなんて、俺には分かんないから。ま、せいぜい後悔しないようにアドバイスするくらいかな」

 健人兄は立ち上がった。椅子を机の下にしまい込み、ドアに向かう。

「あと2年後ーーいや、5年、10年後に、大学で遊んどけばよかった、とかって思わないようにしろよ。そのとき栄太兄との関係がどうなってるかは、まーなんつうか、なるようになるし、ならないようにしかならないんだからさ」

 私は思わず肩をすくめる。なんだか悔しくて、唇を尖らせた。

「……なんか、知ったような口きくね」

 ずいぶん、悟ったみたいな言いぶりだ。
 健人兄は笑った。

「そうかな。……そうかもね。だいたい、ジョーさんとヨーコさんの受け売り。じゃ、おやすみ」

 言い残して、部屋を出ていく。
 パタン、と乾いた音が、耳に残った。

「……後悔、ないように、か……」

 ため息をつく。
 2年。
 とにかく、2年間は、栄太兄と私の距離が近づくことはない。
 その間に何をするか、どう過ごすかは、私の自由なのだ。

 膝を抱えて、また息を吐き出した。深く。長く。
 若干、自分で気づいてはいた。
 だから、戸惑っていたのだ。
 --ナルナルに告白されたときとは、気持ちが違う、ってことに。
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