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.第5章 春休み

107 卒業旅行(2)

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 新幹線の中で早めのお弁当を食べて、京都に着いたのは12時頃だ。
 まずは目的のお礼参りに出かけることにした。
 最初に、北側にある北野天満宮と金閣寺。3つ目のお守りは平安神宮で、京都駅を挟んで東に位置している。少し離れているから、ひと息ついてから向かうことにして、ひとまず2つを返し終え、カフェでお茶をした。
 それにしても……

「有名なお寺ばっかり……もっとゆっくり見て回りたい」
「気持ちは分かるけど、足止めてたら今日中に回れないぞ。明日に回す?」
「でも、明日も奈良の方の神社行かなきゃだし……」

 祖父母の住んでいる鎌倉も、古い町だからお寺は多い。それぞれ特色もあって、一つ一つ見ていると面白いのだけれど、京都はその上、一つ一つの敷地が広いから時間がかかる。

「3泊で日程組めばよかった……」
「ま、そういうのも経験だな」

 健人兄がからりと笑う。私は「ううぅ」と肩を落とした。

「また別の季節に来てもいいんじゃね? 雰囲気全然違うよ」
「……そんなに何度か来てるっけ? 京都」

 私が問うと、健人兄が一瞬だけ「あ」という顔をした。
 その顔を見て、私は「もしかして」と半眼になる。

「……ヨーコさんに付き添って、京都来てたり……」
「さー、どうかなぁ」

 はっはっは、と笑う顔は、もうこれ以上口にすまいという態度だ。
 ちぇっ。おもしろくない。

「……ヨーコさん、大学までこっちだったんだっけ」
「うん、そう。実家から通ってたらしい」

 カフェの窓から外を見る兄は、そう言いながらどこか遠い目をしている。
 今の兄と変わらない年齢だった頃のヨーコさんに想いを馳せているんだろうか。
 そんなことを思ったら、なんだかしみじみとした気分になった。
 「そっかぁ」と言葉が口をついて出る。
 兄が「ん?」と私を見やった。

「……ヨーコさんも、大学生だったときがあるんだよねぇ」

 そんなの、当たり前のことだ。それは頭では分かっていたけれど、感覚的に腑に落ちたのが初めてで、なんだかちょっと感動してしまった。
 兄も「当たり前だろ」と失笑するかと思いきや、ふ、と笑っただけだった。「そうだな」なんて言って、また外を見て。
 その横顔がずいぶん優しく見えて、ちょっとどきっとする。

「……健人兄ってさぁ」

 私は言いながら、目の前のコーヒーフロートをストローで混ぜた。
 幸い天気に恵まれたので、歩いていたら少し汗ばむくらいの陽気だ。グラスの中では、小さくちぎれたバニラアイスが、不格好に、でも少しずつ、コーヒーに溶け込んでいく。

「ヨーコさんが、初恋だったり……?」

 健人兄は意外そうな顔で私を見て、ぷは、と笑った。
 どうして笑われたのか分からず眉を寄せる。
 健人兄はくすくす笑いながら私の頭をかきまぜた。

「なるほど、確かにな。そうかも」

 どこか晴れ晴れとしたその笑顔を見て、私は肩をすくめた。
 健人兄はまた窓の外に顔を向け、穏やかな目で通りを行き来する人を見つめている。

「ヨーコさんはさぁ」

 健人兄は独り言のように話し始めた。私は黙ったまま、その横顔を見守る。

「あんまり、地元にいい思い出がないんだって」

 そう言う健人兄はいつもの軽いノリが嘘のように、静かで落ち着いていた。
 その目を追って、窓の外を見る。楽しそうに隣の人と話しながら行き交う人々は、きっと観光客だろう。中には地元の大学に通う学生らしい人もいた。
 その口の開閉に、柔らかい関西弁の響きを見て取り、また視線を健人兄に戻す。

「不思議だよなぁ。観光で来る人にとっては、どこもかしこも、魅力的に見える街もさ。見る人によっては、ただのトラウマだったりするんだ」

 健人兄はそう言って、ブラックコーヒーを口に運ぶ。
 そういう主義なのか、兄は外に出ると、夏でもアイスコーヒーをあまり飲まない。

「不思議だよなぁ。一度嫌いになった街は、どうやっても、なかなか好きになることができない」
「……そうかもね」

 頷きながら、まるで人間関係の話をしているみたいだ、と私はぼんやり思う。
 一度、こう、と思ってしまった人は、なかなかそこから変わらない。
 苦手だなと思った人を好きになることはなかなかできないし、できたとしても時間がかかる。

「--っと。もうこんな時間か。はやく行かないと暗くなるな」

 兄はふと気づいたように腕時計を見て、くいっとコーヒーを飲み干した。私は慌てる。

「ま、まだ飲んでない」
「遅いなぁ。俺がもらってやろうか。バニラアイスんとこだけ」
「や、やだっ。飲む、飲むもん」

 私がむきになってストローを口にくわえると、兄は軽やかな声をあげて笑った。
 まるで今までの真剣さを取り繕うように。
 私はあえてそれを指摘する気にはなれなかったけれど、内心、ちょっと驚いていた。
 健人兄も、ああいう顔をするんだな、って。
 街を眺めるその横顔は、まるで遠い誰かを想うような表情をしていたから。
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