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.第1章 高校2年、前期

13 合宿(2)

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 休憩後のナーガは、黙ってナルナルの指示に従った。その代わり、面倒なフレーズやP(ピアノ)の指示があったところは吹いているふりをしたし、他の部員のように譜面にメモをする様子はなかった。
 合宿中とはいえ、校内を使える時間は5時までと決まっている。最後にもう一度通して演奏を、という段になって、はしもっちゃんがナーガに声をかけた。

「ナーガ。これで今日、最後だから。ちゃんとやってよ」

 ナーガはふて腐れた表情で、ふん、と返すだけだ。
 他のパートの部員にも、そのやりとりが見えたらしい。コントラバスの男子が「お前、いい加減にしろよ!」と怒り始めた。

「何だよ、メモも取らずにふて腐れて。ガキか? やる気ないなら出てけよ!」
「メモ取るも何も、成田大先生がおっしゃることは全部楽譜に書いてあることだろ。楽譜通りに演奏すればいいんだよ、俺も、お前も!」

 ナーガはいきなり椅子から立ち上がった。

「楽譜通りに吹ければ、誰でもいいんだよ! 誰が吹いたかなんて関係ないんだ! 譜面に書かれた通りに演奏して、はいよくできました、って、それで勝っただの何だの、馬鹿じゃないの? 大会に行けなかったらそれでハイ残念、また来年、だよ。3年が主戦力になってる他の学校に、2年以下しかいないうちが対抗できると思ってんの? 上位入賞校なんて、舞台に乗れない部員がわんさかいて、舞台に上がるのはほとんど去年からいた人間ばっかりなんだよ。夏頃発表された翌年度の課題曲を、1年かけて練習すんの。勝てると思ってんの? 地区大会突破したって、県大会、全国大会、ってそれで何よ? 全国制覇なんてできもしないの分かってて、なんでそんな楽譜通り楽譜通りってーー」

 部員がしんと静まっている。1年生は戸惑って、互いに顔を見合わせていた。ナーガは周りを見渡して、「はっ」と笑った。

「……そうだよ、どうせ負け犬の遠吠えだよ。はしもっちゃんたちみたいに、誠実に楽器に向き合うこともできない。部活中はテスト勉強しなきゃって気になって、家に帰れば部活のことが気になって……結局全部、中途半端だ。馬鹿なのは俺だよ。知ってるよ、くそ」

 ナーガはブツブツ言いながら、パイプ椅子を蹴った。がちん、と音がして、パイプ椅子が倒れる。
 腹立たしげに足を踏み変える度、ナーガが手にしたトランペットが照明を反射してキラキラ光った。揺れる光に彼の動揺を見て、胸が苦しくなる。

「……ナーガ」

 ためらいがちに声をかけたけど、ナーガの耳には届かなかったらしい。

「知ってるよ、俺の脳みそが足りないことくらい。俺より一所懸命部活やって、みんなのこと見て考えてーーそれでもナルナルは学年トップとか、2位とか3位とか、取るんだろ。前に落ち込んでたときの成績だって、せいぜい十番台だったもんな。この学校には、何やらせてもこなせるような、いつ勉強してんだかわかんないような、ばけもんみたいな奴らがわらわらいて、みんな腹の底の知れない顔で笑ってるんだ。その中で、俺は」
「ナーガ」

 私は慌ててナーガの手首を掴んだ。私より拳一つ分上から、揺れた視線が返ってくる。

「それ以上、言わなくていいよ」

 つかんだナーガの手は震えていた。
 痛いほどに、分かる。ナーガの気持ちは。分かるからこそ、これ以上言わせるべきじゃない。
 ーーこれ以上、自分が惨めになるようなことは。

「やめてよ」

 ナーガは笑って、私の手を振り払った。

「俺、もっと惨めになるじゃん。やめてよ、そうやって庇おうとするの。礼ちゃんみたいに、前向きに、いられないよ。いくら努力したって、上には上がいるって、知ってて、ひがまずにがんばれるなんて、そんなの……」

 ナーガはため息をついた。うつむいたまま、私にぐいとトランペットを押し付ける。

「……俺、無しでやってて。少し頭冷やしてくる」

 私は突きつけられたトランペットを受け取る。
 みんなが黙っている間に、ナーガは音楽室を出て行った。
 カチ、と時計の長針が動いた音がする。はっと顔を上げて時間を確認した部長のダダちゃんは、あえて明るく手を叩いた。

「よしっ、最後、がんばろー! 今日言われたこととか思い出しながら、通しでやってみよ。時間ないから止めずに行こっか。ナルナル、あとよろー」
「うん」

 ナルナルは強張った笑顔を返した。突っ立ったままの私に一瞥を向け、頷く。
 私も頷きを返して、自分の席へ戻った。トランペット前列は、はしもっちゃん、私、ナーガ、コアラの順番で並んでいる。ぽっかり開いた右隣がすぅすぅした。いつもより一回り小さく見えたナーガの背中を思い出す。
 今日の最後にした演奏の出来はボロボロだった。私なりに精一杯吹いたつもりだったけど、私よりも、後ろから聞こえる1年生の音の方が上手かった。
 はしもっちゃんはいつも通り安定して上手かったけど、音はカタかった。いつも通り吹いていたのはコアラくらいだ。
 トランペットだけではない、全てのパートがバラバラだった。崩壊する直前のチームってこういう感じかな、とマウスピースに唇を押し当てながら思った。バラバラな演奏をまとめようと、踏ん張る誰かの音がした。管楽器、弦楽器、パーカッション、それぞれ歯を食いしばる部員の顔が浮かんだ。

「ーー礼ちゃん?」
「……ごめん」

 どうにか吹き終えたとたん、顔を覆った。
 涙が次から次に溢れて、止まらなかった。
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