上 下
7 / 368
.第1章 高校2年、前期

04 自主練(1)

しおりを挟む
 水曜日の今日、部活は自主練と決まっている。
 とはいえ、部員たるもの原則参加ーーなのだけれど、教室に集まったメンバーを眺めて、私は首を傾げた。

「今日、ナーガいないんだね」
「うん。なんか用があるって」

 はしもっちゃんが頷くと、机に軽く腰掛けたコアラが唇を尖らせた。

「余裕かましてていいのかねぇ。大会の出場権、剥奪されちゃうよーん」

 マウスピースを口にあて、ぷわっ、ぷわっ、ぶぶー、と吹く。楽器を通さないとアヒルみたいな音になるので、剽軽な可愛さがある。
 私は苦笑した。

「用事がある日もあるでしょ」
「他の人ならそうも思えるけど、ナーガだからなぁ。よくて塾じゃない?」
「家で勉強するだけだったりして」
「いやいや、勉強すると言っておいて、部屋で漫画読んでるかも」

 はしもっちゃんとコアラのやりとりはなかなか手厳しい。2人で「有り得る」と頷き合っているのを横目に、あえてコメントは控えた。
 いない人のことを勝手にあれこれ言うのは趣味じゃない。
 マウスピースをトランペットに差し込み、スマホのメトロノーム機能を呼び出した。

「ロングトーンやるから、うるさくなるよ」
「どうぞー」
「自主練でもちゃんとそれやるの、礼ちゃんくらいなもんだね」
「初心者だから、基礎はちゃんとしとかないとね」

 肩をすくめて答えると、1年生で唯一の初心者、あーちゃんが手を挙げた。

「あっ、あの、私もやっていいですか……?」

 私は微笑んで頷く。「もちろん」と言うや、他の1年生が「私も!」「私もー!」と寄ってきた。

「あはは、それならみんなでやろっか」
「えー。ロングトーンだけね。私、自由曲練習したい」

 はしもっちゃんが笑って、コアラが渋々立ち上がった。

 ***

 ロングトーンを終えると、それぞれ思い思いの場所に楽譜を広げる。コアラが「私トイレ」と廊下に出て行ったとき、風が窓から勢いよく流れ込んだ。楽譜が舞い上がりそうになって、みんな慌てて押さえ付ける。

「今日も、風強いね。窓閉めとこうか」
「その方がいいかも」

 窓に手をかけたとき、外を一人の男子が走っているのが見えた。

「あ、慶次郎」

 今日は男バスが外練らしい。男バスは女バスと違い、集団で走るのではなく個別に走っているようだ。
 真剣に走る表情は、幼馴染とはいえあまり見覚えのあるものじゃない。
 私の前では、いつも厭味ったらしい表情を浮かべているから。
 私へのひねくれた態度を思い出し、ついついため息が出た。いくら小夏に推されても、そうそう素直に好意を持てるわけもない。

 ……確かに、悪いやつではない、とは思うのだけど。

 朝にも交わした低レベルなやりとりは、数年来ーーたぶん小学生の頃から、さして変わらない。

 もー少し、フツーに接してくれればいいのになぁ。

 あんな態度を取られると、ついつい喧嘩を売られた気分になってしまうのだ。
 ーーそれをいちいち買っちゃう私も私なんだけど。

 一緒に窓を閉めてくれていた後輩のあーちゃんが不思議そうに私の横顔を見た。

「お知り合いですか?」
「うん、まぁ……」

 私はそのまま、窓を滑らせる。昨日と同じく手を振るか迷ったけど、やめておくことにした。
 昨日はたまたま気づいたけれど、こちらを見たのはただの偶然に違いないーー昨日、小夏だって気づかなかったのだから。
 そう思ったのに、窓を半分くらい閉めたとき、走っている慶次郎と目が合った。
 ちょっと驚いた顔をして目をさ迷わせ、また私を見上げる。

 ……えっ? もしかして期待してる?

 手を挙げてやるべきか迷っている間に、慶次郎は角を曲がって行ってしまった。
 なんとなくほっとしながら窓を閉める。

「ーー見てましたね、礼奈先輩のこと」

 あーちゃんに指摘されてぎくりとした。
 私は引き攣った笑顔を返す。

「そ、そうかもね。でも、無愛想な奴でしょー。気づいたなら軽く挨拶するとか笑うとか、してもいいとこだよね」
「……仲のいい友達なんですね」

 あっ、しまった。墓穴を掘った。
 確かに、ただのクラスメイトなら、私もこんな言い方はしない。

「仲がいいっていうか……小学校からの腐れ縁ってやつ」
「小学校?」

 あーちゃんは目を丸くした。

「んん? 誰の話? 礼ちゃんの彼氏?」
「違う! 断じて、違う!」

 手洗いから戻ってきたコアラが茶化してくるものだから、ぶんぶん首を振って答える。
 そのとき、廊下からコンコン、とノックの音がした。

「お邪魔します」

 フレームレスの眼鏡と優しい微笑ーー指揮者のナルナルだ。

「ごめんね、お話し中に。ゴールデンウイークの予定表できたから、お届けに来ました」

 ナルナルは教室に入り、手にしたプリントをみんなに配っていく。

「ありがとう」

 受け取ると、ナルナルはにこりと笑顔を返してくれた。

 慶次郎を見た後だと、この穏やかさにほっとするわー。

「ナルナル、いいところに来た!」

 せっかくまったりほっくりしていたのに、コアラが横からニヤニヤしながらナルナルに近づいた。

「礼ちゃん、彼氏ができたらしいよ」
「え? 彼氏?」
「ち、違っ、腐れ縁の男子がいるって話を……!」

 きょとんとしたナルナルに、私は慌てて否定する。
 ファザコン疑惑の上、慶次郎とつき合っているなんて噂が流れたらたまったもんじゃない。私だって世間一般の女子らしく、勉強と部活と恋、みたいな高校生活に憧れているのだ。
 ……すでにかなり縁遠い自覚はあるけど。

 ナルナルはふっと目を細めた。

「礼ちゃん、誰とでも仲良くなれるもんね。きっと友達も多いよね」

 なんという絶妙なフォロー。

 ほっと胸を撫で下ろすと、コアラが「ちっ」とつまらなそうな顔をしていた。
 ナルナルは来たときと変わらないにこやかな表情のまま、「じゃあ、他のパートにも配ってくるから」と教室を出て行った。
 はしもっちゃんが渡されたプリントを手に「ふーん」と眺めている。

「合宿、ゴールデンウィークの後半なんだね」
「ほんとだ」
「全員参加してくれるといいねー」
「じゃないと文化祭に間に合わないよ。ナーガにも日程、連絡しとこっか」

 コアラがスマホを手にすると、「明日でもいいんじゃない?」とはしもっちゃんが応じる。
 コアラが言う文化祭は6月。7月末に控えた吹奏楽コンクール地区大会前の貴重な発表の機会だ。
 それに向け、ゴールデンウイーク中に、校内の宿泊施設を使った春合宿をするのが毎年恒例。県立学校なのにそんな施設があるのは珍しいそうだけど、卒業生の寄付金で建てられたらしい。
 演奏するのは約50人。その半数を1年生が占めるわが校の吹奏楽部にとって、地区大会までに団結力を高める合宿は必要不可欠のイベントだ。
 進学率を維持するために、私たちの学校では、どの部活も2年で引退するのが慣習になっている。
 多くの学校が3年生を主戦力とする中、1、2年生しかいない私たちが県大会まで進むためには部員が結束するしかない。

「でも実際、厳しいよねー。うちの学校が県大会行ったのって、いつが最後なんだっけ」

 コアラのぼやきに、はしもっちゃんと私が顔を見合わせる。

「10年くらい前じゃないかなぁ」
「7年前じゃなかったっけ」

 コアラがつまらなそうに鼻を鳴らして、またマウスピースをぷっぷく鳴らした。

「仕方ないよなぁ。うちの学校は、部活もホドホド、行事もホドホド、とにかく進学率だけは上げろ、っていうのがスタンスだもんね。部活をやりたければK校に行け、行事をやりたければS校に行け、ってな感じ?」

 私とはしもっちゃんは苦笑する。

「ナーガ見てるとわかるじゃん。ホドホドに楽しめればいいって思ってるんだよ。本気になるのは受験だけ。一生が関わるからね。まあ、それも当然ではあるけど」

 コアラは歯に衣着せない。辛辣な台詞に1年生が怯んでいるのを察して、「まあまあ」と曖昧に宥めた。

「ナーガがどう、とかじゃなくてさ。色んな考えを持った部員がいる、って意味では、どの学校も変わらないじゃない? そこをどう、やる気出してもらって結束するかっていうのが醍醐味なのかも」
「それもそうだね」

 はしもっちゃんが頷くと、コアラが笑った。

「礼ちゃんってほんと、優等生だね。ウケる」

 ずばり言われて、一瞬、表情がカタくなる。綺麗事と言われたら確かにその通りだ。
 強張った私の気配を感じ取って、はしもっちゃんが横から口を挟んだ。

「ウケるってひどくない?」
「あ、ごめんごめん、語彙が少なくて。いや、馬鹿にしてるわけじゃなくって、うーん。……礼ちゃんらしいなっていう意味」

 コアラは悪気なさそうに笑った。多分、本当に悪気はないんだろう。
 はしもっちゃんが私の横顔を気遣うように見る。ズバズバ言うのはコアラの性格で、いつものことだ。いちいち気にしてはいられない。
 大丈夫だという気持ちを込めて頷き返すと、はしもっちゃんが申し訳なさそうな顔をした。

 優等生……か。
 苦い記憶が、芋づる式に思い出される。
 そのつもりはないのに、今までも何度か「いい子ぶってる」と言われたことがある。
 「よっぽど優しい環境で育ってきたのね」
 「他人に足を引っ張られたことないのね」
 「恵まれていて羨ましい」
 嫌味たっぷりな目と、小バカにするような態度で。
 そんなことを言われても……と思うけど、確かにその通りなのだ。
 私は幸い、家族にも友達にも恵まれて、あまり大きな躓きを感じることなく育ってきた。
 綺麗事ばかりの偽善者ーー
 そう思われているんじゃないかと、自分がときどき嫌になる。
 私はみんなに気付かれないように、ゆっくり息を吐き出した。
しおりを挟む
感想 13

あなたにおすすめの小説

私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない

文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。 使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。 優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。 婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。 「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。 優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。 父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。 嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの? 優月は父親をも信頼できなくなる。 婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

本日、私の大好きな幼馴染が大切な姉と結婚式を挙げます

結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
本日、私は大切な人達を2人同時に失います <子供の頃から大好きだった幼馴染が恋する女性は私の5歳年上の姉でした。> 両親を亡くし、私を養ってくれた大切な姉に幸せになって貰いたい・・・そう願っていたのに姉は結婚を約束していた彼を事故で失ってしまった。悲しみに打ちひしがれる姉に寄り添う私の大好きな幼馴染。彼は決して私に振り向いてくれる事は無い。だから私は彼と姉が結ばれる事を願い、ついに2人は恋人同士になり、本日姉と幼馴染は結婚する。そしてそれは私が大切な2人を同時に失う日でもあった―。 ※ 本編完結済。他視点での話、継続中。 ※ 「カクヨム」「小説家になろう」にも掲載しています ※ 河口直人偏から少し大人向けの内容になります

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

人違いラブレターに慣れていたので今回の手紙もスルーしたら、片思いしていた男の子に告白されました。この手紙が、間違いじゃないって本当ですか?

石河 翠
恋愛
クラス内に「ワタナベ」がふたりいるため、「可愛いほうのワタナベさん」宛のラブレターをしょっちゅう受け取ってしまう「そうじゃないほうのワタナベさん」こと主人公の「わたし」。 ある日「わたし」は下駄箱で、万年筆で丁寧に宛名を書いたラブレターを見つける。またかとがっかりした「わたし」は、その手紙をもうひとりの「ワタナベ」の下駄箱へ入れる。 ところが、その話を聞いた隣のクラスのサイトウくんは、「わたし」が驚くほど動揺してしまう。 実はその手紙は本当に彼女宛だったことが判明する。そしてその手紙を書いた「地味なほうのサイトウくん」にも大きな秘密があって……。 「真面目」以外にとりえがないと思っている「わたし」と、そんな彼女を見守るサイトウくんの少女マンガのような恋のおはなし。 小説家になろう及びエブリスタにも投稿しています。 扉絵は汐の音さまに描いていただきました。

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

処理中です...