さくやこの

松丹子

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第三章 さくらさく

95 報告会

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 少し落ち着いてから、私は家の中に入った。
「新しいコップ買ったんだよ」
 咲也は言いながら、ペアのマグカップを取り出す。ピンクとブルー。
「どっちがいい?」
 咲也が言うので、
「じゃあこっち」
 ブルーを示した。
 咲也は笑って、了解、と答え、紅茶を入れて持ってくる。
 見慣れた家具、見慣れた空間。
 壁に掛けたカレンダーが時を進めていることと、卓上に置かれたペアのマグカップだけが、二年前と違った。
 そして――時計の横に置かれた、薬。
「仕事は?」
 その薬を見ながら、私は問う。
「続けてるの?」
 咲也はにこりと笑った。
「叔父の会社は辞めたよ」
 言いながら、マグカップを口に運ぶ。
「一年間、ヨーロッパをうろうろして、父と母を探した」
 私も黙ってマグカップに口づけながら、それを聞いた。
「結局会えなかったよ。いた形跡があるときもあったんだけど」
 咲也はマグカップを卓上に置く。
「でも、代わりに、彼を見かけたんだ」
 私はマグカップを持つ両手に、知らず力を込めた。
「彼――って」
「そう、彼」
 咲也は穏やかな微笑みで応える。
「イギリスに行ったときにね。今でも同じパートナーと一緒だった」
 私はドキドキと早まる鼓動を落ち着かせようと、熱い紅茶を舐めた。
「幸せそうに笑ってた」
 咲也は満足げな表情でたゆたう紅茶の表面に視線を落としている。
「よかったぁ、ってほっとして」
 ――そうか。
 私は気づいた。
 咲也に伝染ったということは、彼もその病気を持っているということなのだ。
 気づかずに過ごせば、数年でも命取りになりかねない――
「声、かけたの」
 私が問うた。
「まさか」
 咲也は答える。
「その姿を見て、もう両親を探すのはやめよう、と思ったんだよ」
 私はその言葉に、何となく納得した。
「そして帰国した。その後は病気の治療をしながら、様子を見てアルバイトしてるよ」
 咲也はにこりと笑った。その瞳の奥に潜んでいた闇は、少し薄まったように見えた。
「そうそう。ついこないだね、ネガか届いて」
「ネガって……写真の?」
「うん」
 咲也は言いながら、机横に置いてある袋を引き寄せて私に手渡した。
「差出人不明。消印は、多分フランス」
「何それ、怖っ」
 言いながら私は袋の中を覗く。見てみてと咲也が言った。私は写真を取り出した。
 写真は二十枚ほどだった。素人が一眼レフで撮ったもののようで、ピントがイマイチ甘い。風景の写真ばかりだ。
 めくっていくと、一枚、鮮明な風景が映っていた。雪の舞う白い町並み。綺麗に合ったピントにプロの腕を感じる。次の写真も全く同じ風景だったが、陰影の差が今ひとつで、比較するとカメラマンの技術力の差が明確だった。
 そしてもう一枚混ざっていた異色な写真は、間違ってシャッターを押したものだろう。テーブルに置かれたカメラから、正面に座る食事中の男の腕が映っていた。
「元気、みたいだね」
 私は写真を袋にしまって、咲也に返した。
「多分ね」
 咲也は微笑む。
「叔父さんには?」
「言ってない」
 咲也はマグカップを口元に運びながら答えた。
「今まで、母が俺の足かせなんだと思ってたけど」
 咲也は不意にひとりごちた。
「俺も、母にとっての足かせだったのかもしれない」
 私は黙って、目を伏せた。
 人と人の関係は、共にいることだけではなくて、別れることで幸せが得られる場合もあるのかもしれない。
「よかったね」
 私の言葉に、咲也は黙ったまま、笑顔で頷いた。
 安堵した表情に、私も笑顔を返す。
「あきちゃんは?」
 咲也は問う。
「先輩たちは、変わらず?」
 私はにやりとした。
「阿久津さんが結婚したよ」
「えっ、ホントに!?」
 咲也が驚く。私は頷いた。
「去年ね。そのときだけ一時帰国した」
 はぁー、と咲也は嘆息する。
「それはそれは。おめでとう」
「いや、私に言われてもね」
 私が言うと、咲也も、確かに、と笑った。
 そして、ちょっと気恥ずかしそうにモゾモゾする。私は笑った。最初に阿久津さんの話をしたのはわざとだ。ちょっとした意地悪。
「政人さんは?」
 予想通りの言葉に、私は頬杖をつきながら咲也を見返す。
「連絡取ったんでしょ?」
 咲也は頬を染めて困った顔をした。
「意地悪」
 小さく唇を尖らせて紅茶に口をつけつつ、
「あきちゃんのこと、聞くだけで精一杯だったよ」
 私は笑った。咲也が鞄から出した例の書類に目をやる。
「これって、保証人必要だったよね」
 私の意図を察したのか、咲也が目を上げた。きらきら輝いている。
「でも、一つ条件がある」
 私はぴしりと指を立てた。何でしょう、と咲也の表情も改まる。
「あの人たちには、私たちの関係を、ちゃんと言っておきたいの」
 咲也はじっと私の顔を見つめた。
「ちなみに、阿久津さんには既にバレてました」
 咲也は苦笑して、そう、と言った。
 私はもう一本指を立てる。
「安田さんはヨーコさん以外に無関心だし」
 咲也は笑った。だろうね、と言いーー俯く。
「政人さん、どんな反応するかなぁ」
 小さな呟きに込められた不安に、私は微笑んだ。
「大丈夫だよ、あの人は」
 咲也はちらりと目を上げた。
「馬鹿みたいに優しいもん」
 咲也は驚いてから、微笑む。
「認めた?」
「何を」
「あきちゃん、政人さんが大好きだって」
 私はふんと鼻で笑った。
「大好きとまではいかないけど、まあ好きな方だってことは認めた」
 咲也は声をあげて笑った。
「素直じゃないなぁ」
「いいの。私は素直じゃなくても」
 答えながら紅茶を飲む。
「馬鹿みたいに素直な咲也には、私くらいひねくれてるのがちょうどいいでしょ」
 咲也はキョトンとした顔をしてから、頬を赤く染めて目をそらした。
「バレちゃうかな」
「何が」
「カミングアウトしたら……その、俺が政人さん好きだって」
「あー、大丈夫でしょ。意外と鈍感だから」
 ひらり、と手を振り、私は言いつつにやりとする。
「むしろ攻めてみたら?ヨーコさんみたいに」
 咲也が硬直した。結構リアルに想像してみたらしい。急に顔を真っ赤に染めて手で覆った。
「で、できないよそんな大胆なこと」
 ーー可愛いなぁ。
 私は笑う。腰を浮かして咲也の肩に手を置いた。
「よーし、私が協力して進ぜよう」
 咲也は赤い顔のまま、困惑した表情で私を見返した。
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